「なんでもいい」
僕は、この言葉を信用していない。
いや、正確に言うと、信用できなくなった。
世の中には、本当になんでもいい人がいる。
ラーメンでもいい。カレーでもいい。寿司でもいい。うどんでもいい。
何を提案しても「いいね!」と言ってくれる。
素晴らしい。
こんな人と一緒にいると、実に楽だ。
しかし、問題はそうではない人たちである。
「なんでもいい」と言ったくせに、こちらが提案すると文句を言う。
ひどい場合には、不機嫌になる。
なんでやねん。
お前がなんでもいいって言ったんだろう。
こちらは、その言葉を信じて考えたのだ。
それなのに、なぜか不正解になる。
しかも、何が不正解だったのか分からない。
もう一度考え直す。
すると、また不正解。
難しすぎるだろう。このゲーム。
今回は、そんな「なんでもいい」と言うくせに、なんでもよくない人の心理について考えてみたい。
なぜ自分の希望を言わないのか。
なぜ相手に決めさせるのか。
そして、なぜ不機嫌になるのか。
僕には、忘れられない出来事がある。
まずは、その話から始めよう。
元彼女とのデートで起きた、味噌ラーメン事件
昔、彼女とデートをしていたときのことだ。
昼になった。
当然、お腹がすく。
そろそろ何か食べようという話になった。
僕は彼女に聞いた。
「昼飯どうする? 何食べたい?」
すると、彼女は答えた。
「なんでもいい」
なるほど。
なんでもいいのか。
それなら、僕が店を提案しよう。
ちょうど、気になっていた味噌ラーメン屋があった。
おいしいと評判らしい。
僕は彼女に言った。
「じゃあ、あそこの味噌ラーメン屋行こうや。めちゃくちゃうまいらしいで」
「うん」
よし。
決まった。
実にスムーズである。
何も問題はない。
少なくとも、僕はそう思っていた。
ところが。
なぜか彼女が不機嫌になった。
……ん?
どうした?
何が起きた?
僕は頭の中で、先ほどの会話を振り返った。
「何食べたい?」
「なんでもいい」
「じゃあ味噌ラーメン」
「うん」
おかしい。
何度振り返っても、おかしなところが見当たらない。
僕は何か間違えたのだろうか。
いや、待ってくれ。
お前、なんでもいいって言ったやないか。
しかも、ちゃんと「うん」と言ったやないか。
あの「うん」は何だったのだ。
了承ではなかったのか。
保留だったのか。
それとも、何かの暗号だったのか。
僕は味噌ラーメン屋を提案しただけである。
別に、無理やり連れて行こうとしたわけではない。
嫌なら嫌と言ってくれればいい。
ほかの店を探せばいいだけだ。
しかし、彼女は「うん」と言った。
だから僕は、納得してくれたのだと思った。
それなのに、不機嫌になる。
なんということだ。
まだラーメンを食べてもいない。
店に入ってもいない。
それなのに、すでに昼食が失敗している。
味噌ラーメンに何の罪があるというのだ。
おいしいと評判の店なのだ。
味噌ラーメンだって、きっと僕たちが来るのを待っていたはずである。
いや、待ってはいないだろう。
しかし、少なくとも悪いことはしていない。
僕だってそうだ。
ただ、昼飯を提案しただけなのだから。
あまたある食べ物から正解を射抜くゲーム
この出来事を思い返すと、僕は一つの疑問にたどり着く。
「なんでもいい」と言われた僕は、一体どうすれば正解だったのだろうか。
考えてみてほしい。
この世には、あまたある食べ物が存在する。
和食。
洋食。
中華。
イタリアン。
フレンチ。
韓国料理。
ラーメン。
寿司。
焼肉。
カレー。
パスタ。
うどん。
そば。
ハンバーグ。
オムライス。
定食。
サンドイッチ。
数え始めたらきりがない。
しかも、ラーメン一つ取っても種類がある。
味噌。
醤油。
塩。
豚骨。
つけ麺。
まぜそば。
この無数の選択肢の中から、彼女の頭の中にある正解をピンポイントで射抜かなければならないのか。
難しすぎるだろう。
しかも、ヒントはない。
選択肢も提示されない。
正解が何なのかも教えてもらえない。
こちらが提案したものに対して、相手がどう反応するかで判断するしかない。
そして、不正解だった場合には不機嫌になる。
