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お風呂で歌う心理とは。恥ずかしくないのか?なぜ上手く聞こえるのか。

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僕は音痴だ。

自覚している。

歌が上手い人間ではない。

しかし、子供の頃、僕には毎日のように歌を披露する場所があった。

お風呂である。

別に歌手を目指していたわけではない。

歌の練習をしていたわけでもない。

ただ、お風呂に入ると歌いたくなるのだ。

しかも、結構な声量で。

浴室では、なぜか自分の歌が上手く聞こえる。

声が響く。

音に広がりが生まれる。

いつもなら頼りない歌声が、何だか立派なものに聞こえてくる。

もしかして、僕は歌が上手いのではないか。

そんな錯覚すら覚える。

もちろん、錯覚である。

僕の歌唱力が上がったのではない。浴室の性能が高かったのだ。

それでも、歌うのは楽しかった。

しかし、今は違う。

現在、僕はアパートで一人暮らしをしている。

お風呂で歌うことはなくなった。

隣の部屋に聞こえるかもしれないからだ。

そもそも、なぜ人はお風呂で歌いたくなるのだろう。

なぜ、普段は歌わない人でも、お風呂では歌ってしまうのだろう。

そして、歌声を聞かれるのは恥ずかしくないのか。

今回は、子供の頃の僕の体験を振り返りながら、お風呂で歌う心理について考えてみたい。

目次

小学生の僕には、お風呂専用のセットリストがあった

子供の頃、僕がお風呂で歌う曲は結構決まっていた。

好きな曲は他にもあったはずなのに、浴室に入るとなぜか同じ曲を歌っていた。

その代表的な曲が、こちらである。

『南の島のハメハメハ大王』

サザンオールスターズの『いとしのエリー』

そして、B’zの『BAD COMMUNICATION』。

情緒も何もあったもんじゃない。

南の島で陽気に暮らしていたかと思えば、突然、愛するエリーに思いを馳せる。

そして、次の瞬間にはB’zである。

童謡、バラード、ロック。

僕の浴室では、音楽ジャンルという概念が崩壊していた。

しかも、当時の僕は小学生である。

『南の島のハメハメハ大王』は、まだわかる。

子供が歌っていても不思議ではない。

問題は、そのあとだ。

『いとしのエリー』。

小学生が、いったい誰をそんなに愛しているのだ。

失恋でもしたのか。

いや、していない。

そもそも、歌詞の意味すら理解していない。

それなのに、気持ちだけは桑田佳祐である。

切なそうに歌っている。

何がそんなに切ないのか。

本人にもわからない。

そして、次の曲では突然B’zだ。

『BAD COMMUNICATION』。

今度は稲葉浩志になりきる。

もちろん、歌詞の意味はよくわかっていない。

英語の部分なんて、なおさらである。

それでも歌う。

勢いで歌う。

気分だけは一流アーティストだ。

歌唱力だけが追いついていない。

しかし、当時の僕にとって、そんなことはどうでもよかった。

歌詞の意味がわからなくても、音楽は楽しい。

メロディーが好きだったのかもしれない。

曲の勢いが気持ちよかったのかもしれない。

今となっては、なぜこの三曲を選んでいたのか、よくわからない。

ただ一つ確かなのは、僕が楽しんでいたということだ。

お風呂は、僕だけのライブ会場だった。

観客はいない。

チケットも売っていない。

照明もない。

あるのは、浴槽とシャワーと石鹸だけ。

それでも、僕は毎日のようにステージに立っていた。

しかも、アンコールを求めている人は誰もいなかった。

近所の人から「いつも歌ってる子やね」と言われた

そんなある日のことだ。

家族と外を歩いていた。

すると、近所の人から声をかけられた。

「いつも歌ってる子やね」

……。

えっ。

聞こえていたのか。

いや、家族に聞こえていることは知っていた。

同じ家に住んでいるのだから、当然だろう。

しかし、まさか近所の人にまで聞こえているとは思わなかった。

僕は驚いた。

そして、恥ずかしかった。

どうやら、僕の歌声は家の外にまで届いていたらしい。

しかも、たまたま一度聞かれたという感じではない。

「いつも歌ってる子」

そう認識されていたのだ。

僕は近所で、歌っている子として認知されていた。

名前ではない。

学校でもない。

得意なことでもない。

