男は、なぜ前髪でおでこを隠すのだろう。
最近、そんなことを考えるようになった。
街を歩いていると、前髪を下ろしている男性をよく見かける。
若い人なら分かる。
学生なんかは、前髪を下ろしている人の方が多いかもしれない。
しかし、ある程度年齢を重ねた男性がおでこを隠しているのを見ると、正直、少し気になる。
「なんで隠しているんだろう」
別に悪いことではない。
法律で禁止されているわけでもない。
おでこを出さなければ逮捕されるわけでもない。
それなのに、なぜか気になってしまう。
おでこを見せるのが恥ずかしいのだろうか。
自分の顔に自信がないのだろうか。
それとも、何か隠したいものでもあるのだろうか。
いや、単純にその髪型が好きなだけかもしれない。
そもそも、なぜ僕は他人のおでこをこんなにも気にしているのだ。
お前はおでこ鑑定士なのか。
そんな職業があるのかは知らない。
しかし、気になったものは仕方がない。
今回は、男性が前髪でおでこを隠す心理について考えてみたい。
そして、もう一つ。
社会人はおでこを出すことが正義なのか。
これについても考えてみようと思う。
ちなみに、最初に言っておく。
僕自身は、現在おでこを出している。
しかし、昔は違った。
前髪は命だった。
そんな男が、なぜ今ではおでこを出しているのか。
その話も後ほどしたい。
① 自分の顔に自信がない説
まず考えられるのが、これだ。
自分の顔に自信がない。
だから、前髪で少しでも隠したい。
おでこを出すと、顔全体が見える。
眉毛も見える。
顔の輪郭も、よりはっきりする。
それが恥ずかしいのかもしれない。
前髪があることで、少しだけ安心できる。
いわば、顔に取り付けたカーテンである。
しかし、よく考えてみると不思議だ。
前髪でおでこを隠したところで、顔が消えるわけではない。
鼻も口も見えている。
目だって見えている。
それでも、前髪があると安心する。
人間の心理というのは面白い。
もちろん、これは一つの仮説だ。
前髪を下ろしている人が、自分の顔に自信がないとは限らない。
むしろ、自分に似合う髪型を理解しているからこそ、前髪を下ろしている人もいるだろう。
隠しているのではなく、見せ方を選んでいるだけ。
そう考えることもできる。
② おでこにコンプレックスがある説
これもありそうだ。
おでこが広い。
生え際が気になる。
眉毛の形が気に入らない。
顔が長く見える。
そういった理由で前髪を下ろしているのかもしれない。
これは理解できる。
人間、誰しも自分の容姿で気になる部分はある。
僕だってある。
他人からすれば何とも思わないような部分でも、本人にとっては大問題だったりする。
ただ、僕は思う。
おでこが広くても、別にいいじゃないか。
広いおでこには広いおでこの魅力がある。
そもそも、おでこの面積なんて人それぞれだ。
狭い人もいれば、広い人もいる。
それだけの話ではないか。
とはいえ、これは僕が今、おでこを出しているから言えることなのかもしれない。
本人が気にしていることを、他人が「気にするな」と言っても簡単には解決しない。
だから、隠すことで安心できるなら、それも一つの選択だと思う。
③ 恥ずかしい説
おでこを出すこと自体が恥ずかしい。
これもあるのではないだろうか。
普段から前髪を下ろしている人にとって、おでこを出すのは意外と勇気がいる。
いつも隠れている部分を、人前にさらけ出すのだ。
なんだか裸を見られているような感覚なのかもしれない。
いや、おでこは裸ではない。
服を着せる場所でもない。
しかし、長年隠していた部分を突然見せるのは、落ち着かないものだろう。
例えば、いつも眼鏡をかけている人が、突然眼鏡を外す。
それだけで、何となく恥ずかしくなることがある。
おでこも似たようなものなのかもしれない。
