飲み会に行きたくない。
会社の飲み会が近づくたびに憂鬱になる。
できれば断りたい。でも、断ったら付き合いが悪いと思われるんじゃないか。職場で浮くんじゃないか。上司からの印象が悪くなるんじゃないか。
そんなことを考えて、結局参加してしまう。
そういう人は、けっこう多いんじゃないだろうか。
僕は今、会社の飲み会にはほとんど行かない。
誘われても基本的には断る。
だからといって、職場の人が嫌いなわけではない。
仕事中なら普通に話すし、一緒に働く人とはできるだけ気持ちよく仕事をしたいと思っている。
ただ、仕事が終わったあとまで一緒にいたいかと聞かれると、それはまた別の話だ。
仕事は仕事。
プライベートはプライベート。
僕の中では、かなりはっきり分かれている。
そんな僕も、新入社員の頃は飲み会に参加していた。
歓迎会、忘年会、送別会。
誘われれば、とりあえず行った。
「社会人って、そういうものなんだろう」
くらいに思っていた。
でも、何度も参加するうちに、ある疑問が大きくなっていった。
これ、僕は何のために来ているんだろう。
そして最終的に、僕はある方法にたどり着いた。
飲み会に行かないキャラを確立する。
これが思っていた以上にラクだった。
今回は、会社の飲み会にほとんど参加しなくなった僕が、なぜ飲み会に行かなくなったのか、断っても困らなかったのか、そして「行かないキャラ」をどう考えているのかを書いてみたい。
新入社員の頃、僕も飲み会に行っていた
新入社員の頃の僕は、今よりずっと素直だった。
会社から、
「今度、みんなで飲みに行くけど来る?」
と言われれば、
「はい、行きます」
と答えていた。
行きたいかどうかを考える前に、参加するものだと思っていた。
新入社員なのだから、先輩との付き合いも大事だ。
顔と名前を覚えてもらったほうがいい。
飲み会でしか聞けない話もある。
そんなことも言われた。
たしかに、それ自体は間違っていないと思う。
普段あまり話さない先輩と話せることもあったし、仕事中には見えない一面を知ることもあった。
最初の頃は、それなりに新鮮だった。
ただ、何度か参加していると、だんだん同じ光景を見るようになった。
仕事の愚痴。
上司の悪口。
その場にいない人の噂話。
「あの人最近どうなん?」
「あの二人、仲悪いらしいで」
「○○さん、またこんなことしたらしい」
知らん。
僕は枝豆を食べながら思う。
知らんし、たぶん明日になっても知らなくていい。
でも飲み会という空間では、なぜかこういう情報が重要機密のように運ばれてくる。
昼間はそれぞれ仕事をしていた人たちが、夜になると一つのテーブルを囲み、会社の人間関係について語り始める。
仕事が終わったのに、まだ会社の話をしている。
僕にはそれがだんだん不思議に思えてきた。
さっきまで会社にいたのだ。
八時間くらい会社にいたのだ。
ようやく終わった。
なのに場所を居酒屋へ移して、もう一度会社を始める。
会社・夜の部である。
しかも、今度は給料が出ない。
仕事が終わったのに、なぜまた仕事の話をするのか
僕が飲み会を苦手になった一番の理由は、これかもしれない。
仕事が終わったのに、仕事から離れられない。
もちろん、飲み会で仕事以外の話をすることもある。
趣味の話だったり、旅行の話だったり、家族の話だったり。
それは普通に面白い。
でも人数が増えてくると、なぜか最終的に会社の話へ戻ってくることが多かった。
誰が仕事できる。
誰が仕事できない。
誰と誰が揉めている。
上司がどうした。
後輩がどうした。
会社がどうした。
さっきまでそこにいたやん。
僕は思う。
もうええやん。
会社から出たんだから、会社を置いて帰ろう。
それなのに、わざわざ居酒屋まで会社を持ってくる。
僕には、この感覚があまり分からなかった。
特に苦手なのが、その場にいない人の話だ。
本人がいないから話せる。
本人がいないから盛り上がる。
でも僕は、そこにあまり興味を持てない。
誰と誰が仲が悪かろうが、誰が上司に気に入られていようが、明日の僕の生活はほとんど変わらない。
