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洗い物が嫌いすぎる。なぜこんなに面倒くさいのか?苦手な心理と対処法。

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満腹だ。

うまかった。

最高の食事だった。

もう満足だ。

あとはゴロゴロしたい。

ソファに寝転がって、スマホでも触りながら、何も考えずに過ごしたい。

今日も一日、よく頑張った。

料理も作った。

おいしく食べた。

素晴らしいではないか。

そう思いながら、ふと台所を見る。

……。

なんだこれは!

皿。

茶碗。

箸。

フライパン。

鍋。

包丁。

まな板。

なんだ、この集団は。

なぜ、こんなにいるのだ。

さっきまで、あんなに仲良くしていたではないか。

皿には、おいしい料理が盛られていた。

茶碗には、ご飯が入っていた。

箸は、僕の口まで食べ物を運んでくれた。

フライパンだって、立派に仕事をしてくれた。

みんな、ありがとう。

君たちのおかげで、今日もおいしい食事ができた。

僕たちは仲間だった。

少なくとも、食べ終わるまでは。

ところが、食事が終わった瞬間。

全員、悪魔になった。

敵だ。

さっきまであんなに頼もしかった皿が、今は憎たらしい。

箸ですら腹が立つ。

お前、さっきまで僕にご飯を食べさせてくれていたじゃないか。

なぜ今は、洗ってもらうのを待っているのだ。

しかも、フライパン。

お前が一番厄介だ。

油でギトギトになりやがって。

さっきまで、あんなにいい仕事をしていたのに。

恩を仇で返すとは、このことではないか。

いや、違う。

よく考えたら、僕が汚したのだ。

料理を作ったのも僕。

食べたのも僕。

食器を使ったのも僕。

全部、僕である。

つまり、敵を大量生産していたのは、ほかでもない僕自身だった。

しかし、そんなことはどうでもいい。

今、僕が知りたいのは、ただひとつ。

誰がこれを洗うのか。

答えはわかっている。

僕だ。

一人暮らしなのだから。

なんという絶望。

食事という楽しいイベントが終了した直後に、洗い物という罰ゲームが始まる。

しかも、参加者は僕一人。

拒否権はない。

報酬もない。

ただ、汚れた皿を元の皿に戻すだけの仕事である。

僕の中では食事は終わっているのに、台所ではまだ終わっていないのだ。

なんだ、この人生は。

目次

とりあえず、流しに入れておこう

さて、どうする。

今すぐ洗うか。

いや、満腹だ。

動きたくない。

もう少し休んでからにしよう。

そうだ。

とりあえず、流しに入れておこう。

皿を運ぶ。

茶碗を運ぶ。

箸を放り込む。

フライパンも入れる。

よし。

これでいい。

……。

何がいいのだ。

何も解決していない。

汚れた食器を、食卓から流しへ移動させただけである。

それなのに、なぜか少し仕事を終えた気分になっている。

しかも、流しに入れたことで、食器たちが一か所に集まった。

皿。

茶碗。

箸。

フライパン。

敵が集結してしまった。

先ほどまでは各地に散らばっていたのに、今は全員、流しにいる。

なんだか、こちらを見ている気がする。

「早く洗え」

うるさい。

今、考えているところだ。

そうだ。

水につけておこう。

汚れが落ちやすくなるはずだ。

蛇口をひねる。

ジャー。

よし。

完璧だ。

これは先延ばしではない。

汚れを浮かせるための、計画的な作戦なのだ。

僕は洗い物をしたのではない。

洗い物をしないための準備をしたのである。

しかし、不思議なことに達成感がある。

よくやった、僕。

さて。

いったん、ゴロゴロだ。

1時間後、悪魔は消えていた

ソファに寝転がる。

ああ、最高だ。

満腹。

幸せ。

もう何もしたくない。

スマホを触る。

動画を見る。

洗い物?

もちろん覚えている。

あとでやる。

ちゃんとやるつもりだ。

しかし、30分が経ち、1時間が経つと、不思議なことが起こる。

洗い物の存在を完全に忘れているのだ。

あれほど恐ろしかった悪魔たち。

皿。

茶碗。

箸。

そして、最強の敵、フライパン。

全員、消えた。

僕の世界から、悪魔が消えたのである。

なんという平和。

なんという静寂。

僕はついに、悪魔の支配から解放された。

戦わずして勝利したのだ。

すごい。

人間の忘却能力とは、なんと素晴らしいのだろう。

さっきまで敵だったのに、今は存在すら認識していない。

僕は自由を手に入れた。

しかし、僕はまだ知らなかった。

悪魔たちは消えたのではない。

ただ、流しの中で静かに眠っていただけなのだ。

そして、その夜。

僕は洗い物のことを思い出さないまま、眠りについた。

翌朝、悪魔は復活した

次の日の朝。

目が覚めた。

よく寝た。

気分もいい。

顔を洗い、朝ご飯でも食べようと台所へ向かう。

……。

なんだこれは?

