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仕事の「頑張ってるアピール」がうざい。アピールする人としない人の違い。

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「いやー、昨日も結局遅くまでやってまして」

「これ、ほとんど僕がやったんですよ」

「今日もまだ休憩取れてないんですよね」

職場にいると、ときどきこういう会話が聞こえてくる。

頑張っている。

忙しい。

大変だった。

自分はこれだけやった。

それを上司や周りの人に、ちゃんと言葉にして伝える人がいる。

僕は、こういう「頑張ってるアピール」が苦手だ。

正直に言えば、うざいと思うこともある。

「はいはい、頑張った頑張った」

「今の一言、誰に向けて言ったんだ」

「その話、上司が近くに来てから急に始まってないか」

そんなことを考えてしまう。

もちろん口には出さない。

僕は少し離れたところから、そのやり取りを眺めている。

「昨日も大変で」

「そうか、頑張ってるな」

なるほど。

今、ポイントが入った。

評価+5。

本人が本当にそんなことを考えているのかは知らない。でも僕には、ときどきそんなゲームのように見える。

そして僕自身は、そのゲームにほとんど参加しない。

昔、近い上司に言われたことがある。

「俺はお前が頑張ってるの知ってるけど、もっと上の人らにアピールしな」

僕の仕事ぶりを否定されたわけではない。

むしろ逆だった。

俺は見ている。

ちゃんとやっていることも知っている。

でも、もっと上にいる人たちは知らない。

だから自分から伝えた方がいい。

たぶん、僕のためを思って言ってくれたのだと思う。

でも、そのとき僕の中に最初に出てきたのは、

「なるほど。もっとアピールしよう」

ではなかった。

「それ、上の人らが見ようとしてないだけでは?」

だった。

目次

頑張るだけでは足りないらしい

仕事をする。

任されたことを終わらせる。

必要なら誰かを手伝う。

問題があれば対応する。

僕の中では、それで仕事は完結していた。

ところが会社という場所では、そのあとにもう一工程あるらしい。

「僕、これやりました」

と伝える。

さらに場合によっては、

「結構大変でした」

「かなり頑張りました」

まで添える。

仕事をしたあとに、仕事をしたことを宣伝する。

僕にはこれが不思議だった。

評価するのは上司だ。

だったら、見るのも上司の仕事ではないのか。

頑張っている人を見つけるところまで、頑張っている本人にやらせるのか。

自分で働いて、自分で成果を説明して、自分で「結構頑張ったんですよ」と売り込んで、ようやく評価される。

評価される側、忙しすぎないか。

一方で、上司にも事情はある。

部下全員を一日中見ているわけにはいかない。さらに上の立場になれば、現場の細かな動きなんてもっと見えなくなる。

だから報告は必要だ。

「この作業を終えました」

「ここに問題があったので、こう対応しました」

「これだけ進みました」

これは分かる。

情報として必要だからだ。

でも僕の中では、「成果を報告する」と「頑張ってる感を出す」は少し違う。

「終わりました」は報告。

「いやー、これ本当に大変だったんですよ」は、そこから少し違う場所へ行く。

もちろん本当に大変だったのだろう。

ただ、その一言に、

「大変だった僕も一緒に評価してください」

が乗った瞬間、僕の中の何かが反応する。

うわ。

アピール始まった。

そもそも僕は、その評価が欲しいのか

ただ、ここまで考えて一つ気づいた。

僕は自己アピールが苦手なのだと思っていた。

たしかに苦手だ。

「自分、こんだけやりました!」

なんて、人前でなかなか言えない。

言った瞬間、もう一人の自分が少し離れたところに現れて、

「お前、自分でそれ言うんや」

と見てきそうで恥ずかしい。

でも、それだけではない。

もっと根本的な理由がある。

僕は、アピールした先で得られるものにあまり興味がない。

上司から、

「あいつ頑張ってるな」

と思われる。

評価が上がる。

社内で存在感が増える。

昇進の候補になる。