なんという理不尽なゲームだ。
せめて攻略本を売ってくれ。
「今日の彼女が食べたいもの完全攻略ガイド」
そんな本があれば、僕は買ったかもしれない。
ただし、問題がある。
彼女の気分は日によって変わる。
昨日はパスタが正解だったとしても、今日は違うかもしれない。
昨日は寿司が食べたかったとしても、今日は魚の気分ではないかもしれない。
つまり、攻略本は毎日更新しなければならない。
しかも、昼と夜でも正解が変わる可能性がある。
もはやゲームとして成立していない。
僕はただ、昼飯を食べたかっただけなのだ。
なぜ、こんなにも高度な読心術を求められているのだろう。
僕はエスパーではない。
人の心を読む能力もない。
ましてや、胃袋の中を透視する能力なんて持っていない。
もしそんな能力があったら、もっと別のことに使っている。
それなのに、味噌ラーメンを提案しただけで不正解。
では、醤油ラーメンならよかったのか。
豚骨ならどうだったのか。
もしかすると、ラーメンというジャンル自体が不正解だったのかもしれない。
あるいは、ラーメンはよくても、デートで行く店としては不正解だったのかもしれない。
分からない。
何も分からない。
僕は昼食を選んでいるつもりだったが、いつの間にか試験を受けていた。
しかも、問題文はたった一言。
「なんでもいい」
そんな試験、誰が合格できるんだ。
「なんでもいい」と言う人の心理① 本当はなんでもよくない
では、なぜ人は「なんでもいい」と言うのだろう。
まず考えられるのが、これだ。
本当は、なんでもよくない。
食べたいものは決まっていない。
しかし、食べたくないものは決まっている。
例えば、
「今日はラーメンの気分じゃない」
「脂っこいものは嫌だ」
「昨日カレーを食べたから、今日はカレー以外がいい」
「せっかくのデートだから、落ち着いた店がいい」
こうした条件が、本人の中に存在しているのかもしれない。
それ自体は何も悪くない。
僕だって、食べたくないものがある日はある。
しかし、問題はその条件を相手に伝えていないことだ。
「なんでもいい」
そう言われたら、こちらは本当になんでもいいのだと思う。
だったら、ラーメンでもいいはずだ。
しかし、実際には違う。
「なんでもいい。ただし、ラーメン以外で」
これが本当の意味だったのかもしれない。
だったら、最初からそう言ってくれ。
たった一言、条件を付け足すだけでいい。
それだけで、こちらはラーメンを選択肢から外せる。
ゲームの難易度が一気に下がる。
僕は別に、味噌ラーメン屋に行くことを人生の目標にしていたわけではない。
ほかの店でもよかったのだ。
ただ、何が嫌なのか分からなければ、避けようがない。
地雷を埋めるのは自由だが、せめて場所くらい教えてほしい。
② 自分で決めるのが面倒くさい
次に考えられるのが、決めること自体が面倒くさいという心理だ。
店を探す。
口コミを見る。
場所を調べる。
何を食べたいか考える。
相手の好みも考慮する。
確かに、面倒くさい。
だから、相手に任せる。
「なんでもいい」
これで、自分は考えなくて済む。
しかし、提案された店が気に入らなければ不満を示す。
決める労力は放棄するのに、拒否権だけはしっかり保持している。
なかなか都合がいい。
こちらは店を考えた。
相手は考えていない。
それなのに、なぜかこちらの提案が評価される。
しかも、不正解なら不機嫌になる。
これは疲れる。
もちろん、相手に決めてもらうこと自体は悪くない。
僕だって、店選びを任せることはある。
問題は、任せた後の態度だ。
本当になんでもいいなら、相手の提案を受け入れればいい。
気に入らないなら、その場で希望を伝えればいい。
それだけの話である。
考えるのは嫌。でも、気に入らないものを選ばれるのも嫌。
いや、どっちかにしてくれ。
③ 嫌われたくない
これは、少し違う視点だ。
自分の希望を伝えることで、相手に嫌われたくない。
わがままだと思われたくない。
例えば、本当はパスタが食べたい。
しかし、相手はラーメンが食べたいかもしれない。
そこで「パスタがいい」と言えば、相手に気を遣わせてしまう。
