この前、高級焼肉に行った。
自分ではなかなか買わないような肉が、綺麗な皿に数枚ずつ並んで出てくる。
見るからにいい肉だ。
赤い肉の間に白い脂が細かく入っている。
僕がいつもスーパーで買っている肉とは、明らかに顔つきが違う。
焼く。
食べる。
柔らかい。
本当に柔らかい。
歯を入れると簡単に切れる。
脂もすごい。
口の中にじわっと広がって、肉そのものまでどこか上品だ。
うまい。
そこは間違いない。
高級な肉はちゃんとうまかった。
でも、何枚か食べているうちに、僕は妙なことを思い始めた。
なんか違う。
脂がすごい。
肉が上品すぎる。
そして何より、
ガシガシしていない。
何を言っているんだと思われるかもしれない。
僕にも「ガシガシ」が正式にどういう食感なのか説明できない。
硬い、とは少し違う。
筋っぽい、と言ってしまうと悪口みたいになる。
噛みごたえがある、だと上品すぎる。
歯ごたえがある、でもまだ足りない。
ガシガシ。
もうそれは、
ガシガシなのだ。
僕は肉に、ガシガシしていてほしい。
高級焼肉を食べながら、そんなことを考えていた。
多分、僕の味覚が大人ではないんだろう。
もう33歳なので、年齢だけなら十分すぎるほど大人なのだが。
僕が普段食べているのは、150円引きの豚こま肉だ
僕が普段買う肉は、高級なものではない。
スーパーの豚こま肉だ。
しかも、できれば値引きされているものを買う。
150円引き。
いい。
黄色や赤の値引きシールを見ると、少し嬉しくなる。
家に帰る。
冷蔵庫から出す。
フライパンを熱する。
片栗粉はつけない。
小麦粉もつけない。
酒に漬け込んだりもしない。
柔らかくするために何か特別なこともしない。
そのまま焼く。
塩。
胡椒。
以上。
料理と呼んでいいのか少し不安になるくらい何もしない。
でも、僕はこれが好きだ。
焼けた豚こま肉を口に入れる。
ガシ。
ガシ。
ガシ。
うまい。
ちゃんと噛まなければならない。
一回や二回では終わらない。
肉が口の中にいる。
高級肉みたいに「どうも、お邪魔しました」と上品に消えていかない。
まだいる。
噛む。
まだいる。
いいぞ。
お前は肉だ。
簡単に消えるな。
塩胡椒だけなので、濃いタレの味もしない。
甘いソースもない。
肉。
塩。
胡椒。
それだけだ。
そして僕は白米を食べる。
いや、「食べる」では少し違う。
白米を放り込む。
ガシガシと肉を噛んで、白米を放り込む。
また肉をくらう。
白米を放り込む。
また肉をくらう。
うまい。
高級焼肉を食べているときとは、明らかに何かが違う。
上品さはない。
美しい食レポもできない。
「脂の甘みが口いっぱいに広がり……」みたいなことも言わない。
ガシガシ。
白米。
ガシガシ。
それだけだ。
でも僕は、この食事がものすごく好きなのだ。
なぜ、みんな柔らかい肉が好きなんだろう
僕には昔から不思議なことがある。
テレビのグルメ番組などで高級な肉を食べると、かなりの確率で出てくる言葉がある。
「柔らかい!」
これだ。
その次に、
「口の中でとろける!」
「脂が甘い!」
みたいな言葉が続く。
確かに褒め言葉なのだろう。
実際、高級焼肉で食べた肉も柔らかかったし、脂もすごかった。
そして美味しかった。
でも、なぜ肉は柔らかいほど偉いんだろう。
僕はここがどうしてもわからない。
箸で切れる。
歯がいらない。
口の中でとろける。
そこまで来ると、少し寂しくないだろうか。
僕には歯がある。
使わせてほしい。
顎もある。
動かさせてほしい。
肉を食べに来たのだから、肉にはもう少し抵抗してほしい。
「どうぞ」と簡単に道を譲らないでほしい。
「通りたければ俺を噛んでから行け」
それくらいで来てほしい。
こんなガシガシの肉が好きな人、いるんだろうか。
ふと不安になる。
世間があれだけ柔らかさを褒めているということは、僕の方がおかしいのかもしれない。
そこで少し調べてみた。
どうやら、柔らかさが肉のおいしさにとって重要なのは本当らしい。
肉のおいしさについての研究では、柔らかさ、ジューシーさ、風味が重要な要素として繰り返し扱われている。
日本人107人を対象に牛肉の柔らかさの感じ方を調べた研究でも、消費者が「柔らかい」と感じる肉は、噛みごたえと硬さが低い食感として特徴づけられていた。
なるほど。
やっぱりみんな、あまりガシガシしたくないらしい。
僕は少し寂しくなった。
でも「柔らかい=おいしい」の一本勝負でもない
