なんだ?
爆発か?
電車に乗って本を読んでいると、突然、とんでもない音が聞こえることがある。
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
ビクッとして顔を上げる。
何が起きた。
事故か。
爆発か。
窓でも割れたのか。
周囲を見る。
何も起きていない。
電車は普通に走っている。
乗客も普通にスマホを見ている。
そして、いた。
おっさんだ。
おっさんが、くしゃみをしただけだった。
なんでそんなにでかいんだ。
くしゃみだぞ。
鼻がムズムズしただけだろう。
なぜ車両全体に、
「ただいま私は、くしゃみをしました」
と報告する必要がある。
しかも、これが一回ならまだいい。
「ヴォッホ!!」
「ヴォッホ!!」
「ヴォォォッホン!!」
咳も始まる。
うるさい。
めちゃくちゃうるさい。
そして何より、汚い。
僕は昔から気になっている。
なぜ、おっさんの咳とくしゃみは、あんなにうるさいのだろう。
そして、なぜあんなにも豪快なのだろう。
もしかして。
わざとか?
今日は真剣に考えてみたい。
そもそも、なぜあんなに音がでかいのか
まず僕は、一つの仮説を立てた。
年齢を重ねると、くしゃみや咳の威力が増すのではないか。
若いころ。
「くしゅん」
50代。
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!」
70代。
建物が揺れる。
そういう成長システムなのではないか。
ポケモンみたいに、年齢とともにくしゃみが進化していく。
しかし、調べてみると、そんな単純な話ではなかった。
咳は、気道に入った異物や分泌物などを外へ出すための防御反応だ。
いったん声門を閉じ、胸の中の圧力を高め、そこから一気に空気を吐き出す。
つまり、そもそも咳というもの自体が結構パワフルな動作なのである。
さらに研究を見ると、男性は女性より強い咳を生み出せる傾向がある。
体格や呼吸機能などの違いも関係していると考えられる。
なるほど。
おっさん以前に、まず「男性」という部分は多少関係しているのかもしれない。
しかし、ここからが面白かった。
加齢によって咳の力そのものが強くなるわけではない。
むしろ高齢になるほど、咳をするときの呼気の勢いは低下する傾向が報告されている。
僕の予想と逆だった。
僕はてっきり、
「50歳を超えると肺の奥に謎のエンジンが搭載される」
くらいに思っていた。
違った。
むしろ弱くなっている。
では、なんなんだ。
あの、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
は。
どこから出ているんだ。
若い人では、あまり聞かない気がする
もちろん、これは僕個人の体感である。
統計を取ったわけではない。
でも、電車に乗っていて思う。
若い人から、あのタイプの爆音くしゃみを聞くことはあまりない気がする。
高校生が、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
とやっている場面も、僕はあまり見ない。
大学生くらいの男性も、そこまで豪快ではない気がする。
でも、おっさんになるといる。
一定数、いる。
なぜだ。
身体的には加齢でパワーアップしているわけではない。
ということは、ここから先は身体ではなく、別の理由なのではないか。
ここからは研究ではない。
完全に僕の勝手な説である。
年齢とともに「抑える」という発想がなくなる説
若いころは、人前で大きなくしゃみをするのが少し恥ずかしいのかもしれない。
「できるだけ小さくしよう」
「周りに人がいるから口元を覆おう」
「変な音が出たら恥ずかしい」
そういう意識がある。
しかし年齢を重ねる。
30代。
40代。
50代。
人生経験を積む。
いろんなことがどうでもよくなってくる。
そして、ある境地にたどり着く。
「くしゃみくらい好きにさせろ」
ブレーキ解除。
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
知らん。
出るもんは出る。
そんな感じなのだろうか。
もちろん、全員ではない。
静かにくしゃみをするおっさんもたくさんいる。
むしろそっちのほうが多いだろう。
ただ、爆音タイプのおっさんを見ていると、
「別に抑える必要なくない?」
という境地に到達しているように見える。
強くなったのではない。
遠慮が弱くなった。
もしそうなら、ちょっと納得できる。
くしゃみは仕方ない。でも全力で参加しなくてもいい
ここで誤解されたくない。
僕は、
「人前でくしゃみをするな」
と言っているわけではない。
そんな無茶な話ではない。
くしゃみは出る。
咳も出る。
僕だってする。
風邪をひいていなくても、急に鼻がムズムズすることはある。
止めようと思ったところで間に合わないことだってある。
だから、くしゃみそのものに怒っているわけではない。
ただ、一つだけ聞きたい。
そんなに全力で参加する必要ある?
