僕の職場には、たくさんの人がいる。
真面目な人。
よく喋る人。
いつも機嫌の悪い人。
そして、もう一種類。
ここだけの話さんだ。
この人たちは、実に不思議な生態をしている。
何かにつけて、こう言う。
「ここだけの話なんだけどさ」
出た。
ここだけの話だ。
僕の職場には、この「ここだけの話さん」がたくさんいる。
ここだけの話さんA。
ここだけの話さんB。
ここだけの話さんC。
もはや、誰が誰だかわからない。
しかも、この人たちは、決まって同じような行動を取る。
まず、周囲を確認する。
右を見る。
左を見る。
誰もいないことを確認すると、少し声を落とす。
そして、僕に顔を近づけてくる。
「ここだけの話なんだけどさ……」
何なんだ。
その儀式は。
国家機密でも扱っているのか。
こちらまで緊張してくるではないか。
いったい何を聞かされるのだろう。
会社の重大な不祥事でも発覚したのか。
それとも、国家の存亡に関わる情報なのか。
「実はさ、あの人って……」
ああ。
またそれか。
誰々が何を言っていた。
誰々と誰々の仲が悪い。
誰々がどうしたらしい。
そんな話が始まる。
別に知りたくもない。
僕は今日も、平和に仕事を終えたいだけなのだ。
それなのに、なぜか他人の秘密を聞かされている。
しかも、話の最後には決まってこう言われる。
「絶対に誰にも言わないでね」
いや、待て。
お前が言ってるやんけ。
僕はいつも、心の中でそう思っている。
今回は、そんな「ここだけの話さん」について考えてみたい。
なぜ人は、ここだけの話をしたがるのか。
そして、なぜ僕は、ここだけの話さんをまったく信用できないのか。
そもそも「ここだけ」とは、どこなのか。
まず、僕には一つ疑問がある。
ここだけの話さんが言う「ここだけ」とは、いったいどこなのだろう。
僕とあなたがいる、この場所のことなのか。
それとも、この職場のことなのか。
あるいは、会社全体なのか。
定義が曖昧すぎる。
例えば、月曜日。
ここだけの話さんAが、僕に話しかけてきたとしよう。
「ここだけの話なんだけどさ」
僕は話を聞く。
そして火曜日。
今度は、ここだけの話さんBが近づいてくる。
「ここだけの話なんだけどさ」
またか。
水曜日。
ここだけの話さんCがやってくる。
「ここだけの話なんだけどさ」
お前もか。
ここだけの話さんたちは、どうやら職場のあちこちに生息しているらしい。
しかも、それぞれが独自の情報を持っている。
いや、本当に独自なのだろうか。
もしかすると、AさんがBさんに話しているかもしれない。
BさんがCさんに話しているかもしれない。
Cさんが、またAさんに話しているかもしれない。
そうなると、どうなるのか。
AからBへ。
BからCへ。
CからAへ。
ここだけの話が、ここだけを循環している。
もはや、何が何だかわからない。
情報がぐるぐると回っている。
しかも、全員が秘密を守っているつもりなのだ。
「ここだけの話だからね」
いや、ここだけって、どこまでなんだ。
もしかすると、職場全員が知っているのかもしれない。
別の部署にも広がっているかもしれない。
会社全体に広まっている可能性だってある。
それでも、ここだけの話さんは言う。
「ここだけの話なんだけどさ」
お前の「ここ」は、ずいぶん広いんだな。
そのうち日本全国が「ここ」になるんじゃないか。
北海道から沖縄まで。
日本列島、すべてがここ。
もはや全国展開である。
ここだけの話さん。
お前の「ここ」は、日本列島なのか。
他人の秘密を話している時点で、信用できない。
僕がここだけの話さんを信用できない理由。
それは、極めて単純だ。
他人の秘密を勝手に話しているからだ。
もちろん、すべての「ここだけの話」が悪いわけではない。
自分自身の悩みを打ち明けることもあるだろう。
誰かに相談したくて、秘密にしてほしいとお願いすることもある。
それは理解できる。
僕が問題だと思っているのは、他人の秘密や噂話を、本人の許可もなく話してくる人たちだ。
例えば、ある人が僕に言う。
「ここだけの話なんだけど、Aさんって〇〇らしいよ」
なるほど。
そうなのか。
いや、待ってくれ。
そもそも、その話はAさん本人が他人に話していいと言ったものなのだろうか。
もし言っていないのなら、あなたは今、Aさんの秘密を勝手に漏らしていることになる。
