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遠足のおやつはいくらまで?なぜ金額に上限があるのか、大人になって考えてみた

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「遠足のおやつは300円まで」

小学生の頃、遠足が近づくと先生から言われた。

僕の記憶では300円だった。

たしか300円。

遠足そのものも楽しみだったけれど、僕は遠足の前にあるもう一つのイベントが好きだった。

お菓子を買いに行くことだ。

300円を握りしめて、お菓子売り場をうろうろする。

これを買う。

いや、やっぱりやめる。

こっちなら二つ買える。

あと30円。

どうする。

今思えば、たかがお菓子を買うだけなのに、ものすごく真剣だった。

でも、ふと思った。

今の小学生も300円なのだろうか。

お菓子もずいぶん値上がりした。

僕が小学生だった頃と今では、同じ300円でも買えるものは違う。

そもそも、なぜ300円だったのだろう。

500円ではダメなのか。

そしてもっと根本的なことを言えば、

なぜ遠足のおやつには金額の上限があるのだろう。

何円でもいいじゃないか。

好きなお菓子を好きなだけ持っていけばいい。

気になったので、33歳になった今、遠足のおやつについて本気で考えてみることにした。


目次

遠足のおやつはいくらまで?実は学校によって違う

まず調べてみて、いきなり一つ勘違いしていたことに気づいた。

「遠足のおやつは300円まで」は全国共通のルールではない。

当たり前といえば当たり前なのだけれど、子どもの頃の僕にとって300円は絶対だった。

法律くらいの感覚だった。

日本中の小学生が300円を握りしめて遠足へ向かっているものだと思っていた。

違った。

学校によってルールは違う。

今でも300円程度を上限にする学校はあるし、別の金額を設定するところもある。

時代や物価に合わせて、金額を見直す学校も出ている。

実際、愛媛県松山市立潮見小学校では、2026年、それまで「300円以内」だった遠足のおやつ代を「350円以内」に変更した。

きっかけの一つになったのは、児童が夏休みの自由研究で遠足のおやつ代について調べたことだったという。

学校側も、

「予算内でおやつを買うこと」

を大切な力の一つとして捉えている。

面白い。

小学生がおやつ代について調べて、学校のルールが変わった。

僕が小学生の頃にやったことといえば、

300円を超えて友達にちくられたくらいである。

ずいぶん違う。


遠足のおやつ代は300円?500円?

