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遠慮のかたまり、どうする?最後の一個を聞かずに食べる。それは僕だ。

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居酒屋で、みんなで唐揚げを頼む。

大皿に盛られた唐揚げがテーブルの真ん中に置かれる。

「きたきた」

なんて言いながら、みんな普通に食べる。

一個目。

誰かが取る。

二個目。

別の誰かが取る。

三個目。

僕も取る。

誰も何も言わない。

「その唐揚げ食べていい?」

なんて確認する人はいない。

当たり前だ。

みんなで食べるために頼んだ唐揚げなのだから、食べればいい。

パクパク食べる。

会話も続く。

仕事の話をしたり、最近あったことを話したり、どうでもいい話をしたり。

そして、しばらくすると。

唐揚げが、

一個になる。

ここからだ。

ここから唐揚げの様子がおかしくなる。

いや。

唐揚げは何も悪くない。

人間の様子がおかしくなる。

さっきまで何の許可もなく取っていたのに、誰も箸を伸ばさなくなる。

会話は続いている。

「最近仕事どうなん?」

「まあまあかな」

「忙しい?」

「ぼちぼち」

普通に喋っている。

でも僕は知っている。

お前ら、さっきから最後の一個見てるよな。

見ていないふりをしている。

でも見ている。

僕には分かる。

なぜなら、

僕も見ているからだ。

テーブルの中央。

大皿の上。

ぽつん。

唐揚げが一個。

たった数分前まで何個も並んでいたときには、誰も気にしていなかった。

それなのに最後の一個になった瞬間、異様な存在感を放ち始める。

最後の一個。

俗にいう、

「遠慮のかたまり」である。

僕は昔から、この遠慮のかたまりというものが不思議で仕方がない。

そして僕は、この遠慮のかたまりを、

普通に食べる。

しかも基本的に、

何も聞かずに食べる。


目次

最後の一個だけ、なぜ急に許可制になるのか

僕が一番不思議なのはこれだ。

唐揚げが五個あったとする。

一個目を取る。

何も言わない。

二個目を取る。

何も言わない。

三個目も同じ。

四個目も同じ。

ところが最後の一個になる。

すると突然、

「これ食べていい?」

という言葉が登場する。

なぜだ。

いつからこの唐揚げは許可制になったんだ。

一個目には必要なかった許可が、最後の一個だけ必要になる。

誰がそんなルールを決めた。

さっきまで自由に行き来できた国境に、突然入国審査ができたみたいになっている。

最後の唐揚げだけ国際条約でも適用されているのか。

加盟国全員の同意が得られるまで手を出してはいけません。

そんなルールは聞いていない。

僕からすれば、最後の一個も唐揚げだ。

一個目と同じ唐揚げ。

二個目と同じ唐揚げ。

最後になったからといって、急に所有者が決まったわけでもない。

なのに人間は最後の一個だけ特別扱いする。

さっきまで料理だったものが、

「遠慮のかたまり」

という別の何かに変わってしまう。

僕は別に遠慮のかたまりだと思っていない。

唐揚げが一個残っていると思っている。

だから食べる。


さっきから、みんな最後の一個を見ている

ただ、最後の一個を食べるまでには独特の時間がある。

誰も取らない。

でも誰も忘れていない。

一人の箸が動く。

行くのか?

と思う。

枝豆だった。

違うんかい。

別の人が大皿の方向に手を伸ばす。

ついに行くか?

