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一人暮らしが寂しくて泣く。友達がいないし孤独だった。今はなんとも思わない。

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一人暮らしを始めたころ、寂しかった。

これは本当だ。

今の僕を知っている人からすれば、少し意外かもしれない。

今は一人でいることがめちゃくちゃ快適だからだ。

一人で本を読む。一人で映画を見る。一人で飯を食う。一人で散歩する。一人で買い物に行く。

家に帰って誰もいなくても、何とも思わない。

むしろ、

「帰ってきた」

と思う。

それだけだ。

でも、一人暮らしを始めたばかりのころは違った。

寂しかった。

僕は四人きょうだいで育った。

両親もいた。

つまり、家には六人いた。

さらに猫が二匹。

六人と二匹。

なかなかの大所帯である。

家に帰れば、基本的に誰かがいた。

誰かが喋っている。

テレビがついている。

誰かが階段を上がる。

ドアが開く。

風呂に入る音がする。

猫が歩いている。

猫が鳴く。

誰かが猫に話しかける。

誰かが冷蔵庫を開ける。

誰かが「それ俺のやぞ」と言う。

静かな時間なんて、ほとんどなかったんじゃないだろうか。

でも当時の僕は、それをうるさいとも思っていなかった。

というより、

それまで僕は、それを「音」だと思っていなかった。

生活だったのだ。

そんな家で僕は二十代後半まで暮らした。

そして、一人暮らしを始めた。

初めて自分だけの部屋を借りた。

まだ家具もほとんどない。

物もない。

生活感もない。

がらんとした部屋にマットを敷いて、布団を置いた。

夜になった。

電気を消した。

静かだった。

めちゃくちゃ静かだった。

「なんなんだこれ。静かすぎる」

本当にそう思った。

誰も喋らない。

テレビの音もしない。

誰も歩かない。

ドアも開かない。

猫もいない。

何も聞こえない。

昨日まで当たり前だったものが、全部消えていた。

寂しかった。

とはいえ、ドラマみたいに泣いたわけではない。

友達に電話したわけでもない。

実家に帰ろうと思ったわけでもない。

ただ、

「寂しいな」

と思った。

そして寝た。

普通に寝た。

そんな一人暮らしの始まりだった。

それから何年も経った。

今はどうか。

めちゃくちゃ快適だ。

孤独なんて微塵も感じていない。

同じ一人暮らしだ。

今だって、家に帰っても基本的に誰もいない。

夜になれば静かだ。

条件だけ見れば、最初の夜とそんなに変わっていない。

なのに、僕の感じ方はまったく違う。

なぜなんだろう。

僕は何か特別なことをしたのだろうか。

孤独を克服するための本を読んだわけでもない。

友達を百人作ったわけでもない。

毎週誰かと飲みに行っているわけでもない。

気づいたら、一人でいることを寂しいと思わなくなっていた。

じゃあ、何が変わったのか。

ちょっと考えてみることにした。

参考になるのかは、正直わからない。

僕とあなたでは性格も違うし、生活も違う。

「これをやれば一人暮らしの孤独はなくなります」なんて言うつもりもない。

そんなものがあるなら、僕が教えてほしい。

ただ、一人暮らしを始めたころは確かに寂しかった僕が、今ではまったく寂しくない。

その間に何が変わったのか。

僕なりに考えてみた。

もしこの中に一つでも、

「これなら使えそうだな」

と思うものがあれば、勝手に持っていってほしい。

目次

1.やりたいことがたくさんあるから説

まず思ったのがこれだ。

僕には、やりたいことがたくさんある。

本を読みたい。

ブログを書きたい。

Instagramの投稿を作りたい。

小説も書きたい。

映画も観たい。

散歩もしたい。

調べたいこともある。

考えたいこともある。

一日は二十四時間しかない。

仕事をして、飯を食って、風呂に入って、寝る。

そこから自由時間を捻出すると、そんなに残っていない。

だから家で一人になったとき、

「一人だ……」

と思うより先に、

「何しよう」

となる。

というか、

「時間が足りない」

となる。

もしかすると、僕が一人暮らしを寂しいと思わなくなった理由の一つは、孤独を埋めるものを探したからではなく、単純にやりたいことが増えたからなのかもしれない。

一人の時間が「誰もいない時間」ではなく、

「好きなことをできる時間」

になった。

これはかなり大きい。

だからもし、一人でいると無性に寂しくなるなら、

「友達を作らなきゃ」

と考える前に、

「俺、暇なんじゃないか?」

