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家にいるのに帰りたい。頭だけ先に仕事へ行っている。

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家にいる。

間違いなく家にいる。

ソファに座っている。

テレビがある。

冷蔵庫がある。

いつもの机がある。

脱ぎっぱなしの服もある。

玄関には僕の靴がある。

どう考えても、ここは僕の家だ。

なのに、ときどき思う。

帰りたい。

……。

どこに。

もう帰っている。

これ以上帰ろうとしたら、壁の中にでも入るしかない。

それでも、ふとした瞬間に、

「帰りたいなあ」

と思うことがある。

昔から、この感覚が不思議だった。

職場で「帰りたい」と思うのはわかる。

電車の中で思うのもわかる。

知らない人ばかりの飲み会で思うのも、ものすごくわかる。

でも家で「帰りたい」はおかしい。

帰宅済みである。

目的地に到着している。

ゲームなら「MISSION COMPLETE」と表示されている。

なのに僕の中では、まだ何かが帰れていない。

いったい僕は、どこに帰りたいんだろう。

最近、少しだけわかった気がする。

たぶん、

頭だけ先に仕事へ行っている。

目次

身体は家にいるのに、頭はもう出勤している

翌日が仕事の日。

夜の8時。

僕は家にいる。

出勤は明日だ。

今から寝るまで、まだ何時間もある。

本を読んでもいい。

テレビを見てもいい。

コーヒーを飲んでもいい。

ぼーっとしてもいい。

今日はもう仕事をしなくていい。

なのに、頭の中では始まっている。

「明日仕事か」

ここからだ。

この一言をきっかけに、僕の頭だけが玄関を飛び出していく。

明日は何時に起きる。

何時に家を出る。

電車は何時。

明日はあれをやらないといけない。

そういえば、あの仕事どうなってたっけ。

あの人もいるな。

あれ、ちょっとめんどくさいな。

まだ僕はソファにいる。

なのに頭の中では、

「おはようございます」

が始まっている。

待て。

まだ行くな。

お前の出勤は明日だ。

身体は完全に休んでいる。

足なんてソファの上にある。

でも頭だけは職場を歩き回っている。

僕の身体と頭で、勤務体系が違う。

これはもう「前日出勤」ではないのか

よく考えると、これは結構おかしい。

仕事は明日なのに、今日から仕事のことを考えている。

たとえば明日の朝9時が始業だとする。

前日の夜9時から仕事のことを考え始めたら、

精神的には12時間前から勤務開始である。

前日出勤だ。

しかも給料は出ない。

タイムカードも押していない。

会社にも行っていない。

制服も着ていない。

なのに頭だけ働いている。

サービス残業という言葉はあるけれど、

これは残業ですらない。

サービス前業である。

そんな制度はない。

会社から頼まれてもいない。

勝手に僕が始めている。

ブラック企業なのかと思ったら、

経営者は僕だった。

労基に相談したい。

「前日の夜から勝手に働かされてるんです」

「誰にですか?」

「僕にです」

帰らされるだろう。

仕事が終わっても、頭だけ残業する

逆もある。

仕事が終わった。

家に帰る。

風呂に入る。

ご飯を食べる。

普通ならこれで終わりだ。

でも突然、

「あのとき、ああ言えばよかったかな」

と思い出す。

始まった。

一人反省会である。

あの言い方はよくなかったか。

あの仕事、ちゃんとできていたか。

明日確認した方がいいか。

相手はどう思っただろう。

もう会社には誰もいない。

僕も家にいる。

それなのに脳内会議室だけ明かりがついている。

参加者、一名。

議題、

「今日の僕について」

やめろ。

解散しろ。

もう勤務時間は終わっている。

しかも一人反省会というのは、だいたい何も決まらない。

三十分考えた結果、

「まあ、明日考えよう」

となる。

だったら最初から明日考えろ。

大人になって、完全に「帰宅」するのが難しくなった

子どものころを思い出す。

学校が終わる。

家に帰る。

ランドセルを置く。

お菓子を食べる。

テレビを見る。

ゲームをする。

もちろん宿題はあった。

明日の学校もあった。

嫌なことだってあった。

でも今より、

家に帰ったら、本当に帰っていた気がする。

学校は学校。

家は家。

その境目が、もっとはっきりしていた。

大人になると、それが曖昧になる。

家に帰っても仕事のことを考える。

休みの日なのに次の出勤を考える。

日曜日なのに月曜日が入ってくる。