醤油だった。

お前も違うんかい。

全員、普通に会話しているように見える。

でもテーブルの中央では、唐揚げ一個をめぐって静かな心理戦が繰り広げられている。

たぶん誰かが食べても、誰も怒らない。

それなのに誰も動かない。

不思議だ。

そして、この時間が長くなればなるほど、最後の一個は取りづらくなる。

一個になって0.5秒ならまだいける。

5秒。

10秒。

30秒。

一分。

もうダメだ。

熟成されている。

唐揚げではない。

遠慮が熟成されている。

時間が経てば経つほど、

「ここまで誰も食べなかったものを、今さら俺が食べるのか」

という空気になってくる。

同じ唐揚げなのに。

時間しか経っていないのに。

最後の一個には、人間の遠慮がどんどん染み込んでいく。


「誰か食べる?」は、実は悪手だと思っている

そこで気遣いのできる人が登場する。

「誰か食べる?」

一見、完璧な一手に見える。

誰かが欲しいなら食べればいい。

いらないなら自分が食べる。

平和的だ。

でも僕は思う。

これは実は悪手なのではないか。

なぜなら、この質問をされた瞬間、

「私は大丈夫」

「僕もいいよ」

「どうぞどうぞ」

「いやいや、食べ食べ」

が始まるからだ。

誰も、

「はい! 僕が食べます!」

とは言わない。

そんな人なら、とっくに食べている。

最後の一個を前にして遠慮している人たちへ、

「誰か食べる?」

と聞いているのだ。

そりゃ遠慮する。

遠慮している人間に、もう一度遠慮する機会を与えてどうする。

一個だった遠慮が、会話になって増殖している。

「どうぞ」

「いやいや」

「ほんまにいいよ」

「いや、私も大丈夫」

なんやこの時間。

唐揚げ一個について会議が始まっている。

議題。

「最後の唐揚げの処遇について」

参加者四名。

全員辞退。

結論、出ず。

その間にも唐揚げは冷めていく。

一番かわいそうなの、唐揚げじゃないか。

誰かに食べてもらうために揚げられたのに。

最後の一個になったばかりに、全員から気を遣われて放置されている。

だったら僕が食べよう。

僕は唐揚げまで救っている。


「これ食べていい?」と聞いても、答えは一つだ

では、自分が食べる前に、

「これ食べていい?」

と聞けばいいのか。

これも僕はあまりやらない。

なぜなら、

答えがほぼ決まっているからだ。

「これ食べていい?」

「いいよ」

終わり。

「ダメ」

なんて言う人、ほとんどいないだろう。

「いや、それ俺が食べるから置いといて」

と言える人なら、そもそも最後の一個をずっと眺めていない。

だから返ってくるのは、

「いいよ」

だ。

でも、この「いいよ」が本当に「いらない」という意味なのかは分からない。

本当にお腹いっぱいの「いいよ」。

唐揚げはもういらないの「いいよ」。

ちょっと食べたいけど譲る「いいよ」。

めちゃくちゃ食べたいけど、最後だから遠慮している「いいよ」。

全部、

「いいよ」

になる。

じゃあ僕は、その「いいよ」の中から本音を読み取らなければならない。

声の高さか。

表情か。

目線か。

唐揚げを見る時間か。

「今の『いいよ』は、本当にいいよ?」

と聞くのか。

「ほんまにいいよ」

と返ってくる。

情報が増えていない。

だったら何の確認なんだ。


「俺、最後の一個食うから見てて」と言っているようなものだ

しかも僕には、

「これ食べていい?」

という言葉が、だんだん別の意味に聞こえてくる。

どうせ答えは「いいよ」なのだから、これは質問というより、

宣言ではないか。

「これ食べていい?」

を僕なりに翻訳すると、

「俺、今から最後の一個食うから見てて」

である。

嫌だ。

見られたくない。

それまでみんな好き勝手に喋っていた。

でも僕が、

「これ食べていい?」

と言った瞬間、

「ん?」

と皿を見る。

最後の一個を見る。

そして、

僕を見る。

「いいよ」

「どうぞ」

「食べ食べ」

全員の許可が下りる。

そして僕は、みんなが見守る中、唐揚げを箸で持ち上げる。

やめろ。見るな。

なんで唐揚げ一個食べるだけで、こんなに注目を浴びなければならないんだ。

唐揚げの卒業式か。

最後の一個を箸で持ち上げる僕。

見守る仲間たち。

「いってらっしゃい」

みたいな空気を出すな。

胃に入るだけだ。


