会議室で、課長が考え込んでいた。
椅子に深く腰掛け、足を組み、顎に手を当てている。眉間にはしわ。視線は斜め下。口は真一文字に結ばれている。
何だ、この緊迫感は。
僕は思った。
シャーロック・ホームズだ。
殺人事件でも起きたのだろうか。
現場に残された謎の足跡。消えた凶器。食い違う証言。容疑者は全員、完璧なアリバイを主張している。
そういう顔をしている。
「課長、事件ですか?」
「おう!」
やっぱりだ。
僕の勘は当たった。ついにこの会社でも、名探偵の出番がやってきたらしい。
「他殺濃厚ですか?」
「は? 何言ってん?」
「いや、その……」
「次のプロジェクトの話だ。アホ」
事件ではなかった。
誰も死んでいない。凶器もない。容疑者もいない。あるのは次のプロジェクトと、課長の深刻そうな顔だけだ。
しかし、僕は別の謎に気づいてしまった。
なぜ人は、考えるときに顎へ手を当て、足を組むのだろう。
課長は誰に教わったのか。会社の研修で習ったのか。「難しい案件を担当する際は、右手を顎に添え、左足を上に組みましょう」とでも言われたのだろうか。
そんな研修があるなら、ぜひ受けてみたい。
僕は課長の隣に座り、同じ姿勢を取ってみた。
足を組む。顎に手を当てる。眉間にしわを寄せる。
課長はホームズ。
そして僕は、金田一耕助だ。
ホームズと金田一。夢のコラボである。
世界を代表する名探偵が、一つの会議室に集まった。どんな難事件も解決できそうだ。
もっとも、事件は起きていない。
課長が考えているのは、次のプロジェクト。
僕が考えているのは、なぜ人が顎に手を当てるのか。
二人とも、まったく別の謎を追っている。
しかも僕の謎は、会社の業績に一切関係がない。
それでも、外から見れば二人とも真剣そのものだ。会議室の扉を開けた社員は、さぞ重要な作戦会議が行われていると思うだろう。
実際には、片方がプロジェクトを考え、もう片方が顎について考えている。
人間の見た目とは、実に当てにならない。
そもそも、なぜ顎なのか
考えてみれば、体には触れられる場所が山ほどある。
頭。耳。鼻。肩。膝。お腹。
なのに、なぜ顎なのだろう。
お腹に手を当てて難しい顔をしていたら、考え事というより腹痛に見える。
鼻をつまんでいたら、何か臭うのかと心配される。
両手で耳をふさいでいたら、会議への参加を拒否している人になってしまう。
顎だけが、なぜか知性と結びついている。
これは不思議だ。
そこで、いくつか理由を考えてみた。もちろん、全員が同じ理由でこの姿勢を取るわけではない。僕の推測も含めて、一つずつ見ていこう。
① 自分に触れることで落ち着くから
人は緊張したときや、気持ちを整えたいとき、無意識に自分の顔や体へ触れることがある。
こうした行動は「自己接触」と呼ばれることがあり、気持ちを落ち着かせる働きがある可能性も指摘されている。
確かに、考え事をしているときは頭の中が忙しい。
「あれをどうする」「これをどうする」「そもそも何から始める」
考えれば考えるほど、問題が増えることさえある。
そんなとき、顎にそっと手を当てる。自分の体に触れることで、少し落ち着くのかもしれない。
ただし、顎を触れば必ず冷静になる、という話ではない。
もしそうなら、世の中の会議室は顎を触る人でいっぱいになり、あらゆる問題が解決しているはずだ。
残念ながら、現実はそう簡単ではない。
② 頭を支えると楽だから
次は、非常に現実的な理由だ。
単純に、楽なのではないか。
頭には重さがある。長い時間座って考えていれば、肘を机につき、手で頬や顎を支えたくなることもあるだろう。
考えを深めるための神秘的な儀式ではない。
ただ、首や姿勢を楽にしているだけ。
そう考えると、名探偵のイメージが少し崩れる。
僕はホームズを見て「なんという洞察力だ」と思っていた。