それより明日読む小説の続きのほうが気になる。
僕にとっては、そっちのほうが重大ニュースなのだ。
飲み会は、とにかく時間がかかる
飲み会そのものが二時間だとしても、使う時間は二時間ではない。
仕事が終わる。
みんなが揃うのを待つ。
店まで移動する。
飲み会が始まる。
二時間ほど過ごす。
ようやく終わる。
ここで僕は思う。
帰れる。
甘い。
会社の飲み会には、ときどき第二形態がある。
「このあと、どうする?」
「もう一軒行く?」
二次会である。
どうするも何も、僕は帰るつもりだった。
僕の中では、一次会が終わった時点でスタッフロールが流れている。
ところが周囲を見ると、誰もエンディングだと思っていない。
むしろ、
ここからが本番
みたいな顔をしている人までいる。
居酒屋から別の居酒屋へ。
あるいはカラオケへ。
スナックへ。
僕には不思議だった。
二時間一緒に飲んだのだ。
まだ足りないのか。
僕たちは今日、昼間も一緒に働いていたはずである。
もう十分会っただろう。
しかし恐ろしいことに、二次会で終わるとも限らない。
深夜になって、
「もう一軒だけ行こうや」
という言葉が聞こえることがある。
三次会である。
地獄だ。
「もう一軒だけ」の「だけ」ほど信用できない言葉もない。
一次会。
二次会。
三次会。
気づけば、日付が変わっている。
もはや「仕事終わりに飲みに行った」という規模ではない。
仕事のあとに、もう一勤務している。
しかも無給。
さらに自腹。
何なら勤務中より金が減っている。
どういう労働形態なのだろう。
そして二次会、三次会と進むにつれて、話の内容がものすごく豊かになるのかというと、僕の経験ではそうでもない。
だいたい同じような話をしている。
会社の話。
仕事の愚痴。
人間関係。
さっき聞いた話。
酔っているので、もう一回聞く話。
僕は心の中で思う。
その話、一次会でも聞いた。
しかも一次会より声が大きくなっている。
内容は同じなのに音量だけ上がっている。
僕はますます家に帰りたくなる。
もちろん二次会、三次会が楽しい人もいるだろう。
それを否定するつもりはない。
朝まで飲むのが楽しい人は、それでいい。
ただ僕にとっては、一次会の二時間だけでもかなり大きな時間だ。
それが二次会、三次会まで続けば、ほとんど一晩が消える。
その時間で何ができただろう。
本を読めた。
映画を観られた。
ブログを書けた。
散歩もできた。
風呂にゆっくり入って、何もせずぼんやりすることだってできた。
僕は「何もしない」も立派な予定だと思っている。
だから、
「今日、予定あるの?」
と聞かれて、
「ないです」
と答えたあと、
「じゃあ飲みに行こうよ」
と言われると、少し困る。
予定がないからといって、時間が余っているわけではない。
何も予定を入れていない時間を、僕は予定として確保している。
家で小説を読んでいるほうが、僕には圧倒的に有意義だ
飲み会に行くか。
家で小説を読むか。
僕にとって、この二択はかなり勝負が見えている。
家で小説を読む。
圧勝である。
飲み会で三時間過ごせば、僕の人生から三時間がなくなる。
でも同じ三時間、小説を読んでいたら、自分とはまったく違う人生を覗けるかもしれない。
知らない町へ行ける。
自分なら絶対にしない選択をする人間に出会える。
考えたこともなかった価値観に触れられる。
たった数百ページの中に、自分一人では一生出会えなかったかもしれない感情が入っている。
もちろん、これは僕が読書好きだからそう思うだけだ。
ゲームが好きならゲームでもいい。
映画が好きなら映画でもいい。
寝るのが好きなら寝ればいい。
大事なのは、
自分が大切にしたい時間を、付き合いだからという理由だけで差し出さなくてもいい
ということだと思う。
僕は飲み会で誰かのゴシップを聞いているより、小説の登場人物がなぜあんなことを言ったのか考えているほうが楽しい。
だから、そっちを選ぶようになった。
それだけの話だ。
しかも飲み会は、お金までかかる
時間だけではない。
飲み会には、お金がかかる。
3000円。
4000円。
