パンダの名前には、以前から気になっていることがある。
ランラン。
カンカン。
シャンシャン。
リーリー。
シンシン。
シャオシャオ。
レイレイ。
なぜ、みんな二回言うのだ。
一回では駄目なのだろうか。
ラン。
カン。
シャン。
リー。
シン。
シャオ。
レイ。
別に悪くない。
むしろ、呼ぶ側としては楽になる。
それなのに、わざわざ二回繰り返す。
「シャンシャーン!」
「リーリー!」
「レイレーイ!」
パンダは耳が遠いのだろうか。
それとも、二回呼ばないと振り向かないという、パンダ界独自のルールでもあるのだろうか。
しかも、不思議なことに、僕たちはこの名前をまったくおかしいと思わない。
シャンシャン。
かわいい。
ランラン。
かわいい。
カンカン。
これもかわいい。
しかし、冷静に考えてほしい。
カンカンって、怒っている人ではないか。
「あの人、カンカンに怒っていたよ」
そんな使い方をする言葉だ。
それなのに、パンダにつけた瞬間、かわいらしい名前になる。
これはどういうことなのだろう。
今回は、パンダの名前がなぜ繰り返されるのかを考えてみたい。
ただし、最初に断っておく。
途中から、パンダとはあまり関係のない話になる可能性がある。
いや、たぶんなる。
僕自身、すでにその予感がしている。
そもそも、なぜパンダの名前は繰り返すのか?
まずは真面目に調べてみた。
パンダの名前が繰り返される背景には、中国語の名前の付け方が関係しているらしい。
中国語には、同じ音や言葉を繰り返す「畳語(じょうご)」という表現がある。
親しみや愛情を込めた呼び方にも使われる。
つまり、ランランやシャンシャンという名前は、適当に二回言っているわけではない。
ちゃんと文化的な背景があるのだ。
なるほど。
僕は納得した。
しかし、ひとつ疑問が残る。
だったら、三回でもいいのではないか。
ランランラン。
シャンシャンシャン。
カンカンカン。
カンカンカンは、もう火事を知らせているようにしか聞こえない。
「カンカンカンが生まれました!」
大変だ。
何かが燃えているのかもしれない。
四回ならどうだ。
ランランランラン。
これは長い。
「ランランランラン! こっちおいで!」
名前を呼んでいる間に、パンダがどこかへ行ってしまいそうだ。
やはり二回くらいがちょうどいいのかもしれない。
日本語にも、同じ音を繰り返す言葉は多い。
わくわく。
どきどき。
ふわふわ。
ころころ。
なんだか楽しそうではないか。
もちろん、全部が楽しいわけではない。
イライラ。
クヨクヨ。
シクシク。
こちらは少し様子がおかしい。
それでも、繰り返すことで言葉の印象が強くなるのは確かだ。
パンダの名前も、そんな響きと相性がいいのだろう。
ただし、ひとつ大切なことがある。
パンダの名前は、必ず二回繰り返さなければならないわけではない。
和歌山県のアドベンチャーワールドで暮らしていたパンダたちには、良浜、結浜、彩浜、楓浜など、繰り返さない名前がある。
つまり、パンダ界に「名前は二回言うこと」という法律があるわけではないのだ。
よかった。
もしそんな法律があったら、違反したパンダはどうなるのだろう。
「君の名前はランだね?」
「はい」
「一回しか言っていないじゃないか!」
「すみません」
「パンダ命名法違反だ!」
そんな世界は嫌だ。
そもそも、パンダ本人には何の責任もない。
勝手に名前をつけたのは人間なのだから。
パンダの名前は誰が決めているのか?