身体が、
「くしゃみ出します」
と言った。
そこまでは分かる。
でも本人まで、
「よっしゃああああ!! 俺もいくぞおおお!!」
と参加しているように聞こえるときがある。
身体と本人が共同作業している。
鼻だけに任せておけばいいのに、喉も肺も腹筋も声も総動員している。
チームくしゃみ。
全員集合である。
もう少しメンバーを減らせないだろうか。
鼻だけでいけないか。
せめて声担当だけ今日は休ませてほしい。
ストレスを全部乗せている説
もう一つ考えた。
ストレスだ。
仕事。
上司。
部下。
家庭。
住宅ローン。
腰痛。
健康診断。
知らんけど。
いろんなものが積み重なっている。
そして電車の中。
鼻がムズムズする。
来た。
ここしかない。
日頃のすべてを解放する。
「ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!」
気持ちいい。
今日も一日頑張った。
……いや。
こっちにぶつけるな。
僕はあなたの上司ではない。
あなたに仕事を振っていない。
住宅ローンにも関係していない。
僕はただ本を読んでいるだけだ。
もしストレス発散なら、別の方法を探してほしい。
自己主張なのではないか説
咳払いにも思うことがある。
「ンン゛ッ!!」
「ヴォッホン!!」
やたら大きな咳払いをする人がいる。
あれは本当に喉の調子を整えているだけなのだろうか。
たとえば前を歩いている人が遅い。
普通なら、
「すみません」
と言えばいい。
しかし、
「ンン゛ッ!!!!」
で存在を知らせる人がいる。
何だ。
咳を使ったコミュニケーションか。
咳の皮をかぶった会話である。
「俺はここにいるぞ」
「気づけ」
「ちょっと邪魔だぞ」
そんな自己主張まで含まれているように感じることがある。
もちろん、これも僕の勝手な想像だ。
ただ、そう考えると、やたら大きな咳払いの説明は少しつく。
何、声乗せてんねん
そして僕が一番気になっているのがこれだ。
声である。
くしゃみそのものは仕方ない。
生理現象だ。
鼻が刺激された。
くしゃみが出た。
それはいい。
でも、
「ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!」
ちょっと待て。
何、声乗せてんねん。
途中から明らかに歌っている。
「クシュン」ではない。
「ショォォォォォォイ!!!!」
と伸ばしている。
カラオケちゃうぞ。電車や。
ビブラートはいらない。
ロングトーンもいらない。
腹から声を出さなくていい。
誰も採点していない。
DAMもJOYSOUNDも置いていない。
誰も、
「今日のブェックショイ、声出てたな」
とは思わない。
もう少し短くできないのだろうか。
ブェックショイ。
これでいい。
なぜ、
ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!!
になるんだ。
サビか。
おっさん同士で競っている説
ここまで考えて、僕は恐ろしい可能性に気づいた。
もしかすると。
おっさん同士で競っているのではないか。
電車の端。
一人のおっさん。
「ヴォッホ!!」
少し離れたところ。
別のおっさん。
「ブェェェックショオオオオオン!!!!」
最初のおっさん。
「……」
負けた。
そして次の瞬間。
「ヴォォォォォッホン!!!!!」
やり返した。
何を競っているんだ。
咳・くしゃみ全国大会でも開催されているのか。
審査項目は、
音量。
低音。
迫力。
持続時間。
そして飛距離。
最後はいらん。
もしかすると僕たちには聞こえない周波数で会話しているのかもしれない。
「お前、なかなかやるな」
「そっちこそ」
「次は本気でいくぞ」
そして、
「ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!」
優勝である。
俺ら観客か
待て。
競技ではない可能性もある。
さっきから声を乗せている。
ロングトーンまである。
もしかして。
ライブなのか。
おっさん、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!」
向かいのおっさん、
「ヴォォォッホン!!!!」
僕たち、
「……」
俺ら観客か。
何を聞かされてんねん、まったく。
僕はライブを見に来た覚えはない。
仕事帰りに電車へ乗っただけだ。
チケットも買っていない。
……いや。
待て。
買った。
僕はさっき改札を通った。
切符。
これがチケットだったのか。
知らなかった。
本日の公演。
『52歳 おっさん LIVE TOUR 2026 ~FOREVER LOVE~』
会場:電車内。
開演時間:未定。
出演:知らんおっさん。
全席自由。
料金:運賃に含まれています。
なお、予告なく開演する場合があります。
一曲目。
『ヴォッホン』
二曲目。
『痰が絡んだ朝』
そして代表曲。
『ブェェェェックショオオオオオン!!!!』
ラストを飾るのはもちろん、
『FOREVER LOVE』
いらん。
帰らせてくれ。
僕はこのライブを申し込んでいない。
しかも本人だけ異常に平然としている
これも不思議なのだ。
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
車両中に響く。
僕はビクッとする。
前のお姉さんも少し顔を上げる。
向かいのお兄さんも一瞬見る。
車両全体に小さな動揺が走る。
ところが。
本人。
スマホを見ている。
早い。
日常に戻るのが早すぎる。
今の聞こえてた?