しかも、髪型を変えれば周囲から何か言われる可能性がある。
「髪型変えた?」
「おでこ出したんや」
「なんか雰囲気違うな」
悪気のない言葉でも、本人にとっては恥ずかしい。
だったら、いつもの髪型でいい。
そう考えるのも自然だ。
④ 他人からどう見られるか気になる説
これも大きいと思う。
前髪を上げたら、似合わないと思われるかもしれない。
変だと言われるかもしれない。
笑われるかもしれない。
だったら、今のままでいい。
失敗するくらいなら、変えない方が安全なのだ。
髪型に限った話ではない。
服装でも、趣味でも、仕事でも同じだ。
新しいことに挑戦するより、慣れたものを続ける方が安心できる。
僕自身も、昔は前髪を変えることに抵抗があった。
だから、この気持ちは分かる。
ただ、他人は案外、自分の髪型なんて気にしていないのかもしれない。
自分にとっては人生を左右するほどの大事件。
しかし、周囲からすれば、
「あ、髪切ったんや」
それで終わり。
他人のおでこに、そこまで興味がないのだ。
僕は今、これだけ他人のおでこについて考えているけれど。
⑤ 嘘や隠し事がある説
これは少し極端な考え方だ。
しかし、前髪で顔を隠している人を見ると、何かを隠しているように感じる人もいるのではないだろうか。
本心を知られたくない。
表情を読み取られたくない。
自分をさらけ出したくない。
だから、前髪を下ろしている。
そんな心理があるのかもしれない。
ただし、前髪を下ろしている人が嘘つきだという根拠はない。
ここは間違えてはいけない。
むしろ、面白いのは、なぜ僕たちは顔の一部が隠れているだけで「何か隠しているのではないか」と感じることがあるのか、という点だ。
おでこを出していれば誠実なのか。
そんなわけがない。
それなら詐欺師は全員、前髪を下ろしているはずだ。
逆に、おでこを出している人が全員正直者なら、世の中から詐欺なんてなくなるだろう。
つまり、これは髪型の問題というより、見る側が勝手に抱く印象の問題なのかもしれない。
⑥ 単純に好きだから説
結局、これが一番多いのかもしれない。
前髪を下ろしている方が好き。
似合っていると思う。
落ち着く。
それだけ。
そもそも、髪型を選ぶのに立派な理由なんて必要ない。
好きだから。
それで十分だ。
僕だって、他人から「なぜその髪型なのか」と真剣に質問されたら困る。
そんなに深い理由はない。
ただ、楽だから。
気に入っているから。
それだけだ。
前髪を下ろしている人も、同じなのかもしれない。
それなのに僕は、自信がないだの、恥ずかしいだの、嘘をついているだの、勝手に考察している。
なんとも失礼な男である。
しかし、ここからが今回の本題だ。
社会人はデコ出しが正義なのか
社会人の髪型について調べたり考えたりすると、よく出てくる言葉がある。
清潔感。
前髪を上げると清潔感がある。
おでこを出すと爽やかに見える。
表情が見えやすい。
誠実そうに見える。
仕事ができそうに見える。
なるほど。
確かに、そういう印象を受ける人もいるだろう。
特に営業職や接客業では、第一印象が大切になる。
相手に安心感を与えることも仕事の一部だ。
だから、前髪を上げることをすすめる理由は分かる。
しかし、僕は思う。
おでこを出した瞬間、清潔になるのか。
そんなわけがない。
毎日髪を洗い、きちんと整えている人が前髪を下ろしていたら不潔なのか。
逆に、何日も髪を洗っていない人がおでこを出していたら清潔なのか。
違うだろう。
清潔であることと、清潔そうに見えることは違う。
そして、もう一つ。
おでこを出すと、仕事ができるようになるのか。
おでこを出した瞬間、営業成績が上がるのか。
企画力が身につくのか。
上司からの評価が上がるのか。
もしそうなら、全社会人がおでこを出すべきだ。
しかし、そんなわけがない。
仕事の能力は、髪型で決まるものではない。