だから、
「なんでもいいよ」
と答える。
本人としては、優しさのつもりなのかもしれない。
相手に合わせようとしているのだ。
この気持ちは分かる。
人によっては、自分の希望を伝えること自体が苦手なのだろう。
しかし、ここで不思議なことが起こる。
相手の提案が気に入らず、不機嫌になる。
嫌われたくなくて「なんでもいい」と言ったのに、その後の態度で嫌われにいっている。
なんという矛盾だ。
「パスタが食べたい」
そう言ってくれた方が、僕はよっぽどありがたい。
別に、そんなことでわがままだとは思わない。
むしろ、希望を伝えてくれる方が助かる。
相手の気持ちが分かるからだ。
自分の希望を伝えることと、わがままを言うことは違う。
「パスタが食べたい」と提案するのは、ただの意思表示である。
それを聞いて、二人で決めればいい。
本当の気遣いとは、自分の希望を隠すことではなく、相手が困らないように伝えることでもあるのではないだろうか。
④ 責任を負いたくない
これも考えられる。
自分が選んだ店がまずかったらどうしよう。
店が混んでいたらどうしよう。
相手が気に入らなかったらどうしよう。
そんなことを考えると、自分で決めるのが嫌になる。
だから、相手に任せる。
そうすれば、自分が選んだことにはならない。
店が気に入らなかったとしても、自分の責任ではない。
もちろん、全員がそんな計算をしているわけではないだろう。
無意識に、決定することを避けている場合もあると思う。
しかし、結果として、相手だけが責任を背負うことになる。
僕が選んだ店なら、僕の責任。
彼女が選んだ店なら、彼女の責任。
そんなふうに考える必要があるのだろうか。
昼飯くらい、二人で決めたらいいじゃないか。
仮に店がまずかったとしても、
「ここ、微妙やったな」
「次は違う店にしよう」
それでいい。
失敗したって、別にいいのだ。
昼飯を一回失敗したくらいで、人生が終わるわけではない。
それなのに、なぜか店選びが責任問題になってしまう。
僕は食事をしたいのであって、責任者を決めたいわけではない。
⑤ 自分でも何が食べたいのか分かっていない
これは、十分ありそうだ。
最初は本当になんでもいいと思っていた。
しかし、具体的な店を提案されて初めて、
「あ、今日はラーメンじゃないな」
と気づく。
人間には、そういうことがある。
自分の希望なんて、最初から明確に分かっているとは限らない。
選択肢を見せられて、初めて気づくこともある。
これは理解できる。
僕だって、何が食べたいのか分からない日はある。
しかし、だったら言えばいい。
「ごめん、やっぱりラーメン以外がいい」
たったこれだけだ。
僕は別に怒らない。
「そうなんや。じゃあ別の店探そうか」
それで終わる。
何も難しいことはない。
問題は、気が変わることではない。気が変わったことを伝えないことなのだ。
⑥ 察してほしい
これが一番厄介かもしれない。
自分から希望を言わなくても、相手に分かってほしい。
恋人なのだから、自分の好みを理解しているはず。
今日の気分も察してくれるはず。
そんな期待があるのかもしれない。
しかし、僕は思う。
恋人だからといって、超能力者ではない。
何年付き合っていようが、相手の頭の中を完全に理解することなんてできない。
昨日食べたかったものと、今日食べたいものは違う。
昨日はラーメンが好きだったとしても、今日はパスタかもしれない。
そんなもの、聞かなければ分からない。
それなのに、言わなくても分かってほしい。
いや、無理だ。
僕に求められている能力が高すぎる。
恋人に必要なのは、読心術ではなく会話ではないだろうか。
分からないことがあれば聞く。
希望があれば伝える。
それだけで、ずいぶん楽になると思う。
なぜ不機嫌になるのか。期待の最低ラインを下回った説
ここまで、「なんでもいい」と言う心理を考えてきた。
しかし、僕が一番理解できないのは、その後の不機嫌である。
「なんでもいい」と言うこと自体は、別に構わない。
問題は、こちらが提案したときの反応だ。
なぜ、気に入らなければ不機嫌になるのだろう。