ただ、さらに調べていくと面白いこともわかった。
肉のおいしさは、柔らかさだけで決まるわけではない。
1,800人を超える消費者のデータをまとめた牛肉の研究では、全体的なおいしさに関わるものとして、柔らかさだけでなく風味も非常に大きな役割を持っていた。
柔らかさ、ジューシーさ、風味。
どれか一つだけを「肉のおいしさそのもの」と考えるのは単純すぎるらしい。
そりゃそうだ。
どれだけ柔らかくても、味が嫌いなら美味しくない。
逆に少しくらい硬くても、その味や食感が好きな人なら美味しい。
考えてみれば当たり前なのに、僕は「高級な肉=柔らかい=上」という一本の物差しで考えすぎていたのかもしれない。
僕の場合は、その評価項目の中に勝手に、
「ガシガシ」
が入っている。
柔らかさ ★★★★★
風味 ★★★★★
ジューシーさ ★★★★★
ガシガシ ☆☆☆☆☆
「本日の肉は大変柔らかく、ガシガシが不足していました」
店からしたら知らんがな、である。
でも食べ物の好みなんて、本来そういうものなのかもしれない。
世間で高く評価される特徴と、自分が好きな特徴が一致するとは限らない。
高級だから好きになる必要もない。
柔らかいから感動する必要もない。
僕は高級焼肉を食べて「うまい」と思った。
同時に、スーパーの豚こま肉の方が好きだとも思った。
この二つは別に矛盾しない。
僕は脂より「肉を食っている感じ」が好きなのかもしれない
高級焼肉を食べたとき、もう一つ気になったのが脂だった。
最初の一枚はすごい。
うまい。
二枚目もうまい。
三枚目。
うまい。
でも、
脂、すごいな。
となってくる。
もちろん、これは年齢や体調、その日の空腹具合、部位にもよるだろう。
高級肉が全部脂だらけという話でもない。
ただ、その日に食べた肉を前にして僕が感じたのは、
「もっと肉を食わせてくれ」
だった。
脂の甘さより、肉そのものを噛んでいたい。
だから僕は豚こま肉を塩胡椒だけで焼くのが好きなのかもしれない。
タレを大量につけると、タレがうまい。
片栗粉をつければ食感も変わる。
酒や調味料に漬ければ、また違う料理になる。
もちろんそれも美味しい。
でも僕が家で肉を食べるときに欲しいものは、もっと単純だ。
肉を焼いた味。
塩。
胡椒。
以上。
噛んでいるうちに肉の味がする。
それを白米で追いかける。
また肉。
また米。
別に繊細な味覚があるわけではない。
むしろ逆だと思う。
ものすごく雑だ。
でも、その雑さが好きなのだ。
噛むと、肉の味はどうなるのか
ここで一つ気になった。
僕は「ガシガシ噛んでいる方が肉の味がする」と感じている。
これは完全な気のせいなんだろうか。
調べてみると、食べ物を噛むことと風味の感じ方は、ちゃんと関係している。
食べ物は口の中で噛まれ、唾液と混ざり、細かくなっていく。
その過程で食品から香りの成分などが徐々に放出される。
食感は噛み方や唾液の出方にも影響し、それらが風味の知覚にも関係することが研究レビューで説明されている。
もちろん、だから、
「硬い肉ほど味がする」
という話ではない。
そこまで単純ではない。
でも僕がガシガシ噛んでいる時間そのものを「肉を味わっている時間」と感じるのは、完全に意味不明というわけでもなさそうだ。
柔らかい肉なら短時間で飲み込める。
ガシガシの肉なら、必然的に長く口の中にいる。
僕はその時間が好きなのだと思う。
早くなくならない。
まだ肉がいる。
噛む。
味がする。
また噛む。
なんだか食事というより、作業に近づいてきた。
でも楽しい。
安い肉を、なぜ柔らかくしなければならないのか
インターネットで安い肉について調べると、「安い肉を柔らかくする方法」という情報がたくさん出てくる。
工夫すること自体は素晴らしい。
安い肉を美味しく食べるための知恵だ。
でも僕は思う。
なぜ、せっかくのガシガシを消すんだ。
僕はガシガシを買ったのだ。
ガシガシを柔らかくしてどうする。
片栗粉をまぶす。
しない。
酒に漬ける。
しない。
いろいろ揉み込む。
しない。
僕は袋から肉を出す。
フライパンに置く。
焼く。
塩胡椒。
裏返す。
焼く。
終わり。
料理の先生に見られたら、何か言われるかもしれない。
「もう少しこうすると柔らかくなりますよ」
大丈夫です。
柔らかくしなくて。
僕はこいつの、このままのガシガシを食べに来ました。
欠点を改善しようとしてくれなくていい。
今日の君には今日の硬さがある。
僕が全部噛む。