日本でパンダの名前といえば、上野動物園の印象が強い。
1972年、日本にやってきたカンカンとランラン。
その後も、トントン、ユウユウ、シャンシャンなど、同じ音を繰り返す名前が親しまれてきた。
一度「パンダの名前は繰り返すもの」というイメージができると、次のパンダにも同じような名前をつけたくなるのかもしれない。
「新しいパンダの名前を募集します!」
そう言われたら、僕もおそらく繰り返す名前を考える。
ルンルン。
ポンポン。
モフモフ。
ノンノン。
とにかく二回言いたくなる。
あの丸い顔。
黒い耳。
のんびりした動き。
竹を食べている姿。
そこに「田中健一」という名前をつけようとは、なかなか思わない。
しかし、田中健一だって立派な名前ではないか。
何も悪いことをしていない。
むしろ、誠実そうだ。
なのに、なぜパンダには似合わないのか。
その謎については、あとで考えよう。
ちなみに、2021年に上野動物園で生まれた双子のパンダは、名前を一般公募で募集した。
応募総数は19万2,712件。
選ばれたのは、シャオシャオとレイレイだった。
シャオシャオは「暁暁」と書き、夜明けの光が差して明るくなるという意味。
レイレイは「蕾蕾」と書き、つぼみから美しい花が咲き、未来へつながるという願いが込められている。
なんと美しい名前だろう。
僕は少し反省した。
さっきまで、ランランランだの、カンカンカンだのと騒いでいた自分が恥ずかしい。
ちゃんと意味があるのだ。
それでも、僕は思う。
やっぱり、みんな二回言いたいのだ。
犬が「ポチポチ」だったらどうだろう
ここで、ほかの動物について考えてみたい。
例えば、犬。
昔ながらの犬の名前といえば、ポチ。
「ポチ! おいで!」
いい。
非常にしっくりくる。
ところが、これをパンダ式にしてみる。
「ポチポチ! おいで!」
どうだろう。
なんだか変ではないか。
「ポチポチが散歩に行きたがっています」
「ポチポチが吠えています」
「ポチポチが庭に穴を掘りました」
何かをクリックしているようにも聞こえる。
パソコンのマウスを操作しているのだろうか。
しかも、犬が二匹いたらどうなる。
「ポチポチ!」
二匹のポチをまとめて呼んでいるのか、一匹のポチポチを呼んでいるのか。
ややこしい。
もちろん、犬にポチポチという名前をつけてはいけないわけではない。
それでも、やはり「ポチ」の方がしっくりくる。
不思議だ。
では、猫はどうだろう。
猫は二文字の名前がしっくりくる
猫の名前を思い浮かべてみる。
タマ。
ミケ。
クロ。
トラ。
モモ。
ハナ。
チビ。
なんだろう。
二文字の名前が、妙に似合う。
もちろん、猫の名前がすべて二文字というわけではない。
それでも、僕の中では猫と二文字の相性が抜群なのだ。
「タマ!」
いい。
「ミケ!」
いい。
「クロ!」
これもいい。
では、パンダ式にしてみよう。
「タマタマ!」
……。
ちょっと待ってくれ。
これは駄目だ。
いや、駄目というわけではない。
ただ、別の意味が生まれてしまう。
公園で大声で呼んでみてほしい。
「タマタマー!」
周囲の人が振り向くだろう。
猫ではなく、あなたの方を。
「うちのタマタマがいなくなったんです!」
警察に相談しても、説明がややこしくなりそうだ。
「最後に見たのはいつですか?」
「今朝です」
「特徴は?」
「毛がふさふさで……」
もうやめよう。
猫の話をしているのだ。
決して、ほかの話ではない。
では、ミケミケならどうだろう。
こちらは悪くない。
クロクロ。
少し黒すぎる気がする。
トラトラ。
何か作戦が始まりそうだ。
モモモモ。
桃が四つ並んでいる。
こうして考えると、同じ繰り返しでも、響きによって印象が大きく変わる。
猫に似合う名前と、パンダに似合う名前は、どこか違うのだ。
ただし、これは僕の感覚である。
猫に聞いたわけではない。
そもそも、猫に聞いたところで答えてくれるのだろうか。