まだ日曜の午後3時なのに、

月曜日が玄関から、

「そろそろいいですか?」

と顔を出している。

まだです。

帰ってください。

あなたの出番は明日です。

でも月曜日は帰らない。

夕方になる。

存在感が増す。

夜になる。

もう隣に座っている。

日曜日なのに月曜日と一緒に晩ご飯を食べている。

これでは休みなのか何なのかわからない。

家に帰っても「帰りたい」のは、頭が帰ってきていないから

だから僕は家にいるのに「帰りたい」と思うのかもしれない。

身体は帰っている。

でも頭が帰ってきていない。

職場にいる。

明日にいる。

来週にいる。

まだ起きてもいないことを考えている。

家にいるのは身体だけだ。

それなら、

「帰りたい」

と思うのも、そこまで変ではないのかもしれない。

僕が帰りたいのは、

住所としての家ではない。

頭までちゃんと家にいる状態

なのかもしれない。

身体だけ帰宅しても、帰宅率50%である。

いや、心まで考えたら33%かもしれない。

僕は毎日、

一人ずつ帰宅している。

しかも、気持ちは過去にいることがある

頭は未来へ行く。

明日の仕事。

来週の予定。

これから起きること。

でも不思議なことに、

気持ちは逆方向へ行くことがある。

昔のことを思い出す。

「あの頃、楽しかったな」

「昔はもっと気楽だった気がする」

「あのときはよかったな」

頭は明日にいるのに、

気持ちは昨日よりもっと前にいる。

身体だけ今日のソファに座っている。

整理すると、

頭 → 未来

気持ち → 過去

身体 → 現在

バラバラである。

誰も同じところにいない。

一人の人間の中で、

現地集合に失敗している。

そりゃ「帰りたい」とも思う。

過去は「帰る場所」になりやすい

でも、なぜ過去を思うと「帰りたい」につながるんだろう。

考えてみると、「帰る」という言葉自体がおもしろい。

帰るというのは、

一度いた場所へ戻ることだ。

初めて行く場所に「帰る」とは言わない。

だから僕が「帰りたい」と思うとき、

もしかすると無意識に、

以前いた何か

を探しているのかもしれない。

それは昔住んでいた家とは限らない。

何も心配していなかった時間。

仕事のことを考えていなかった時間。

夢中で何かをしていた時間。

あるいは、

「今より安心していた気がする時間」

なのかもしれない。

今が少し疲れていると、

過去は妙に優しく見える。

あの頃はよかった。

昔は楽しかった。

戻れたらな。

そうやって過去の中に、

架空の実家みたいなものを作っているのかもしれない。

疲れたら、そこへ帰りたくなる。

でも昔の僕も、たぶん帰りたがっていた

ただ、ここで一つ問題がある。

本当に昔はそんなによかったのか。

怪しい。

かなり怪しい。

昔の僕だって、

学校で「帰りたい」と思っていたはずだ。

バイト中も帰りたかった。

どこかに出かけて疲れたら帰りたかった。

嫌なこともあった。

悩みもあった。

何も考えず毎日キラキラ生きていたわけではない。

たぶん昔の僕に、

「お前の時代、めちゃくちゃよかったよな」

と言ったら、

「何言ってんねん」

と言われる。

今の僕は過去を見て、

「あの頃に帰りたい」

と思う。

でもその「あの頃」の僕も、

どこかへ帰りたがっていた。

じゃあ僕はいったい、

いつの僕のところへ帰りたいんだ。

どんどん行き先がわからなくなる。

過去が安心なのは、もう終わっているからかもしれない

それでも過去が妙に安心して見える理由がある。

過去は、

もう終わっている。

これが大きいのかもしれない。

明日の仕事は、まだ何が起きるかわからない。

来週の予定もわからない。

今日の残り時間だって、何があるかわからない。

未来には常に、

「これから」

がある。

でも過去にはない。

どれだけ嫌だった出来事でも、

今から見れば結末を知っている。

失敗した。

落ち込んだ。

でもそのあと普通に生きている。

全部知っている。

つまり、

過去には未来がない。

もう何も起こらない。

だから安心して眺められる。

映画を二回目に見るようなものかもしれない。

結末を知っている。

怖い場面が来ることも知っている。

でも、そのあとどうなるかも知っている。

未来は初見。

過去は二周目。

疲れているとき、

二周目に戻りたくなる気持ちは少しわかる。

頭は未来で不安になり、気持ちは過去へ逃げる

そう考えると、

僕の中で妙なことが起きている。

頭は未来へ行って、

まだ起きていないことを心配する。

「明日大丈夫かな」

「あれどうしよう」

「面倒だな」