そこで、一つの仮説を考えた。
自分の中にある期待の最低ラインを下回ったからではないだろうか。
例えば、元彼女の中には、デートの昼食に対する基準があったのかもしれない。
せっかくのデートなのだから、ある程度雰囲気のいい店がいい。
落ち着いて食事ができる店がいい。
ちょっとおしゃれな店がいい。
そういう期待があった可能性がある。
そして、その最低ラインを満たしていることが、本人の中では大前提になっていた。
だから、わざわざ説明しない。
「なんでもいい」
と言う。
ところが、僕が提案したのは味噌ラーメン屋だった。
もし、それが彼女の中の最低ラインを下回っていたのなら、不機嫌になった理由も説明できる。
もちろん、実際に何を考えていたのかは分からない。
ただ、この仮説はなかなか興味深い。
本人にとっては当たり前の条件だから、わざわざ伝える必要がないと思っている。
しかし、こちらにとっては当たり前ではない。
僕は味噌ラーメン屋でも、十分楽しいデートになると思っていた。
おいしいものを二人で食べられたら、それでいい。
しかし、相手は違ったのかもしれない。
つまり、二人の間で「デートの昼食」の最低ラインが違っていた可能性がある。
それ自体は仕方がない。
価値観なんて人それぞれだ。
しかし、問題はここからである。
その最低ライン、いつ設定されたんだ。
聞いていない。
説明もされていない。
同意もしていない。
それなのに、知らないうちに失格になっている。
なんということだ。
しかも、本人からすれば高望みしているつもりはないのかもしれない。
「普通、デートならこれくらいの店に行くでしょ」
そんな感覚なのだろう。
しかし、僕は思う。
その普通は、誰の普通なんだ。
お前の普通と、僕の普通は違う。
僕は味噌ラーメン屋でも楽しい。
おしゃれなレストランでも楽しい。
コンビニでおにぎりを買って、公園で食べるのだって楽しいかもしれない。
大切なのは、何を食べるかだけではない。
誰と、どんな時間を過ごすかではないだろうか。
「なんでもいい」の前には、見えない言葉がある
ここまで考えて、僕は一つの結論にたどり着いた。
「なんでもいい」の前には、実は見えない言葉が隠されているのだ。
例えば、
「(私の気分に合うものなら)なんでもいい」
「(私の嫌いなもの以外なら)なんでもいい」
「(デートにふさわしい店なら)なんでもいい」
「(私が納得できる最低ラインを超えていれば)なんでもいい」
そして、最も難しいのが、
「(私が何も言わなくても、あなたが正解を選んでくれるなら)なんでもいい」
いや、待ってくれ。
条件だらけやないか。
もはや、なんでもよくない。
むしろ、かなり限定されている。
しかし、本人はその条件を口にしない。
だから、こちらには見えない。
「なんでもいい」という言葉だけが伝えられる。
僕はその言葉を信じて、自由に店を選んでいるつもりだった。
しかし、実際には違ったのかもしれない。
見えない条件を満たす店を選ばなければならなかったのだ。
これは、なかなか恐ろしい。
例えるなら、「なんでもいい」という短い契約書である。
しかし、契約書には見えない条件が大量に書かれている。
僕は何も知らずに契約する。
そして、味噌ラーメン屋を提案する。
すると、どうやら契約違反だったらしい。
契約内容を知らされていないのに、違反だけはしっかり取られる。
そんな契約があってたまるか。
しかも、違反した理由すら教えてもらえない。
ただ、不機嫌になる。
もうお手上げである。
だから、僕は言いたい。
「なんでもいい」と言う前に、その見えない言葉を声に出してくれ。
「ラーメン以外がいい」
「今日は落ち着いた店がいい」
「ちょっとおしゃれなところに行きたい」
それだけでいいのだ。
何も難しいことではない。
不機嫌になることで、相手に察してもらおうとしているのか
もう一つ考えたいことがある。
なぜ、不満を言葉で伝えず、不機嫌という態度で示すのだろう。
考えられるのは、相手に気づいてほしいという心理だ。
自分から「嫌だ」と言うのは苦手。
でも、このままでは嫌だ。
