職場の人が旅行に行ったらしい。
次の日、休憩室にお菓子が置いてある。
「○○さんからのお土産です。ご自由にどうぞ」
僕はそれを見る。
そして思う。
いらない。
いや、お菓子が嫌いなわけではない。
むしろ、あれば食べる。
普通に食べる。
「これうまいな」と思いながら食べる。
なんだったら二個目が残っていたら、ちょっと気になる。
お土産を買ってきてくれた人にも、もちろん悪意なんてない。むしろ完全に善意だ。
ありがたいとも思う。
それでも僕は、職場への旅行のお土産はいらない。
なぜなら、
僕も買いたくないからだ。
僕は旅行に行ったら、職場にお土産を買わない。
だから僕にも買ってこなくていい。
これでお互いゼロ。
平和である。
なのに、なぜか職場には「旅行へ行ったらお土産」という文化がある。
誰が始めたんだ。
僕は休みの日に旅行へ行っただけだ
よく、お土産を買う理由として、
「お休みをいただいた感謝の気持ち」
みたいなものを聞く。
何だそれ。
僕は職場に旅行へ行かせてもらったわけではない。
休みの日に旅行へ行っただけだ。
会社が飛行機を取ってくれたわけでもない。
ホテル代を出してくれたわけでもない。
北海道旅行をプレゼントしてくれたわけでもない。
僕の休みだ。
その日に家で寝ていてもいい。
映画を観てもいい。
本を読んでもいい。
一日中ゲームをしていてもいい。
近所を散歩してもいい。
その選択肢の中から、たまたま旅行を選んだ。
それだけだ。
家で一日寝ていた人は、翌日職場に饅頭を持ってこない。
映画を三本観た人も持ってこない。
家でパンツ一丁でゲームしていた人も持ってこない。
ところが北海道へ行った瞬間、
「職場のお土産買わな」
が発生する。
なんでやねん。
僕がどこで休んでいたかが変わっただけだ。
職場からすれば、僕が布団の中にいようが北海道で海鮮丼を食べていようが、どちらも休みである。
なのに北海道に行った僕だけ、翌日お菓子を納品する。
おかしい。
「不在時にフォローしてもらったお礼」というのも分かるようで、普通の休日ならよく分からない。
僕がいない日に働いている人はいる。
でも、その人が休みの日には僕が働いている。
お互いさまではないのか。
もちろん、旅行のために急にシフトを代わってもらったとか、特定の仕事を誰かにお願いしたとかなら分かる。
その人に「ありがとう」と言えばいい。
必要なら、その人に何か渡したっていい。
それは具体的なお礼だ。
でも普通に決まっていた休日に旅行へ行って、なぜ職場全員へ箱菓子を納めることになるんだ。
感謝の宛先が広すぎる。
「このたびは三日間のお休みを賜り、誠にありがとうございました。その感謝のしるしとして、こちら、饅頭30個入りでございます」
なんだこの制度。
そんなに欲しいなら、金をくれ
「旅行行くん? お土産よろしくー!」
冗談なのは分かっている。
僕もたぶん笑って「はいはい」と返す。
でも心の中では思っている。
お前、金渡してないぞ。
そんなに欲しいなら金をくれ。
千円渡して、
「北海道行くなら、これで白い恋人買ってきて」
と言ってくれ。
分かった。
それなら買ってこよう。
ただのおつかいだからだ。
でも実際のお土産は、僕のお金で買う。
僕が選ぶ。
僕が持って帰る。
僕が翌日職場まで運ぶ。
そしてあなたが食べる。
なぜだ。
しかも職場が20人、30人となれば、そこそこの箱が必要になる。
僕は旅行へ遊びに来ている。
職場のお菓子の仕入れに来たんじゃない。
……いや、待て。
金をもらっても、選んで持って帰るのは面倒だな。
やっぱり自分でネットで買ってくれ。
なぜ僕のセンスまで問われるんだ
職場のお土産は、買えば何でもいいわけでもない。
ここがまた面倒だ。
人数分あるか。
個包装か。
日持ちはするか。
配りやすいか。
甘いものが苦手な人はいないか。
高すぎないか。
安っぽくないか。
旅行先らしさはあるか。
そして、なぜか最後には、
