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休憩時間に食事時間が含まれるのはおかしい。昼休憩60分では足りないと思う理由

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世の中には、当たり前になっているけれど、よく考えると納得できないことがある。

そのひとつが、仕事中の休憩時間だ。

例えば、昼休憩が60分あるとする。

12時から13時まで。

会社からすれば、きちんと1時間の休憩を与えている。

何も問題はない。

しかし、僕は以前から疑問に思っていた。

なぜ、その60分の中に食事時間まで含まれているのだろうか。

昼飯を食べる。

トイレに行く。

歯を磨く。

気がつけば、休憩時間の半分が終わっている。

残り30分。

……。

僕は、いつ休憩したのだ?

いや、わかっている。

法律上、食事時間を休憩に含めることは認められている。

会社が特別おかしなことをしているわけではない。

それは理解している。

しかし、僕が言いたいのは法律の話ではない。

そもそも、食事と休憩は同じものなのか。

という疑問なのだ。

僕は飯を食いたい。

そして、休憩もしたい。

この二つを、どうして同じ60分に詰め込まなければならないのだ。

そこで、ひとつ提案したい。

食事時間を30分。

休憩時間を60分。

別々に設けてほしい。

「つまり、90分休憩したいんですね?」

……。

違う。

早速、話が通じていない。

30分は食事だ。

60分が休憩だ。

食事は休憩ではないのだ。

目次

そもそも食事は休憩なのか?

まず、ここから考えてみたい。

休憩とは何だろう。

身体を休めること。

頭を休めること。

仕事から離れて、自由に過ごすこと。

僕はそう考えている。

では、食事はどうだろう。

箸を持つ。

食べ物を口へ運ぶ。

噛む。

飲み込む。

また箸を持つ。

また口へ運ぶ。

また噛む。

これを何十回、何百回と繰り返す。

めちゃくちゃ活動しているではないか。

しかも、食べ終わったら終わりではない。

胃や腸では、消化や吸収が始まる。

身体の内部は働き続けているのだ。

もちろん、食事をすることでエネルギーを補給できる。

好きなものを食べれば、気分転換にもなる。

それはわかる。

しかし、身体が活動していることも事実だ。

「でも、食事中は座っていますよね?」

そうだ。

座っている。

だから何なのだ。

座っているだけで休憩になるなら、デスクワークの人は一日中休憩していることになる。

そんなわけがない。

椅子に座っていても、仕事は仕事だ。

同じように、椅子に座って食べていても、僕は食事をしているのだ。

僕が求めているのは、食事を終えたあとに、何もしなくていい時間である。

ぼーっとしたい。

本を読みたい。

目を閉じたい。

何も考えずに過ごしたい。

何もしないことを選べる時間。それが僕の考える休憩なのだ。

「食事をしながら休めばいいじゃないですか」

……。

それができたら、こんな話はしていない。

休憩60分のうち、本当に休めるのは何分なのか

実際に考えてみよう。

休憩時間は60分。

まず、食事の準備をする。

弁当を持参しているなら取り出す。

温める必要があれば電子レンジへ向かう。

コンビニで買うなら、買いに行かなければならない。

食堂があれば、列に並ぶこともある。

そして、ようやく食事が始まる。

食べ終わったら片づける。

トイレへ行く。

歯を磨く。

時計を見る。

残り30分。

……。

僕の60分は、どこへ消えたのだ。

いや、消えてはいない。

食事に使ったのだ。

それはわかる。

しかし、僕は60分休憩したかったのだ。

食事や歯磨きまで含めた60分間の生活体験を希望したわけではない。

「じゃあ、早く食べればいいじゃないですか」

違う。

なぜ休憩時間を確保するために、早食いの技術を磨かなければならないのだ。

仕事中は時間を気にする。

食事中も時間を気にする。

食べ終わったら、また仕事。

僕は、いつゆっくりすればいいのだ。

しかも、早く食べようとすると、今度は食事そのものが慌ただしくなる。

飯くらい、落ち着いて食いたい。

「じゃあ、食事に60分使ってもいいんですよ?」

そうだろう。

しかし、それでは休憩がなくなるではないか。

「食事も休憩ですから」

だから、そこがおかしいと言っているのだ!