だから、不機嫌になる。
すると相手が、
「どうしたん?」
「ラーメン嫌やった?」
「別の店にする?」
と聞いてくれる。
そこで初めて、自分の希望を伝えられる。
つまり、不機嫌になることで、相手から聞き出してもらおうとしている可能性がある。
しかし、これも疲れる。
僕はすでに、昼飯の店を考えている。
それに加えて、相手の機嫌まで考えなければならない。
なぜ不機嫌なのか。
何が嫌だったのか。
どうすれば機嫌が直るのか。
昼飯を決めるだけで、仕事が増えすぎではないだろうか。
しかも、こちらが気づかなければ、さらに不機嫌になる可能性まである。
もう勘弁してほしい。
僕は昼飯を決める係になった覚えはある。
しかし、機嫌を直す係に任命された覚えはない。
もちろん、人間だから不機嫌になることはある。
僕だってある。
自分でも理由が分からず、気分が落ち込むこともあるだろう。
それ自体を責めたいわけではない。
ただ、不満があるなら、できるだけ言葉で伝えてほしい。
不機嫌になる理由があることと、不機嫌になって相手を困らせていいことは別なのだ。
一番疲れるのは、相手の顔色をうかがうこと
僕がこの手の人を苦手だと思う理由は、単に店選びが面倒だからではない。
相手の顔色をうかがわなければならなくなるからだ。
何を提案しても、気に入らなければ不機嫌になる。
そうなると、次からは慎重になる。
「これを言ったら嫌がるかな」
「この店なら大丈夫かな」
「また不機嫌になったら面倒だな」
そんなことを考えるようになる。
本来、昼飯なんて楽しい時間のはずだ。
お腹がすいた。
何か食べよう。
おいしいものを食べて、楽しく話そう。
それだけでいい。
しかし、相手の機嫌を気にし始めると、食事が楽しみではなくなる。
何を食べるかより、相手を不機嫌にさせないことが目的になってしまう。
これは、かなり疲れる。
しかも、正解が分からない。
こちらが一生懸命考えたとしても、相手の気分次第で不正解になる。
だったら、もう何も提案したくなくなる。
「なんでもいい」
と言いたくなる。
そして、二人とも「なんでもいい」と言い始める。
誰も決めない。
昼飯が決まらない。
お腹だけがすいていく。
なんという不毛な時間だ。
食事をするために集まったはずなのに、食事にたどり着けない。
もはや、何をしているのか分からない。
「なんでもいい」は、本来ありがたい言葉のはずだ
そもそも、「なんでもいい」という言葉は悪い言葉ではない。
むしろ、本来はありがたい言葉だと思う。
相手が何を選んでもいい。
好きなものを選んでいい。
それだけ自由を与えてくれているのだから。
例えば、僕が、
「ラーメン食べようか」
と言ったとする。
「いいね!」
「じゃあ、あそこの店にしよう」
「行こう!」
こんな人と一緒にいたら、楽しいだろう。
何を食べても楽しめる。
店選びに失敗したとしても、笑い話にできる。
「ここ、あんまりおいしくなかったな」
「ほんまやな。次は違うところ行こう」
それでいい。
僕は、こういう関係が好きだ。
もちろん、相手に好みがあることは何も悪くない。
むしろ、好き嫌いを教えてくれた方がありがたい。
問題なのは、なんでもいいと言いながら、なんでもよくないことだ。
そして、その条件を伝えないまま、不機嫌になることだ。
「なんでもいい」と言われたら、どうすればいいのか
では、こういう人に出会ったら、どうすればいいのだろう。
僕なりに考えてみた。
まず、最初に条件を聞いてみる。
「なんでもいいって、嫌なものもない?」
「今日はラーメンでも大丈夫?」
これだけで、ある程度は防げるかもしれない。
あるいは、二択にする。
「ラーメンとパスタ、どっちがいい?」
無数にある選択肢から選ぶより、二つから選ぶ方が簡単だ。
しかし、ここで問題がある。
そもそも、なぜ僕がここまで工夫しなければならないのだろう。
相手が希望を伝えてくれれば、それで済む話ではないか。
もちろん、お互いに気を遣うことは大切だ。
相手が決めるのを苦手としているなら、こちらが手伝うこともできる。
しかし、それは一方通行であってはいけないと思う。