「タマ、名前についてどう思う?」
「ニャー」
なるほど。
まったくわからない。
ほかの動物にも、繰り返す名前をつけてみよう
パンダだけでは不公平だ。
ほかの動物にも、同じ名前の付け方をしてみたい。
まずはライオン。
ガオガオ。
意外と似合う。
「ライオンのガオガオが、本日誕生日を迎えました!」
かわいいではないか。
しかし、ガオガオという名前のライオンが、実際にはまったく吠えなかったらどうするのだ。
いつも寝ている。
飼育員が近づいても無反応。
ガオガオのくせに、全然ガオガオしない。
名前負けである。
では、ゴリラ。
ウホウホ。
「ゴリラのウホウホが、バナナを食べています」
似合う。
似合いすぎる。
もはや名前なのか、鳴き声のつもりなのかわからない。
では、ゾウ。
パオパオ。
かわいい。
小さなゾウなら、特に似合いそうだ。
ところが、巨大な大人のゾウになってもパオパオである。
堂々とした姿で歩いている。
その名前がパオパオ。
なかなかのギャップだ。
そして、カバ。
バブバブ。
いや、これは赤ちゃんではないか。
「バブバブが大きな口を開けました!」
赤ちゃんがあくびをしたように聞こえる。
実際には、巨大なカバが口を開いているのだ。
名前というのは、実物の印象まで変えてしまうのかもしれない。
パンダに「田中健一」と名づけてみる
ここで、逆のことを考えてみたい。
パンダに、普通の日本人の名前をつけたらどうなるのだろう。
例えば、田中健一。
「本日、上野動物園で新しいジャイアントパンダが誕生しました。名前は田中健一です」
……。
急に親戚のおじさんが生まれた。
いや、田中健一という名前が悪いわけではない。
立派な名前だ。
ただ、パンダとの相性がどうにも不思議なのである。
「田中健一が竹を食べています」
何だろう。
仕事をサボっているように聞こえる。
「田中健一が、木の上で眠っています」
おい、田中。
勤務中だぞ。
「田中健一は現在、繁殖のための準備を進めています」
急に聞いてはいけない話を聞いてしまった気分になる。
そして、動物園の案内板にこう書かれている。
ジャイアントパンダ 田中健一(オス)
もう完全に人間ではないか。
名前の横に顔写真が貼られていたら、社員証のように見えるだろう。
観客も困る。
「見て! 田中健一がいるよ!」
「本当だ! 田中健一だ!」
「田中健一、かわいい!」
全国の田中健一さんは、どんな気持ちになるのだろう。
自分と同じ名前のパンダが、毎日大勢の人からかわいいと言われている。
悪い気はしないかもしれない。
しかし、会社でこう言われたらどうだ。
「田中さん、昨日テレビに出てましたね」
「え? 僕がですか?」
「竹を食べてましたよ」
食べていない。
人違いだ。
いや、パンダ違いだ。
ここまで考えて、僕は気づいた。
パンダに人間の名前をつけると、急に人間らしく見えてくるのだ。
のんびり竹を食べているだけなのに、仕事をサボっているように感じる。
木の上で寝ているだけなのに、勤務態度が悪いように感じる。
パンダは何も変わっていない。
変わったのは名前だけだ。
では、人間にパンダのような名前をつけてみよう
今度は逆だ。
人間に、パンダ式の名前をつけてみたい。
そこで、僕は三人の人物を考えてみた。
田中るんるん。
佐藤カンカン。
鈴木シクシク。
この三人である。
なんだろう。
名前を見ただけで、すでに性格がわかる気がする。
しかも、三人とも同じ会社に勤めていることにしよう。
これは完全に僕の空想である。
① 田中るんるん。毎日が楽しくて仕方ない男
まず、田中るんるん。
営業部に勤める32歳。
独身。
趣味は旅行とカラオケ。
朝から元気だ。
「おはようございまーす!」
誰よりも大きな声で挨拶する。
月曜日でも元気。
雨の日でも元気。
電車が遅延していても元気。
「いやー! 今日も一日頑張りましょう!」