自分のやで?
あなたが今、車両全体の空気を一瞬止めたんだぞ。
なのに0.2秒後にはニュースを読んでいる。
こっちはまだ、
「なんだったんだ、今の」
と思っている。
爆発させた本人だけが現場から精神的に撤収している。
せめて一度、周りを見てほしい。
あなたのライブだったんだから。
もしかして、自分では音量に気づいていないのか
ここでもう一つ思った。
もしかすると本人にとっては、
いつもの音
なのかもしれない。
僕らからすれば、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
だ。
しかし本人の脳内では、
「くしゅん」
くらいなのかもしれない。
毎日、自分の声を聞いている。
毎回、自分のくしゃみを聞いている。
だから慣れてしまっている。
僕たちは突然聞かされるから驚く。
でも本人からすれば、
「あ、今日も出た」
くらいだ。
そう考えると、くしゃみ直後に何事もなかったようにスマホへ戻れる理由も少し分かる。
本人にとっては事件ではない。
日課なのだ。
でも、周囲にとっては初見である。
こちらには耐性がない。
だから一度、自分のくしゃみを録音してイヤホンで聞いてみてほしい。
もし再生した瞬間、
「うわっ!」
となったなら。
答えは出ている。
その音を毎回、僕らは生で聞いている。
しかもイヤホンと違って音量調整ができない。
うるさいだけじゃない。汚い
そして、ここは笑い事だけではない。
咳やくしゃみでは飛沫が出る。
だから咳エチケットでは、ティッシュやハンカチなどで口と鼻を覆ったり、間に合わない場合は袖や肘の内側で覆ったりすることが推奨されている。
手のひらで直接受けるだけだと、その手でつり革やドアなどに触れることにもなる。
だから、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
を真正面に放つのはやめてほしい。
音だけなら、
「うるさいなあ」
で終わる。
しかし口を覆っていない瞬間、
「汚い」
が追加される。
何かが飛んできている。
見えない。
見えないけど、嫌だ。
むしろ見えないから嫌だ。
頼む。
せめて覆ってくれ。
静かな場所では破壊力が倍になる
同じ音でも、場所によって破壊力は変わる。
繁華街ならまだいい。
周りもうるさい。
車も走っている。
人も喋っている。
でも、静かな電車。
映画館。
図書館。
そこへ突然、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
破壊力がすごい。
静寂が一瞬で死ぬ。
特に電車で本を読んでいるとき。
物語の世界に入っている。
主人公が大切な人と別れる。
静かな文章。
美しい余韻。
その瞬間。
「ヴォォォォッホン!!!!!」
戻ってきた。
現実世界へ。
おっさんによって強制ログインさせられた。
余韻を返してくれ。
若い女性なら許せるのか
ここで僕は、自分自身を疑ってみた。
もしかすると僕は、
「おっさんだから嫌だ」
と思っているだけなのではないか。
若い女性だったらどうだ。
電車に若い女性が座っている。
静かにスマホを見ている。
突然。
「ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!」
……。
うるさい。
普通にうるさい。
もう一回。
「ヴォォォォッホン!!!!」
嫌だ。
やっぱり嫌だ。
どうやら僕が嫌なのは、おっさんだけではないらしい。
若い女性でも爆音ならうるさい。
口を覆わなければ汚い。
つまり問題の中心は、
年齢や性別だけではなく、音量と配慮なのだ。
ただ、それでも僕の体感では、このタイプの爆音を発するのは中高年男性が多い気がする。
だからこそ不思議なのだ。
身体的には加齢で強くなっているわけではない。