次の日から「唐揚げくん」になるかもしれない

しかも、そんなに堂々と最後の一個を食べたら、変な印象まで残るかもしれない。

「○○くん、唐揚げ大好きなんだね」

と思われるかもしれない。

いや。

好きだけど。

そこまで唐揚げ好きキャラとして認識されたくはない。

翌日。

「おはよう、唐揚げくん」

誰が唐揚げくんや。

「昨日めっちゃ唐揚げ食べたかったんやろ?」

違う。

いや、食べたかったけど。

「今度唐揚げ食べに行こうや」

話が大きくなっている。

数日後。

「唐揚げくん、今日唐揚げあるで」

定着させるな。

僕にはちゃんと名前がある。

さらに次の飲み会では、

「最後の一個、○○くん食べる?」

と優先権まで与えられるかもしれない。

いらない。

僕は最後の唐揚げ専属処理班ではない。

一度食べただけだ。

もちろん、実際に翌日から唐揚げくんと呼ばれる可能性は限りなく低い。

僕は何を恐れているんだ。

ただ、わざわざ最後の一個を食べることをイベントにする必要はない。

何も言わずに食べれば、ただの食事だ。

宣言した瞬間、出来事になる。

だから僕は聞かない。


最後の一個になると、他人が何個食べたかまで気になってくる

さらに面倒なのがこれだ。

最後の一個になると、なぜか自分が何個食べたのか気になってくる。

「僕、何個食べたっけ?」

二個だったか。

三個だったか。

普段そんなこと数えていない。

唐揚げを食べるたびに、

「現在二個目」

なんて記録していない。

なのに最後の一個を前にした途端、自分の摂取量を確認し始める。

さらに、

他人が何個食べたのかまで気になってくる。

「あいつ、一個しか食べてないんちゃう?」

「こっちの人は二個食べてたかな」

「俺がこれ食べたら食べすぎか?」

知らん。

なんで僕が全員の唐揚げ摂取数を管理せなあかんねん。

僕は幹事でもない。

唐揚げ管理責任者でもない。

しかも、一個しか食べていない人が、もう一個欲しいとは限らない。

お腹いっぱいなのかもしれない。

唐揚げがそんなに好きじゃないのかもしれない。

他の料理を食べたいのかもしれない。

一個で満足したのかもしれない。

なのに僕が勝手に、

「あの人、一個しか食べてないから残しておこう」

と考える。

それ、本当に気遣いなんだろうか。

本人からしたら、

「いや、いらんねんけど」

かもしれない。

人の腹の中なんて分からない。

文字通り。


最後から二個目を食べた人の方が罪深い説

そして僕は、あることに気づいた。

みんな最後の一個を食べる人に注目する。

「あ、最後の一個食べた」

「普通聞かない?」

みたいになる。

でも待ってほしい。

本当に罪深いのは、

最後から二個目を食べた人ではないだろうか。

唐揚げが二個残っている。

この時点では平和だ。

まだ「遠慮のかたまり」は存在していない。

二個ある。

誰かが一個取る。

残り一個。

誕生。

遠慮のかたまり誕生。

お前だ。

お前が生み出したんだぞ。

何を何食わぬ顔で唐揚げを食べているんだ。

お前が最後から二個目を取らなければ、こんな空気にはならなかった。

責任を取れ。

二個とも食え。

……とは言わない。

なぜなら僕は、ここに遠慮のかたまり問題を解決する最大のチャンスがあると思っているからだ。


正解は「最後の一個を作らない」

僕なりにたどり着いた答えがある。

最後の一個になってから、

「どうする?」

と考えるからややこしくなる。

最後の一個を作らなければいい。

唐揚げが二個残っている。

僕は待つ。

ここでは動かない。

そして誰かが最後から二個目を取る。

ここだ。

その人が唐揚げを取った流れで、僕も最後の一個を取る。

間を空けてはいけない。

スッ。

一人が取る。

スッ。

僕も取る。

二個あった唐揚げを、二人が一個ずつ取った。

皿が空になる。

終わり。

誰も、

「最後の一個どうする?」

と考える暇がない。

遠慮のかたまり、

誕生せず。

これが一番いい。

僕は最後の一個を食べたのではない。

二個残っていた唐揚げを、二人で一個ずつ食べただけだ。

事実としては僕が最後の一個を食べている。

でも感覚が全然違う。

最後から二個目が取られて0.5秒後に僕が取れば普通。

最後から二個目が取られて一分後に僕が取れば、

「あいつ最後の一個食った」

になる。