何がそんなに楽しいのだ。
僕にはわからない。
しかも、この男は仕事でミスをしても明るい。
「田中! お前、昨日の資料どうした!」
「あっ! 忘れてました!」
「何をやってるんだ!」
「すみません! 次から気をつけます!」
満面の笑みだ。
本当に反省しているのだろうか。
しかし、田中るんるんには不思議な魅力がある。
誰に怒られても、あまり落ち込まない。
嫌なことがあっても、翌日には忘れている。
そして、また元気に出勤する。
「おはようございまーす!」
この男の人生は、常にるんるんなのだ。
ただし、営業成績はあまりよくない。
本人は気にしていない。
それでいいのか、田中るんるん。
② 佐藤カンカン。常に怒っている課長
次に、佐藤カンカン。
営業部の課長。
52歳。
既婚。
趣味は不明。
おそらく、怒ることだ。
この男は、とにかく怒っている。
朝から怒っている。
昼も怒っている。
夕方も怒っている。
「おい! 田中!」
「はい!」
「お前、またミスしただろ!」
「すみません!」
「何回言わせるんだ!」
カンカン。
怒っている。
カンカン。
名前まで怒っている。
しかも、佐藤カンカンは怒ると顔が赤くなる。
机を叩く。
眉間にしわを寄せる。
そして、こう叫ぶ。
「俺は怒っているんだぞ!」
知っている。
名前を見ればわかる。
ただ、佐藤カンカンにも悩みがある。
名前のせいで、威厳が出ないのだ。
取引先との会議。
「初めまして。営業部課長の佐藤カンカンです」
相手が一瞬、固まる。
「……カンカンさん?」
「はい。佐藤カンカンです」
「かわいらしいお名前ですね」
「何がかわいいんだ!」
ほら、また怒った。
③ 鈴木シクシク。なぜかいつも泣いている新入社員
最後は、鈴木シクシク。
23歳。
営業部の新入社員。
入社してまだ三か月。
趣味は映画鑑賞。
好きなジャンルは感動もの。
もう嫌な予感しかしない。
この男は、とにかく泣く。
上司に怒られたら泣く。
仕事でミスをしたら泣く。
同期が褒められても泣く。
自分が褒められても泣く。
結局、何をしても泣くのだ。
しかも、ハンカチを七枚持ち歩いている。
月曜日用。
火曜日用。
水曜日用。
木曜日用。
金曜日用。
予備。
予備の予備。
なぜ、そんなに必要なのだ。
本人に聞いてみた。
「いつ泣くかわからないので……」
そう言いながら、もう泣いている。
早い。
まだ何も起きていない。
しかし、鈴木シクシクは悪い人間ではない。
むしろ、非常に優しい。
同僚が困っていたら助ける。
失敗した人がいたら励ます。
そして、相手より先に泣く。
「大丈夫ですよ……僕も昔、同じ失敗をして……ううっ……」
お前が励まされる側になってどうする。
そんな鈴木シクシクは、佐藤カンカンが大の苦手だ。
当然だろう。
怒る人間と泣く人間。
相性がいいはずがない。
三人が同じ会社にいたらどうなるのか
ある日のこと。
田中るんるんが、大事な取引先へのメールを送り忘れた。
当然、佐藤カンカンは激怒する。
「田中るんるん!」
「はい!」
「お前、何をやっているんだ!」
「すみません!」
「すみませんじゃないだろ!」
「次から気をつけます!」
「笑うな!」
「笑ってません!」
笑っている。
そして、その横で鈴木シクシクが泣き始めた。
「ううっ……」
佐藤カンカンが振り向く。
「鈴木! お前は何で泣いているんだ!」
「田中さんが怒られているのが、かわいそうで……」
「お前は関係ないだろ!」
「うううっ……」
泣き声が大きくなる。
田中るんるんが鈴木シクシクの肩を叩いた。
「大丈夫! 僕は気にしてないから!」
いや、気にしろ。
お前が原因なのだ。
佐藤カンカンは、ますます怒る。
「田中! お前は少しは反省しろ!」
「はい!」
「鈴木! お前は泣くな!」
「はい……ううっ……」
「二人とも、いい加減にしろ!」
そして、ついに佐藤カンカンは机を叩いた。
バン!