話が一周してしまった。

「じゃあ飯を食うな」違う。そういうことじゃない

この話をすると、必ず出てきそうな反論がある。

「そんなに休みたいなら、食事をしなければいいじゃないですか」

……。

違う。

そういうことじゃない。

僕は飯を食いたいのだ。

そして、休憩もしたいのだ。

なぜ、この二つのうち、どちらかを諦めなければならないのだ。

「食べなければ60分休めますよ?」

そうだろう。

しかし、腹が減るではないか。

「じゃあ、食べればいいじゃないですか」

そうすると、休憩時間が減るのだ。

「じゃあ、食べなければ……」

もういい!

何なのだ、この会話は。

僕はそんなに難しいことを言っているのだろうか。

食事30分。

休憩60分。

ただ、それだけのことなのだ。

そもそも、人間は食べなければ生きていけない。

もちろん、毎日決まった時間に昼食を取らなければならないわけではない。

食事の回数も、量も、人によって違う。

しかし、少なくとも僕は腹が減る。

そして、腹が減ったら飯を食いたい。

生きるために必要な行為を、休息と同じ扱いにしないでほしいのだ。

「つまり、90分休みたいんですね?」

……。

違うと言っているだろう。

どうしても90分休憩させたいらしい。

そんなに休憩時間を与えたいなら、別に構わないぞ。

ただし、食事時間は別だ。

そもそも仕事をしているから腹が減るのではないか

ここで、僕はひとつの事実に気がついた。

そもそも、なぜ仕事中に腹が減るのだろう。

朝から身体を動かす。

歩く。

物を運ぶ。

頭を使う。

人と話す。

気を遣う。

仕事の内容によって違いはあるけれど、何らかのエネルギーを消費している。

つまり、仕事をしているから腹が減るのではないか。

いや、もちろん、家でゴロゴロしていても腹は減る。

人間は生きているだけでエネルギーを消費するのだから。

しかし、身体を使う仕事なら、活動量に応じてエネルギー消費が増えることもあるだろう。

知らんけど。

とにかく、僕はこう考えた。

仕事をする。

腹が減る。

飯を食う。

また仕事をする。

つまり、食事は午後の仕事に向けた燃料補給ではないのか。

車だって、ガソリンがなくなれば走れない。

スマートフォンだって、充電が切れたら使えない。

僕だって、腹が減ったら元気がなくなる。

それなのに、燃料補給の時間を休憩から差し引かれる。

仕事で消費したエネルギーを補給するために、僕の休憩時間が減っているのだ。

なんだ、この仕組みは。

「でも、食事は自分のためですよね?」

もちろんだ。

自分のために食べている。

しかし、会社だって午後も元気に働いてほしいのではないか。

僕が腹を空かせて、ぼーっとしていたら困るだろう。

だったら、食事時間を別に設けることは、会社にとっても悪い話ではないと思う。

僕は会社のためにも、ちゃんと飯を食おうとしているのだ。

むしろ褒めてほしい。

「午後も元気に働いていただくために、どうぞお食事を」

これくらい言ってくれてもいいのではないか。

まあ、そこまで言われると少し気持ち悪いが。

食事をしなければ、午後に頭が働かない。それでいいのか?

仮に、僕が昼飯を食べなかったとしよう。

60分の休憩を確保するためだ。

素晴らしい。

これで、まるまる60分休める。

しかし、午後になったらどうだろう。

腹が減る。

集中できない。

頭が働かない。

時計ばかり気になる。

早く帰りたい。

いや、最後は食事と関係ないかもしれない。

とにかく、仕事の効率が落ちる可能性がある。

もちろん、昼食を取らなくても平気な人はいる。

食事の取り方は人それぞれだ。

しかし、僕は食べたい。

食べなければ、午後の仕事に支障が出るかもしれない。

それでいいのか?

会社としても困るのではないか。

「じゃあ、休憩中に食べればいいじゃないですか」

だから!

食事と休憩を分けてくれと言っているのだ!