しかし本人は、ただ「首、疲れたな」と思っていた可能性もある。
名推理の裏側に、首の疲労。
急に親近感が湧いてきた。
もちろん、手で頭を支える姿勢が誰にとっても楽とは限らない。机の高さや椅子の形によっては、逆に窮屈になる。
それでも、顎に手を当てる理由が案外こんな単純なものだったら面白い。
僕たちは、楽な姿勢を勝手に知的な姿勢へ格上げしているのかもしれない。
③ 考えるときの癖になっているから
人間には癖がある。
考えるときにペンを回す人。指を組む人。髪を触る人。机をトントンする人。
本人は意識していないことも多い。
顎に手を当てるのも、その一つなのだろう。
何度も同じ姿勢で考えているうちに、いつの間にか習慣になる。
「さあ、考えるぞ」と思った瞬間、手が勝手に顎へ向かう。
もはや顎が、思考開始のスイッチである。
パソコンなら電源ボタン。車ならエンジン。人間なら顎。
ポチッ。思考開始。
そんな便利な仕組みが本当にあればいいのだが、残念ながら顎にスイッチは付いていない。
それでも、いつもの姿勢を取ることで、考える気分に入りやすくなる人はいるかもしれない。
勉強するときに決まった机へ座る。仕事を始める前にコーヒーを飲む。文章を書く前に音楽をかける。
それと似た、個人的な儀式だ。
④ 見て覚えたポーズだから
ここで僕は、映画や漫画のことを思い出した。
探偵が難事件に直面する。
顎に手を当てる。
眉間にしわを寄せる。
そして、静かに言う。
「なるほど……」
かっこいい。
何も解決していないのに、もう解決しそうな気がする。
僕たちは子どもの頃から、こういう場面を何度も見ている。
だから、考える人の姿として自然に覚えてしまったのかもしれない。
もちろん、映画を見たから必ず真似するという証拠があるわけではない。
ただ、人間は他人の仕草から影響を受けることがある。考えている人のイメージが、いつの間にか自分の動作へ入り込むことはありそうだ。
しかし、一つ疑問が残る。
最初に顎へ手を当てた人は、誰なのだろう。
その人は、何を考えていたのか。
「どうして俺は今、顎に手を当てているんだ?」
そう考えていたら、もう訳がわからない。
⑤ では、なぜ足まで組むのか
顎の謎は少し見えてきた。
しかし課長は、足まで組んでいる。
顎だけでは足りなかったのだろうか。
上半身だけでなく、下半身まで思考に参加させたいのか。
僕は改めて足を組んでみた。
右足を上にする。今度は左足を上にする。
……特に名案は浮かばない。
当たり前か。
足を組む理由として、まず考えられるのは座り心地だ。
人によっては、足を組んだ方が落ち着く。椅子の高さや体の癖によって、しっくりくる姿勢が違うのだろう。
姿勢が安定したように感じる人もいるかもしれない。
ただし、足を組むと集中力が上がる、と単純に言えるわけではない。長時間同じ姿勢でいると、体に負担がかかることもある。
つまり、足を組んでいるから頭が働いているとは限らない。
もう一つは習慣だ。
考え事をしていなくても、足を組む人はいる。
電車でも、喫茶店でも、家のソファでも。
そんな人が仕事中に考え始めたところで、当然のように足を組む。
考えているから足を組むのではない。足を組んでいる人が、たまたま考えているだけ。
この可能性も十分ある。
僕たちは、二つの動作が同時に起きているだけで、そこに特別な意味を見つけたくなる。
顎に手を当てている。足を組んでいる。だから深く考えている。
本当にそうだろうか。
単に顎が楽で、足も楽だっただけかもしれない。
だとしたら、僕が隣で金田一になっていた時間は何だったのだろう。
⑥ なぜ、あの姿勢は頭がよさそうに見えるのか
ここからが、僕には一番気になるところだ。
顎に手を当てると、なぜか賢そうに見える。
ただ座っている人と、顎に手を当てて座っている人。