急に豚こま肉との信頼関係が生まれてきた。
ガシガシしていると、生物になった気分になる
そして、ここが自分でも一番よくわからない。
ガシガシの肉を食べていると、
生きている感じがする。
というより、
生物になった気分になる。
いや。
元々、生物なんだけど。
普段、僕は自分が生物であることをほとんど意識していない。
服を着る。
電車に乗る。
スマホを見る。
仕事をする。
文字を書く。
コンビニで買い物をする。
家に帰る。
人間として生活している。
でもガシガシの肉を噛んでいると、急にものすごく単純になる。
僕には歯がある。
顎がある。
噛む。
飲み込む。
腹に入る。
栄養になる。
生きる。
なんだ。
僕、動物じゃないか。
肉をくらう。
白米を放り込む。
また肉をくらう。
ガシガシ。
白米。
ガシガシ。
上品さなんてどこにもない。
ナイフとフォークを使って「こちらのお肉は大変柔らかく……」なんて言っている場合ではない。
食う。
噛む。
飲み込む。
生きる。
たったそれだけのことが、妙に気持ちいい。
だから僕は柔らかすぎる肉に少し物足りなさを感じるのかもしれない。
僕が肉に求めているのは、味だけではなく、
「食っている感覚」
なのだ。
調理しているのに、少しだけ野生に戻る
考えてみれば、おかしな話だ。
スーパーでパックされた肉を買っている。
レジで会計する。
家まで持って帰る。
冷蔵庫に入れる。
電気かガスでフライパンを熱する。
塩も胡椒も、綺麗な容器に入っている。
白米は炊飯器が炊いてくれる。
野生なんてどこにもない。
文明の力を全力で借りている。
それなのに、肉をガシガシ噛んでいる瞬間だけ、
俺はいま食っている。
という原始的な感覚になる。
たぶん僕が好きなのは、肉の硬さそのものだけではない。
噛まなければ食べられないこと。
自分の歯と顎を使っていること。
口の中に肉が長くいること。
その全部をまとめて、僕は「ガシガシ」と呼んでいるのかもしれない。
そう考えると、ガシガシは食感ではない。
概念だ。
何を言っているんだ。
豚こま肉を食べているだけなのに、話がずいぶん大きくなってしまった。
誰か「ガシガシ焼肉」を作ってくれ
ここまで考えて、一つお願いがある。
誰か、
ガシガシ焼肉
を作ってくれないだろうか。
柔らかさを売りにする焼肉店はたくさんある。
だったら一軒くらい、逆があってもいい。
店の看板には、
「とろけません」
と書いておく。
「箸では切れません」
「よく噛んでください」
「本日の肉、かなりガシガシです」
最高じゃないか。
メニューもわかりやすい。
並ガシ。
上ガシ。
特上ガシ。
値段が上がるほどガシガシになる。
普通の焼肉屋とは価値観が逆だ。
店員さんが肉を運んでくる。
「お待たせいたしました。本日の特上ガシです」
見る。
脂が少ない。
硬そうだ。
いい。
焼く。
食べる。
ガシ。
ガシ。
ガシ。
星五つ。
口コミにはこう書かれる。
「肉が硬かったです。★1」
店主から返信。
「ありがとうございます。当店最高の褒め言葉です」
ただし、一つ大きな問題がある。
客は僕だけだろう。
三か月くらいで潰れるかもしれない。
だから出店する人がいたら、僕に相談せずによく考えてほしい。
僕は責任を取らない。
高級肉が嫌いなわけではない
ここまで書くと、僕が高級肉に恨みでもあるように見える。
ない。
高級焼肉は美味しかった。
また誰かが連れて行ってくれるなら、喜んで行く。
ここは重要だ。
奢ってくれるなら、さらに喜んで行く。
柔らかい肉も美味しい。
脂の甘さもわかる。
丁寧に育てられ、扱われた肉には、その肉の良さがある。
僕が言いたいのは、
高級肉より安い肉の方が優れている、
ということではない。
僕は安いガシガシの肉の方が好きだ。
ただそれだけだ。
値段と自分の好みは、必ずしも同じ方向には並ばない。
高いものを食べたとき、「高いんだからこっちの方が美味しいと思わなければ」と考える必要もない。
味覚にまで社会的な正解を持ち込まなくてもいい。
自分の口なのだから、自分が好きなものを美味しいと言えばいい。
僕の場合、それがたまたまスーパーで150円引きになっている豚こま肉だった。
ずいぶん安上がりな舌である。
ありがたい。
「大人の味覚」って何なんだろう
高級焼肉を食べながら、
「多分、僕の味覚が大人ではないんだろう」
と思った。
でも、よく考えたら大人の味覚とは何なんだろう。
高いものの良さがわかること?