でも僕は、そこに強い魅力を感じない。

だから、

仕事を頑張る。

アピールする。

評価される。

ここまで説明されても、

「で?」

となってしまう。

アピールするための燃料がないのだ。

ゲームで言えば、ポイントを集めた先でもらえる景品に興味がない。

上司は親切に、

「お前、もっとポイント取れるぞ」

と教えてくれていたのかもしれない。

たぶん善意だった。

僕が損をしているように見えたのだろう。

でも僕は、

「その景品、別にいらないです」

という状態だった。

これではアピールしようという気にならない。

アピールする人には、その先に欲しいものがある

逆に考えれば、アピールする人には、その先に欲しいものがあるのかもしれない。

評価されたい。

昇進したい。

給料を上げたい。

重要な仕事を任されたい。

上司から信頼されたい。

「あの人は仕事ができる」と思われたい。

あるいは単純に、頑張ったことを誰かに認めてもらいたい。

どれもおかしくない。

むしろ欲しいものがはっきりしているなら、自分の頑張りを伝えるのは合理的だ。

黙って働いて、誰かが偶然見つけてくれるのを待つより、自分から知らせた方が早い。

部活だってそうだ。

レギュラーになりたい。

顧問に認められたい。

試合に出たい。

だったら、

「昨日、家でも練習したんです」

と伝えることには意味がある。

顧問は部員の家まで見に来ない。

だから言わないと分からない。

僕は昔から、そういうのを見ると、

「うわ、今言うんや」

と思うタイプだった。

でも、目的を考えれば正しい。

欲しいものがある。

そのために自分をアピールする。

何もおかしくない。

「自分、こんだけやりました!」と言えるのはすごい

そして、ここまで考えていて、僕の中で少し見方が変わった。

僕は頑張ってるアピールを寒いと思っていた。

今でも思う。

でも、よくよく考えたら、

「自分、こんだけやりました!」

と人前で言えるのって、結構すごくないか。

僕にはできない。

「この仕事、僕が全部やりました」

と言った瞬間、

「うわ、自分で言った」

となる。

「昨日も遅くまで頑張ったんですよ」

と言えば、

「頑張ったことまで自分で説明し始めた」

と自分で自分にツッコミを入れてしまう。

でも、アピールできる人はそこを越える。

自分がやったことを、自分がやったこととして堂々と提示する。

「これは自分の成果です」

と言える。

周りに聞かれても言える。

誰かに「あいつアピールしてるな」と思われる可能性があっても言える。

そして、必要な相手に届ける。

これ、普通に能力なのではないか。

自分の成果を把握する。

価値があると判断する。

言葉にする。

適切な相手に伝える。

評価につなげる。

こう分解すると、むしろ僕よりずっと社会を上手に生きている。

僕は仕事をして、

「まあ、仕事やし」

で終わらせる。

相手は仕事をして、

「これをやりました」

と伝える。

そりゃ後者の方が伝わる。

当たり前だ。

「僕、明日誕生日なんです」と言える人

ここまで考えて、似たものを思い出した。

「僕、明日誕生日なんです」

と自分から言える人だ。

僕はこれも言えない。

誰かに聞かれたら答える。

「誕生日いつ?」

「明日」

これは言える。

でも何も聞かれていないところから、

「そういえば僕、明日誕生日なんですよ」

とは、なかなか言えない。

なぜだろう。

たぶん僕の中では、

「祝ってほしいです」

までセットに聞こえてしまうからだ。

でも、よく考えれば何もおかしくない。

誕生日を祝ってほしい。

相手は自分の誕生日を知らない。

なら教える。

「明日、誕生日なんです」

「そうなん! おめでとう!」

目的達成。

めちゃくちゃ合理的だ。

何も言わずに黙っていて、翌日に、

「誰も祝ってくれなかった……」

と落ち込むよりずっといい。

知らんがな。

知らされてないから。

これ、仕事のアピールとかなり似ている。

頑張った。

評価してほしい。

でも上司は、その頑張りを知らない。

なら、

「これ、僕がやりました」

と伝える。

上司が、

「おお、頑張ったな」

と言う。

目的達成。

構造としては同じだ。