流しに、何かがいる。

皿。

茶碗。

箸。

フライパン。

昨日の夜、僕が使った食器たちだ。

悪魔の大群である。

おかしい。

昨日、確かに封印したはずだ。

水につけて、流しに閉じ込めた。

そして、僕の記憶からも消し去った。

完璧だった。

それなのに、なぜここにいるのだ。

しかも、一晩経っている。

水は濁っている。

油が浮いている。

何だか昨日より強そうだ。

悪魔たちは、一晩かけて進化していた。

昨日のうちに倒しておけばよかった。

しかし、もう遅い。

僕は流しを見つめた。

悪魔たちも、僕を見つめている。

……。

さて。

とりあえず、朝ご飯でも食べるか。

僕は新しい皿を取り出した。

敵が一人、増えた。

もう、どうしようもない。

お分かりの通り、僕は洗い物が嫌いだ

お分かりの通り、僕は洗い物が嫌いだ。

大嫌いだ。

できることなら、一生やりたくない。

料理は好きだ。

食べることも好きだ。

自分で作った料理を食べる時間は、なかなか幸せである。

しかし、洗い物だけはどうしても好きになれない。

こんな人は、きっと多いだろう。

不思議なものだ。

皿を洗うだけである。

命を懸けるわけでもない。

難しい技術が必要なわけでもない。

たかが数分の作業だ。

それなのに、なぜこれほど嫌なのだろう。

しかも、僕は知っている。

洗い始めてしまえば、意外とすぐに終わることを。

それでも、やりたくない。

昨日の夜も、洗おうと思えば洗えた。

しかし、洗わなかった。

そして今、僕の目の前には、一晩熟成された悪魔たちがいる。

なぜ僕たちは、これほどまでに洗い物を嫌うのか。

その心理を考えてみたい。

そして、できることなら克服する方法も探してみよう。

もっとも、僕としては、克服するより先に、洗わずに済む方法を見つけたい。

洗い物が嫌いな8つの心理

① 食事が終わった時点で、すべて終わったと思っている

これが一番大きい気がする。

料理を作った。

食べた。

満腹になった。

もう満足だ。

僕の中では、すべての工程が終了している。

店で例えるなら、閉店だ。

看板を下ろし、シャッターを閉め、従業員は帰宅する時間である。

ところが、そこで突然、洗い物が登場する。

「まだ仕事が残っていますよ」

なんだと?