繊細な味を感じ取れること?
脂の甘みを楽しめること?
それも一つなのかもしれない。
でも、大人になったからといって、好きなものまで高級にならなければいけない理由はない。
子どもの頃に好きだったものを、大人になっても好きでいていい。
逆に昔嫌いだったものが好きになってもいい。
味覚は試験ではない。
正解も不正解もない。
高級焼肉を食べて、
「これは素晴らしい。やはり上質な脂は違う」
と言える人もいる。
僕は、
「うまい。でもガシガシが足りない」
と思う。
それでいい。
むしろ33歳にもなって、自分が何を食べたら嬉しいのかわかっているなら、それはそれで立派な大人なのかもしれない。
ガシガシを愛する大人。
あまり格好よくはない。
150円引きは、少しうまい
あと、これは完全に僕の感覚なのだが、
150円引きのシールが貼られていると、少し美味しく感じる。
味が変わっているわけではない。
むしろ消費期限が近づいている。
肉としては定価だった数時間前より、条件が良くなっているわけではない。
なのに嬉しい。
同じ肉なのに、
「150円得した」
という情報が加わる。
この150円で何かが買える。
コーヒー代の一部になる。
別の食材も買える。
そして僕がそもそも求めているのは、高級な柔らかさではない。
だったら、もう最高ではないか。
ガシガシ。
安い。
うまい。
白米に合う。
僕にとってはかなり完成度が高い。
肉の評価基準に、
柔らかさ。
風味。
ジューシーさ。
ガシガシ。
そして、
値引き。
また勝手な項目が増えた。
肉の研究者に怒られそうなので、これは僕だけの採点表にしておく。
今日も150円引きの豚こま肉を買う
高級焼肉を食べた数日後。
僕はまたスーパーへ行く。
精肉コーナーを見る。
牛肉。
豚肉。
鶏肉。
いろいろ並んでいる。
その中に豚こま肉がある。
値引きシール。
150円引き。
いた。
今日のガシガシだ。
家に連れて帰る。
袋を開ける。
片栗粉はつけない。
酒にも漬けない。
何か特別なソースを作ることもない。
フライパンを熱する。
肉を置く。
ジュッと音がする。
塩を振る。
胡椒を振る。
焼く。
裏返す。
焼く。
皿に盛る。
白米も用意する。
完成。
高級焼肉店のような美しい盛り付けではない。
肉が雑に皿に乗っている。
でもいい。
一枚取る。
口に入れる。
噛む。
ガシ。
ガシ。
ガシ。
これだ。
肉をくらう。
白米を放り込む。
また肉をくらう。
ガシガシ。
白米。
ガシガシ。
うまい。
僕はきっと明日も、高級な肉を見れば「うまそう」と思う。
実際に食べれば「うまい」と言う。
それでも家に帰れば、150円引きの豚こま肉を買う。
そのまま焼く。
塩胡椒。
噛む。
ガシガシ。
世間では、柔らかい肉が褒められる。
それでいい。
僕はこっちを食べる。
歯を使う。
顎を動かす。
肉を噛む。
米を放り込む。
また肉をくらう。
ガシガシ。
なんだか生物になった気分になる。
まあ、元々生物なんだけど。
それでも、この瞬間だけは妙に実感する。
食べている。
噛んでいる。
飲み込んでいる。
生きている。
ガシガシ。
また一口。
僕は今日も生きてる。
