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雨でも傘をささない人。僕だ。それがかっこいいと思っている。

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「あんた、傘持って行きや。雨降ってんで」

「いらーーん」

子どもの頃、よく母親に言われていた。

外を見る。

普通に雨が降っている。

母親は傘を持って行けと言う。

正しい。

どう考えても母親が正しい。

雨が降っているのだから、傘を持って行けば濡れない。

小学生でも分かる。

でも僕はいらなかった。

「いらーーん」

そのまま家を出る。

当然、濡れる。

そしてそのまま帰ってくる。

母親からしたら、意味が分からなかったと思う。

傘を忘れたわけではない。

雨が降ることを知らなかったわけでもない。

玄関を出たら突然雨が降ってきたわけでもない。

母親から、

「雨降ってんで」

と教えてもらっている。

それでも持って行かない。

明確な意思を持って、傘を家に置いてきている。

あれから二十年以上が経った。

僕は33歳になった。

もう母親から、

「あんた、傘持って行きや」

と言われることもない。

自分で天気予報を見て、自分で判断して、自分で傘を用意できる立派な大人になった。

そして現在。

僕の家には、傘がない。

成長した結果、傘そのものが消えた。

目次

雨が降っていても、僕はだいたい傘をささない

雨の日、駅から外へ出ると面白い。

屋根がなくなる直前で、みんな一斉に傘を開く。

パッ。

パッ。

パッ。

透明なビニール傘。

黒い傘。

折り畳み傘。

色とりどりの傘が次々と開いていく。

僕はその横を普通に歩いていく。

傘はない。

雨粒が頭に当たる。

顔に当たる。

服にも当たる。

そのまま歩く。

別に傘を忘れたわけではない。

最初から持ってきていない。

もちろん、どんな雨でも絶対に傘を持たないという強い信念があるわけではない。

豪雨ならさすがに持って行くこともある。

台風の日に、

「人間は雨くらい平気だ!」

と叫びながら外を歩くほどではない。

そこまで人類を信用していない。

ただ、普通の雨ならほとんど持って行かない。

小雨ならまずいらない。

そこそこ降っていても、まあいい。

天気予報に雨マークがついていても、

「そうですか」

くらいで終わる。

なぜ僕はこんなにも傘を持ちたくないんだろう。

改めて考えてみた。

傘は、一度持つとずっと付き纏ってくる

一番大きな理由は、多分これだ。

傘を持ちたくない。

傘をさしたくない、というより、持ちたくない。

雨が降っている間だけならいい。

仕事をしている。

役に立っている。

雨から僕を守ってくれている。

ありがとう。

問題は、そのあとだ。

朝、雨が降っている。

仕方なく傘を持って家を出る。

駅まで傘をさす。

駅に着く。

傘を閉じる。

電車に乗る。

雨が止む。

ここからが長い。

傘は消えてくれない。

もう仕事は終わったのに、ずっといる。

電車に乗る。

いる。

職場に行く。

いる。

コンビニに寄る。

いる。

帰りの電車に乗る。

まだいる。

夜になって家へ帰る。

まだいる。

朝の数十分しか使っていない傘が、夜までずっと付き纏ってくる。

もう雨は降っていない。

お前の仕事は終わった。

帰ってくれ。

でも帰ってくれない。

僕が家まで連れて帰らなければならない。

手に持てば片手がふさがる。

腕に引っ掛けても邪魔だ。

電車で座れば置き場所に困る。

足元に置けば忘れそうになる。

傘立てに入れれば、さらに忘れそうになる。

濡れているから鞄の中にも入れられない。

折り畳み傘なら小さくなるけれど、今度は濡れた傘を畳んで袋に入れるという作業が発生する。

面倒くさい。

雨を防いでくれた恩人だったはずなのに、雨が止んだ瞬間、

「濡れた長い棒」

になる。

この変身が早すぎる。

さっきまで、

「ありがとう。君がいてくれて助かったよ」

だったのに、

十分後には、

「お前いつまでおんねん」

になっている。

申し訳ない。

傘は何も悪くない。

僕との相性が悪いだけだ。

そして、僕は傘を忘れる

仮に僕が傘を持って行ったとしても、もう一つ問題がある。

忘れる。

かなりの確率で、どこかに置いて帰ってくる。

これは単純に僕が忘れっぽいから、というのもあるのだろう。

でも、それだけではない気がする。

僕にとって、

「傘を持っていない状態」がデフォルトなのだ。

普段、傘を持っていない。

だから、たまに傘を持つと、自分の装備に一つだけ異物が追加されているような状態になる。

朝は雨が降っているから覚えている。

傘をさしているから、さすがに忘れない。

問題は雨が止んでからだ。

傘を閉じる。

どこかに置く。

その瞬間、僕の中で傘の役割が終わる。

そして僕の脳は、いつもの状態に戻る。

スマホ。

財布。

鞄。

よし。

全部ある。

帰ろう。

傘がない。

でも僕にとっては、それが正常なのだ。

だから気づかない。

電車を降りる。

改札を出る。

家まで歩く。

玄関を開ける。

普通に生活する。

翌日。

「あれ?」

傘どこいった?

