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ピアニストって、弾いている時に何を考えているんだろう。

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ピアニストって、ピアノを弾いている時に何を考えているんだろう。

ずっと気になっている。

次の音だろうか。

楽譜だろうか。

指の動きだろうか。

それとも、

「今日の晩ご飯、何食べようかな」

とか考えているのだろうか。

そんなことを考えながら、あんなものすごい演奏をしていたら、それはそれですごい。

僕がこの疑問を持ったのは、ジャズピアノを習っていた時だった。

目次

僕はジャズピアノを2年ほど習っていた

僕は以前、ジャズピアノを2年くらい習っていた。

とはいっても、ピアノ経験者ではない。

初心者である。

それなのに僕は、初心者らしく簡単な曲から順番にやるということをあまりしなかった。

いわば、いきなり上級の曲に挑戦した。

発表会で弾いたのは、ジェイコブ・コーラーのアレンジによる、サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』だった。

初心者が選ぶには、なかなか無茶である。

ただ、僕には少しだけ根拠があった。

僕は高校生の頃、ベースを弾いていた。

だから、楽器というものがどうすれば弾けるようになるのかは、なんとなく感覚で分かっていた。

最初は弾けない。

当たり前だ。

でも、弾けないところを分ける。

ゆっくり弾く。

何度も繰り返す。

昨日できなかったところが、少しできるようになる。

それをさらに繰り返す。

すると、ある日突然、指が動く。

楽器ってだいたいそういうものだと思っていた。

だからピアノ初心者の僕も、

「まあ、練習したらいけるだろう」

と思っていた。

初心者特有の恐れ知らずである。

そして僕には、もう一つ特徴があった。

楽譜を見ながら弾かなかった。

「え、楽譜見ないの?」

発表会に向けて、先生と練習していた時だった。

先生に言われた。

「え、楽譜見ないの?」

僕は答えた。

「見ないです」

僕は曲を全部覚えて弾いていた。

発表会だから暗譜した、というより、そもそも僕にとってはそのほうが弾きやすかった。

楽譜を見ながら、鍵盤を見ながら、左右の手を動かす。

初心者の僕には忙しすぎる。

だから全部覚えた。

ただし、今考えると少し面白い。

僕は楽譜を見ていなかったけれど、楽譜を捨てていたわけではない。

頭の中に楽譜があった。

それを追っていたのである。

頭の中にある楽譜を見て、

「次はここ」

と確認し、それをもとに指を動かす。

つまり僕の場合、

頭の中の楽譜 → 指

だった。

目の前に譜面台はない。

でも、脳内には譜面台がある。

なんだそれ。

しかし本当に、感覚としてはそんな感じだった。

だから先生に、

「え、楽譜見ないの?」

と言われた時、ふと思った。

じゃあ、ピアノを弾いている人って、弾いている時に何を考えているんだろう。

プロは楽譜を置いている

僕が不思議だったのは、プロの演奏でも楽譜を置いていることがあることだった。

僕は初心者なのに覚えている。

なのに、僕なんかより何百倍も上手い人が楽譜を置いている。

なぜだ。

もちろん、演奏する曲の難易度も長さも、僕とは比較にならない。

それは分かる。

でも気になる。

あの人たちは、本当に楽譜を読んでいるのだろうか。

ものすごい速度で、

右手を動かして、

左手を動かして、

ペダルを踏んで、

強弱をつけて、

テンポを保って、

音色を作って、

そのうえ楽譜まで読んでいる。

忙しすぎる。

僕なら脳みそから煙が出る。

そこで調べてみた。

すると、ピアニストの頭の中は、僕が想像していたよりずっと面白かった。

ピアニストの目は「今」を見ていない

まず面白かったのが、楽譜を見る時の目の動きだ。

ピアニストは、必ずしも今まさに弾いている音を見ているわけではない。

視線と演奏する手との間には「eye-hand span」と呼ばれる時間的・空間的なずれがあることが知られている。

簡単に言えば、

目は指より先を走っている。

今、指が弾いているところを見るのではなく、その少し先を読んでいる。

考えてみれば当然なのかもしれない。

今から弾く瞬間に、

「えーっと、この音は……」

と読んでいたら間に合わない。

先に読む。

頭で処理する。

そして指が追いつく。

だから、

目は未来。
指は現在。

みたいな状態になる。

なんだか格好いい。

僕が文章を読む時も、一文字ずつ、

「ピ」

「ア」

「ニ」

「ス」