欲しいものがある。

相手はそれを与えるために必要な情報を持っていない。

だから自分から情報を渡す。

合理的でしかない。

なのに僕は、

「明日誕生日なんです」

にも、

「これ僕がやったんですよ」

にも、

「それ、自分から言えるんや」

という感覚を持ってしまう。

アピールする人としない人は何が違うのか

では、結局何が違うのだろう。

同じように仕事をしている。

同じように頑張っている。

それでも、

「僕、これだけやりました」

と言える人と、

「終わりました」

だけで終わる人がいる。

単純に「承認欲求が強い人と弱い人」で片づけるのは雑だと思う。

いろいろな違いが重なっている。

まず大きいのは、さっきの「欲しいもの」だ。

アピールした先に欲しいものがある人は、当然アピールする意味が大きくなる。

逆に、欲しいものがなければ意味がない。

レースに参加していない人間に、

「もっと前に出ろ!」

と言っても、

「どこへ?」

となる。

僕はたぶんこれだ。

「言わなくても見てくれる」と思うか

次に大きいのは、他人への期待かもしれない。

アピールしない人の中には、

「ちゃんとやっていれば誰かが見ている」

という感覚を持っている人もいると思う。

仕事をちゃんとする。

結果を出す。

それを見て評価するのが上司だ。

僕にもこの感覚はある。

だから、

「もっと上の人らにアピールしな」

と言われたとき、

「上の人らが見ろよ」

と思った。

でも冷静に考えれば、上の人が全部を見るのは無理だ。

何十人もいる従業員を一日中観察するわけにはいかない。

誰が裏で何をしていたか。

誰がトラブルを処理したか。

誰が他人をフォローしたか。

見えていないことも当然ある。

アピールする人は、その現実をよく分かっているのかもしれない。

「言わなきゃ分からない」

だから言う。

アピールしない人は、

「見ていれば分かるだろう」

と思う。

ここには結構大きな違いがある。

そして少し意地悪に考えると、

「アピールする人ってうざい」

と言いながら、

「俺の頑張りは言わなくても察してくれ」

と要求する方が面倒な可能性もある。

自分は何も言わない。

でも評価はしてほしい。

それはそれで、

察してちゃんではないか。

僕の場合は、そもそも評価への興味が薄いので、

「なんで見てくれないんだ!」

ともあまり思わない。

見てない。

そうですか。

終わり。

でも「評価はしてほしい。でも自分から言うのは嫌」という人なら、結構しんどいだろう。

結果だけ見せたい人と、過程まで見せたい人

これも違う気がする。

仕事が終わった。

一人は、

「終わりました」

と言う。

もう一人は、

「終わりました。いやー、これ結構大変だったんですよ。昨日からずっとやってて、途中でこんな問題もあって、結局僕がここまで対応して……」

と説明する。

前者は完成品だけを見せる。

後者はメイキング映像まで見せる。

「完成しました」派と、「完成するまでのドキュメンタリーも見てください」派。

僕は圧倒的に前者だ。

終わったなら終わった。

それでいい。

でも評価する側からすると、後者の方が分かりやすい場合もある。

結果だけ見れば同じ一個の仕事でも、その裏でどれだけ問題を処理したのかは見えない。

簡単に終わったのか。

トラブルだらけだったのか。

誰かのミスを修正したのか。

予定外の対応までしたのか。

そういう過程を伝えなければ、仕事の難易度まで評価できないこともある。

だから過程を伝えること自体は悪くない。

問題は、僕の耳にはときどき、

「大変だった僕も見て」

に聞こえてしまうことだ。

たぶんここで「うざっ」が発生する。

自分の仕事に、自分で値札をつけられるか

よくよく考えると、

「これ、僕がやりました」

と言うためには、その前に一つ必要なことがある。

自分の仕事には伝える価値がある、と自分で判断することだ。

これが僕には結構難しい。

何かやっても、

「まあ仕事やし」

となる。

大変だったとしても、

「これくらい普通か」

で終わる。

わざわざ人に言うほどではない。

そうやって自分の中で処理してしまう。

でもアピールできる人は、

「これは自分の成果だ」