同じ唐揚げだ。

同じ僕だ。

違うのは時間だけ。

たった数十秒で罪が生まれる。

だから、その前に食べる。


ただし、僕も油断する

この方法を使えば完璧である。

そう思うだろう。

しかし僕だって人間だ。

油断することがある。

会話に夢中になっていた。

飲み物を飲んでいた。

ポテトを食べていた。

刺身に気を取られていた。

そして、ふと大皿を見る。

一個。

しまった。

いつの間に。

誰だ。

最後から二個目を食べたのは。

僕に知らせろ。

もう遅い。

すでに最後の一個は誕生している。

しかも、みんな気づいている。

さっきから見ている。

僕も見ている。

ここから残り二個作戦は使えない。

ではどうするか。

簡単だ。

何も聞かずに食う。


仕方がない。僕が食べよう

誰も食べない。

でも誰もが最後の一個の存在には気づいている。

視界には入っている。

箸は伸びない。

遠慮。

気遣い。

気まずさ。

「誰か食べるかな」という探り合い。

さまざまな感情が、最後の唐揚げ一個に凝縮されていく。

仕方がない。

僕が食べよう。

「あいつ、最後の一個なんも聞かずに食ったぞ」

そう思われるかもしれない。

「普通、一言聞かない?」

そう思われるかもしれない。

構わない。

その十字架を、僕は甘んじて背負う。

誰かがやらなければならないのだ。

このまま全員で最後の一個を見つめ続けるわけにはいかない。

店も閉まる。

僕はみんなの遠慮を背負い、最後の一個に箸を伸ばす。

パクッ。

終わった。

皿は空になった。

もう誰も遠慮しなくていい。

もう誰も最後の一個を見なくていい。

世界に平和が戻った。

僕は唐揚げを食べたのではない。

みんなの気まずさと遠慮を食べたのだ。

何も僕が唐揚げを食べたかったわけではない。

多分。


でも、最後の一個は特別おいしい

口に入れる。

噛む。

うまい。

……うまいな。

なぜか特別おいしい。

同じ皿に乗っていた唐揚げだ。

一個目と味付けが違うわけではない。

最後の一個だけ高級な鶏肉が使われているわけでもない。

なのに、

うまい。

背徳の味がする。

みんなが見ていた一個。

みんなが遠慮した一個。

誰かが食べたかったかもしれない一個。

それを今、

僕が食べている。

罪悪感。

優越感。

解放感。

そして鶏肉。

いろんなものが混ざっている。

最後の一個には、謎の調味料がかかっている。

背徳である。

さっきまで、

「みんなの気まずさを僕が食べてあげる」

なんて英雄みたいなことを考えていた。

でも、このうまさを感じている時点で少し怪しい。

僕は本当にみんなのために食べたのだろうか。

ただ唐揚げを食べたかっただけではないだろうか。

いや。

そんなことはない。

僕は場を救った。

唐揚げも救った。

みんなの遠慮も終わらせた。

その結果、たまたま僕の腹の中に唐揚げが入っただけだ。

多分。


遠慮は、本当に相手のためだけなのか

そもそも僕は、遠慮すること自体が悪いとは思っていない。

最後の一個を残す人は、たぶん優しい。

「他に食べたい人がいるかもしれない」

と考えている。

それは気遣いだ。

でも同時に、

「最後の一個を食べたら、がっついてると思われるかな」

「図々しいと思われるかな」

「気が利かないと思われるかな」

という気持ちも、少しはあるんじゃないだろうか。

つまり遠慮は、

相手のためでもあり、自分がどう見られるかを守るためでもある。

僕だってそうだ。

だから「これ食べていい?」と聞いて全員の注目を浴びたくない。

唐揚げ大好きな人だと思われたくない。

翌日から唐揚げくんになりたくない。

結局、僕も周りの目を気にしている。

ただ、気にした結果、

食べる。

そこだけがおかしい。

みんなは気にして残す。

僕は気にしながら食べる。

同じ人間である。


欲しかったなら、食べればよかった

そして僕が最後の一個を食べた瞬間、

「あ、それ俺も欲しかった」

と思う人もいるかもしれない。

これも分かる。

皿の上にある間は、

「まあ、別にいいか」

と思っていた。

でも誰かの箸が伸びた瞬間、

「あ、それ食うんや」

となる。

急に惜しくなる。

手に入らなくなると欲しくなる。

唐揚げ一個で、人間の欲望の面倒くささが出ている。

ただ、僕から言えることは一つだ。