そして、僕にこう言う。
「絶対に誰にも言わないでね」
おかしくないか。
自分は他人の秘密を漏らしている。
それなのに、僕には秘密を守るよう要求している。
どういう理屈なのだろう。
自分は約束を破ってもいい。
でも、僕は約束を守らなければならない。
そんな都合のいい話があるか。
しかも、ここだけの話さんは、なぜか僕のことを信用しているような雰囲気を出してくる。
「あなたにだけ話すんだけど」
いや、別に頼んでいない。
むしろ、話さないでほしい。
僕は他人の秘密を収集する趣味など持っていないのだ。
そして、何より恐ろしいのは、次の可能性である。
この人は、僕の秘密も誰かに話しているのではないか。
今日、Aさんの秘密を僕に話している。
ということは、明日は僕の話をBさんにしているかもしれない。
「ここだけの話なんだけど、あの人ってさ……」
おい。
やめろ。
僕をお前の情報交換の材料にするな。
他人の秘密を守れない人が、僕の秘密だけは守ってくれる。
そんな保証が、いったいどこにあるのだろう。
だから僕は、ここだけの話さんを信用できない。
秘密をたくさん教えてくれるからといって、信頼できる人とは限らない。
むしろ、逆の場合もあるのだ。
なぜ僕が、秘密の保管係にならなければいけないのか。
もう一つ、納得できないことがある。
ここだけの話さんは、勝手に秘密を持ってくる。
こちらが聞きたいと言ったわけではない。
「何か秘密を教えてください」
そんなお願いをした覚えはない。
それなのに、突然やってくる。
「ここだけの話なんだけどさ」
そして、一通り話し終える。
最後にこう言う。
「誰にも言わないでね」
ちょっと待ってくれ。
なぜ僕が、秘密の保管係に任命されたのだ。
僕は何もしていない。
ただ、そこにいただけだ。
それなのに、突然、秘密を一つ預けられてしまった。
しかも、保管期限は不明。
いつまで守ればいいのかもわからない。
一週間なのか。
一年なのか。
一生なのか。
契約書もない。
説明もない。
もちろん、報酬もない。
ただ、責任だけが発生している。
何なんだ、この仕事は。
僕は秘密保管サービスを運営しているわけではない。
しかも、ここだけの話さんが複数いると、事態はさらに複雑になる。
Aさんから聞いた話。
Bさんから聞いた話。
Cさんから聞いた話。
それぞれの秘密を管理しなければならない。
そして、ある日。
ここだけの話さんBが、僕に話しかけてくる。
「ここだけの話なんだけどさ」
聞いてみると、Aさんから聞いた話と同じだった。
ああ。
その話、もう知っている。
しかし、ここで「知っています」と答えたらどうなるだろう。
「えっ、誰から聞いたの?」
面倒くさい。
Aさんの名前を出せば、今度はAさんとの関係がややこしくなるかもしれない。
だから、僕は初めて聞いたふりをする。
「へえ、そうなんですか」
なんということだ。
なぜ僕が、お前たちの秘密の流通を管理しなければならないのだ。
しかも、演技まで要求されている。
僕は俳優ではない。
秘密の保管係でもなければ、情報管理責任者でもない。
ただの職場の人間だ。
頼むから、普通に仕事をさせてほしい。
「ここだけの話」と言う人の心理とは。
では、なぜ人は「ここだけの話」と言いたがるのだろう。
少し考えてみたい。
もちろん、人によって理由は違うだろう。
悪意があるとは限らないし、単なる口癖になっている人もいると思う。
ただ、いくつかの心理が考えられる。
まず一つ目。
自分だけが特別な情報を持っていると思われたい。
「実は、私だけ知っているんだけど」
そんな情報を持っていると、少し優越感を覚える人もいるのかもしれない。
ほかの人が知らないことを、自分は知っている。
それを誰かに伝えることで、自分が特別な存在になったように感じる。
しかし、僕は思う。
他人の秘密を知っていることが、そんなにすごいことなのだろうか。
僕にはよくわからない。
二つ目。
相手との距離を縮めたい。
秘密を共有することで、親密になったように感じることがある。
「あなたにだけ教える」
そう言われると、特別扱いされているように感じる人もいるだろう。
確かに、誰にも話せない悩みを打ち明けられたら、信頼されていると感じることはある。
しかし、他人の噂話となれば別だ。
少なくとも、僕の場合は逆効果である。