では、なぜなのか。
結局、僕には分からない。
「すみません」があるだけで全然違う
そして考えているうちに、一つ気づいた。
僕は本当に「音」だけに腹を立てているのだろうか。
たとえば、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
おっさん、
「すみません」
これならどうだ。
……。
まあ、しゃあない。
くしゃみだもんな。
人間だもの。
出るときは出る。
咳だって止められないときはある。
むしろ無理に止める必要もない。
でも、
「すみません」
その一言があるだけで、
「周りに人がいることは分かっています」
という意思が伝わる。
たぶん僕が嫌なのは、
「俺のくしゃみなんだから好きに出す。周りなんて知らん」
という雰囲気なのだ。
もちろん本人が本当にそう思っているかは知らない。
勝手な想像だ。
でも、人間はそういう小さな態度から配慮を感じ取る。
だから一言あるだけで全然違う。
できれば爆発宣言もしてほしい
さらに欲を言えば、事前に言ってほしい。
くしゃみが出そうになったら、
「すみません。今から爆発します」
これだ。
完璧である。
僕も準備できる。
本を閉じる。
耳を塞ぐ。
少し体をそらす。
おっさん、
「すみません。今から爆発します」
僕、
「どうぞ」
おっさん、
「ブゥゥゥゥェェェェックショォォォォォォイ!!!!!」
僕、
「うおおお……」
おっさん、
「すみませんでした」
僕、
「大丈夫です」
完璧だ。
爆発予告。
爆発。
謝罪。
この三段階でいこう。
電車内における危機管理である。
みんなでアンコールしよう
でも、もし。
爆発予告もない。
口も覆わない。
そして、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
と車両全体を震わせたあと、
何事もなかったようにスマホを見始めたら。
僕たちはどうすればいいのだろう。
注意するのも面倒だ。
喧嘩になるのも嫌だ。
だったら。
アンコールしよう。
一人が手を叩く。
👏
もう一人。
👏 👏
少しずつ車内に広がる。
👏 👏 👏 👏
そしてみんなで。
「アンコール!」
👏 👏 👏
「アンコール!」
👏 👏 👏
「アンコール!」
おっさん、
「……え?」
スマホから顔を上げる。
周囲を見る。
全員が自分を見ている。
そこで初めて気づく。
「あれ? 俺のくしゃみ、ライブやったん?」
そうだ。
それくらいの音量だったんだ。
僕たちはあなたの観客ではない。
ここはライブハウスではない。
切符は、
『52歳 おっさん LIVE TOUR 2026 ~FOREVER LOVE~』
のチケットではない。
ただの乗車券だ。
だから次から少しだけ音量を下げてほしい。
無理なら、それでもいい。
せめて口元を覆ってほしい。
そして、できれば一言、
「すみません」
と言ってくれ。
それだけでいい。
くしゃみは仕方ない。
咳も仕方ない。
生理現象なんだから。
僕だってする。
これから僕も年を取る。
気づけば僕自身が、
「ブェェェェックショオオオオオン!!!!!」
とやっている可能性だってある。
そのときは誰か教えてほしい。
普通に注意されると恥ずかしいから。
できれば、
👏 👏 👏
と手を叩いてほしい。
僕が、
「なんや?」
と顔を上げたら、
みんなで。
「アンコール!」
と言ってくれ。
その瞬間、僕はきっと気づく。
ああ。
俺、ライブしてたんや。
そして静かに頭を下げる。
「……すみません」
それでいい。
ただし。
もしそこで僕がゆっくり立ち上がり、
マイクもないのに姿勢を整え、
大きく息を吸い始めたら。
逃げてくれ。
アンコールに応えるつもりだ。
『52歳 おっさん LIVE TOUR 2044 ~FOREVER LOVE~』
追加公演、開幕である。