知らない。

電車かもしれない。

職場かもしれない。

店かもしれない。

傘立てかもしれない。

どこかで僕から解放され、第二の人生を歩んでいることを願う。

また一本、社会に傘を寄付した。

だから今、僕の家には傘がない。

「一本くらい置いておけばいいじゃないか」

僕もそう思う。

多分、過去にはあった。

今ないということは、そういうことだ。

そもそも、少しくらい濡れてもよくないか

そして僕が傘を持たないもう一つの大きな理由。

濡れることを、それほど嫌だと思っていない。

雨が降る。

少し濡れる。

だから何なんだろう。

髪が濡れる。

服が濡れる。

靴も少し濡れる。

もちろん、仕事の都合や服装、荷物によっては濡れたら困ることもある。

冬にびしょ濡れになれば寒い。

大事な書類や電子機器を持っているなら守った方がいい。

何でもかんでも濡れればいいと言っているわけではない。

ただ、僕自身が普通に歩いているだけなら、

別に濡れてもいい。

と思ってしまう。

そのうち乾く。

人間、そんなに貧弱なんだろうか。

雨粒が数滴当たったくらいで、

「大変だ! 防御しなければ!」

と傘を開く。

いや、別にいいんじゃないか。

水だ。

少しくらいかかっても大丈夫だろう。

人間はもう少し丈夫にできているはずだ。

僕はそう思っている。

もちろん、これは傘をさしている人を批判しているわけではない。

濡れたくないなら傘をさせばいい。

僕は単純に、

濡れる不快感より、傘を一日持ち歩く不快感の方が大きい。

それだけなのだ。

普通の人が、

「濡れるの嫌だな。傘持って行こう」

となるところで、

僕は、

「傘持つの嫌だな。濡れよう」

となる。

判断基準が逆なのだ。

雨に濡れるのは、むしろ少し気持ちいい

さらにややこしいことに、僕は実際に雨に濡れてみると、

ちょっと気持ちいい。

と思う。

ここは誤解されたくない。

僕は水をぶっかけられたいわけではない。

服を着たままシャワーを浴びたいとも思わない。

誰かにバケツいっぱいの水を、

「せーの!」

でかけられたら普通に腹が立つ。

車が水たまりを踏んで、横から泥水を浴びせられて、

「気持ちいい!」

ともならない。

多分、怒る。

だから、

「水に濡れるのが好き」

とは少し違う。

雨に濡れたいから、雨の日を待ち望んでいるわけでもない。

天気予報を見て、

「明日は雨か! よし! 濡れるぞ!」

と喜んでいるわけでもない。

僕の感覚に一番近いのは、

傘を持つくらいなら、濡れていい。

これだと思う。

濡れることを目的にしているわけではない。

避けるために傘を持つほど、濡れることが嫌ではない。

そして、実際に濡れてしまうと、

これはこれで気持ちいいな。