それなのに、なぜか前髪を上げている男性の方が、堂々として見えることがある。
これは不思議だ。
結局、僕たちは仕事の能力そのものではなく、仕事ができそうな見た目を評価しているのかもしれない。
もちろん、見た目も大切だ。
しかし、見た目だけで判断するのは危険だと思う。
全員デコ出しになったら、個性もへったくれもない
仮に、社会人はおでこを出すべきだとしよう。
前髪を下ろしている男性は、全員おでこを出す。
そうすれば清潔感がある。
誠実そうに見える。
仕事ができそうに見える。
素晴らしい。
しかし、ちょっと待ってほしい。
全員、同じような髪型になってしまうじゃないか。
個性もへったくれもない。
街を歩けば、右も左もデコ出し男。
会社に行けば、上司も部下もデコ出し男。
営業マンも、銀行員も、ホテルマンも、みんなデコ出し。
ここは会社なのか。デコ出し選手権の会場なのか。
しかも、企業はよく言う。
「個性を大切にします」
「多様性を尊重します」
「あなたらしさを発揮してください」
素晴らしい言葉だ。
しかし、いざ入社すると、
「もっと社会人らしい髪型にしなさい」
「前髪を上げた方がいい」
「その髪型は少し若すぎる」
などと言われることがある。
個性を求めて採用したくせに、入社したら個性を消そうとする。
なんとも不思議な話である。
もちろん、職場によって衛生面や安全面のルールは必要だ。
食品を扱う仕事なら、髪が落ちないようにしなければならない。
機械を扱う仕事なら、髪が巻き込まれないようにする必要もある。
それは理解できる。
しかし、単に「社会人らしくない」という理由だけで、前髪を下ろすことを否定するのは違うと思う。
そもそも、社会人らしさとは何なのか。
責任感か。
仕事への姿勢か。
人への接し方か。
それとも、おでこの面積なのか。
大人になった瞬間、おでこを公開する義務でも発生するのだろうか。
成人式でおでこを見せなければならない。
そんな法律はない。
髪型くらい、本人の自由でいいじゃないか。
ちなみに、僕は昔、前髪命だった
ここで、僕自身の話をしたい。
今でこそおでこを出している僕だが、昔は違った。
前髪は命だった。
本当に大切にしていた。
僕らの時代には、M字バングという髪型が流行っていた。
前髪をM字のような形に整える髪型だ。
当時は、それがかっこいいと思っていた。
だから、前髪にはこだわっていた。
風でなびくのも嫌だった。
せっかく整えた前髪が、風によって崩される。
なんということだ。
朝から頑張ってセットしたのに、一瞬で台無しである。
風よ。余計なことをするな。
そんな気持ちだった。
今考えると、なかなか面白い。
自然現象に対して、髪型を守ろうとしていたのだ。
風は僕の前髪なんて知ったことではない。
それなのに、僕は必死だった。
そして、M字バングが流行っていた時代の名残もあったのだと思う。
流行が変わっても、前髪を大切にする感覚だけは残っていた。
もはや、なぜ前髪を下ろしているのかなんて深く考えていなかった。
昔からそうしていたから。
それが自分の髪型だったから。
ただ、それだけだったのかもしれない。
友達の美容師が、僕の前髪人生を変えた
そんな僕に転機が訪れた。
友達の美容師に髪を切ってもらっていたときのことだ。
その友達から、こんな提案をされた。
「おでこ出してみたら?」
今までの僕なら、断っていただろう。
おでこを出すなんて考えられない。
前髪は命なのだ。
しかし、その友達のことは信頼していた。
もし、ほかの美容師に同じことを言われていたら、おそらくやっていなかったと思う。
それくらい、その友達を信頼していた。
だから、思い切って挑戦してみることにした。
そして、実際におでこを出してみた。
すると、どうだろう。
めちゃくちゃ快適だった。
驚いた。