と考えてみてもいいのかもしれない。

もちろん、本当に人に会いたいなら会えばいい。

でも、寂しさだと思っていたものの一部が、実は退屈だった。

そんなこともあるんじゃないだろうか。

2.本を読んでいるから説

僕は本を読む。

特に小説が好きだ。

本を読むという行為は、見た目だけならめちゃくちゃ孤独である。

一人で椅子に座って、黙って文字を追っている。

誰とも喋っていない。

でも、僕の感覚では全然違う。

僕は本を読むとき、ずっと誰かと会話している。

登場人物が変なことをする。

「いや、それはやめとけって」

と思う。

誰かが自分と同じようなことを考えている。

「分かる。僕もそう思う」

となる。

納得できない行動をする。

「お前、それは違うやろ」

と心の中で突っ込む。

ときには作者にも話しかける。

「なんでこんな展開にしたんだ」

「この文章めちゃくちゃ好きだ」

もちろん、返事はない。

当たり前だ。

でも、不思議と一方通行には感じない。

物語の方から、すでにたくさん話しかけられているからだ。

部屋には僕一人しかいない。

でも、小説を開けば何人もの人間がいる。

百年前に書かれた本を開けば、百年前の人間とだって会える。

外国の小説を開けば、行ったこともない国の人間の人生に入れる。

本を開けば、いくらでも誰かに会える。

もしかすると僕は、一人で本を読んでいる時間を、あまり「一人」だと思っていないのかもしれない。

3.SNSをしているから説

SNSも大きい気がする。

僕はInstagramをやっている。

本について投稿する。

投稿すると、誰かが見てくれる。

いいねがつく。

コメントが来る。

「この本読みました」

「気になります」

「私もこの作品好きです」

そんな言葉が届く。

僕も返事をする。

これは普通に人とのコミュニケーションだ。

一人暮らしをしているからといって、人間関係まで一人になるわけではない。

部屋には一人でも、スマホの向こうには人がいる。

ただ、SNSは逆に孤独を強くすることもあると思う。

友達と飲んでいる写真。

恋人との旅行。

家族で出かけている写真。

そういうものを見て、

「みんな楽しそうなのに、僕だけ一人だ」

と思うこともあるだろう。

だから、SNSをやれば孤独がなくなる、という単純な話ではない。

僕の場合は、

「他人の生活を見る場所」

というより、

「自分の好きなものを発信する場所」

になっている。

本が好きだから本について投稿する。

すると、同じように本が好きな人が反応してくれる。

好きなものを真ん中に置いて、人とつながっている。

これも僕にとっては、結構大きいのかもしれない。

4.一人で全部楽しめるから説

僕は一人で行動することに、ほとんど抵抗がない。

映画を観たい。

行く。

本屋に行きたい。

行く。

飯を食いたい。

食う。

散歩したい。

歩く。

誰かがいないと始められないことが、あまりない。

これはかなり楽だ。

「映画行きたいけど、一緒に行く人がいない」

で止まらない。

「映画行きたい」

で終わる。

行けばいい。

一人なら上映時間も自分で決められる。

飯も好きなものを食えばいい。

本屋で二時間うろうろしても、誰にも文句を言われない。

疲れたら帰ればいい。

途中で予定を変えてもいい。

僕にとって一人は、

「人数が足りない状態」

ではないのだと思う。

一人で完成している。

もちろん誰かと行く楽しさもある。

でも、

「誰かとじゃないと楽しめない」

とは思わない。

これが逆だったら、確かに一人暮らしは寂しいかもしれない。

何をするにも相手が必要なら、一人の時間は「できないこと」の連続になる。

でも、一人でできることが増えれば、一人の時間は「できること」の連続になる。

同じ一人でも、ずいぶん違う。

5.創作しているから説

僕は文章を書く。

ブログを書く。

小説も書きたいと思っている。

創作というのは、一人でやることが多い。

机に向かって、一人で考える。

一人で書く。

一人で直す。

ものすごく孤独な作業に見える。

でも、実際にやっていると不思議なくらい孤独ではない。

頭の中が忙しいからだ。

「この書き方じゃないな」

「こっちの方が面白いか」

「この話、使えるな」

「次はこれを書こう」

ずっと何かを考えている。

小説なら、さらに人が増える。

自分で作った登場人物が喋る。

動く。

勝手なことをする。

こいつはこんなこと言わない。

いや、こいつなら言うか。

そんなことを延々考える。

現実の部屋には一人しかいないのに、頭の中にはめちゃくちゃ人がいる。