5000円。
場合によってはもっとかかる。
会社が全額出してくれるならまだ分かる。
でも自腹で数千円払って、
仕事の愚痴を聞き、
知らない人のゴシップを聞き、
「へえー、そうなんですね」
と言いながら唐揚げを食べる。
冷静に考えると、なかなかすごい。
しかも二次会、三次会まで行けば、当然お金も増えていく。
一軒目で4000円。
二軒目で3000円。
三軒目で……。
もう計算したくない。
僕なら、そのお金で本を買いたい。
文庫本なら何冊か買える。
古本ならもっと買える。
一冊の小説が数日、場合によっては何年も自分の中に残ることがある。
一方、飲み会で聞いた、
「○○さんと○○さん、最近ちょっと揉めてるらしいよ」
という情報は、翌朝にはだいたいどうでもよくなっている。
僕の場合、費用対効果が違いすぎる。
飲み会が好きな人にとっては、数千円払う価値があるのだと思う。
それなら行けばいい。
僕はその価値をあまり感じない。
だったら行かなくていい。
ずいぶん単純な話だった。
「飲み会に行かないと人間関係が悪くなる」は本当か
飲み会を断るとき、多くの人が心配するのは人間関係だと思う。
付き合いが悪いと思われないか。
職場で浮かないか。
昇進や評価に影響しないか。
僕も最初は多少気にしていた。
だから新入社員の頃は参加していた。
でも長く働いて分かった。
人間関係は、飲み会だけで作るものではない。
むしろ圧倒的に長いのは仕事中だ。
困っている人がいたら手伝う。
聞かれたことにはちゃんと答える。
ミスをしたら謝る。
助けてもらったら感謝する。
後輩が困っていたら声をかける。
そういう日々の積み重ねのほうが、僕はずっと大事だと思っている。
普段まともにコミュニケーションを取らない人が、飲み会にだけ全部を賭けても仕方がない。
逆に普段からちゃんと関係を作れているなら、飲み会を一回断ったくらいで全部が壊れるとも思えない。
僕は飲み会に行かなくなったあとも、普通に仕事をしてきた。
先輩とも話した。
後輩とも話した。
役職にも就いた。
飲み会に参加しないというだけで、社会人として致命的な問題が起きた記憶はない。
飲み会に行かないキャラを確立させろ
そして僕がたどり着いたのが、
「飲み会に行かないキャラ」を確立する
という方法だった。
これはけっこう重要だと思っている。
飲み会を断るのがしんどいのは、
「普段は来る人が、今回は来ない」
という状態だからだ。
「なんで?」
「予定あるの?」
「たまには来ようよ」
となる。
そこで毎回もっともらしい理由を考えなければならなくなる。
でも最初から、
「あいつは飲み会に来ない」
と思われていたらどうだろう。
誰も驚かない。
「今度飲み会あるけど……まあ来ないよな?」
くらいになる。
最高である。
話が早い。
場合によっては誘われなくなる。
さらに最高である。
僕は飲み会を断るたびに、
「今回は予定がありまして」
「ちょっと用事があって」
と嘘をつく必要もないと思っている。
予定がない日だってある。
明日が休みの日もある。
家に帰って、ご飯を食べて、小説を読むだけの日もある。
それでいい。
「明日休みでしょ?」
休みである。
「何か予定あるの?」
ない。
「じゃあ来れるやん」
いや。
家で小説を読むという、とても重要な任務がある。
僕にとっては、それで十分なのだ。
「たまには来いよ」に負けると、また誘われる
行かないキャラを作るなら、最初のうちは少しだけ一貫性が必要になる。
「今回だけ行こうかな」
を繰り返していると、いつまでたっても、
「誘えば来る人」
のままだ。
もちろん本当に行きたいなら行けばいい。
でも、行きたくないのに、
「何回も断って悪いから」
という理由だけで参加する必要はないと思う。
断ることに罪悪感を持つから、断るたびに疲れる。
でも考えてみれば、飲み会への参加は仕事ではない。
勤務時間でもない。
自分のお金と、自分の時間を使う。
だったら最終的に決めるのは自分でいい。
何度か断っていると、本当にラクになる。
周囲も慣れる。
自分も慣れる。