「これは伝えていい」

「これは評価される仕事だ」

と判断できる。

自分の仕事に、自分で値札をつけられる。

これは結構すごい能力だと思う。

僕なら千円の仕事をしても、

「まあ五百円くらいですかね」

と勝手に半額シールを貼りそうだ。

そして誰にも言わない。

一方で、

「これは僕がやりました」

と言える人は、ちゃんと千円の値札をつけて売り場に並べる。

場合によっては、

「本日おすすめ!」

の札までついている。

僕はそれを横から見て、

「アピールすごいな」

と思う。

でも売るという目的だけを考えれば、どう考えても向こうが正しい。

人からどう見られるかを気にする場所も違う

僕が一番すごいと思うのは、これかもしれない。

人目も憚らず、

「自分、こんだけやりました!」

と言える。

上司と二人だけならまだ分かる。

でも周りに同僚がいる。

みんな聞いている。

そこで、

「昨日も遅くまでやってまして」

「結局これ、僕が全部やったんですよ」

と言える。

すごい。

僕なら話しながら、

「あ、今みんなに『こいつアピールしてるな』って思われてるかも」

が頭に浮かぶ。

そして自分からブレーキを踏む。

でも言える人は言う。

そもそもそんなことを気にしていないのかもしれない。

あるいは気づいていても、

周りからどう思われるかより、伝えるべき相手に伝えることを優先している。

だとしたら、かなり強い。

僕はずっと、

「よくそんなこと自分から言えるな」

と冷めた目で見ていた。

でも、よくよく考えると、

本当によく言える。

嫌味ではない。

僕にはできないから、素直にすごいと思う。

競争に参加しているかどうかも違う

そして、そもそも同じ職場にいるからといって、全員が同じゲームをしているわけではない。

昇進したい人がいる。

同期より上に行きたい人がいる。

上司に認められたい人がいる。

責任ある仕事を任されたい人がいる。

そういう人にとって、職場はある意味で競争の場でもある。

なら、アピールする。

当然だ。

スポーツならもっと分かりやすい。

試合に出られる人数は決まっている。

同じポジションに三人いる。

一人しか出られない。

そこで、

「僕、家でもこれだけ練習しています」

と伝える。

僕なら少し恥ずかしい。

でも試合に出たいなら、そんなこと言っている場合ではない。

欲しいものがある人は強い。

一方で僕のように、

「別にそこで一番にならなくてもいい」

と思っている人間は、そもそも競争相手になっていない。

周囲は全力で順位を争っている。

僕は横で水を飲んでいる。

「お前も走れ!」

と言われる。

いや。

僕、エントリーした覚えないんですけど。

同じ場所にいるだけで、同じゲームをしているとは限らない。

これもアピールする人としない人の大きな違いだと思う。

そもそも本人は「アピール」だと思っていないかもしれない

そして、これは結構大事だと思う。

僕が、

「うわ、アピール始まった」

と思っているだけで、本人はアピールしているつもりがない可能性がある。

「昨日めちゃくちゃ大変だったんですよ」

ただ昨日の話をしているだけ。

「これ僕がやったんですよ」

担当した人を説明しただけ。

「今日まだ休憩取れてなくて」

単なる事実。

僕の頭の中では、

ピコン。

評価+5。

となっているが、本人の画面にはポイント表示なんて出ていないのかもしれない。

これはちょっと怖い。

つまり「頑張ってるアピールがうざい」という感情には、僕自身の受け取り方もかなり混ざっていることになる。

僕は自己アピールをほとんどしない。

だから自分なら言わないことを誰かが言っていると、

「なぜ今それを言った?」

と意味を探してしまう。

そして、

「なるほど。評価されたいのか」

と勝手に解釈する。

でも本人は、

「いや、普通に喋ってただけですけど」

かもしれない。

そう考えると、僕が観客席から偉そうに分析している「評価ゲーム」は、そもそも開催されていない可能性すらある。

僕一人が、

「あ、今ポイント入った」

と実況している。

誰もゲームしていない。

一人実況である。

過去の経験でも変わるのかもしれない