そして、ブログなら書いたものを公開する。

自分一人で書いた文章を、知らない誰かが読む。

一人で始めたものが、最後には誰かにつながっていく。

考えてみれば創作というのは、孤独そうに見えて、案外孤独とは正反対の行為なのかもしれない。

読書では、誰かが作った世界へ僕が入っていく。

創作では、僕が作ったものを誰かに渡す。

僕は一人の部屋で、ずっと何かを受け取ったり、渡したりしている。

6.自分で自分と会話しているから説

これは僕の場合、かなり大きい気がする。

僕は一人でいるとき、頭の中でずっと喋っている。

声に出しているわけではない。

自分と自分で会話している。

街を歩いていて、何か気になるものを見つける。

「なんであれ、ああなってるんだろう」

と考える。

「こういう理由か?」

「いや、違うな」

「だったら、こっちは?」

勝手に話が進んでいく。

質問するのも僕。

答えるのも僕。

反論するのも僕。

一人三役くらいやっている。

そりゃ忙しい。

僕のブログに書いていることも、だいたいここから始まっている。

日常のどうでもいいことが気になる。

考える。

自分で突っ込む。

さらに考える。

そのうち一本の記事になる。

だから僕にとって、一人でいる時間は必ずしも無言ではない。

むしろ頭の中はうるさい。

誰かと話していなくても、自分とはずっと話している。

自分自身が話し相手になっている。

これは結構大きいんじゃないかと思う。

自分と一緒にいることを楽しめるようになると、一人の時間は案外長くない。

7.静かさがデフォルトになったから説

最初の夜、僕は静けさに驚いた。

「なんなんだこれ。静かすぎる」

あの感覚は今でも覚えている。

実家では六人と猫二匹が暮らしていた。

音があるのが普通だった。

いや、音だとすら思っていなかった。

生活だった。

だから、それが突然全部なくなったとき、

「誰もいない」

ということを耳から突きつけられた。

静けさそのものが寂しかった。

でも今は違う。

静かなのが普通だ。

誰かの声が聞こえない。

テレビが勝手についていない。

誰かが廊下を歩かない。

猫も走らない。

それが僕の日常になった。

静かだからといって、

「僕は一人なんだ」

とは思わない。

ただ静かなだけだ。

昔の僕にとって、静けさは「誰もいない音」だった。

今の僕にとって、静けさはただの日常だ。

静かさが、僕のデフォルトになった。

むしろ今、六人と猫二匹の生活に戻ったら、

「うるせえな」

と思うかもしれない。

人間は勝手なものである。

それまで僕は、家族の声やテレビや足音を「音」だと思っていなかった。

生活だった。

そして今では、

静けさの方が生活になった。

8.帰る場所が「誰かがいる場所」から「楽しむ場所」に変わったから説

子どものころ、家とは「誰かがいる場所」だった。

学校から帰る。

誰かがいる。

外から帰る。

誰かがいる。

家族と暮らしていたのだから当然だ。

だから一人暮らしを始めたころ、

家に帰っても誰もいないことに違和感があった。

玄関を開けても静か。

部屋も暗い。

自分で電気をつける。

「ああ、本当に一人なんだな」

となる。

でも今、僕にとって家の意味が少し変わっている。

家は、

「誰かがいる場所」

ではなく、

「僕が楽しむ場所」

になった。

家に帰れば本がある。

読みたい本を読む。

ブログを書く。

SNSを見る。

投稿を作る。

小説について考える。

映画を見る。

飯を食う。

コーヒーを飲む。

眠くなったら寝る。

やることはいくらでもある。

だから今、玄関を開けたときに、

「誰もいない」

とはあまり思わない。

それより、

「さて、今日は何して遊ぼう」

に近い。

誰かが待っていなくてもいい。

僕が帰ってきた。

それで家は始まる。

これは一人暮らしを始めたころとは、かなり大きく変わったところだと思う。

9.一人の気楽さを知ってしまったから説

これは知ってしまった。

もう仕方がない。

一人は、めちゃくちゃ気楽だ。

腹が減った。

食う。

眠い。

寝る。

映画が観たい。

観る。

出かけたい。

出る。

やっぱり面倒くさくなった。

出ない。

全部これでいい。

誰にも確認しなくていい。

「今日どうする?」

「何食べる?」

「何時に行く?」

「次どこ行く?」

「もう帰る?」

全部ない。

家ならさらに自由だ。

変な時間に飯を食ってもいい。

一日中本を読んでもいい。

昼寝してもいい。

急にブログを書き始めてもいい。

何もせず寝転がっていてもいい。

誰にも、

「何してんの?」