そしてある日、
「まあ、あいつは来ないからな」
と言われる。
僕にとっては悪口ではない。
称号獲得である。
ようやくここまで来た。
飲み会不参加界の市民権を得たのだ。
ただし、僕はすべての飲み会を断るわけではない
ここまで書くと、
「じゃあ飲み会には絶対に行かないのか」
と思われるかもしれない。
そういうわけではない。
僕には自分なりのルールがある。
たとえば、すごくお世話になった先輩の送別会。
好きだった後輩が辞めるときの送別会。
自分自身が、
「この人とは最後にゆっくり話したい」
と思える相手がいる場。
そういう飲み会には参加することがある。
なぜなら、僕にとって行く意味があるからだ。
ここは大事にしたい。
僕は、
「会社の飲み会には絶対行くな」
と言いたいわけではない。
飲み会そのものを憎んでいるわけでもない。
飲み会が好きな人は行けばいい。
みんなでワイワイするのが好きな人もいる。
仕事終わりの一杯を楽しみにしている人もいる。
それはそれでいい。
僕がやめたのは、
「会社の飲み会だから行く」
という判断だ。
会社が開催するから。
上司が来るから。
みんなが行くから。
断りにくいから。
それだけでは、僕は行かない。
代わりに、
「自分がこの人と過ごしたいと思うから行く」
を基準にする。
会社ではなく、人を見る。
これだけで、飲み会に対する感覚がずいぶん変わった。
付き合いが悪いのではなく、付き合い方を選んでいる
「飲み会に行かない」と言うと、
付き合いが悪い。
人間関係を大事にしていない。
一人が好きすぎる。
そんなふうに思われることもあるかもしれない。
でも僕は、少し違うと思っている。
付き合わないのではない。
付き合い方を選んでいる。
僕は誰とでも同じように仲良くする必要はないと思っている。
時間には限りがある。
一日は24時間しかない。
仕事をして、寝て、ご飯を食べて、風呂に入ったら、自由に使える時間なんて意外と少ない。
その貴重な数時間を誰と過ごすか。
何をして過ごすか。
それくらい自分で決めてもいい。
飲み会へ行く人が正解でもない。
行かない人が正解でもない。
ただ、自分が本当は行きたくないのに、
「社会人だから」
「みんな行くから」
「断ったら悪いから」
という理由だけで毎回参加して、帰宅してから、
「今日も疲れたな」
と思っているのなら、一度くらい断ってみてもいいと思う。
案外、何も起こらない。
次の日、普通に会社が始まる。
昨日の飲み会に参加しなかった僕にも、
「おはようございます」
と朝が来る。
行きたくないなら、「行かない人」になってしまえばいい
飲み会を断るたびに、立派な理由を用意する必要はない。
家族との予定がなくてもいい。
病院へ行かなくてもいい。
翌朝が早くなくてもいい。
明日が休みでもいい。
家に帰って、ただ小説を読んでいてもいい。
僕たちはなぜか、
「何もしないために断る」
ことに罪悪感を持つ。
でも、その時間は自分のものだ。
僕は新入社員の頃、飲み会に参加していた。
参加したからこそ、自分にはそれほど必要ではないと分かった。
そして少しずつ行かなくなった。
最初は断ることに多少気を使った。
でも何度か断っているうちに、周囲も僕自身も慣れていった。
今では、
「あいつは飲み会に来ない」
でだいたい話が終わる。
それでいい。
ただし、大切な人の送別会には行く。
会いたい人がいるなら行く。
自分が行きたいと思えば行く。
僕が決めたのは、
飲み会に行かないことではない。
自分の時間を、誰に使うのかを自分で決めることだ。
付き合いが悪いと思われてもいい。
少なくとも僕は、付き合いそのものを拒絶しているわけではない。
付き合う相手と、付き合い方を選んでいるだけだ。
だから、会社の飲み会に行きたくなくて、毎回断る理由を探している人に僕が言えることがあるとすれば、これだ。
飲み会に行かないキャラを確立させろ。
最初の数回だけ乗り越えれば、そのうち誰も驚かなくなる。
そして仕事が終わったら、会社を会社に置いて帰ろう。
僕は今日も帰る。
家には小説が待っている。