アピールするかどうかは、生まれつきの性格だけでもなさそうだ。

昔、黙って頑張っていた。

でも誰にも気づかれなかった。

後から来た人が上司にうまく説明して、そちらばかり評価された。

そんな経験をしたら、

「黙っていても意味がない」

と学ぶかもしれない。

次からは自分の成果を伝えるようになる。

逆に、何も言わなくても周囲がきちんと見てくれる環境にいた人なら、

「ちゃんとやっていれば誰かが見ている」

と思うかもしれない。

職場の文化もある。

成果をきちんと見る会社なら、過剰にアピールする必要は少ない。

逆に声の大きい人ばかり評価される場所なら、みんな声を大きくする。

そう考えると、「頑張ってるアピールをする人」が大量にいる職場では、本人たちだけではなく、会社の評価方法にも原因があるのかもしれない。

黙っていたら損をする。

だったら言う。

みんなが言う。

さらに目立つために、もっと言う。

そのうち職場中で、

「昨日三時間しか寝てない」

「俺なんか二時間」

「俺は休憩も取ってない」

みたいな謎の大会が始まる。

寝ろ。

報告と「頑張ってる感」はやっぱり違う

ここまで考えても、やっぱり僕の中では線引きがある。

自己アピールそのものが嫌いなのではない。

必要な報告はすればいい。

自分がやった仕事を説明するのもいい。

面接で自分の強みを話すのもいい。

作品を宣伝するのもいい。

部活でレギュラーになりたい人が努力を伝えるのもいい。

欲しいものがあるなら、自分から動くのは必要だ。

僕が「うざっ」と感じるのは、必要な情報を超えて「頑張ってる自分」を何度も見せられたときなのだと思う。

「昨日も三時間しか寝てなくて」

「今日まだ休憩してないんですよ」

「いやー、俺がやらないと回らなくて」

「結局、全部こっちでやりました」

その情報、本当に必要か。

もちろん必要な場面もある。

労働時間がおかしいなら報告した方がいい。

業務が一人に集中しているなら伝えるべきだ。

でも、そうではなく、会話のたびに「僕はこんなに頑張っている」が差し込まれると、僕の中でアピール警報が鳴る。

ピコン。

来た。

頑張ってます。

上司が近くにいる。

ピコン。

評価+5。

僕はまた観客席から見ている。

でも、評価する側もちゃんと見ろよとは思う

自己アピールが必要なのは分かった。

言わなければ伝わらないことも分かった。

でも、それですべて働く側の責任になるのも違うと思う。

仕事はできる。

黙々とやる。

でも自分から、

「僕がやりました!」

とは言わない。

そんな人が全部埋もれる組織なら、評価する側にも問題がある。

逆に、仕事そのものは普通なのに、自分の成果を大きく見せるのが上手い人ばかり評価されるなら、

会社が評価しているのは仕事の能力なのか、自己PR能力なのか。

よく分からなくなる。

だから必要なのは両方なのだと思う。

働く側は、必要な成果をきちんと伝える。

評価する側は、声の大きさだけで判断せず、実際の仕事を見る。

「黙ってても全部見つけてくれ」は無理がある。

でも、

「評価されたかったらもっと自分でアピールして」

だけで済ませるのも違う。

評価する人には、評価する人の仕事がある。

僕はそのやり取りを俯瞰してしまう

たぶん僕は、こういうやり取りに参加するより、眺めている方が好きなのだと思う。

「ああ、この人はいま自分の頑張りを伝えたな」

「上司もちゃんと反応したな」

「ここでその話を入れるのか」

そんなことを考える。

生態観察に近い。

別に相手を嫌いなわけでもない。

その人が悪いとも思っていない。

むしろ、

「上手いな」

と思うことすらある。

僕なら絶対に言えないタイミングで、さらっと自分の成果を差し込む。

上司も、

「おお、そうなんか。頑張ったな」

と返す。

成立している。

僕だけが少し離れた場所から、

「なるほど」

と見ている。

たぶん僕も同じ評価ゲームに本気で参加していたら、見え方は違うのだと思う。

昇進したい。

上司から認められたい。

同期より評価されたい。

そう思っていたら、

「あいつ、うまくアピールしたな。俺もやらないと」

となるのかもしれない。

でも僕は、その競争自体への関心が薄い。