もう閉店したではないか。

なぜ、今さら働かなければならないのだ。

そう。

僕にとって洗い物とは、食事の一部ではない。

食事が終わったあとに発生する、謎の残業なのだ。

しかも、残業代は出ない。

残業を断ることもできない。

誰かに任せることもできない。

なんというブラック企業。

社長は誰だ。

僕だ。

従業員も僕だ。

苦情を言う相手がいない。

そもそも、食事の前ならまだ動ける。

お腹も空いているし、料理を完成させるという目的がある。

しかし、食べ終わったあとの僕には、もう目的がない。

あるのは満腹感と、休みたいという気持ちだけだ。

その状態で、もうひと仕事。

嫌になるのも無理はない。

② 頑張っても元に戻るだけで、達成感がない

料理には、完成がある。

材料を切る。

炒める。

味をつける。

すると、おいしい料理ができあがる。

素晴らしい。

努力した結果、何かが生まれる。

しかし、洗い物はどうだ。

汚れた皿を洗う。

きれいになる。

終わり。

元の皿に戻っただけではないか。

新品になったわけでもない。

皿が増えたわけでもない。

何か特別な能力を手に入れたわけでもない。

ただ、最初の状態に戻っただけだ。

なんという地味な仕事。

しかも、明日になればまた汚れる。

今日洗っても、明日にはまた洗わなければならない。

明日洗っても、明後日にはまた洗わなければならない。

終わりがない。

まるで、永遠に続く戦いである。

もちろん、きれいになった食器を見ることに達成感を覚える人もいるだろう。

しかし、僕は違う。

きれいな皿を見ても、あまり感動しない。

なぜなら、さっきまできれいだったのだから。

自分で汚して、自分で元に戻す。

よく考えたら、何をしているのだろう。

いや、生活とはそういうものなのだ。

わかっている。

わかっているのだが、どうしても面倒くさい。

③ 洗い始めるまでが異常に面倒くさい

洗い物の恐ろしいところは、作業そのものではない。

始めるまでが異常に面倒くさいことだ。

たとえば、皿が数枚しかない日。

洗えば5分で終わる。

それなのに、なかなか始められない。

スマホを触る。

少し休む。

動画を見る。

また休む。

気づけば1時間。

おかしい。

5分で終わる作業を、1時間も先延ばししている。

しかも、いざ洗い始めると、意外と何ともない。

スポンジに洗剤をつける。

皿を洗う。

すすぐ。

次の皿を洗う。

気づけば終わっている。

「あれ? もう終わった」

毎回そう思う。

だったら、最初から洗えばいいではないか。

僕もそう思う。

しかし、次の日になると、また同じことを繰り返す。

なぜなのだ。

おそらく、洗い物をする前には、実際の作業以上に面倒なものとして想像しているのだろう。

やる前は巨大な敵に見える。

ところが、戦ってみると意外と弱い。

敵の強さではなく、戦うまでの気の重さに負けているのだ。

なんとも情けない話である。

④ 満腹になると、何もしたくなくなる

食後というタイミングも悪い。

非常に悪い。

お腹がいっぱいになると、僕は休みたくなる。

座りたい。

寝転がりたい。

何も考えたくない。

そんな状態で、台所に立って皿を洗えと言われる。

今じゃなきゃダメなのか。

食後の僕は、もう戦える状態ではない。

満腹の勇者である。

剣を持つ気力もない。

防具を着る気力もない。

ただ、ソファに横たわっていたい。

しかも、食事が終わった直後というのは、ちょうど気持ちが緩む瞬間だ。

料理中はあれほど動いていたのに、食べ終わった途端、急に何もしたくなくなる。

不思議だ。

料理を作っていた僕は、どこへ行ったのだろう。

さっきまで、包丁を握り、フライパンを振り、調味料を探していたではないか。

あんなに活動的だったのに。

今は皿一枚、洗いたくない。

料理をする僕と、洗い物をする僕は、まるで別人なのだ。

⑤ 汚れた食器を触ること自体が不快

洗い物には、不快なものが多い。

油でギトギトになったフライパン。

ソースがこびりついた皿。

食べかすの残った茶碗。

そして、排水口にたまった生ごみ。

あれは何なのだ。

さっきまでおいしく食べていたものなのに、皿に残った瞬間、急に触りたくなくなる。

同じ食べ物のはずではないか。

なぜ、あんなにも印象が変わるのだろう。

特に、油汚れ。

一度洗ったつもりなのに、まだヌルヌルしている。

もう一度洗う。

まだ少しヌルヌルしている。

お前、いつまでそこにいるんだ。

そして、フライパン。

大きい。

重い。

洗いにくい。

流しの中で場所を取る。

しかも、油でギトギト。

なんという強敵。

食事中は頼もしい仲間だったのに、洗い物になると最も厄介な存在へと変貌する。

人間関係も、食器関係も、付き合う場面によって印象が変わるものなのだ。

⑥ 洗うだけでは終わらない

洗い物という言葉にも、少し問題があると思う。

洗うだけなら、まだいい。

しかし、実際にはそれだけでは終わらない。

食器を流しへ運ぶ。

食べ残しを片づける。

スポンジに洗剤をつける。