やっていることはほとんど同じなのに、後者の方が何かを考えているように感じられる。
不思議な話だ。
僕は、その理由の一つに「動きの少なさ」があると思う。
じっとしている。視線を落とす。眉間にしわを寄せる。口数が減る。
外から見れば、頭の中で複雑な作業が進んでいるように映る。
しかし、静かだからといって、必ずしも考えているわけではない。
寝る直前の僕も、相当静かだ。
だからといって、世界の真理について思索しているわけではない。
たいてい、眠いだけである。
人間は、他人の頭の中を見ることができない。
だから、表情や姿勢から勝手に想像する。
難しい顔をしているから、難しいことを考えている。
顎に手を当てているから、何かを分析している。
足を組んでいるから、落ち着いて判断している。
しかし、それは見る側の解釈でしかない。
知的に見えることと、実際に知的なことは別なのだ。
⑦ 文豪たちも、あの姿勢をしている
そう考えていたら、僕の好きな本の世界にも、似た姿があることに気づいた。
夏目漱石と太宰治だ。
二人には、頬杖をついた姿の肖像写真が知られている。
僕は本が好きなので、こういう写真を見ると、つい想像してしまう。
今、何を考えているのだろう。
人間とは何か。
生きるとは何か。
次の作品では、どんな人物を描こうか。
頭の中に、まだ誰も読んだことのない文章が生まれているのかもしれない。
何ともロマンがある。
しかし、ちょっと待ってほしい。
本当に、そんなことを考えていたのだろうか。
「今日の晩ご飯は何にしよう」
「ちょっと眠いな」
「この写真、いつまで撮るんだろう」
そんなことを考えていた可能性だってある。
もちろん、実際に何を考えていたかはわからない。肖像写真なら、撮影のために姿勢を取っていた可能性もある。
僕たちは、相手が偉大な作家だと知っているから、その姿勢にまで深い意味を与えてしまう。
顎に手を当てた夏目漱石。
頬杖をついた太宰治。
そこに勝手に文学を見ているのは、写真を見る僕たちなのかもしれない。
考えてみれば、文豪だって人間だ。
食事もする。眠くもなる。ぼーっとする時間だってあっただろう。
いつ何時も名文を生み出していたわけではないはずだ。
それでも、写真の中の彼らは知的に見える。
顎に手を当てるポーズには、見る人の想像力まで働かせる力があるのかもしれない。
⑧ 憧れの人を真似している説
もう一つ、僕が思いついた理由がある。
それは、憧れだ。
人は、好きな人や尊敬する人の仕草を真似することがある。
好きなミュージシャンの服装を真似する。スポーツ選手のフォームを真似する。映画の主人公の口調を真似する。
だったら、考えるときの姿勢を真似していても不思議ではない。
僕も、漱石や太宰のような文豪には憧れがある。
名探偵のように鋭く物事を見抜けたら、どれほどかっこいいだろう。
そこで、まずは形から入る。
足を組む。
顎に手を当てる。
眉間にしわを寄せる。
少し遠くを見つめる。
完璧だ。
見た目だけなら、もう文豪である。
このまま原稿用紙を置かれたら、何か書けそうな気がする。
「吾輩は……」
そこまでだ。
続きが出てこない。
ポーズは漱石。雰囲気は太宰。推理はホームズ。横には金田一。
頭の中には、何もない。
憧れの人物の姿勢を取ったからといって、その才能まで手に入るわけではない。
当たり前である。
それでも、形から入ることには意味があるかもしれない。
お気に入りの服を着ると気分が変わるように、考える人のポーズを取ることで「さあ、考えよう」という気持ちになる場合はありそうだ。
ただ、僕の場合は、ポーズを取った瞬間に自分の姿が面白くなってしまう。
集中するどころではない。
⑨ 「考えている自分」を見せたい説