と言われない。

一人暮らしを始めたころ、

「誰もいない」

ことが寂しかった。

でも、そのうち気づいてしまった。

待てよ。

誰もいないということは、

誰にも合わせなくていいということじゃないか。

これはとんでもなく気楽だった。

もちろん、人と一緒にいる楽しさもある。

それを否定する気はまったくない。

ただ、一人には一人にしかない気楽さがある。

僕の場合、寂しさが完全になくなったというより、

この気楽さが圧勝するようになったのかもしれない。

10.自分で自分の機嫌を取れるから説

最後はこれだ。

一人暮らしをしていると、当然ながら毎日誰かが自分を励ましてくれるわけではない。

仕事で嫌なことがあった。

疲れた。

イライラする。

なんとなく気分が沈む。

そんな日もある。

昔なら誰かと話すことで回復することもあったのかもしれない。

もちろん今でも、人と話して楽になることはあると思う。

でも僕は、自分で自分の機嫌を取る方法をいくつか持っている。

本を読む。

散歩する。

コーヒーを飲む。

好きなものを食べる。

文章を書く。

寝る。

何もしない。

「今日はもうええわ」

と諦める。

それでいい。

自分がどうすれば少しマシになるのかを、自分でなんとなく知っている。

これは「一人で遊べる」とは少し違う。

楽しいときだけではなく、しんどいときにも一人でいられるということだ。

誰かに機嫌を直してもらわなくても、

「まあ、寝たら明日にはちょっとマシやろ」

くらいで自分を扱える。

一人暮らしを続けているうちに、そんなことも少しずつ覚えたのかもしれない。

一人でいることと、孤独であることは同じではなかった

こうして考えてみると、僕が一人暮らしを寂しいと思わなくなった理由は、一つではなさそうだ。

やりたいことが増えた。

本を読む。

SNSをする。

一人でいろんなことを楽しめる。

創作する。

自分と会話する。

静かな生活に慣れた。

家そのものの意味が変わった。

一人の気楽さを知った。

自分で自分の機嫌を取れるようになった。

たぶん、この全部が少しずつ重なっている。

そして気づけば、

「一人でいる」

と

「孤独である」

が、僕の中で別のものになっていた。

一人暮らしを始めたころは、

一人。

誰もいない。

寂しい。

ほとんど一直線につながっていた。

今は違う。

一人。

以上。

そこで終わる。

一人だからといって、寂しいとは限らない。

楽しい日もある。

疲れている日もある。

何もしたくない日もある。

めちゃくちゃ充実している日もある。

ただ、その部屋にいる人数が一人なだけだ。

考えてみれば、それだけのことなのかもしれない。

もし今、一人暮らしが寂しいなら

もし今、一人暮らしを始めたばかりで、

「寂しい」

と思っている人がいたら。

別に、その感情を無理やり消さなくてもいいと思う。

僕も最初は寂しかった。

六人と猫二匹の家から、突然一人になった。

布団に寝転がって、

「なんなんだこれ。静かすぎる」

と思った。

あのときの僕に、

「数年後、お前はこの静けさを最高だと思ってるぞ」

と言っても、たぶん信じない。

でも、人間は変わる。

生活も変わる。

家の意味も変わる。

静けさの意味まで変わる。

今の寂しさが、この先ずっと続くとは限らない。

とはいえ、僕の10個を全部真似する必要なんてない。

本が嫌いなら読まなくていい。

SNSが嫌ならやらなくていい。

創作なんて興味がなければしなくていい。

一人で映画に行きたくなければ、行かなくていい。

これは「孤独をなくすための10の方法」ではない。

そんな大層なものではない。

ただ、

「昔は一人暮らしが寂しかった僕が、なんで今は平気なんだろう」

と考えてみたら、こうなっただけだ。

参考になるのかは、正直わからない。

でも、この中に一つくらい、

「それならちょっと分かる」

「それならやってみてもいい」

と思えるものがあったら、勝手に持っていってほしい。

一人暮らしを始めたばかりのころ。

静かな部屋で僕は、

「誰もいない」

と思った。

今。

同じように静かな部屋に帰ってくる。

電気をつける。

荷物を置く。

コーヒーでも飲む。

本を開く。

文章を書く。

好きなことをする。

誰もいない。

それは昔と同じだ。

でも、もう寂しくない。

僕にとって家は、

誰かがいないと完成しない場所ではなくなった。

僕一人で十分、生活がある。

今日も静かだ。

さて。

今日は何して遊ぼう。

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