僕は別に、食事時間にも給料を払えと言っているわけではない。

30分、食事をする時間が欲しい。

そして、そのあと60分休みたい。

それだけなのだ。

何度も同じ説明をしている気がする。

もしかすると、僕の説明が悪いのだろうか。

いや、そんなはずはない。

これ以上、どう説明すればいいのだ。

食事。

休憩。

漢字だって違うではないか。

休日の食事と仕事中の食事は、まったく違う

すると、こんな反論もあるだろう。

「でも、休みの日も食事しますよね?」

そうだ。

する。

当たり前だ。

休日になると光合成できる身体ではない。

しかし、ここで考えてほしい。

休日の食事と、仕事中の食事は同じなのだろうか。

休日なら、食べない自由がある。

腹が減っていなければ、昼飯を抜いてもいい。

朝食を遅く取ったなら、昼食も遅くすればいい。

時間も自由だ。

11時に食べてもいい。

13時でもいい。

15時でもいい。

場所だって自由だ。

自宅で食べてもいい。

外食してもいい。

好きな店に行ってもいい。

そして、食べ終わったあとも自由だ。

本を読む。

昼寝をする。

散歩する。

何もしない。

誰にも文句は言われない。

しかし、仕事の日はどうだ。

決められた時間に休憩が始まる。

その時間に食事を済ませる。

腹が減っていなくても、今食べておかないと次にいつ食べられるかわからない。

好きな時間に食べられるとは限らない。

好きな場所へ行けるとも限らない。

そして、時間になれば仕事に戻らなければならない。

食事の時間を決めているのは、僕ではなく仕事の都合なのだ。

もちろん、職場によっては休憩の取り方を自由に選べるところもあるだろう。

しかし、少なくとも勤務中の食事には、休日とは違う制約が生まれやすい。

それなのに、

「休日だって食事するでしょう?」

と言われても困る。

全然違うではないか。

休日は食事をしても、そのあとに自由な時間が残っている。

しかし、仕事の日は食事をすると、決められた休憩時間が減っていく。

僕が不満なのは、そこなのだ。

知らない人間に囲まれて飯を食う。これは立派な労働ではないか

さらに、もうひとつ言いたいことがある。

職場での食事だ。

休憩室に入る。

そこには人がいる。

同じ職場の人間だ。

顔は知っている。

名前も知っているかもしれない。

しかし、友達ではない。

家族でもない。

僕が自分から選んで、一緒に食事をしている相手でもない。

そんな人間たちに囲まれて、僕は飯を食っているのだ。

隣から話し声が聞こえる。

向かいでは誰かが仕事の愚痴を言っている。

別の場所では笑い声が響いている。

突然、話しかけられることもある。

「今日、忙しかったですね」

「そうですね」

……。

僕は飯を食いたいだけなのだ。

なぜ、食事中まで仕事の話をしなければならないのだ。

しかも、無視するわけにもいかない。

返事をする。

愛想よくする。

相手の話を聞く。

場合によっては、こちらから何か話さなければならない雰囲気になる。

これは立派な労働ではないか。

いや、法律上の労働時間という意味ではない。

そこはわかっている。

しかし、少なくとも僕の感覚では、気を遣っている時点で完全な休息ではないのだ。

食事をしているのに、職場の人間関係から解放されていない。

しかも、給料は出ない。

休憩時間として処理されている。

なんということだ。

僕は昼飯を食いに来たのか。それとも、無給のコミュニケーション研修に参加しているのか。

もちろん、同僚と食事をするのが楽しい人もいるだろう。

それは素晴らしい。

会話が気分転換になる人もいると思う。

しかし、僕は違う。

静かに食べたい。

食べ終わったら、静かに休みたい。

ただ、それだけなのだ。

「じゃあ、一人で食べればいいじゃないですか」

できるなら、そうしたい。

しかし、職場によっては食事を取れる場所が限られている。

結局、同じ空間で食べることになる。

仕事から解放されたはずなのに、職場の人間からは解放されていない。

これを休憩と呼んでいいのだろうか。

僕には、少し疑問が残る。

食事時間を30分、休憩時間を60分。何が問題なのか

ここまで考えて、僕の理想は明確になった。

食事時間30分。

休憩時間60分。

合計90分。

ただし、何度も言う。

90分の休憩ではない。

30分は食事をする時間だ。

60分は休む時間だ。

この違いを理解してほしい。

「食事をしない人にも30分与えるんですか?」

……。

だから、何度も言っているだろう。

これは休憩じゃないんだ!

食事をするための時間なのだ。

どうして、何でもかんでも休憩に換算しようとするのだ。

僕は食事時間の話をしている。

なのに、相手は休憩時間の話に戻してくる。

まるで、別の言語で会話しているようだ。

そして、僕はここで新たな問題に気づいた。

食事をしたあと、胃が働き始める。

ということは、身体の内部では休憩が始まっていないのではないか。

待てよ。

胃にも休憩が必要なのではないか。

食事30分。

身体の休憩60分。

胃の休憩60分。

合計150分。

……。

ん?