ここまで、落ち着くため、楽だから、癖だから、憧れだから、といろいろ考えてきた。
しかし、もっと単純で、少し人間くさい理由もあると思う。
周囲に、考えている人だと思われたい。
これだ。
例えば会議中、難しい話が始まったとする。
何を言っているのか、よくわからない。
そんなとき、ただ口を開けて座っていたら、話を聞いていないように見えるかもしれない。
しかし、顎に手を当てて眉間にしわを寄せていたらどうだ。
「なるほど。彼は何かを分析しているんだな」
そう思ってもらえるかもしれない。
本人は何も理解していなくても、見た目だけは専門家である。
これは、なかなか恐ろしい。
もちろん、顎に手を当てている人がみんな演技をしているわけではない。姿勢だけで、相手の本心を決めつけることはできない。
それでも、人間には他人からどう見られるかを意識する面がある。
考えるポーズが、真剣さを伝えるための表現として使われることはあるのではないだろうか。
例えば、誰かに相談を持ちかけられたとき。
「うーん……」
顎に手を当てる。
少し黙る。
それだけで、相手の話を真剣に受け止めている雰囲気が生まれる。
実際に考えている場合もあるだろうし、どう答えたらいいかわからず時間を稼いでいる場合もあるだろう。
顎は、便利だ。
何も言わずに、何かを伝えられる。
ただし、その便利さに頼りすぎると、考えることより考えているように見せることが目的になってしまう。
そうなれば、もはや思考ではない。
思考の演劇である。
⑩ 何もしていない時間が許されないから
そもそも、なぜ人は「考えているように見せたい」のだろう。
僕は、仕事中の何もしていない時間が、あまり歓迎されないからだと思う。
例えば、職場で椅子に座り、ぼーっと天井を眺めている人がいたとする。
周囲はどう思うだろうか。
「暇なのか?」
「仕事は終わったのか?」
「何かやることはないのか?」
そんな視線を向けられるかもしれない。
しかし、その人が顎に手を当て、眉間にしわを寄せていたらどうだろう。
途端に印象が変わる。
「何か考えているんだな」
「難しい仕事をしているんだな」
もしかすると、そっとしておいてもらえるかもしれない。
同じように椅子に座っているだけなのに、顎に手を当てるかどうかで評価が変わる。
これはおかしくないだろうか。
仕事というものは、目に見える動作ばかりではない。
資料を作る。電話をする。パソコンを操作する。
そうした作業は、誰が見ても仕事だとわかる。
しかし、考えるという仕事は違う。
頭の中で行われるから、外からは見えない。
本当に難しい問題を考えている人も、ただ晩ご飯について考えている人も、見た目だけでは区別できないのだ。
そこで登場するのが、あのポーズである。
顎に手を当てる。
足を組む。
眉間にしわを寄せる。
見えない思考を、見える形に変えるのだ。
まるで「ただいま思考中」という看板を掲げているようなものである。
便利すぎる。
いっそのこと、会社で正式に導入してはどうだろう。
考えているときは、全社員が顎に手を当てる。
難しい案件ほど、眉間のしわを深くする。
重大な経営判断を下す役員は、両手で顎を支える。
社長に至っては、もう顎が見えない。
会議室には、顎を触る人間がずらりと並ぶ。
何とも知的な会社ではないか。
しかし、問題がある。
全員がポーズを取っているだけで、誰も仕事をしていない可能性がある。
会社としては大問題だ。
見た目は超一流の頭脳集団。
中身は、ただの休憩時間。
もっとも、何もしていないように見える時間にも、考えを整理したり、発想を生み出したりする価値はある。
だからこそ、姿勢だけで働いているかどうかを判断するのは難しい。
結局、大切なのはポーズではなく、その人が何を考え、何を生み出しているかなのだろう。
⑪ 実際にポーズを取ってみると、何が変わるのか