洗う。

すすぐ。

水を切る。

乾かす。

乾いたら食器棚に戻す。

場合によっては、シンクまで掃除する。

仕事が多すぎる。

皿を洗うだけの話だったではないか。

なぜ、こんなに工程が増えているのだ。

しかも、食器を洗い終えたあとも、流しが汚れていることがある。

食べかすが残っている。

泡がついている。

排水口も気になる。

まだ終わらない。

いつになったら解放されるのだ。

ようやく全部終わったころには、もう次の食事の時間が近づいている。

そして、また料理をする。

また皿を使う。

また汚れる。

終わりのない循環である。

⑦ 今やらなくても困らないから、先延ばしする

洗い物は、今すぐやらなくても何とかなる。

これが厄介だ。

たとえば、火をつけたまま料理を放置するわけにはいかない。

洗濯物だって、必要な服がなければ困る。

しかし、洗い物はどうだ。

とりあえず流しに入れておけばいい。

今すぐ困るわけではない。

明日の朝でもいい。

昼でもいい。

夜でもいい。

もちろん、衛生面を考えれば早く洗った方がいい。

しかし、今この瞬間の僕は困っていない。

だから、やらない。

しかも、水につけておけば、もっともらしい理由までできる。

「汚れを浮かせているんだ」

素晴らしい。

何もしていないのに、何かをしているような気分になれる。

しかし、よく考えてほしい。

洗い物を明日に回しても、洗う人間は変わらない。

今日の僕が洗わなければ、明日の僕が洗う。

それだけだ。

明日の僕に、仕事を押しつけているのである。

しかも、明日の僕だって洗い物は嫌いだ。

なぜ、未来の自分なら喜んで洗うと思っているのだろう。

完全に迷惑な話だ。

⑧ 視界から消えると、存在まで忘れてしまう

そして、これである。

僕にとって、最も恐ろしい心理だ。

食器を流しに入れる。

水につける。

リビングへ移動する。

ソファに寝転がる。

すると、どうなるか。

最初は覚えている。

「あとで洗わないとな」

しかし、時間が経つにつれて、その意識が薄れていく。

そして1時間後。

悪魔は消えている。

もちろん、実際に消えたわけではない。

流しには、相変わらず皿もフライパンもある。

しかし、僕の頭の中からは消えている。

見えなくなると、考えなくなる。

目の前のスマホや動画の方が、ずっと楽しいからだろう。

そして翌朝、台所へ向かう。

「なんだこれは?」

昨日の自分が放置した洗い物を、まるで初めて見たかのように驚く。

ひどい。

自分で汚したのに。

自分で流しに入れたのに。

自分で忘れたのに。

まるで、誰かに嫌がらせをされたような気分になる。

犯人は僕だ。

しかも、完全な確信犯である。

洗い物が嫌いな人の対処法4選

ここまで、洗い物が嫌いな心理を考えてきた。

なるほど。

いろいろ理由があるらしい。

しかし、理由がわかったところで、流しの食器が消えるわけではない。

悪魔たちは、今日もそこにいる。

では、どうすればいいのか。

僕なりに、対処法を考えてみたい。

① そもそも洗い物を増やさない

これが一番いいのではないだろうか。

洗い物が嫌いなら、最初から洗い物を増やさなければいい。

ワンプレート料理にする。

鍋ひとつで作れる料理を選ぶ。

皿を何枚も使わない。

これだけでも、かなり違う。

さらに、紙皿や割り箸を使うという方法もある。

食べ終わったら捨てるだけだ。

洗う必要がない。

なんという素晴らしい発明。

陶器の皿なら悪魔になるのに、紙皿なら最後まで仲間でいてくれる。

食器の材質ひとつで、僕たちの友情は守られるのである。

さらに、皿にラップを敷く方法もある。

ラップの上に料理を盛りつける。

食べ終わったら、ラップを外す。

皿は汚れていない。

素晴らしい。

皿を使ったのに、皿を洗わなくていい。

なんという完全犯罪。

ただし、熱い料理や刃物を使う場合などには向かないこともある。

ラップや紙皿のごみも増えるし、毎日使えば費用もかかる。

疲れた日の奥の手くらいがいいのかもしれない。

そして、さらに究極の方法がある。

フライパンのまま食べるのだ。

なぜ、わざわざ皿に移す必要があるのだろう。

フライパンで料理を作った。

完成した。

だったら、そのまま食べればいいではないか。

皿に移すから、洗い物が増えるのだ。

フライパンから直接食べれば、皿は必要ない。

素晴らしい。

皿という存在を、食事の工程から追放するのである。

もちろん、やけどやコーティングの傷には気をつけたい。

それにしても、ここまで来ると、もはや料理の話ではない。

洗い物を減らすために、食事の形式そのものを変え始めている。

僕はいったい、何と戦っているのだろう。

② 料理中に洗えるものは洗っておく

料理中には、意外と待ち時間がある。

お湯が沸くまで。

食材に火が通るまで。

煮込んでいる間。

もちろん、火のそばを離れられない場合もあるが、安全に手が空く時間なら、使い終わった調理器具を洗っておく。

包丁。

まな板。

ボウル。

使い終わった鍋。