歌っている子。

しかも、僕は音痴である。

近所の人は、毎日のように音痴な小学生の歌声を聞いていたことになる。

何ということだ。

お風呂で気持ちよく歌っていた僕は、知らないうちに近隣住民へ定期公演を届けていたのだ。

しかも、曲はほぼ決まっている。

「今日はハメハメハ大王か」

「おっ、エリーが始まった」

「出た、B’z」

そんなふうに思われていた可能性だってある。

もしかすると、近所の人の方が僕のセットリストに詳しかったかもしれない。

新しい曲を歌えば、今日は珍しいなと思われていたのだろうか。

知らないところで、僕の音楽活動が観察されていたのだ。

考えれば考えるほど恥ずかしい。

しかし、少し不思議でもあった。

僕は誰かに聞かせるつもりで歌っていたわけではない。

ただ、自分が気持ちいいから歌っていただけなのだ。

それなのに、結果として近所の人にまで聞こえていた。

この出来事をきっかけに、僕は一つの問題に直面することになった。

これからも歌っていいのだろうか。

小さな声で歌ってみた。でも、違った

近所の人に聞こえている。

それを知ってしまった以上、少しは気になる。

僕だって恥ずかしい。

そこで、僕は考えた。

小さな声で歌えばいいのではないか。

これなら近所の人にも聞こえにくい。

家族にも迷惑をかけにくい。

それでいて、自分は好きな曲を歌える。

我ながら名案である。

早速、試してみた。

いつものようにお風呂に入る。

そして、小さな声で歌い始める。

『南の島のハメハメハ大王』。

控えめに歌う。

声を張り上げない。

静かに歌う。

……。

違う。

そうじゃない。

何かが違うのだ。

確かに、歌ってはいる。

メロディーも同じ。

歌詞も同じ。

しかし、全然気持ちよくない。

僕が求めていたのは、こんな歌ではない。

声を張り上げる。

浴室いっぱいに響かせる。

自分の歌声に、自分で酔いしれる。

それがいいのだ。

小さな声で歌うくらいなら、別にお風呂でなくてもいい。

鼻歌なら、どこでも歌える。

しかし、僕は鼻歌を歌いたいわけではなかった。

思い切り歌いたかったのだ。

しばらく葛藤した。

近所の人に聞こえている。

恥ずかしい。

でも、歌いたい。

静かに歌えばいい。

いや、それでは物足りない。

どうすればいい。

そして、僕は結論を出した。

もういい。歌ってやる。

再び、大きな声で歌い始めた。

近所の人に聞こえているかもしれない。

それがどうした。

今、僕は気持ちよく歌っているのだ。

こうして、僕のお風呂ライブは再開された。

近隣住民への事前告知は、もちろんしていない。

今考えると、なかなか迷惑な少年だったかもしれない。

では、そもそもなぜ、お風呂で歌うことはそんなに気持ちいいのだろう。

なぜお風呂で歌いたくなるのか?心理を考えてみた

お風呂で歌う人は、決して珍しくないと思う。

鼻歌を歌う人もいれば、好きな曲を熱唱する人もいるだろう。

もちろん、まったく歌わない人もいる。

では、歌いたくなる人には、どんな心理が働いているのだろう。

僕なりに考えてみた。

① 自分の歌が上手く聞こえるから

まず、これが大きい。

お風呂では、なぜか歌が上手く聞こえる。

これは単なる気のせいだけではなく、浴室の音響が関係している。

浴室には、タイルやガラス、壁など、音を反射しやすい硬い面が多い。

カーテンやカーペット、布製の家具が多い部屋と比べると、音が吸収されにくい。

そのため、声が壁や天井で反射し、残響が生まれやすい。

自分の声に響きが加わることで、普段より豊かに聞こえるのだ。

カラオケでエコーをかけると、何だか気持ちよく歌える。

それに近い現象だろう。

ただし、実際に歌唱力が上がっているわけではない。

音程が正確になったわけでもない。

リズム感がよくなったわけでもない。

声に響きが加わることで、上手くなったように感じることがある、という話だ。

つまり、僕の場合はこうである。

音痴の僕が、優秀な音響設備に助けられていた。

しかも、設備費は無料。

お風呂に入れば、自動的にエコーがかかる。

何という素晴らしい環境だ。

② リラックスして気分がよくなるから

お風呂は、身体を洗うだけの場所ではない。

一日の疲れを落とす場所でもある。

温かいお湯につかる。

身体が温まる。

緊張が和らぐ。

ほっとする。