少し前の調査ではあるけれど、2022年に小学生の子どもを持つ親を対象に行われたアンケートでは、遠足のおやつ代の平均は426円、中央値は400円だった。

親自身が小学生だった頃は平均332円、中央値300円。

つまり、親世代の記憶にある「300円」は、確かにかなり強いらしい。

さらに「小学生の遠足のおやつ代はいくらが適切だと思うか」という質問では、

300円と答えた人が38.8%。

500円と答えた人が37.9%。

ほぼ真っ二つだった。

300円派には「多すぎず少なすぎず」「食べられる量を考えて」といった意見があり、500円派には物価上昇や時代の変化を理由にする意見があった。

なるほど。

どうやら、

「遠足のおやつはいくらまで?」に一つの正解はない。

300円でもいい。

350円でもいい。

500円でもいい。

学校や時代によって変わる。

それなら僕は、金額そのものより別のことが気になってきた。

なぜ「○○円まで」と決めるのだろう。


そもそも、なんで上限があるんだ

子どもの頃の僕なら、間違いなくこう言う。

何円でもいいやん。

500円でも1000円でもいい。

家から持って行きたいだけ持って行けばいい。

お菓子くらい自由にさせてくれ。

300円を超えたところで、何が起きるんだ。

300円なら立派な小学生。

301円なら問題児。

そんなわけはない。

うまい棒が一本増えたくらいで、遠足の秩序が崩壊するわけでもない。

でも大人になって考えてみると、

金額を決めること自体に意味があったのかもしれない。

少なくとも「予算内で買う」という経験になる。

そしてこれが、意外なくらい奥深い。


300円を握った瞬間、算数が本気になる

僕の場合は300円だった。

300円を握って、お菓子売り場へ行く。

30円のお菓子を買う。

残り270円。

50円のお菓子を買う。

残り220円。

さらに20円。

残り200円。

学校の算数で、

「たかし君は300円を持って買い物へ行き、30円のお菓子を3個買いました。残りはいくらでしょう」

なんて問題が出ても、それほどテンションは上がらない。

でも、自分のお菓子となれば話は別だ。

計算を間違えれば、お菓子が減る。

真剣である。

残り40円。

欲しいお菓子は50円。

10円足りない。

この10円が、とてつもなく遠い。

大人なら払えばいい。

でも小学生の僕には払えない。

300円までだからだ。

そこで考える。

すでに選んでいる30円のお菓子を戻すか。

50円のお菓子を諦めるか。

10円のお菓子を4個買うか。

突然、算数が自分の問題になる。


遠足のおやつから学べること、かなり多くないか

考えてみると、遠足のおやつ選びにはいろいろな学びが詰まっている。

まず、足し算と引き算。

そして予算管理。

使えるお金は決まっている。

だから欲しいものを全部買うことはできない。

次に、優先順位。

これは絶対に欲しい。

これはなくてもいい。

こっちを買うなら、あっちは諦める。

さらに我慢すること。

欲しい。

でも買えない。

だから戻す。

そして工夫すること。

50円のお菓子一つにするのか。

10円のお菓子を五つにするのか。

量を取るのか。

質を取るのか。

甘いものばかりでいいのか。

しょっぱいものも必要なのか。

チョコレートは暑い日に溶けないか。

ガムなら長く楽しめるのではないか。

限られた予算の中で、自分の満足度をどう最大にするか。

小学生が駄菓子屋でそんなことを考えている。

言葉にすると、ずいぶん立派だ。

もちろん当時の僕は、

「限られた資源を最適配分しよう」

なんて考えていない。

一個でも多くお菓子が欲しかっただけである。

でも結果として、お金の使い方を考えていた。

学校が「予算内でおやつを買うこと」を大切な力として挙げているのも、少し分かる気がする。


大人になると「絶対この予算内で」が意外とない

もちろん大人だって予算は考える。

家賃。

食費。

旅行。

趣味。

無限にお金があるわけではない。

でも、

「絶対に300円を1円も超えてはいけません」

みたいな買い物は、意外としなくなった。

スーパーで欲しいものを買って330円になった。

30円追加すればいい。

420円になった。

欲しいなら420円払えばいい。

残り40円しかない。

でも欲しいものは50円。

だったら10円追加する。

終わり。

子どもの頃は、その10円が追加できなかった。

だから考えた。

どうする。

この「どうする」が、実は大事だったのかもしれない。


バナナはおやつに入りますか?

そして制限があると、別のことも始まる。

抜け道探しである。

遠足といえば、あの質問だ。

「先生!」

「バナナはおやつに入りますか?」

なぜそんなにバナナを持って行きたい。

こちらは30円のお菓子を入れるかどうかで頭を抱えている。

その横で、こいつだけ果物の法的区分を確認している。

でもよく考えると、結構面白い。

そもそも「おやつ」とは何なのか。

バナナは果物だからおやつではないのか。

では、みかんは。

りんごは。

干し芋は。

ゼリーは。

どこからがおやつなのだろう。

遠足前日に哲学が始まる。

本人はそんなつもりではない。

たぶんバナナを持って行きたいだけだ。


当たり付きのお菓子ならどうなる?

僕も本気で抜け道を考えてみる。

まず、

当たり付きのお菓子。

300円以内で買う。

当たる。

もう一個もらう。

僕が払った金額は300円以内だ。

しかし手元のお菓子は300円以上になる。

これはセーフなのか。

僕は300円しか払っていない。

合法ではないだろうか。

たぶん。

ここまで来ると確率まで関わってくる。

当たりを狙う。

当たれば予算以上のお菓子を手に入れられる。

遠足のお菓子から期待値の話まで始まった。


家にあるお菓子は0円なのでは?