センスまで問われる。
なんでだ。
僕は休みの日に旅行へ来ただけだぞ。
「これ喜ばれるかな」
「定番すぎるかな」
「こっちの方がおしゃれかな」
「いや、これは好み分かれるか」
旅行先のお土産屋で、職場の人間の顔を思い浮かべながら悩んでいる。
絶景を見に来たはずなのに。
温泉に入りに来たはずなのに。
うまいものを食べに来たはずなのに。
突然、
「田中さん、甘いもの食べられたっけ?」
が頭に出てくる。
出てくるな田中。今は温泉だ。
旅行中くらい職場から消えてくれ。
しかも前に旅行した人が、ちょっと洒落た限定菓子なんかを買ってくると危険だ。
「これめっちゃおいしい!」
「さすが○○さん、センスいい!」
やめろ。
ハードルを上げるな。
僕は普通の饅頭で帰りたい。
いや、本当は何も買わずに帰りたい。
いつの間にか職場では、静かなお土産軍拡競争が始まっている。
参加費は自腹。
なんでだ。
何人いるんだ。旅行先で職場の人数を数えたくない
さらに個数問題がある。
職場は何人だったか。
今日休みの人も含めるのか。
別部署のあの人にも渡すのか。
社員さんは?
夜勤の人は?
20個入りで足りる?
いや、21人だった気がする。
一人足りない。
どうする。
もう一箱買うのか。
すると今度は大量に余る。
旅行先で何を計算しているんだ、僕は。
完全に仕入れ担当である。
旅行中にシフト表みたいなことを考えたくない。
しかも一個足りないと妙に気まずい。
「早い者勝ちでーす」
で済ませてもいいのだろうが、それはそれで誰か食べられない。
かといって全員に確実に行き渡らせようとすると、必要数を正確に把握しないといけない。
お土産算数である。
僕は旅行に来てまで算数をしたくない。
一人に買いたいだけなのに、30個入りになる
じゃあ、全員に買わず、本当に渡したい人だけに買えばいい。
それが一番自然な気もする。
旅行中に商品を見て、
「これ、○○さん好きそうだな」
と思うことはある。
その人には買いたい。
これは義務じゃない。
普通にあげたい。
ところが職場だと、これも妙に難しい。
「はい、これお土産」
一人に渡す。
その横に別の人がいる。
その人には、
ない。
別に悪いことはしていない。
僕のお金だし、誰に何を渡そうが自由だ。
でもなんとなく気まずい。
「あの人にはあるんだ」
と思われる気がする。
じゃあこの人にも買うか。
この人に買うなら、あの人にも。
あの人に渡すなら、こっちにも。
そうやって範囲を広げていくと、
一人への好意が30個入りに膨れ上がる。
なんでだ。
僕は一人に「これ好きそう」と思っただけなのに。
ほとんど話したことのない人の分まで買っている。
向こうも僕のことをそんなに知らない。
でも僕が北海道から運んできた菓子だけは食べる。
僕たちはどういう関係なんだ。
お土産は荷物になる。そして二回運ぶ
そして単純な問題がある。
重い。邪魔だ。
旅行はただでさえ荷物がある。
着替えもある。
充電器もある。
洗面用品もある。
自分で買ったものもある。
そこへ職場用30個入り。
でかい。
紙袋が一個増える。
帰りの電車でも邪魔。
新幹線でも邪魔。
飛行機でも邪魔。
箱を潰さないように気を遣う。
雨なら濡らさないようにする。
なんで僕は休日に職場のお菓子を守りながら帰っているんだ。
しかも家に着けば終わりではない。
旅行先から家まで持って帰る。
一晩置く。
翌日。
また持つ。
今度は家から職場まで運ぶ。
通勤電車に大きな紙袋。
人にぶつけないようにする。
箱を潰さないようにする。
職場に到着するまで、まだミッションが続いている。
宅配便か。
選ぶのも休日。
買うのも休日。
運ぶのも休日。
自腹。
なんで僕は休みの日に職場のために働いているんだ。
もらった側の心にも荷物が増える
そして僕が一番嫌なのは、これかもしれない。
お土産をもらうと、物は増えない。
食べればなくなる。
でも、
心に荷物が増える。