「ト」

とは読まない。

「ピアニスト」

というまとまりで読む。

熟練した演奏者も、楽譜を単純に一音ずつバラバラに処理しているわけではない。

和音や音型、まとまり、パターンとして認識していく。

だから大量の音符が並んでいても処理できる。

僕には黒い粒の大群に見える楽譜も、プロには意味のある塊として見えているのだろう。

プロは指一本一本を考えているわけでもない

では、指について考えているのだろうか。

「次は親指、その次は中指、ここで小指」

そんなことを考えながら弾いているのか。

どうやら、それも違うらしい。

十分に練習された動作は自動化されていく。

これはピアノに限った話ではない。

僕たちだって歩く時に、

「右足を前へ。次は左足。膝を曲げる」

とは考えない。

そんなことを考え始めたら、逆に歩きにくい。

楽器も同じで、練習によって身体が動きを覚えていく。

もちろん難しい場所や、意識的に注意しなければならない場所はある。

そこで使われるのが、研究では「performance cues」と呼ばれるような演奏上の手がかりだ。

曲の中に標識を作るようなものだ。

「ここから次の部分」

「ここで音色を変える」

「ここは危ない」

「次に大きく跳ぶ」

そんな重要地点を意識する。

つまり曲全部について、

「右手の人差し指をここへ」

「左手の薬指をここへ」

なんて考えているわけではない。

そんなことをやっていたら、三小節くらいで日が暮れる。

では、余った頭で何を考えているのか

ここからが面白い。

指の動きが自動化される。

楽譜も一音ずつではなく、大きなまとまりとして処理できる。

すると、頭に余裕が生まれる。

その余裕を何に使うのか。

音楽である。

プロのピアニストを対象にした研究では、演奏中に「今、自分がどんな音を出しているか」を聴いたり、「どんな音を表現したいか」を意識したりするという話が出てくる。

つまり、

「次はド」

ではなく、

「この音をどう鳴らしたいか」

へ意識が移る。

同じ鍵盤を押しても、音楽は同じではない。

どんな強さで弾くのか。

どんなタイミングで弾くのか。

前の音とどうつなげるのか。

どこへ向かってフレーズを作るのか。

その音をどう聴くのか。

初心者だった僕が、

「次どこだ」

と必死になっている間に、プロはもっと上の階で仕事をしていたのかもしれない。

曲の世界に入り込んでいる人もいる

さらに気になった。

音だけではなく、曲の情景や感情の世界に入り込んでいる人もいるのではないだろうか。

音楽を聴いていると、風景が浮かぶことがある。

夕暮れだったり、

雨だったり、

誰かと別れた日のような景色だったり、

実際には経験していないのに、なぜか懐かしく感じる場所だったり。

演奏する側も、そういうイメージを持つことがある。

演奏表現についての研究や演奏家の語りを見ると、音楽を物語、感情、身体感覚、視覚的イメージなどと結びつけて考えることは珍しくない。

つまりピアニストによっては、

「次はファ♯」

ではなく、

もっと大きな世界の中にいるのかもしれない。

頭の中には楽譜ではなく、風景がある。

あるいは色がある。

物語がある。

感情がある。

そして、その世界に合う音を出そうとしている。

同じピアノを弾いていても、頭の中に存在しているものが全然違う。

これは面白い。

そして、晩ご飯のことを考える人もいる

ここまで書くと、プロの演奏中の頭の中がものすごく神聖な場所に思えてくる。

音。

情景。

感情。

表現。

美しい。

しかし、人間である。

プロピアニストへのインタビュー研究を見ていると、演奏中には音楽以外のことが頭をよぎる場合もあるという。

演奏後の予定など、曲とは関係ないことを考えることさえある。

おい。

急に親近感が湧いてきた。

あれだけ美しい演奏をしながら、

「終わったら何しよう」

みたいなことが頭をよぎる可能性がある。

もちろん、ずっと別のことを考えているという意味ではない。

十分に練習され、自動化された部分だからこそ、意識が別の場所へ動く余裕が生まれるのだろう。

でも、これはかなり面白い。

僕なら、

「次どこだ。次どこだ。次どこだ」

で脳内が満員なのに、

プロになると、そこに別の思考が入る席まである。

脳内に自由席がある。

僕の脳内には自由席がなかった

そう考えると、僕がピアノを弾いていた時の状態も少し分かってくる。

僕は初心者だった。

しかも初心者向けの簡単な曲ではなく、いきなり難しい曲に挑戦していた。

だから、

余裕がなかった。

これが大きかったのかもしれない。

頭の中の楽譜を追う。

次の場所を確認する。

指を動かす。

左右を合わせる。

ペダルを踏む。