そんなとき、自然に鼻歌が出てくることがある。

気分がよくなると、何かを口ずさみたくなる。

そして、歌うことでさらに気分がよくなる。

そんな循環が生まれているのかもしれない。

考えてみれば、人は嬉しいときにも歌う。

楽しいときにも歌う。

別に誰かに聞かせるためではない。

自然に歌が出てくるのだ。

お風呂は、そんな気持ちになりやすい場所なのだろう。

もっとも、僕の場合は少し違ったかもしれない。

リラックスするために入ったお風呂で、B’zを熱唱していたのだから。

身体は休んでいるのに、声帯だけが働いている。

一体、何をしているのだ。

③ 大きな声を出すこと自体が気持ちいいから

これは、僕自身の体験から強く感じる。

小さな声で歌ってみたとき、まったく物足りなかった。

つまり、僕は単に曲を歌いたかったわけではない。

大きな声を出したかったのだ。

普段の生活では、思い切り声を出す機会は少ない。

学校の教室で突然大声を出せば、先生に注意される。

電車の中で歌えば、周囲の人に迷惑がかかる。

街中で熱唱していれば、何事かと思われる。

しかし、お風呂では一人だ。

誰にも見られていない。

だから、つい声が大きくなる。

もちろん、実際には外へ聞こえることもあるのだが、浴室の中にいると、そのことを忘れてしまいやすい。

大きな声を出すと、気分がすっきりすることがある。

歌には、そんな発散の楽しさもあるのだと思う。

④ 裸になることで、心理的にも解放されるから

これも関係しているのではないだろうか。

お風呂では、服を全部脱ぐ。

上着を脱ぐ。

ズボンを脱ぐ。

靴下を脱ぐ。

パンツも脱ぐ。

そして、裸になる。

普段、人は服を着て生活している。

学校では制服を着る。

仕事では仕事着を着る。

人からどう見られるかを考えて、服装や振る舞いを整える。

しかし、お風呂ではそんなものは必要ない。

格好をつける必要もない。

誰かによく見られようとする必要もない。

ただの自分になる。

服を脱ぐことで、気持ちまで解放されるのかもしれない。

もちろん、裸になったから歌いたくなると断定できるわけではない。

ただ、僕はこの感覚も関係している気がする。

普段は周囲の目を気にして生活している。

しかし、お風呂では一人。

何も身につけていない。

そこで、普段抑えていたものまで外に出てくる。

声も、感情も、遠慮も。

こうして、全裸の音痴が完成する。

もはや、怖いものなどない。

僕は歌う。

『南の島のハメハメハ大王』を。

『いとしのエリー』を。

B’zの『BAD COMMUNICATION』を。

裸になった少年には、音楽ジャンルの壁すら存在しない。

もっとも、近所の人への配慮まで脱ぎ捨ててよかったのかは、別問題である。

⑤ 一人だけの世界に入り込めるから

お風呂には、独特の閉ざされた空間がある。

ドアを閉める。

外の景色は見えない。

周囲の人の顔も見えない。

狭い浴室の中に、自分だけがいる。

そんな環境だからこそ、自分の世界に入り込みやすいのかもしれない。

好きな曲を歌う。

好きなように声を出す。

誰かと会話する必要もない。

相手の反応を気にする必要もない。

僕が主役である。

しかも、選曲権も僕にある。

歌う順番も自由。

途中で曲を変えてもいい。

同じ曲を何度歌ってもいい。

音痴の僕が、唯一、絶対的な権限を持っている音楽会場だった。

審査員もいない。

点数もつかない。

途中で演奏を止められることもない。

だから、自由に歌えたのだと思う。

⑥ 習慣になっていたから

もう一つ考えられるのが、習慣だ。

僕は子供の頃、何度も同じ曲を歌っていた。

お風呂に入る。

歌い始める。

気持ちよくなる。

翌日も歌う。

それを繰り返しているうちに、浴室に入ること自体が歌い始めるきっかけになっていたのかもしれない。

人には、特定の場所で決まった行動をする習慣がある。

寝る前に本を読む。

朝起きたらコーヒーを飲む。

家に帰ったらテレビをつける。

僕の場合は、それがお風呂で歌うことだったのだろう。

身体を洗う。

髪を洗う。

B’zを歌う。

僕にとって入浴とは、この三つで構成されていたのだ。

しかも、歌う曲までだいたい決まっている。

何年も続く、僕だけの定期公演。

練習を重ねていたはずなのに、歌唱力が上達した記憶はない。

一体、何の練習だったのだろう。

お風呂で歌うのは恥ずかしくないのか?