僕は何を言っているのだ。

そもそも、食後の胃は消化活動をしている。

60分経ったからといって、都合よく休憩に入るわけではない。

胃には胃の仕事がある。

僕が勝手に休憩時間を決めていいものではない。

危なかった。

もう少しで、胃の労働環境まで会社に改善要求するところだった。

とにかく、話を戻そう。

僕が欲しいのは、30分の食事時間と60分の休憩時間だ。

それ以上でも、それ以下でもない。

労働基準法では、食事時間も休憩に含まれるのか?

ここで、一応、法律上の扱いも確認しておこう。

日本の労働基準法では、労働時間が6時間を超える場合は少なくとも45分、8時間を超える場合は少なくとも60分の休憩を与えることが定められている。

そして、休憩時間は原則として労働から解放され、自由に利用できる時間である。

そのため、食事をする時間を休憩時間に含めること自体は、法律上認められている。

つまり、僕がここまで文句を言ってきた仕組みは、基本的に違法ではない。

残念だ。

いや、別に違法であってほしかったわけではない。

ただ、法律がそうなっているからといって、僕が納得しなければならないわけでもない。

ちなみに、休憩中でも電話対応や来客対応を義務づけられ、自由に過ごせない場合は、労働時間に当たる可能性がある。

ここは、僕の屁理屈とは別の重要な話だ。

しかし、今回の僕の主張は、そういう法律上の問題ではない。

食事をする時間と、何もせず休める時間を、別々に考えてほしい。

ただ、それだけなのだ。

「法律では食事時間も休憩ですよ」

そう言われれば、理解はできる。

しかし、納得できるかと聞かれれば、話は別だ。

世の中には、法律上問題がなくても、不思議に思うことがある。

僕にとっては、それが食事時間なのだ。

会社にも事情がある。それはわかっている

もちろん、会社側の事情も理解できる。

食事時間を別に30分設ければ、その分だけ勤務のスケジュールを調整しなければならない。

人員配置にも影響するかもしれない。

営業時間や交代勤務との兼ね合いもある。

すべての会社で、簡単に導入できる制度ではないだろう。

そこはわかっている。

しかし、僕は提案しているのだ。

今まで当たり前だった仕組みを、少し変えてみてはどうだろうかと。

食事時間を別に設ければ、慌てて食べる必要がなくなる。

食後にゆっくり休める。

午後の仕事に向けて、気持ちを切り替えられる。

働く人にとって、悪いことばかりではないと思う。

もちろん、休憩時間が長ければ必ず仕事の効率が上がる、という単純な話でもない。

それでも、食事と休息を分けることには、考える価値があるのではないだろうか。

僕はそう思う。

そして、会社にお願いしたい。

食事時間を30分、別に作ってくれ。

たった30分だ。

いや、会社にとっては大きな30分かもしれない。

しかし、僕にとっても大きな30分なのだ。

飯を食う。

そのあと休む。

こんなに素晴らしいことがあるだろうか。

「それだと、合計90分になりますよ?」

そうだ。

合計90分だ。

「90分休憩ですね?」

……。

違う。

また始まった。

僕は90分休憩したいわけではない

ここまで説明してきたのに、まだ伝わらない。

食事30分。

休憩60分。

この二つを分けてほしい。

ただ、それだけなのだ。

「でも、90分間仕事をしていないですよね?」

そうだ。

仕事はしていない。

しかし、30分は飯を食っている。

「それも休憩ですよね?」

違う。

「食事中は自由ですよね?」

ある程度はそうだろう。

しかし、仕事の都合に合わせて食事をしている。

「でも、休憩時間に食べているんですよね?」

だから、その休憩時間から食事を切り離してほしいと言っているのだ!

もう何回目だろう。

僕は一体、誰と戦っているのだ。

会社なのか。

法律なのか。

それとも、「食事も休憩」という世の中の常識なのか。

もはや、わからない。

しかし、ここまで来たら引き下がれない。

僕には、どうしても譲れないことがある。

飯を食う時間と、休む時間は、僕の中では別物なのだ。

もちろん、食事を楽しむことが休憩になる人もいるだろう。

それを否定するつもりはない。

ただ、僕は食べ終わったあとに休みたい。

静かな場所で、本を読んだり、ぼーっとしたりしたい。

仕事のことを考えずに過ごしたい。

だから、食事時間を別に設けてほしいのだ。

それだけの話である。

すると、最後にこんなことを言われた。

「食事時間を30分増やすと、退勤時間が30分遅くなりますよ?」

……。

だから、何度も言っているだろう。

食事は休憩じゃないんだ!

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