間違えないようにする。

これだけで僕の頭は満席だった。

「この音色をどうしよう」

「このフレーズからどんな情景を見せよう」

そんな席はない。

満員電車である。

情景さん、次の電車でお願いします。

だから僕の場合、

頭の中の楽譜 → 指

という、とても直接的な方法になっていたのかもしれない。

そして本番、頭の中の楽譜が飛んだ

発表会本番。

僕はいつものように、頭の中の楽譜を追いながら弾いていた。

ところが途中で、

飛んだ。

一瞬、分からなくなった。

頭の中の楽譜の現在地を見失った。

そして指も止まった。

「……あれ?」

ほんの一瞬だった。

そして、

「あっ、あれか」

と戻った。

そこから再び弾き始めて、最後まで弾き切った。

今考えると、あれはものすごく分かりやすい。

僕の演奏システムは、

脳内楽譜 → 指

だった。

その脳内楽譜との接続が切れた。

だから指も止まった。

もし僕の指が完全に自動化されていたら、そのまま勝手に走ってくれたのかもしれない。

しかし、そんな優秀な指ではなかった。

僕が、

「あれ? どこ?」

となったら、

指も、

「え? どこ?」

となった。

お前も知らんのか。

二人で迷子になってどうする。

幸い「あっ、あれか」と現在地を発見し、無事に帰還した。

最後まで弾けた。

今ではいい思い出である。

ここでベースを弾いていた頃を思い出した

ところが、この記事を考えている時、ふと思った。

そういえば、ベースを弾いていた時の僕は何を考えていたんだろう。

高校生の頃、僕は軽音楽部でベースを弾いていた。

思い出してみる。

楽譜を頭の中に浮かべていただろうか。

いや。

違う。

僕が聴いていたのは、

音だった。

自分のベースの音。

そして、他の楽器の音。

ドラム。

ギター。

ボーカル。

それらを聴きながら弾いていた。

もちろん曲の構成は覚えている。

次がAメロなのか、サビなのかも分かっている。

でもピアノの時のように、

「頭の中の楽譜を追って、それを指へ送る」

という感覚ではなかった。

周りで鳴っている音楽を聴きながら、その中に自分のベースを入れていた。

これに気づいた時、ちょっと面白かった。

同じ僕なのに、楽器によって頭の中が違う。

ベースでは「外」に音楽があった

ベースを弾いている時、僕の外側には音楽がある。

ドラムが鳴っている。

ギターが鳴っている。

歌が聞こえる。

その中に自分がいる。

だから周囲を聴く。

ドラムのリズムを感じる。

自分のベースを聴く。

他の楽器との重なりを聴く。

音楽は僕一人のものではない。

みんなで作っている。

ところが、一人でピアノを弾いた時。

不思議だった。

聞こえてくる音が、全部自分なのである。

右手も僕。

左手も僕。

メロディーも僕。

伴奏も僕。

テンポを作るのも僕。

誰かの音を聞いて、

「ここについていこう」

というものがない。

全部、自分。

これはバンドをやっていた僕には、かなり不思議な感覚だった。

ベースでは外側にあった音楽が、ピアノでは自分の中にある。

だから僕は余計に、頭の中の楽譜を頼りにしたのかもしれない。

「何を考えているか」は楽器でも変わるのかもしれない

ここまで考えると、

「ピアニストは演奏中に何を考えているのか」

という最初の疑問自体が、少し変わって見えてくる。

一つの答えなんてないのだ。

人によって違う。

熟練度によって違う。

曲によって違う。

暗譜しているかどうかでも違う。

難しい場所と簡単な場所でも違う。

一人で演奏するか、誰かと演奏するかでも違う。

そして同じ人でも、楽器によって違う。

僕自身がそうだった。

ピアノでは、

頭の中の楽譜。

ベースでは、

自分と周囲の音。

まるで別人である。

上手くなるとは「考えなくてよくなること」なのかもしれない

そして今回調べていて、僕が一番面白いと思ったのはここだった。

楽器が上手くなるというと、普通は、

指が速く動く。

難しい曲が弾ける。

ミスが減る。

リズムが安定する。

そういう技術を想像する。

もちろん、それも上達だ。

でも、もう一つあるのではないだろうか。

考えなくていいことが増える。

指を一本一本考えなくていい。

一音ずつ楽譜を解読しなくていい。

次の鍵盤を必死に探さなくていい。

それらが自動化される。

すると、頭の中に空間ができる。

そこで初めて、

自分の音を聴ける。

周りの音を聴ける。

フレーズを考えられる。

音色を考えられる。

曲全体を見られる。

情景を思い浮かべられる。

音楽そのものに入っていける。

つまり上達とは、

頭の中に「音楽を考える余白」が増えることなのかもしれない。