と思う。

頭に雨粒が落ちる。

顔に当たる。

腕に当たる。

少し冷たい。

髪が濡れる。

服の色が少し濃くなる。

空は暗い。

街もいつもより少し暗い。

道路は濡れている。

車のライトや街の明かりが濡れた地面に映る。

雨の音がする。

晴れの日とは、街そのものが少し違って見える。

僕は雨の日が好きだ。

だから、雨に濡れるというより、

雨の日の中に、そのままいる感じ

が好きなのかもしれない。

傘をさすと、自分と雨の間に一枚の壁ができる。

僕はそこまで雨を嫌っていない。

だったら、そのままでいい。

突然、豪雨になっても別に心配していない

「でも傘を持っていない日に、突然ものすごい雨が降ったらどうするの?」

と言われるかもしれない。

これも、あまり心配していない。

最悪、どこかに逃げればいい。

駅がある。

コンビニがある。

スーパーがある。

商業施設がある。

ビルがある。

地下道がある。

軒下がある。

どこかしら屋根はある。

突然ものすごい雨が降ってきたら、そこで少し待てばいい。

雨と戦う必要はない。

逃げればいい。

僕は雨に勝とうとしているわけではない。

降参も早い。

しばらく待つ。

スマホでも見る。

雨を見る。

少し弱くなった。

じゃあ行こう。

それでいい。

そして、本当にどこにも逃げる場所がなかったらどうするのか。

最悪、濡れる。

びしょ濡れになる。

家に帰る。

服を脱ぐ。

風呂に入る。

着替える。

終わり。

もちろん、危険な天候なら話は別だ。

台風や災害級の大雨の日にまで、

「雨なんて余裕だぜ」

と外へ飛び出すつもりはない。

それは傘以前の問題だ。

でも普通に生活していて、予想外の強い雨に遭遇するくらいなら、

最悪が大したことない。

僕にとってはこれが大きい。

突然雨が降るかもしれない。

だから朝から傘を持って行く。

その考え方は分かる。

でも僕は、

降ったときに考えればいい。

と思っている。

起こるか分からない雨のために、一日中傘を持ち歩く方が嫌なのだ。

それでも豪雨予報なら、さすがに持って行く

ここまで書くと、僕が何が何でも傘を拒絶する人間に見えるかもしれない。

そんなことはない。

天気予報を見て、一日中かなり強い雨だと分かっていれば、さすがに考える。

豪雨。

横殴り。

一歩外へ出ただけで全身びしょ濡れ。

そこまでいけば、

「しゃあない。お前の出番だ」

となる。

傘を持つ。

僕にも限界はある。

ただ、傘を使い始める基準が、人よりかなり高いのだと思う。

小雨。

いらない。

普通の雨。

まあいい。

ちょっと強い。

まだいける。

かなり強い。

どこかに避難できるかな。

豪雨。

……傘、ある?