ここで、一つ疑問がある。

お風呂で歌っている声が家族や近所の人に聞こえている。

恥ずかしくないのだろうか。

僕の場合、恥ずかしさは確かにあった。

近所の人に「いつも歌ってる子やね」と言われたときは、驚いたし、恥ずかしかった。

しかし、よく考えてみると、どこかでこうも思っていた。

まあ、別にいいか。

聞こえているのは仕方がない。

僕は歌いたい。

だから歌う。

そんな気持ちもあった。

ところが、もし目の前で「ちょっと歌ってみて」と言われたらどうだろう。

これは話が違う。

絶対に嫌だ。

恥ずかしい。

僕は音痴なのだ。

では、なぜお風呂では歌えるのか。

考えてみると、そこには大きな違いがある。

聞こえることと、聴かせることは違う

お風呂で歌っているとき、僕は誰かに聴かせようとしているわけではない。

自分が歌いたいから歌っている。

その結果として、家族や近所の人に聞こえてしまう。

しかし、目の前で歌うとなれば違う。

そこには、僕の歌を聴こうとしている人がいる。

僕の声に注目している。

音程が合っているか。

リズムが合っているか。

上手いか、下手か。

そんなことを考えられているような気がする。

もちろん、実際に相手が採点しているとは限らない。

でも、こちらは意識してしまう。

自由な遊びだった歌が、突然、人前でのパフォーマンスになるのだ。

お風呂では、自分のために歌っている。

しかし、人前では誰かに聴かせるために歌う。

この違いは大きい。

さらに、目の前で歌うと、相手の表情まで見えてしまう。

笑われるかもしれない。

微妙な顔をされるかもしれない。

何とも言えない沈黙が生まれるかもしれない。

そんなことを考えたら、とても歌う気になれない。

僕は歌いたいのであって、審査されたいわけではない。

しかも、そもそも応募した覚えがない。

なぜ突然、オーディションが始まるのだ。

だから、お風呂で歌うことと、人前で歌うことは、僕にとってまったく別の行為なのだと思う。

歌が上手くなくても、歌っていい

考えてみれば、不思議なことだ。

僕は音痴なのに、歌うことが好きだった。

歌詞の意味も理解していなかった。

誰かに褒められたかったわけでもない。

それなのに、毎日のように歌っていた。

なぜだろう。

きっと、歌うこと自体が楽しかったのだ。

僕たちは、何かをするとき、つい上手いか下手かを気にしてしまう。

絵を描くなら、絵が上手い方がいい。

楽器を弾くなら、上手に演奏できた方がいい。

歌うなら、音程が合っていた方がいい。

もちろん、上手くなることには楽しさがある。

努力してできなかったことができるようになるのは、嬉しい。

しかし、楽しむために、必ずしも上手くなる必要はない。

絵が下手でも、絵を描くのが好きな人はいる。

運動が苦手でも、身体を動かすのが好きな人はいる。

それと同じで、音痴でも歌うのが好きな人がいていい。

上手いから歌うのではない。歌いたいから歌うのだ。

小学生の頃の僕は、そんな当たり前のことを、何も考えずに実践していたのかもしれない。

ただし、だからといって周囲への迷惑を考えなくていいわけではない。

歌う自由と、他人が静かに暮らす自由は、別の話である。

子供の頃は、そのあたりをあまり深く考えていなかった。

今振り返ると、近所の人には申し訳なかった気もする。

毎日のように聞こえていたのだから。