さらに考える。

家に元々あるお菓子ならどうだろう。

昨日、お母さんが買ってきた。

僕は払っていない。

つまり、

僕の支出は0円である。

ならば家のお菓子を持って行き、さらに300円分買えるのではないか。

完璧だ。

いや。

おそらく先生が言っている300円とは、僕の自己負担額の話ではない。

家計簿ではない。

もらったお菓子も同じだ。

おばあちゃんからもらえば0円。

友達からもらっても0円。

誕生日にもらった高級チョコレートだって、自分の財布から出した金額だけを考えれば0円である。

そんなわけがない。

でもルールを作ると、こういうことを考えたくなる。


手作りのお菓子はいくらなんだ

もっと難しいものがある。

手作りだ。

家でクッキーを焼く。

値札はない。

非売品である。

では0円なのか。

いや、小麦粉を使っている。

砂糖も使っている。

卵もバターも使っている。

では、使用した分の材料費を計算するのか。

小麦粉。

砂糖。

卵。

バター。

まだ300円以内。

よし。

……待て。

オーブンの電気代はどうする。

水道代は。

調理器具の費用は。

そして作ってくれたお母さんの人件費は。

遠足のお菓子から原価計算が始まった。

先生。

原価計算表も提出した方がいいでしょうか。

おそらく先生は、そこまで考えていない。


ちなみに僕は普通に300円を超えていた

ここまで偉そうに、

遠足のおやつからは予算管理が学べる。

優先順位が学べる。

我慢することを学べる。

工夫することを学べる。

などと書いてきた。

では僕は、きちんと300円以内に収めていたのか。

超えていた。

クラスに一人くらいいただろう。

明らかにお菓子が多いやつ。

そう。

僕だ。

そして、こういうときに限って気づくやつがいる。

「先生!こいつ300円超えてます!」

ちくられる。

なぜ分かる。

お前は僕のお菓子の監査役なのか。

「これ50円やろ」

「それも30円やったで」

「絶対超えてるやん」

僕のお菓子を一個ずつ査定するな。

ところが。

別にものすごく怒られた記憶はない。

没収されたわけでもない。

遠足への参加資格を失ったわけでもない。

普通に遠足を続けた。

普通にお菓子も食べた。

そこで33歳になった僕は思う。

大体、このルール、超えたからってなんなんだ。


301円になったら何が起こるんだ

300円。

セーフ。

301円。

アウト。

……何が違う。

1円である。

300円以内なら立派な小学生で、301円なら教育上よろしくない子どもになるわけでもない。

遠足の秩序が崩壊するわけでもない。

先生が、

「301円ですね。残念ですが、君の遠足はここまでです」

と言って山へ置いていくわけでもない。

そう考えると、やっぱり300円という数字そのものが重要だったわけではないのだろう。

大切なのは、

「ここまで」という線があること。

そして、その線の中で考えること。


もし「何円でもいいよ」だったら?