「この前、○○さんからお土産もらったな」
これが残る。
そして数か月後、僕が旅行に行く。
旅行先のお土産屋に入った瞬間、その記憶が戻ってくる。
「この前もらったし、僕も買っていった方がいいかな」
誰にも言われていない。
「絶対買ってこい」と命令されたわけでもない。
お土産をくれた本人だって、そんなことは望んでいないかもしれない。
それでも僕の心の中には、小さな義務が生まれている。
これが迷惑なのだ。
お菓子が迷惑なんじゃない。
善意が嫌いなんじゃない。
もらったことで、自分の心に「次は僕も」が発生するのが面倒なのだ。
お菓子は食べればなくなる。
義務感だけ残る。
しかも善意だからこそ断りづらい。
「ありがとうございます」
と受け取る。
普通においしく食べる。
なのに次の旅行では、その優しさが僕の頭の片隅に現れる。
優しさが借金みたいになるのは、なんだか嫌だ。
だから僕は最初から、
僕にも買ってこなくていい。
と言いたい。
僕は買わない。
あなたも僕に買わなくていい。
お互いゼロ。
それが一番気楽だ。
終わりのないお土産バトル
一人だけならまだいい。
職場ではこれが何人もの間で起こる。
Aさんが旅行へ行く。
「みなさん、お土産です」
Bさんがもらう。
数か月後、Bさんが旅行へ行く。
「この前もらったしな」
Bさんも買う。
Cさんがそれをもらう。
今度はCさんが旅行へ行く。
Cさんも買う。
Dさんがもらう。
そしてDさんも――。
終わらない。
誰かがお土産を買う。
もらった人の心に小さな借りが生まれる。
その人が旅行へ行く。
また買う。
別の誰かがもらう。
終わりのないお土産バトルである。
誰も「必ず買え」と言っていない。
就業規則にもない。
「旅行時には従業員人数分の個包装菓子を購入すること」
なんて書いていない。
なのに、みんな買う。
前の人がやっていたから。
みんながやっているから。
自分だけ買わないのは気まずいから。
誰が始めたのかも分からない。
誰も続けろと言っていない。
でも続いている。
だったら僕は降りる。
僕が旅行に行く。
当然、僕も――。
買わない。
戦線離脱である。
その代わり僕にもいらない。
僕だけもらい続けて、自分は何も買わないと言いたいわけじゃない。
僕をお土産バトルの参加者から外してくれ。
もしかしたら僕が買わないことで、次に旅行へ行く人が、
「あ、別に買わなくてもいいんだ」
と思うかもしれない。
そしてその人も買わなくなる。
さらに次の人も――。
僕がお土産戦争を終わらせるのだ。
……。
まあ、そんな大層なことではない。
普通に買いたくないだけだ。
もらう側には「正しいリアクション」という仕事もある
しかも、もらう側にも仕事がある。
「これ、お土産です」
「ありがとうございます!」
ここまではいい。
でもなんとなく、
「わあ、おいしそう!」
「これ有名なやつですよね!」
くらい言った方がいい気がする。
知らないお菓子なら、
「これ有名なんですか?」
「向こうでは有名みたいですよ」
「へえー!」
知らん。
いや、本当にありがたい。
でも僕はいま、
お土産をもらった人として正しいリアクションをしている。
無言で受け取って、そのままポケットにスッと入れられたらラクだ。
でも怖い。
お土産をカツアゲした人みたいになる。
だから笑顔で「ありがとうございます」と言う。
食べたあと、
「昨日のお菓子どうだった?」
と聞かれることもある。
「おいしかったです!」
感想戦まである。
買う側には、選ぶ、払う、運ぶ、配る。
もらう側には、受け取る、喜ぶ、感想を言う、そして場合によっては次の旅行で返す。
たかがお菓子一箱に仕事をさせすぎだ。
遠くへ行くほど、お土産の気配が濃くなる
もう一つ不思議なのが、旅行先によって期待値が変わることだ。
近所へ出かけても何もない。
大阪から神戸へ遊びに行ったくらいなら、たぶん何もない。
京都はどうだ。
名古屋は?