欲しかったなら食べればよかった。

僕は待った。

お前も見ていた。

僕も見ていた。

十分な時間はあった。

それでもお前は動かなかった。

そして僕が食べたあとに、

「俺も欲しかった」

と言われても、

知らん。

もう胃の中だ。

返せない。

遠慮にもタイムリミットはある。

もちろん逆の立場なら、僕も誰かに最後の一個を食べられて、

「おい、俺も欲しかった」

と思う可能性はある。

あるんかい。

結局みんな同じなのだ。

食べたい。

でも取りづらい。

でも取られたら惜しい。

なんとも面倒くさい。

だから最後の一個だけ、妙に特別になるのかもしれない。


全員が遠慮した結果、誰も幸せになっていない

遠慮は優しい。

譲り合いも大事だ。

でも全員が遠慮すると、どうなるのか。

最後の一個が残る。

冷める。

乾く。

そして場合によっては、そのまま店員さんに下げられる。

「こちら、お下げしてよろしいですか?」

その瞬間、

全員が最後の唐揚げを見る。

最終審判である。

「あ、じゃあ食べます」

と誰かが急に取る。

食うんかい。

さっきまで放置してたやんけ。

それならもっと温かいうちに食べればよかった。

全員が、

「誰かに譲ろう」

と思った結果、

誰も食べずに料理だけが冷めていく。

それは本当に優しい状態なんだろうか。

遠慮というものは、足せば足すほどいいわけではない。

ときには誰か一人、

「じゃあ食うわ」

という人間が必要なのだと思う。

そして、その役目を僕は引き受ける。

感謝はいらない。

僕はただ、自分の仕事をしているだけだ。

遠慮のかたまり処理班として。

……いや。

そんな仕事に就いた覚えはない。


結局、お前が食いたいだけじゃないのか

ここまで僕は長々と、

最後の一個について考えてきた。

最後の一個だけ許可制になるのはおかしい。

「誰か食べる?」は遠慮を増やす。

「これ食べていい?」と聞いても答えは「いいよ」。

しかも注目を浴びる。

唐揚げくんになるかもしれない。

全員の摂取数なんて管理できない。

最後から二個目を食べた人の方が罪深い。

だから最後から二個目が取られた瞬間に食べる。

油断して最後の一個になったら、何も聞かずに食べる。

ここまで読んだ人は、あることに気づいているかもしれない。

結局、お前が食うんかい。

そうだ。

最後の一個になる前にも食う。

最後の一個になってからも食う。

どっちにしても、

僕が食っている。

おかしい。

僕はみんなの遠慮をなくすために動いているはずだった。

なのに解決方法が、

「俺が食う」

しかない。

もしかすると僕は、社会問題を解決しているのではない。

ただ唐揚げが食べたいだけなのかもしれない。

いや。

違う。

僕はみんなを救っている。

そういうことにしておこう。


最後の一個は、聞かずに食べる

今日もどこかの居酒屋で、大皿料理が運ばれてくる。

みんなで食べる。

一個減る。

また一個減る。

そして残り二個。

ここから僕は注意する。

誰かが一個取った。

今だ。

その流れで僕も取る。

スッ。

これが理想。

遠慮のかたまりを誕生させない。

誰も傷つかない。

誰も「どうぞどうぞ」を始めない。

誰も僕を見ない。

唐揚げくんにもならない。

ただ二人が一個ずつ食べただけだ。

完璧である。

しかし、油断してはいけない。

会話に夢中になっている間に、最後の一個になっていることもある。

そうなったら仕方がない。

僕は待つ。

少しだけ待つ。

誰かが食べるかもしれない。

でも誰も動かない。

みんな見ている。

僕も見ている。

だったら、

僕が食べる。

「これ食べていい?」

聞かない。

「誰か食べる?」

聞かない。

「じゃあ僕もらうね」

宣言もしない。

ただ箸を伸ばす。

パクッ。

うまい。

やっぱり最後の一個は、少しだけ特別おいしい。

背徳の味がする。

「あいつ、最後の一個なんも聞かずに食ったな」

そう思われるかもしれない。

構わない。

その十字架を、僕は甘んじて背負う。

みんなの遠慮も。

気まずさも。

最後の一個をめぐる謎の心理戦も。

全部まとめて僕が食べてあげよう。

何も僕が食べたいからではない。

多分。

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