秘密を教えてもらうほど、警戒心が強くなっていく。
親密になるどころか、少し距離を置きたくなる。
ここだけの話さん。
残念ながら、あなたの作戦は失敗している。
三つ目。
相手の興味を引きたい。
これもありそうだ。
普通に話し始めるよりも、「ここだけの話なんだけど」と前置きした方が、相手は興味を持ちやすい。
何だろう。
何か重大な話なのだろうか。
そんなふうに思わせる効果がある。
いわば、会話の予告編である。
しかし、予告編が大げさすぎる場合もある。
周囲を確認し、声を落とし、顔を近づける。
そこまでして話すのだから、相当な内容なのだろう。
そう思って聞いてみる。
「あの人、最近機嫌悪いらしいよ」
……。
そうですか。
予告編だけで、映画一本分の緊張感を使ってしまった。
四つ目。
誰かに話したくて仕方がない。
これも人間らしい心理だと思う。
秘密を知ってしまった。
誰かに話したい。
でも、勝手に話してはいけないことも理解している。
そこで登場するのが、「ここだけの話」という言葉なのかもしれない。
ここだけならいい。
この人にだけならいい。
そうやって、自分の中で話すことを正当化している可能性がある。
しかし、よく考えてほしい。
ここだけならいいという理由で話しているのなら、ほかの人にも同じことを言えるのではないか。
Aさんにだけならいい。
Bさんにだけならいい。
Cさんにだけならいい。
そして、気づけば全員に話している。
「ここだけ」を積み重ねた結果、「どこでも」になってしまう。
何という矛盾だろう。
五つ目。
噂を広めたいけれど、責任は負いたくない。
これは少し厄介だ。
もちろん、すべての人がそう考えているわけではない。
ただ、「誰にも言わないでね」という言葉が、責任逃れのように使われることもあるのではないか。
自分は秘密を話した。
でも、広めたのは別の人だ。
「私は誰にも言わないでってお願いしたのに」
そう言える余地が残る。
いや、待ってくれ。
そもそも、最初に話したのは誰なのだ。
僕はそこを聞きたい。
その「ここだけの話」は、本当に事実なのか。
ここだけの話さんについて、もう一つ気になることがある。
それは、話の内容が本当なのかどうかだ。
「Aさんって、〇〇らしいよ」
らしい。
この言葉が気になる。
本人から聞いたのだろうか。
それとも、誰かから聞いたのだろうか。
さらに、その誰かは、いったい誰から聞いたのだろう。
考え始めると、きりがない。
例えば、Aさんが少し疲れた顔をしていたとする。
それを見たBさんが言う。
「Aさん、最近元気ないね」
Cさんが聞く。
「Aさん、何か悩んでるらしいよ」
Dさんに伝わる。
「Aさん、仕事で何かあったらしいよ」
そして、僕のところにやってくる。
「ここだけの話なんだけど、Aさん、仕事辞めるらしいよ」
待て。
何が起きた。
最初は、ただ疲れた顔をしていただけではないか。
いつの間に退職することになったのだ。
もちろん、これは極端な例だ。
しかし、人から人へ情報が伝わるうちに、内容が変わってしまうことは十分に考えられる。
聞き間違いもある。
思い込みもある。
推測が混ざることもある。
そして、何度も繰り返されるうちに、いつの間にか事実のように扱われてしまう。
怖いことだ。
しかも、「ここだけの話」という言葉には、妙な説得力がある。
秘密の情報。
限られた人しか知らない話。
そんな雰囲気があるからこそ、聞いた側も信じてしまうことがあるのかもしれない。
しかし、僕は思う。
秘密であることと、事実であることは、まったく別の話だ。
むしろ、出どころがわからない話ほど、慎重に扱うべきではないだろうか。
本当に信用できる人は、秘密を守れる人だ。
ここまで、ここだけの話さんについて、いろいろ考えてきた。
では、僕が信用できると思うのは、どんな人なのだろう。
答えは単純だ。
他人の秘密を、むやみに話さない人である。
もちろん、誰にだって相談したいことはある。
一人では抱えきれない悩みもあるだろう。
誰かに助けを求めることが必要な場合だってある。
だから、秘密を話すこと自体が悪いと言いたいわけではない。
ただ、他人の個人的な事情を、面白半分で広める必要はないと思う。
誰かが悩んでいる。
誰かが失敗した。
誰かが人間関係で困っている。