新幹線に乗ったら発生するのか。
北海道。
ここまで行くと急に、
「お土産」
の気配が濃くなる。
沖縄。
海外。
さらに濃くなる。
なんなんだ。
職場のお土産は何キロ地点から発生するんだ。
距離とともにお菓子購入義務が増していく。
一泊したら?
飛行機に乗ったら?
海を越えたら?
境界線を教えてほしい。
しかも遠くへ行くほど、ただでさえ自分の荷物は増えやすい。
なのに遠くへ行くほど、大きな職場用お土産を抱えて帰ってくることになる。
理不尽だ。
お土産を買わないと、旅行したことまで言いづらくなる
そしてお土産文化の面倒なところは、旅行から帰ったあとにもある。
「休み何してたん?」
この質問だ。
普通なら、
「北海道行ってました」
でいい。
でも職場にお土産を買っていないと、一瞬だけ頭をよぎる。
言ったら、お土産買ってないことバレるな。
別にバレてもいい。
悪いことはしていない。
相手もそんなこと気にしていないかもしれない。
それでも、お土産文化があるせいで余計なことを考える。
しかも「北海道行ってました」と答えたら、
「えー!どこ行ったん?」
「何泊?」
「何食べた?」
「誰と行ったん?」
まだ続くんか。
余計な雑談まで仕掛けられる。
一人に答えて終わりではない。
別の人が来る。
「北海道行ってたん?」
二周目。
また別の人。
「北海道どうやった?」
三周目。
もう録音した音声を流したい。
「楽しかったです。海鮮食べました。以上です」
ボタンを押してください。
お土産を持っていけば、さらに分かりやすい。
休憩室に北海道のお菓子を置いた瞬間、
僕の休日の位置情報を自分から公開している。
そして旅行報告会が始まる。
僕はお菓子を持ってきただけなのに。
いや、そもそも持ってこなければいい。
旅行したことも言わなければいい。
もう黙って行こう
ここまで考えて、僕は一つの結論にたどり着いた。
もう、黙って行こう。
休みを取る。
旅行に行く。
思いっきり楽しむ。
帰ってくる。
普通に出勤する。
以上。
お土産なし。
旅行報告なし。
余計な雑談なし。
誰にも迷惑をかけていない。
完璧だ。
「休み何してたん?」
「ちょっとのんびりしてました」
嘘ではない。
北海道でのんびりしていた。
「家で?」
そこまでは言っていない。
旅行は職場への報告イベントではない。
僕は休日に勝手に旅行しただけだ。
仕事の日になったら、また普通に仕事をする。
それでいい。
職場の分を買うくらいなら、自分に買おう
そして職場のお土産を買わないなら、その分のお金で自分にお土産を買いたい。
これが一番いい。
30人に配るための無難な個包装菓子ではない。
僕が食べたいものを買う。
その土地でしか買えないもの。
地元のおいしいもの。
ちょっと高くて、普段なら買わないもの。
見た瞬間、
「これ絶対うまいやろ」
と思ったもの。
職場用なら考えることが多すぎる。
何個入り?
個包装?
日持ちは?
みんな食べられる?
値段は?
センスは?