鈴木シクシクが飛び上がる。
田中るんるんは笑っている。
るんるんがミスをして、カンカンが怒り、シクシクが泣いている。
何なんだ、この会社は。
しかも、翌朝。
「おはようございまーす!」
田中るんるんは元気に出勤してきた。
昨日のことなど、完全に忘れている。
佐藤カンカンは、その姿を見て再び怒る。
鈴木シクシクは、朝礼が始まる前から泣いている。
もう駄目だ。
この会社には、名前を変える以外の解決策が見当たらない。
しかし、不思議ではないだろうか。
パンダなら、ランランもカンカンもシャンシャンも、ただのかわいい名前なのだ。
それが人間になると、名前だけで勝手に人物像が出来上がってしまう。
パンダは何歳になっても、かわいい名前なのか
もうひとつ気になることがある。
パンダは年を取っても、同じ名前で呼ばれ続ける。
赤ちゃんのパンダ。
ランラン。
かわいい。
若いパンダ。
ランラン。
まだかわいい。
年を取ったパンダ。
ランラン。
やっぱりかわいい。
パンダは何歳になっても、ランランで許されるのだ。
では、人間はどうだろう。
田中るんるん。
32歳。
元気な営業マン。
まだいい。
田中るんるん。
52歳。
営業部長。
少し不思議だ。
田中るんるん。
65歳。
定年退職。
「本日をもちまして、田中るんるん部長が定年を迎えられます」
なんだか、めでたい。
そして、退職後。
田中るんるん、72歳。
年金の手続きのため、役所へ向かう。
「次の方、お名前をお願いします」
「田中るんるんです」
「……るんるんさん?」
「はい!」
「少々お待ちください」
職員が困惑している。
しかし、本人は気にしない。
るんるんだからだ。
むしろ、年を取っても明るく暮らせる、いい名前なのかもしれない。
そもそも、パンダ自身は名前をどう思っているのか
ここまで、人間の都合で好き勝手に名前を考えてきた。
しかし、大切な存在を忘れていた。
パンダ本人である。
そもそも、パンダは自分の名前をどう思っているのだろう。
二回繰り返されることに、不満はないのだろうか。
もちろん、本当の気持ちはわからない。
そこで、最後に僕がパンダになりきって考えてみたい。
ここからは完全に想像の世界だ。
僕はパンダだ。
名前はシャンシャン。
毎日、竹を食べている。
竹はうまい。
今日も竹を食べる。
明日も竹を食べる。
できれば、明後日も竹を食べたい。
そんな平和な生活を送っている。
ところが、人間という生き物は、どうにも騒がしい。
「シャンシャーン!」
まただ。
飼育員が僕を呼んでいる。
「シャンシャン! ご飯だよー!」
いや、見ればわかるだろう。
今、食べている。
それなのに、何度も名前を呼んでくる。
「シャンシャン!」
「シャンシャーン!」
うるさい。
聞こえている。
そもそも、以前から気になっていた。
なぜ、僕の名前は二回なのだ。
シャン。
これでいいじゃないか。
短い。
呼びやすい。
何の問題もない。
それなのに、人間は必ず二回言う。
シャンシャン。
シャンシャン。
シャンシャン。
僕は一匹しかいないぞ。
二匹いるわけではない。
一回で十分だ。
しかも、観客まで僕の名前を繰り返す。
「シャンシャン、かわいいー!」
「シャンシャン、こっち向いてー!」
「シャンシャーン!」
少しは静かに竹を食べさせてほしい。
だいたい、人間はずるい。
田中という人間がいたとしよう。
田中。
一回だ。
佐藤。
一回。
鈴木。
一回。
なのに、僕だけシャンシャン。
人間も二回言えばいいじゃないか。
田中田中。
佐藤佐藤。
鈴木鈴木。
ほら。
おかしいだろう。
自分たちが嫌なことを、なぜ僕にするのだ。