食後に全部まとめて洗うより、負担が少なくなる。

考えてみれば、料理中の僕は元気なのだ。

包丁を握り、フライパンを振り、あちこち動き回っている。

だったら、その勢いで洗えばいい。

食後の僕に期待してはいけない。

あいつは、すぐゴロゴロする。

しかも、すぐ忘れる。

未来の僕を信用しない。

これが大切なのかもしれない。

料理中に敵の数を減らしておけば、食後に待っている悪魔も少なくなる。

戦争が始まる前に、敵の戦力を削っておくのだ。

③ ゴロゴロする前に洗う

これが最も単純で、最も難しい方法だ。

食べ終わったら、そのまま洗う。

ソファに座る前に洗う。

スマホを触る前に洗う。

一度ゴロゴロしたら、もう終わりだからだ。

ソファには、恐ろしい吸引力がある。

座った瞬間、立ち上がる気力を奪われる。

そして、洗い物の存在を忘れる。

だから、座る前に洗ってしまう。

どうしても面倒なら、まずは皿を1枚だけでも洗う。

箸だけでもいい。

とにかく始める。

洗い始めれば、そのまま全部終わらせられるかもしれない。

そして、忘れてはいけないことがある。

どうせ明日には、洗わなければならないのだ。

今日やらなくても、明日やる。

明日やらなくても、いつかやる。

誰かが代わりに洗ってくれるわけではない。

ただ、先送りしているだけである。

しかも、一晩放置すると、汚れがこびりついたり、臭いが発生したりすることもある。

逃げた先に、さらに強くなった悪魔が待っているのだ。

だったら、今日のうちに倒してしまおう。

……。

そんなことは、最初からわかっている。

わかっているのに、ゴロゴロしてしまうから困っているのだ。

④ 道具や娯楽に頼る

洗い物そのものを好きになるのは、難しい。

だったら、別の楽しみと組み合わせればいい。

好きな音楽を流す。

ラジオを聴く。

オーディオブックで読書をする。

耳で楽しめるものなら、手を動かしながらでも楽しめる。

洗い物の時間を、好きなことを楽しむ時間に変えてしまうのだ。

好きな曲を3曲流して、その間に終わらせる。

ラジオの話を聞きながら洗う。

これなら、少しは気が楽になるかもしれない。

食洗機に頼るのもいい。

洗いやすい食器を選ぶのもいい。

自分が頑張らずに済む仕組みを作るのだ。

そして、もうひとつ。

お皿になりきってみる。

自分が皿だったら、どうだろう。

おいしい料理を乗せられ、人間に散々使われ、食べ終わったら流しに放り込まれる。

しかも、一晩放置される。

ひどい話ではないか。

僕だったら、こう思う。

「おい! 使うだけ使って、あとは知らん顔か!」

そうだ。

皿だって、きれいになりたいはずだ。

昨日まで仲間だったではないか。

なのに、僕は悪魔呼ばわりしていた。

なんだか申し訳なくなってきた。

よし、洗ってやろう。

まさかの感情移入による洗い物克服法である。

もちろん、これで洗い物嫌いが治るという根拠があるわけではない。

しかし、少なくとも僕は、皿に少し優しくなれそうな気がする。

洗い物を好きになる必要はない

いろいろ考えてみたが、ひとつ気づいたことがある。

僕は、別に洗い物を好きになりたいわけではない。

嫌いなものは嫌いなのだ。

洗い物をするたびに「楽しい!」「最高!」なんて思える人間になりたいわけでもない。

ただ、食後に気持ちよくゴロゴロしたいだけである。

そのために、食器を減らす。

料理中に洗う。

便利な道具に頼る。

できるだけ面倒な工程をなくす。

それでいいのではないだろうか。

何も、すべての家事を好きになる必要はない。

苦手なことを無理やり好きになろうとするより、苦手なままでも困らない方法を考える。

それも立派な工夫だと思う。

そして、今回わかったことがある。

悪魔は、最初から悪魔だったわけではない。

食事中、皿は僕を支えてくれた。

茶碗は、ご飯を受け止めてくれた。

箸は、食べ物を運んでくれた。

フライパンは、おいしい料理を作ってくれた。

みんな、立派に仕事をしてくれたのだ。

それなのに、僕はどうした。

食べ終わった瞬間、全員を敵扱いした。

流しに放り込んだ。

水につけた。

忘れた。

翌朝、再会して驚いた。

そして、悪魔だと騒いだ。

ひどい話ではないか。

悪魔は皿ではない。僕だったのだ。

そう考えると、少しだけ洗い物に向き合える気がしてきた。

よし。

今日からは、食べ終わったらすぐ洗おう。

未来の自分に押しつけるのはやめよう。

仲間だった食器たちを、最後まで大切にしよう。

僕は心に誓った。

そして、その日の夜。

おいしい晩ご飯を食べた。

満腹だ。

もう満足だ。

あとはゴロゴロしたい。

ふと台所を見る。

皿。

茶碗。

箸。

フライパン。

……。

なんだこれは!

いや、わかっている。

今日こそ洗う。

絶対に洗う。

ただ、その前に。

いったん、流しに入れておこう。

……。

どうやら、僕と悪魔たちの戦いは、まだまだ続きそうだ。

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