自分用なら一つしか考えなくていい。
僕が食べたいか。
以上。
素晴らしい。
お土産選びって、こんなに簡単だったのか。
職場用に2000円使うなら、自分用に2000円使ってもいい。
一個1000円でもいい。
僕しか食べないんだから、一個でいい。
旅行先のお店で、職場の人間の顔ではなく、自分の顔を思い浮かべて選ぶ。
その方が楽しい。
自分のための重さは、気分がいい
もちろん、自分のお土産を買えば荷物は増える。
結局重いやないか。
そう思う。
その通りだ。
でも不思議なことに、
自分のための重さは、気分がいい。
地元のお菓子。
瓶に入ったもの。
名物。
ちょっと奮発した食べ物。
鞄の中にぎっしり入っている。
重い。
手も痛い。
「買いすぎたな」と思う。
でも嫌じゃない。
家に帰ったらこれを食べる。
明日の朝はこれを開けよう。
コーヒーと一緒に食べよう。
そんなことを考えながら持って帰る。
同じ一キロでも、職場に配るための箱とは全然違う。
職場のお土産は、
持って帰らなければならない重さ。
自分へのお土産は、
持って帰りたい重さ。
この袋の中には、帰ってからの楽しみが入っている。
旅行が終わって家に帰ると、少し寂しい。
でも旅行先で買ったものを取り出して食べる。
「ああ、これあそこで買ったやつや」
と思う。
旅行が少しだけ続く。
だから、この重さは嫌じゃない。
むしろ少し嬉しい。
幸せの重みだ。
職場のお土産をやめたからといって、帰りの荷物を軽くする必要なんてない。
その分、自分に買えばいい。
前より重くなってもいい。
自分のための重さなら、気分がいい。
買いたい人は、もちろん買えばいい
ここまで散々言ってきたけれど、僕は職場にお土産を買う人をやめさせたいわけではない。
買いたい人は買えばいい。
旅行先で、
「これ、みんなに食べてもらいたいな」
と思ったなら、それは素敵なことだと思う。
本当に渡したい人がいるなら、その人に買えばいい。
問題は、
「職場だから買わないと」
になったときだ。
それはもう、楽しいお土産選びではない。
義務になっている。
そして、もらった側まで、
「次は自分も買わないと」
と思い始めたら、終わりのない交換会になる。
お土産は、本来もっと自由でいいはずだ。
買いたいから買う。
あげたいからあげる。
もらったからといって返さなくていい。
買わなくても何も思われない。
それくらいでいい。
僕は職場へのお土産を買わない。
だから、僕にも買ってこなくていい。
北海道に行ったなら、僕のために白い恋人を一枚確保しなくていい。
沖縄に行ったなら、ちんすこうの個数を数えなくていい。
海外へ行ったなら、僕が食べられそうな菓子を探さなくていい。
その時間で海を見てくれ。
うまいものを食べてくれ。
自分のお土産を買ってくれ。
旅行中くらい、僕のことを忘れてくれ。
僕も旅行中は職場のみんなのことを忘れたい。
それでいい。
休みの日なんだから。
お土産? 僕が食べました
だから僕は、これからも職場のお土産は買わない。
休みの日に旅行へ行く。
好きなところへ行く。
好きなものを食べる。
誰にも言わずに帰ってきてもいい。
そして職場の分に使うはずだったお金で、自分に何か買う。
帰りの荷物は重い。
でも、その重さは悪くない。
僕が欲しくて増やした荷物だ。
家に帰ったあとの楽しみが詰まっている。
幸せの重みだ。
……。
あ。
そういえば、この箱。
職場用に買ったやつだった。
30個入り。
せっかくここまで持って帰ってきた。
明日また職場まで持っていくのか。
重いな。
箱を見る。
うまそうだ。
一個くらい食べてもいいだろう。
うまい。
もう一個。
うまい。
……。
まあ、いいか。
全部食べようっと。
翌日。
「旅行行ってたん?」
「はい」
「お土産は?」
「食べました」
「え?」
「全部、僕が食べました」
こうして職場のお土産は、僕のお土産になった。
やっぱり自分のためのお土産はいい。
少し重くてもいい。
だってこれは、
幸せの重みなのだから。