それなら、僕にも考えがある。
明日から、人間の名前を勝手に変えてやろう。
いつも元気な飼育員は、田中るんるん。
怒ってばかりいる飼育員は、佐藤カンカン。
すぐに泣く飼育員は、鈴木シクシク。
どうだ。
かわいいだろう。
……いや、待て。
田中るんるんは、少しかわいいかもしれない。
僕は気に入った。
しかし、佐藤カンカンは嫌だ。
怒ってばかりいる人間とは、あまり関わりたくない。
鈴木シクシクも心配だ。
竹を一本あげたら、泣きながら喜びそうだ。
面倒くさい。
そんなことを考えていると、また飼育員がやってきた。
「シャンシャーン!」
またか。
僕は振り向かなかった。
「シャンシャン! こっちおいで!」
知らん。
今日は無視することにした。
すると、飼育員は困った顔をした。
「シャンシャン、今日はご機嫌ななめだね」
違う。
機嫌が悪いわけではない。
僕はただ、竹を食べたいだけなのだ。
「シャンシャン、どうしたの?」
何もない。
「シャンシャン、元気ないね」
元気だ。
「シャンシャン、怒ってる?」
怒っていない。
名前が長いのだ。
ただ、それだけなのだ。
明日から、シャンと呼んでほしい。
そうすれば、もう少し早く振り向いてやってもいい。
そんなことを思いながら、僕はまた竹を食べ始めた。
すると、遠くから声が聞こえてきた。
「シャンシャーン!」
……。
もういい。
好きにしてくれ。
僕は竹を食べる。
それだけだ。
結局、名前を気にしているのは人間だけなのかもしれない
さて、パンダになりきってみたものの、本当の気持ちはわからなかった。
ただ、ひとつ思ったことがある。
名前に意味を求めたり、響きを気にしたり、似合うかどうかを考えたりしているのは、人間の方なのだ。
犬はポチでもポチポチでも犬だ。
猫はタマでもタマタマでも猫だ。
パンダはシャンでもシャンシャンでもパンダだ。
名前が変わったところで、竹を食べる姿が変わるわけではない。
しかし、人間の受け取り方は大きく変わる。
田中健一というパンダがいたら、なんだか仕事をサボっているように見える。
田中るんるんという人間がいたら、いつも楽しそうに見える。
佐藤カンカンは怒っていそうだし、鈴木シクシクは泣いていそうだ。
実際の性格なんて、まだ何も知らないのに。
名前だけで、勝手に物語をつくってしまう。
そう考えると、名前というのは面白い。
たった数文字で、相手の印象まで変えてしまうのだから。
そして、パンダの名前が繰り返される理由も、単なる決まりではなかった。
中国語の呼び方の文化。
名前に込められた願い。
日本で親しまれてきた歴史。
そして、僕たちが「パンダにはこういう名前が似合う」と感じていること。
いろいろな要素が重なっているのだろう。
それにしても、今回いろいろ考えてみて、僕はひとつだけ確信した。
パンダに田中健一という名前をつけても、きっとかわいい。
最初は違和感があるだろう。
しかし、毎日見ていれば慣れるはずだ。
「今日の田中健一、かわいかったね」
「田中健一、竹を食べるの上手だね」
「田中健一、寝顔が最高!」
そのうち、誰も違和感を覚えなくなるのではないか。
名前なんて、案外そんなものなのかもしれない。
ただし、僕にはひとつお願いがある。
もし今後、本当に田中健一という名前のパンダが誕生したら、ぜひニュースで大きく取り上げてほしい。
僕は絶対に見たい。
そして、そのパンダが立派に成長したら、こう報じてほしい。
「田中健一、本日も元気に竹を食べています」
何だろう。
やっぱり、仕事をサボっているようにしか聞こえない。
田中健一。
頼む。
仕事に戻ってくれ。
いや、違う。
お前はパンダだった。