しかも、曲はだいたい同じ。

もはや、強制的な音楽番組である。

チャンネルを変えることもできない。

本当にすみませんでした。

大人になった僕は、お風呂で歌わなくなった

そんな僕も、大人になった。

今はアパートで一人暮らしをしている。

お風呂に入っても歌わない。

隣の部屋に聞こえるかもしれないからだ。

集合住宅では、音が思っている以上に伝わることがある。

浴室の位置や建物の構造によっても違うだろう。

隣の部屋だけでなく、廊下や換気口などを通じて声が聞こえる可能性もある。

もちろん、すべてのアパートで同じように響くわけではない。

しかし、僕は自分の歌声が近所にまで届いていた過去を持つ男である。

音漏れに関しては、前科がある。

いや、犯罪ではないのだが。

あの頃のように大声で歌えば、今度は隣の部屋の人に迷惑をかけるかもしれない。

だから歌わない。

これは、自分なりの配慮である。

大人になったのだと思う。

子供の頃は、恥ずかしいと思いながらも、結局歌っていた。

しかし、今は違う。

歌いたい気持ちよりも、周囲への配慮を優先している。

とはいえ、歌いたい気持ちがなくなったわけではない。

むしろ、今でも時々思う。

ああ、思い切り歌いたいなあ。

お風呂で大きな声を出したい。

あの独特の反響を感じたい。

誰にも見られず、好きな曲を歌いたい。

しかし、できない。

小さな声で歌えばいいのではないか。

そう思う人もいるかもしれない。

でも、それは子供の頃に試した。

そして、わかった。

違う。そうじゃない。

僕が求めているのは、小さな声で控えめに歌うことではない。

浴室いっぱいに声を響かせることなのだ。

とはいえ、今は我慢する。

隣人にとって、僕の歌唱欲求など知ったことではない。

突然、壁の向こうからB’zが聞こえてきたら困るだろう。

しかも、本人ではない。

音痴の僕である。

それはさすがに申し訳ない。

まとめ|早く防音の家に住んで、思い切り歌いたい

お風呂で歌いたくなる心理には、いろいろな理由が考えられる。

浴室の反響、リラックス、大声を出す快感、裸になることでの解放感。

そして、誰にも見られず、自分の好きなように歌えること。

子供の頃の僕にとって、お風呂はそんな楽しさが詰まった場所だった。

近所の人に歌声が聞こえていると知っても、結局やめられなかった。

今思えば、ずいぶん自由な少年だった。

そして、ずいぶん音痴な少年でもあった。

現在はアパート暮らし。

だから、お風呂では歌わない。

子供の頃のように、好き勝手に歌うわけにはいかない。

大人になったのだ。

周囲への配慮というものを覚えた。

しかし、歌いたい。

本当は、めちゃくちゃ歌いたい。

『南の島のハメハメハ大王』も、『いとしのエリー』も、B’zの『BAD COMMUNICATION』も。

あの頃のように、何も考えず、大きな声で歌いたい。

音痴だっていい。

誰かに聴かせたいわけではない。

ただ、自分が気持ちよく歌えれば、それでいいのだ。

早く、いい家に住みたい。

防音のしっかりした家に。

そして、誰にも気を遣わず、思いっきり歌いたい。

その日のために、僕は今日も頑張って働く。

目指せ、防音住宅。

待ってろ、ハメハメハ大王。

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