せっかくなので、僕も試してみた。
といっても、すでに課長の横でやっている。
改めて背筋を伸ばし、足を組み直す。
右手を顎へ。
眉間にしわ。
視線は遠く。
よし。
かなり考えているように見えるはずだ。
まず感じたのは、姿勢を固定すると少し落ち着くということだった。
あちこち動かず、じっとしている。
それだけで、何となく集中している気分にはなる。
ただし、気分と結果は別である。
頭が急に冴えたわけでもない。すごいアイデアが降ってきたわけでもない。
何なら、僕は自分の顎に意識を向けすぎていた。
「手はこの角度でいいのか」
「足は逆の方が名探偵っぽいか」
「眉間のしわは、もう少し深い方がいいのか」
考えている内容が、どんどん本題から離れていく。
僕は今、何をしているのだろう。
名探偵になりたいのか。文豪になりたいのか。それとも、ただ顎の最適な角度を探しているのか。
結局、何一つ解決していない。
しかし、外から見れば、相変わらず真剣そうに見えるはずだ。
これが、あのポーズの最大の特徴なのかもしれない。
中身が見えないのに、中身がありそうに見える。
考えているから姿勢が変わる人もいる。
姿勢を変えることで、考える気分になる人もいる。
そして、考えていなくても、その姿勢を取る人もいる。
同じポーズでも、理由は一つではない。
だから、誰かが顎に手を当てているのを見ても、その人が何を考えているのかまではわからない。
課長はプロジェクトのことを考えていると言っていた。
僕はそれを信じよう。
少なくとも、課長は僕よりずっと仕事に関係のあることを考えていた。
その隣で、僕は顎について考えていたのだから。
最後に、一つだけ告白したい
ここまで、顎に手を当てる心理や、足を組む理由について、あれこれ考えてきた。
落ち着くため。
頭を支えるため。
癖だから。
映画や漫画の影響。
座り心地。
憧れ。
知的に見られたいから。
どれも、人によっては当てはまるかもしれない。
しかし、最後に一つだけ、言っておかなければならないことがある。
実は僕も、仕事中、自分の席であのポーズを取ることがある。
足を組む。
顎に手を当てる。
眉間にしわを寄せる。
じっと前を見つめる。
周囲から見れば、何か難しい仕事について考えているように見えるだろう。
重大な案件を抱えているのかもしれない。
会社の未来について思索しているのかもしれない。
新しいアイデアを生み出そうとしているのかもしれない。
では、実際には何を考えているのか。
何も考えていない。
本当に、何も考えていない。
頭の中は、きれいな空白である。
では、なぜそんなポーズを取っているのか。
考えている人を演出するためだ。
それだけである。
ただ椅子に座ってぼーっとしていたら、サボっているように見える。
しかし、顎に手を当て、足を組み、少し難しい顔をするだけでどうだろう。
何か重要な仕事について、深く思考している人間に見える。
実に便利だ。
パソコンを操作する必要もない。
資料を広げる必要もない。
ペンを持つ必要すらない。
必要なのは、顎と手と足だけだ。
僕は仕事をしていない。仕事をしている人の役を演じているのだ。
しかも、誰からも演技指導を受けていない。
独学である。
ここまで偉そうに人間の心理を考察してきたが、僕自身が一番しょうもない理由でこのポーズを使っていた。
課長をホームズだと騒ぎ、僕は金田一だと喜び、漱石や太宰まで引っ張り出してきた。
その結論が、これだ。
仕事をしているふり。
文豪にも名探偵にも申し訳ない。
そして課長。
あなたのことを一瞬でも疑って、すみませんでした。
少なくとも、あの会議室で一番怪しかったのは僕である。
ちなみに、この記事を書いている今も、僕は顎に手を当てている。
今度こそ、ちゃんと考えている。
たぶん。