ない。

そうだった。

家に傘がない。

ここで詰む。

結局、コンビニで買うことになるかもしれない。

そして数日後、どこかに忘れる。

完璧な循環である。

僕は子どもの頃からこうだった

考えてみれば、この傘への感覚は最近始まったものではない。

大人になってから、

「持ち物を減らそう」

と思ったわけでもない。

ミニマリストに憧れたわけでもない。

効率を考えた結果、

「傘は不要だ」

という結論に達したわけでもない。

子どもの頃からこうだった。

「あんた、傘持って行きや。雨降ってんで」

「いらーーん」

今思えば、母親は何度この会話をしたんだろう。

傘を持たせようとする。

僕は拒否する。

濡れて帰ってくる。

次の雨の日。

また言われる。

「傘持って行きや」

「いらーーん」

学習しない。

というより、僕にとっては失敗ではなかったのだと思う。

濡れた。

でも別に困らなかった。

だから次も持って行かない。

大人になった今なら、

「傘は一日中付き纏うから嫌だ」

「持っていない状態がデフォルトだから忘れる」

「突然降ってもどこかに避難すればいい」

「濡れてもそのうち乾く」

と、いくらでも理由を言葉にできる。

でも子どもの僕は、そんなことを考えていなかったはずだ。

もっと単純だった。

いらん。

多分、それだけだ。

そして、ちょっとかっこいいと思っている

ここまで、いろいろもっともらしい理由を書いてきた。

傘を持ち歩くのが面倒。

濡れても気にならない。

雨が好き。

突然降ってもなんとかなる。

全部、本当だ。

でも、もう一つある。

これは少し言いたくない。

いや、かなり言いたくない。

でも書く。

僕は、

傘をささずに雨の中を歩いている自分を、ちょっとかっこいいと思っている。

痛い。

分かっている。

33歳。

かなり痛い。

でも仕方ない。

これも子どもの頃からなのだ。

しかも僕の中には、二種類の「かっこいい」がある。

濡れている人は、なんかかっこいい

一つ目は単純だ。

雨に濡れている人って、なんかかっこよくないだろうか。

映画やドラマの影響かもしれない。

雨の中を歩く。

髪が濡れる。

顔を水滴が伝う。

服も濡れる。

空は暗い。

なんか絵になる。

晴天の中で同じことをしても何も起きないのに、雨が降った瞬間、急に物語が始まりそうになる。

だから僕も雨の中を歩く。

髪が濡れる。

前髪が額に張り付く。

邪魔になる。

手で後ろへかきあげる。

かっこいい。

少なくとも僕の中では。

現実には、

傘を持っていない33歳が濡れた髪を触っているだけである。

誰も見ていない。

仮に見ていたとしても、

「あの人、傘忘れたんかな」

くらいだろう。

分かっている。

それでも僕の脳内では、少し違う。

駅から出る。

雨が降っている。

周りの人たちが一斉に傘を開く。

僕は空を見る。

少し息を吐く。

「ふーっ。雨かっ。」

そのまま歩き出す。

雨粒が髪を濡らす。

前髪をかきあげる。

映画のワンシーンである。

僕の中では。

実際に始まるのは、

駅から家までの徒歩である。

魔王との最終決戦ではない。

ただ帰宅している。

アホである。

「傘なんかに頼らない」も、ちょっとかっこいい

もう一つは、見た目とは違う。

「雨くらいで傘なんかいらん」

という人間を、僕はどこかでかっこいいと思っている。

雨が降る。

濡れる。

だから何だ。

そのうち乾く。

人間、そんなに貧弱じゃない。

この感じ。

細かいことを気にしない。

多少の雨くらい、そのまま受けて歩く。

僕はそういう人間に、子どもの頃から妙なたくましさを感じていたのだと思う。

だから母親に、

「傘持って行きや」

と言われても、

「いらーーん」

となる。

傘を持たない方が、なんとなく強そうだった。

もちろん、傘をさしている人が弱いなんて本気で思っているわけではない。

そんなわけがない。

雨に濡れずに目的地へ到着する。

圧倒的に合理的だ。

でも理屈とは別の場所に、

「雨くらい、そのまま行け」

という小学生の僕がまだいる。

33歳になっても、まだいる。

英国紳士は傘を差さないらしい

そんなことを考えながら調べていると、気になる言葉を見つけた。

「英国紳士は傘を差さない」

ほら。

僕、英国紳士だった。

子どもの頃から二十年以上続いてきた僕の謎の行動。

ついに答えが出た。

大阪で生まれ育ったと思っていたが、精神は英国にあったらしい。

しかし、調べてみると、もちろんそんな単純な話ではなかった。

「英国紳士は決して傘を差さない」というのは言いすぎで、実際にはイギリスでも傘を使う人はいる。

ただ、日本英語検定協会がイギリスの雨事情を紹介した記事では、霧雨程度ならそのまま歩き、少し強くなればフードをかぶり、ザーッと降ってきたら店先に避難する人が多い、と説明されていた。