初心者は音楽をしていない、という意味ではない

もちろん、初心者が音楽を考えていないという意味ではない。

初心者だって音を聴く。

感情も込める。

好きな曲なら、その世界を感じながら弾くこともある。

ただ、処理しなければならないことが多い。

僕がそうだった。

頭の中の楽譜を追う。

指を動かす。

間違えないようにする。

それだけでかなり忙しい。

上手くなれば、それらの一部を身体に任せられる。

すると、別のことへ注意を向けられる。

僕がベースで周りの音を聴けていたのも、ピアノよりベースのほうが慣れていたからなのかもしれない。

もしピアノを何十年も続けていたら、僕も頭の中の楽譜を必死に追わなくなっていたのだろうか。

頭の中から楽譜が消えて、

代わりに音が聞こえるのだろうか。

景色が見えるのだろうか。

あるいは、

「終わったらラーメン食べよう」

になっているのだろうか。

それはそれで、かなり上達している気がする。

プロが楽譜を置いている理由も少し分かった

最初、僕は単純に思っていた。

「プロなのに、なんで楽譜を置いているんだろう」

でも、楽譜を見ることと、楽譜に頼り切ることは同じではない。

かなり曲を理解していても、楽譜は演奏の地図になる。

曲の構造。

強弱。

作曲家からの指示。

次の展開。

注意する場所。

そういったものを確認できる。

そしてプロだからといって、全員が同じ方法で記憶するわけでもない。

視覚的に楽譜を覚える人もいれば、音として覚える人もいる。

身体の動きとして記憶する部分もあれば、和声や曲の構造を手がかりにすることもある。

だから、

「プロ=全部暗譜している」

というほど単純ではなかった。

そもそも暗譜すること自体が、すべての演奏で絶対に必要なわけでもない。

僕は初心者なのに暗譜した。

プロは楽譜を置いている。

そこだけを切り取ると変に見える。

でも、何を頭の中に置いて演奏するかは、人それぞれなのだ。

ピアニストの頭の中を一度だけ見てみたい

それでも僕は、一度見てみたい。

演奏中のピアニストの頭の中を。

ものすごく難しい曲を弾いている時、

そこには何があるのだろう。

楽譜なのか。

鍵盤なのか。

指なのか。

音なのか。

色なのか。

風景なのか。

物語なのか。

次の難所なのか。

あるいは、

「終わったら何食べよう」

なのか。

同じ演奏を聴いていても、演奏者の頭の中はまったく違うのかもしれない。

一人は楽譜を見ている。

一人は音を聴いている。

一人は風景を見ている。

一人はほとんど何も考えず、音楽の流れに身体を任せている。

それでも客席に届くのは、同じ「音」だ。

不思議である。

僕は頭の中の楽譜を見ていた

では、僕は何を考えていたのか。

答えは簡単だ。

頭の中の楽譜を見ていた。

それを追いながら、

「次はここ」

と指を動かしていた。

そして本番で、その楽譜を一瞬見失った。

僕が止まった。

指も止まった。

「あっ、あれか」

見つけた。

また弾いた。

そして最後まで弾き切った。

今考えると、あの一瞬の停止は、僕の頭の中がどうやってピアノを弾いていたのかを、そのまま表していたのかもしれない。

一方、ベースを弾いていた僕は違った。

自分の音を聴いていた。

周りの音を聴いていた。

音楽の中に自分がいた。

同じ僕なのに、こんなに違う。

だから「ピアニストは弾いている時に何を考えているのか」という疑問に、たった一つの正解はないのだと思う。

ただ、一つだけ今回調べていて思った。

上手い人ほど、何も考えていないのではない。

むしろ、

考えなくてもいいことが増えたぶん、もっと音楽のことを考えられる。

指から解放される。

音符から解放される。

「間違えないように」から解放される。

そして、その空いた場所に、

音が入る。

人の音が入る。

表現が入る。

情景が入る。

感情が入る。

ときどき晩ご飯も入る。

たぶん、それくらいがいい。

僕の発表会の時の頭の中には、残念ながら晩ご飯が入るスペースなどなかった。

頭の中の楽譜で満員だった。

そして一瞬、その楽譜までいなくなった。

そりゃ止まる。

でも、ちゃんと戻ってきた。

そして最後まで弾いた。

今度もしピアノを弾くことがあったら、少しだけ自分の音を聴いてみたい。

楽譜を追うだけではなく、

その時、自分がどんな音を出しているのか。

その音がどこへ向かっているのか。

そこまで考えられたら、以前とは少し違う演奏になる気がする。

まあ、その前に。

頭の中の楽譜を飛ばさないところから始めようと思う。

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