そして疲れる。

すると気持ちは、

安心できそうな過去へ戻る。

「あの頃はよかったな」

「昔は楽だったな」

未来へ行ったり、

過去へ戻ったり。

忙しい。

現在、ガラ空きである。

身体だけがソファにいる。

コーヒーもある。

読みたい本もある。

自由な時間もある。

でも頭は職場。

気持ちは昔。

誰もコーヒーを飲んでいない。

もったいない。

人間は、まだ起きていない嫌なことまで先払いできる

未来を想像できるのは、人間の便利な能力だと思う。

明日の準備ができる。

予定を立てられる。

危険を避けられる。

でも、この能力には妙な副作用がある。

まだ起きていない嫌なことまで先に味わえる。

明日嫌な仕事がある。

今日から嫌になる。

一週間後に面倒な予定がある。

今から気になる。

歯医者の予約がある。

三日前からちょっと嫌だ。

実際に嫌なのは一時間だけなのに、

事前に何日も嫌がることができる。

すごい能力だ。

全然いらない。

お金の先払いなら割引されることもある。

ポイントがつくこともある。

でも、

憂鬱の先払いには何の特典もない。

早期予約割引もない。

ただ嫌な時間が伸びるだけである。

明日の僕を、もう少し信用してもいい

じゃあ、なぜ僕は今日から明日のことを考えるのか。

たぶん、

明日の僕をあまり信用していない。

今日のうちに考えておかないと。

準備しておかないと。

心構えをしておかないと。

そんな気持ちがある。

でもよく考えれば、

明日の僕はこれまで何度も仕事へ行っている。

ちゃんと起きる。

服を着る。

家を出る。

電車に乗る。

仕事をする。

なんやかんや一日を終える。

かなりの実績がある。

なのに僕は毎回、

「明日の僕、大丈夫か?」

と心配している。

33年も一緒にいるのに、まだ信用していない。

もう少し任せてもいいんじゃないか。

明日の仕事は、

明日の僕に任せる。

今日の僕まで出勤する必要はない。

人員は足りている。

明日の僕、一名で十分だ。

「帰りたい」は、場所の話ではないのかもしれない

ここまで考えて、ようやく最初の疑問に戻る。

家にいるのに、なぜ帰りたいのか。

たぶん「帰りたい」は、

場所だけを表す言葉ではない。

安心したい。

何も考えたくない。

未来への心配から離れたい。

過去を懐かしむことからも少し離れたい。

自分が今いる時間に戻りたい。

そういういろんな気持ちをまとめて、

僕は、

「帰りたい」

と呼んでいるのかもしれない。

職場から家へ帰るように、

未来から現在へ。

過去から現在へ。

自分の中に帰ってくる。

そう考えると、

家にいるのに帰りたいという言葉は、

そこまで変でもない気がしてくる。

身体だけじゃなく、全員帰ってきてほしい

別に未来を考えることが悪いわけではない。

明日の準備は必要だ。

過去を思い出すのもいい。

懐かしい時間があるのは幸せなことだと思う。

でも、ときどき思う。

全員、一回帰ってきてくれ。

頭。

明日の職場から帰ってこい。

まだ勤務時間じゃない。

気持ち。

昔から帰ってこい。

そこはもう終わった。

身体。

お前はずっとここにいるな。

偉い。

三人揃って、

ようやく僕になる。

せっかく家にいるのだから、

少しくらい家にいたい。

頭まで。

気持ちまで。

全部。

今という家に、帰る

今日も家にいる。

ソファに座る。

コーヒーを飲む。

本を開く。

明日は仕事だ。

すると頭が、

「そういえば明日――」

と話し始める。

待て。

まだいい。

それは明日の僕に言ってくれ。

少しすると、

昔のことを思い出す。

あの頃はよかったな。

いや、それも今日はいい。

昔の僕は昔の僕で、たぶん元気にやっていた。

僕は今ここにいる。

ソファがある。

コーヒーがある。

本がある。

それで十分だ。

未来へ行くのもいい。

過去へ帰るのもいい。

でも、ずっとそこにいる必要はない。

ときどき、

今に戻ってくればいい。

家にいるのに帰りたい。

ずっと変な言葉だと思っていた。

でも僕が帰りたかったのは、

家ではなかったのかもしれない。

明日の仕事から。

まだ起きてもいない出来事から。

もう終わった時間から。

今ここに、帰りたかったのだ。

本を開く。

一ページ読む。

コーヒーを飲む。

なんだか少しだけ、

ちゃんと家に帰ってきた気がする。

よし。

帰ってきた。

五分後。

「そういえば明日の仕事――」

また出勤した。

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