ここで逆に考えてみる。

先生が、

「遠足のお菓子は好きなだけ持ってきていいですよ」

と言ったらどうだろう。

金額制限なし。

何円でもいい。

子どもの僕なら大喜びする。

やった。

ポテトチップス。

チョコレート。

グミ。

ガム。

ラムネ。

好きなものを全部買う。

1000円になってもいい。

2000円になってもいい。

欲しいものをカゴへ入れる。

そして会計する。

終わり。

……。

全然おもんない。

いや、お菓子は嬉しい。

いっぱい食べられる。

でも、

お菓子を選ぶ遊びが消えている。

300円なら、

これを買ったら残り80円。

こっちなら二つ買える。

これを戻せばあれが入る。

あと20円。

どうする。

と考える。

何円でもいいなら、

欲しい。

買う。

欲しい。

買う。

終わり。

あんなに楽しかったお菓子選びは、お菓子が好きだったからだけではなかったのかもしれない。


制限って、楽しみを生み出すのかもしれない

ここまで考えて、ようやく分かった気がする。

300円だから楽しかったのだ。

正確には300円でなくてもいい。

350円でもいい。

500円でもいい。

大事なのは、

「ここまで」

という制限があること。

制限がある。

だから考える。

考えるから工夫する。

工夫するから遊びになる。

もし何でも自由なら、攻略する必要がない。

ルールがあるから攻略したくなる。

これはお菓子に限らない。

ゲームだってそうだ。

何でも好きにできるより、一定のルールがあるから、その中でどうするかを考える。

スポーツだってそうだ。

ルールがあるから作戦が生まれる。

僕たちが遠足前日にやっていたのも、それに近かったのかもしれない。

「決められた金額の中で、最高のお菓子セットを作れ」

そう考えると、完全にゲームだ。


大人になって、自由になった

大人になった僕は、もう300円を超えてもいい。

500円でもいい。

1000円でもいい。

財布にお金があれば、好きなお菓子を買える。

誰かに、

「それ予算超えてるで」

と言われることもない。

先生にちくられることもない。

子どもの頃に欲しかった自由を手に入れた。

でも。

自由になったら、あの遊びは消えた。

スーパーでお菓子を買うとき、

残り27円。

どうする。

なんて考えない。

あと10円足りないから、このお菓子を戻す。

そんなこともしない。

10円払う。

それで終わる。

便利だ。

自由だ。

でも、あの頃ほど真剣ではない。

もしかすると大人になるというのは、

制限が減る代わりに、制限の中で遊ぶ機会も減っていくことなのかもしれない。


だから大人が本気でやったら面白い

そこで思った。

今、大人が遠足のお菓子選びを本気でやったら面白いんじゃないだろうか。

予算を決める。

300円でもいい。

今の物価を考えて500円でもいい。

大事なのは、

絶対にその金額を超えないこと。

大人だから追加で100円払える。

でも払わない。

あと10円足りない。

買える。

でも買わない。

そのルールで、最高のお菓子セットを作る。

甘いもの。

しょっぱいもの。

量。

種類。

持ち運びやすさ。

食べやすさ。

全部考える。

残金3円。

美しい。

残金1円。

ほぼ勝利である。

予算ぴったり。

これはもう優勝だ。

大人になった今だからこそ、

わざわざ自分で制限を作って遊ぶ。

これ、かなり楽しそうだ。


「何円まで」より大切だったこと

遠足のおやつはいくらまでなのか。

調べてみたら、一つの答えはなかった。

僕の頃は300円だった。

今でも300円という学校はある。

物価などを踏まえて金額を見直す学校もある。

親への調査でも300円派と500円派に意見が大きく分かれている。

だから、

300円が正解。

500円が正解。

という話ではないのだと思う。

むしろ大切なのは、

限られた中で自分で考えて選ぶこと。

足し算をする。

引き算をする。

予算を考える。

優先順位をつける。

我慢する。

工夫する。

ときには、

「バナナはおやつなのか」

とルールの境界まで考える。

そして僕のように、

普通に予算を超えてちくられる。

まあ、それも勉強だったということにしておこう。

子どもの頃の僕は、

300円という制限が嫌だった。

もっと自由に買わせてくれと思っていた。

でも、大人になって何円でも買えるようになった今なら分かる。

何円でもいいと言われたら、たぶんあんなに楽しくない。

買えるものが少なかったから、考えた。

全部は選べなかったから、悩んだ。

制限されていたから、工夫した。

そして、その時間そのものが楽しかった。

制限は、楽しみを奪うだけのものではない。

ときどき、

制限があるからこそ、楽しみは生まれる。

そう考えると、久しぶりにやってみたくなった。

大人の遠足おやつ選手権。

予算を決めて。

1円も超えず。

本気で最高のラインナップを作る。

もちろん、今度はちゃんと予算を守る。

もう、ちくられる心配もない。

ただ一つだけ、先に決めておかなければならない。

バナナは、おやつに入るのだろうか。

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