それを知ったからといって、ほかの人に話す必要があるのだろうか。
僕には、そうは思えない。
もちろん、仕事上の問題や安全に関わることなら、必要な相手に情報を共有すべき場合もある。
しかし、それと噂話は違う。
僕が信頼できると思うのは、必要なことは伝え、伝える必要のないことは自分の中にとどめておける人だ。
誰かから秘密を打ち明けられても、それを自分の話のネタにしない人。
そういう人の方が、よほど信用できる。
秘密を教えてくれる人と、秘密を守ってくれる人は違う。
僕が信用するのは、後者である。
そして、これは職場だけの話ではない。
友人関係でも、恋愛でも、家族でも同じだと思う。
信頼関係は、秘密をどれだけ共有したかで決まるものではない。
相手の気持ちを、どれだけ大切にできるか。
相手がいない場所でも、その人を尊重できるか。
そういうところに、人間の信用は表れるのではないだろうか。
ここだけの話さんたちは、今日も元気に活動している。
さて。
ここまで書いてきたが、僕の職場から、ここだけの話さんがいなくなることはないだろう。
明日もきっと、どこかで活動している。
ここだけの話さんA。
ここだけの話さんB。
ここだけの話さんC。
それぞれが、それぞれの情報を持っている。
そして、今日も誰かに近づいていく。
周囲を確認する。
声を落とす。
顔を近づける。
「ここだけの話なんだけどさ」
始まった。
今日もまた、秘密の配達が始まったのだ。
僕は思う。
なぜ、そんなに他人の話をしたいのだろう。
自分の話では駄目なのだろうか。
昨日食べたご飯の話でもいい。
最近観た映画の話でもいい。
面白かった本の話でもいい。
話題なんて、いくらでもあるではないか。
それなのに、なぜ他人の秘密を持ち出してくるのだろう。
しかも、こちらが興味を示していなくても話は続く。
「それでさ、あの人が……」
ああ。
まだ続くのか。
僕は適当に相づちを打つ。
「そうなんですね」
「へえ」
「なるほど」
そして、ようやく話が終わる。
「絶対に誰にも言わないでね」
はいはい。
言いませんよ。
そもそも、僕はその話に興味がないのだから。
できれば、最初から聞きたくなかった。
僕はただ、平和に過ごしたいだけなのだ。
そして、ふと思う。
もしかすると、ここだけの話さんたちは、悪気なく話しているのかもしれない。
単純に会話が好きなのかもしれない。
誰かと親しくなりたいだけなのかもしれない。
そう考えれば、少しは理解できる。
しかし、それでも他人の秘密を勝手に広めていい理由にはならない。
人と仲良くなる方法なんて、ほかにもたくさんあるはずだ。
わざわざ誰かの秘密を持ち出す必要はない。
僕は、そう思う。
ところで、ここまで書いておいて何なのだが。
最後に、一つだけお願いがある。
今回、僕は職場にいる「ここだけの話さん」について、散々書いてきた。
信用できない。
秘密を勝手に話すな。
僕を情報交換の材料にするな。
そんなことを、長々と書いてきた。
しかし、ここで一つ問題がある。
もし、職場のここだけの話さんたちが、この記事を読んだらどうなるだろう。
「これ、私のこと?」
そう思う人がいるかもしれない。
そして、ここだけの話さんAが、ここだけの話さんBに話す。
「ここだけの話なんだけどさ、あの人、ブログで私たちのこと書いてるらしいよ」
BさんがCさんに話す。
「ここだけの話なんだけどさ、あの人、職場の人の悪口を書いてるらしいよ」
CさんがDさんに話す。
「ここだけの話なんだけどさ、あの人、職場全員の悪口を書いてるらしいよ」
おい。
待て。
話が変わっている。
僕は職場全員の悪口なんて書いていない。
ここだけの話さんについて書いているだけだ。
しかし、そんな説明が通用するだろうか。
ここだけの話ネットワークは、今日も元気に稼働している。
情報は次々と伝わっていく。
そして、いつの間にか、僕が職場全員を敵に回したことになっているかもしれない。
困った。
非常に困った。
僕は明日も普通に仕事に行きたいのだ。
余計な揉め事は起こしたくない。
だから、この記事を読んでくださった皆さんに、一つだけお願いがある。
できれば、職場の人たちには知られたくない。
どうか、内緒にしておいてほしい。
いや、本当に。
絶対に誰にも言わないでほしい。
ここだけの話にしておいてほしい。