待ってくれ。

僕じゃないか。

小雨。

そのまま歩く。

強くなる。

まあ歩く。

さらに強くなる。

屋根を探す。

ザーッと来る。

店先へ避難。

雨が弱くなる。

また歩く。

僕は英国紳士だった。

やはり間違っていなかった。

33年間の人生で初めて、自分の傘嫌いに国際的な裏付けができた気分になった。

もちろん、日本とイギリスでは雨の降り方や風の強さも違う。

同じ感覚で語ることはできない。

でも、

「少しくらいならそのまま行けばいい。強くなったら避難すればいい」

という考え方が、自分だけのものではないと知ると少し嬉しい。

ところが昔のイギリスでは、もっと僕寄りだった

さらに傘の歴史を調べてみると、もっと面白い話が出てきた。

18世紀のイギリスでは、男性が雨傘を使うこと自体が珍しい時代があったらしい。

慈善家で旅行家だったジョナス・ハンウェイは、1750年代のロンドンで日常的に雨傘を使った男性として知られている。

ところが当時、男性が傘を使うことは珍しく、ハンウェイは周囲から嘲笑されたという。

つまり当時には、

「男が雨くらいで傘なんか使うな」

に近い価値観があったわけだ。

ほら。

やっぱり僕じゃないか。

僕が子どもの頃から感じていた、

「傘なんかに頼らず雨の中を歩く方が、なんかたくましくてかっこいい」

という謎の感覚。

まさか18世紀イギリスに仲間がいたとは。

時代を間違えた。

僕は1750年代のロンドンへ行けば、

「そうだ! 傘なんかいらん!」

と群衆側に立っていたかもしれない。

しかし、ここで問題が起きる。

ハンウェイは周囲に笑われながらも傘を使い続けた。

そして、その後は男性にも傘が普及していった。

つまり歴史的に見ると、

新しい価値観を貫いていたのはハンウェイの方である。

あれ?

かっこいいの、そっちじゃないか。

僕は英国紳士でもなかった。

ただ、

濡れた髪をかきあげている33歳だった。

それでも多分、次の雨の日も傘を持たない

ここまで考えても、僕は多分変わらない。

明日の天気予報が雨でも、普通の雨なら傘を買いに行かない。

そもそも家にない。

雨が降ったら、そのまま出る。

少し濡れる。

まあいい。

強くなったら、どこかへ逃げる。

突然豪雨になったら、しばらく待つ。

最悪、濡れる。

家に帰る。

着替える。

終わり。

そして濡れて歩いているうちに、

なんか気持ちいいな。

と思う。

空は暗い。

街も少し暗い。

雨の音がする。

道路が濡れている。

顔に雨粒が当たる。

髪も濡れる。

前髪をかきあげる。

ほんの少し、

かっこいい。

と思う。

痛い。

知っている。

でも、これが僕なのだ。

傘を持たないことを人に勧めたいわけではない。

「傘なんて捨てろ」と言いたいわけでもない。

雨に濡れたくない人は、傘をさせばいい。

大事な服を着ている日もある。

荷物を濡らしたくない日もある。

寒い日もある。

傘は便利だ。

間違いない。

僕だって本当に必要なら使う。

ただ、僕にとっては、

雨に濡れないことより、傘を持たずに歩けることの方が少し快適なのだ。

それだけだ。

雨の日まで、全部防がなくてもいい

考えてみれば、僕たちは雨が降るとすぐに防ごうとする。

傘を開く。

レインコートを着る。

濡れない道を探す。

それは当然のことだ。

でも僕は、雨の日くらい少し濡れてもいいと思っている。

全部を防がなくてもいい。

雨が顔に当たる。

髪が濡れる。

少し冷たい。

服も濡れる。

それで困ったら、そのとき考える。

強くなったら屋根へ逃げる。

寒くなったら店に入る。

家に帰ったら着替える。

僕にとって雨は、そこまで先回りして防がなければならないものではない。

降ったら降ったでいい。

濡れたら濡れたでいい。

もちろん、この考え方が正しいとは思わない。

単純に僕がそういう人間なのだ。

子どもの頃から変わっていない。

「あんた、傘持って行きや。雨降ってんで」

今でも母親にそう言われたら、多分同じように答える。

「いらーーん」

玄関を出る。

雨が降っている。

周りの人たちは傘をさしている。

僕だけ何も持っていない。

雨粒が頭に落ちる。

顔に当たる。

少し冷たい。

空を見る。

暗い。

いい天気だ。

濡れた髪を手でかきあげる。

誰も見ていない。

見ていたとしても、ただの傘を持っていない人だ。

それでも僕は、ほんの少しだけ主人公になった気分で歩き出す。

「ふーっ。雨かっ。」

アホである。

でも多分、次の雨の日も僕は傘を持たない。

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