こちらばかりが考える。
こちらばかりが気を遣う。
こちらばかりが機嫌を取る。
そんな関係では疲れてしまう。
だから、僕はもう一つ大切なことがあると思う。
相手の不機嫌を、何でも自分の責任にしないことだ。
こちらがきちんと希望を聞き、提案し、相手も了承した。
それなのに不機嫌になった。
もちろん、理由を聞くことはできる。
しかし、理由を伝えてくれなければ、こちらにはどうしようもない。
相手の気持ちを理解しようとすることと、相手の機嫌をすべて引き受けることは違う。
そこまで背負う必要はないと思う。
自分の希望を伝えることは、わがままではない
僕は、自分の希望をはっきり言ってくれる人の方が付き合いやすい。
「今日はパスタが食べたい」
「ラーメンは嫌だ」
「ちょっと静かな店がいい」
これでいい。
何も問題ない。
相手の希望が分かれば、こちらも考えやすい。
もちろん、僕にも希望がある。
僕はラーメンが食べたい。
相手はパスタが食べたい。
だったら、話し合えばいい。
今日はパスタにして、次はラーメンでもいい。
両方ある店を探してもいい。
どちらかが譲ってもいい。
大切なのは、お互いの希望が分かっていることだ。
希望が違うことは問題ではない。希望を隠したまま、相手に正解を求めることが問題なのだ。
そして、相手に合わせることが必ずしも優しさとは限らない。
「なんでもいい」と言うことが、相手への気遣いになる場合もある。
しかし、本当は希望があるのなら、伝えてくれた方が相手は楽かもしれない。
自分の希望を伝えることは、わがままではない。
むしろ、二人で物事を決めるために必要なことだと思う。
最後に。僕はただ、楽しく昼飯を食べたかっただけなのだ
今回、「なんでもいい」と言う人の心理について考えてみた。
本当はなんでもよくない。
決めるのが面倒くさい。
嫌われたくない。
責任を負いたくない。
自分でも何が食べたいのか分からない。
相手に察してほしい。
いろいろな理由が考えられる。
そして、不機嫌になる理由についても考えた。
期待していた最低ラインを下回ったのかもしれない。
自分の希望を察してもらえなかったと感じたのかもしれない。
しかし、どれも本人に聞かなければ本当のところは分からない。
ただ、一つだけ言えることがある。
「なんでもいい」と言うなら、本当になんでもいいのか。それとも条件があるのか。そこは伝えてほしい。
そして、気に入らないなら言ってほしい。
僕は別に、味噌ラーメンを食べてほしかったわけではない。
パスタでもいい。
寿司でもいい。
カレーでもいい。
うどんでもいい。
食べたいものがあるなら、言ってくれればいいのだ。
僕が提案した味噌ラーメン屋を断ったところで、何も問題はない。
別の店を探せばいい。
ただ、それだけの話である。
それなのに、なぜか不機嫌になる。
こちらは何が悪かったのか分からない。
そして、相手の機嫌を気にし始める。
せっかくのデートなのに、楽しくなくなってしまう。
僕は思う。
僕が食べたかったのは、正解の料理ではない。楽しい昼ご飯だった。
何を食べるかなんて、そこまで重要ではない。
おいしいものを食べて、楽しく過ごせたら、それでいい。
しかし、いつの間にか昼食が試験になっていた。
あまたある食べ物の中から、正解をピンポイントで射抜かなければならない。
ヒントもない。
攻略本もない。
しかも、正解を外すと不機嫌になる。
難しすぎる。
そんなゲーム、もう二度とやりたくない。
そして、最後にもう一度だけ言わせてほしい。
「なんでもいい」
その言葉の前に、見えない条件が隠されているのなら、ぜひ声に出してほしい。
「私の気分に合うものなら」
「私の嫌いなもの以外なら」
「私の期待する最低ラインを超えていれば」
そこまで言ってくれたら、僕も考えられる。
しかし、何も言わずに「なんでもいい」と言われたら、こちらはそのまま受け取るしかない。
すなわち、なんでもよくない。
だったら、最初からそう言ってくれ。
僕はエスパーではないのだ。
そして、味噌ラーメンに罪はない。
あいつは、ただおいしく食べてもらいたかっただけなのだから。