だからプレイヤーではなく観客になる。

観客になると、演出がよく見える。

「今のは上司向けのセリフだな」

「急に声量上がったな」

「その話、さっき僕と二人のときにはしてなかったな」

そんな余計なことまで見える。

そして、

「うわ、寒っ」

となる。

それでも必要な能力だとは思う

ここまで書いておいてなんだが、自己アピールは必要だと思う。

自分が欲しいものがあるなら、なおさらだ。

評価されたいなら、自分の成果を伝える。

レギュラーになりたいなら、努力を見てもらう。

仕事が欲しいなら、自分に何ができるか話す。

作品を知ってほしいなら、発信する。

好きな人に気持ちを知ってほしいなら、何かしら伝える。

祝ってほしいなら、

「僕、明日誕生日なんです」

と言う。

黙っていて、全部誰かが察してくれる世界ではない。

だから、自分の頑張りを必要な相手へ届けられる人は強い。

僕にはできないからこそ、すごいと思う。

人目も憚らず、

「自分、これだけやりました!」

と言える。

よくよく考えたら、かなりの能力だ。

僕なら言う前に、

「いや、別にそこまででもないか」

「わざわざ言うほどじゃないな」

と自分で消してしまう。

そして何も伝わらない。

相手は伝える。

だから伝わる。

単純な話だ。

「うざい」と「すごい」は両立する

結局、アピールする人としない人の違いは、一つではない。

その先に欲しいものがあるか。

他人からの評価をどれくらい大切にしているか。

「言わなくても見てくれる」と思っているか。

自分の成果に自分で値札をつけられるか。

結果だけ見せたいのか、そこまでの過程も知ってほしいのか。

周囲から「あいつアピールしてるな」と思われることを気にするか。

競争そのものに参加しているか。

過去に、黙っていて損をした経験があるか。

そして、そもそも本人がそれをアピールだと思っているか。

いろんなものが重なっている。

だから、

「アピールする人は承認欲求が強い」

だけで片づけることはできない。

僕の場合はかなり単純だ。

上司から高く評価されることに、そこまで興味がない。

自分から「頑張りました」と言うのも恥ずかしい。

必要な成果なら報告するけれど、それ以上に自分を売り込もうとはあまり思わない。

だからアピールする人を見たら、その競争に参加するのではなく、少し離れたところから眺める。

「おお、言った」

「そこまで言うのか」

「上司も反応した」

「なるほど」

完全に観客である。

でも、以前より少しだけ見え方は変わった。

あの人たちは、僕にはできないことをやっている。

欲しいものがある。

だから自分から伝える。

自分の仕事に自分で値札をつけて、

「これ、僕がやりました」

と差し出す。

上司は僕に、

「もっと上の人らにアピールしな」

と言った。

あの人はたぶん、

「お前、ポイント取りこぼしてるぞ」

と教えてくれていたのだ。

たしかに取りこぼしていた。

たぶん今も取りこぼしている。

でも僕は、その景品が欲しくなかった。

だから拾わなかった。

一方で、景品が欲しい人がポイントを取りにいくのは当然だ。

むしろ正しい。

そして、それを人前で堂々とできるのは、僕にはない能力だ。

すごいと思う。

必要なのも分かった。

合理的なのも分かった。

僕も本当に欲しいものができたら、きっと何かしらアピールするのだろう。

ただし。

明日、職場で誰かが上司の近くへ行き、

「いやー、昨日も結局遅くまでやってまして。今日もまだ休憩取れてないんですよ」

と始めたら、

僕はたぶん、また少し離れたところから眺める。

お。

始まった。

昨日も遅くまで。

+2。

休憩も取っていない。

+2。

「俺がやらないと回らなくて」

大技が来た。

+5。

上司が言う。

「頑張ってるな」

ピコン。

僕は心の中で拍手する。

ちゃんと欲しいものを取りにいっている。

すごい。

僕にはできない。

必要な能力だとも思う。

そして、その直後にはたぶんこう思っている。

うわ、やっぱりちょっとうざい。

理解することと、好きになることは別なのだ。

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