こんなに楽なのか。
前髪を気にしなくていい。
目にかからない。
邪魔にならない。
とにかく楽なのだ。
楽。
これに尽きる。
清潔感がどうとか、誠実に見えるとか、仕事ができそうとか、そんなことではない。
ただ、楽だった。
あれほど前髪を大切にしていた僕は、一体何だったのだろう。
風に前髪を崩されるだけで嫌な気持ちになっていた自分が、少し馬鹿らしくなった。
もっと早くやってみればよかった。
そう思った。
そして、現在。
僕はおでこを出している。
今では、前髪が伸びてくると邪魔で仕方がない。
昔は前髪が崩れるのが嫌だった。今は前髪があること自体が面倒くさい。
なんという変化だろう。
前髪に対する価値観が、完全に逆転してしまった。
人間というのは面白い。
あれほど大切にしていたものが、今では厄介者になっている。
しかも、変わるきっかけは友達の美容師の一言だった。
人は、信頼している相手の言葉によって、長年のこだわりをあっさり捨てられることがある。
そして、実際に経験してみなければ分からないこともある。
僕にとって、おでこを出すことはそういう経験だった。
でも、年齢を重ねておでこを隠している男性を見ると、正直「ん?」とは思う
ここまで、髪型は自由だと書いてきた。
社会人だからといって、おでこを出す必要はない。
個性を大切にすればいい。
そう思っている。
しかし、ここで僕の本音を言いたい。
ある程度年齢を重ねた男性がおでこを前髪で隠しているのを見ると、正直「ん?」とは思う。
なぜなんだろう。
別に悪いことではない。
本人の自由だ。
それなのに、何となく違和感がある。
若い頃なら分かる。
しかし、年齢を重ねてもおでこを隠している男性を見ると、少し気になる。
なぜ隠すのだろう。
出した方が楽なのに。
そんなことを思ってしまう。
しかし、ここで気づいた。
あれ? 僕も結局、デコ出しを正義だと思っているじゃないか。
さっきまで個性がどうとか、多様性がどうとか偉そうに語っていたくせに。
なんとも勝手な男である。
しかも、僕自身も昔は前髪命だった。
おでこを出すことなんて考えられなかった。
それなのに、今ではおでこを隠している男性に違和感を覚えている。
これは、自分が変わったからなのだろうか。
それとも、年齢に合った髪型という価値観が、自分の中にもあるのだろうか。
分からない。
ただ、一つ言えるのは、自分が快適だと思うものを、無意識に他人にも当てはめているということだ。
僕にとっては、おでこを出す方が楽だった。
しかし、他人にとってもそうだとは限らない。
前髪を下ろしている方が落ち着く人もいる。
似合うと思っている人もいる。
それなのに、僕は勝手に「なんで隠すんだろう」と考えている。
自分の価値観が変わると、昔の自分の価値観まで不思議に見えてしまう。
これも、人間の面白いところなのかもしれない。
ここからは完全に僕の偏見である
ここからは、さらに正直な話をしたい。
ちょっとやばそうな男性って、おでこを隠している率が高くないか。
いや、知らない。
統計を取ったわけでもない。
僕が勝手にそう感じているだけだ。
完全に偏見である。
しかし、なんとなくそんな印象がある。
なぜなんだろう。
何かを隠しているように見えるからなのか。
表情が読み取りにくいからなのか。
それとも、単に僕の思い込みなのか。
例えば、前髪で顔を隠している男性が、少し変わった行動をしていたとする。
すると僕は、
「ほら、やっぱり」
と思ってしまうのかもしれない。
しかし、おでこを出している男性が同じ行動をしていたらどうだろう。
おそらく、髪型なんて気にしない。
つまり、自分の考えに都合のいい場面だけを覚えている可能性がある。
心理学では、こうした傾向を確証バイアスと呼ぶ。
自分の考えに合う情報ばかり集め、反対の情報を見落としてしまうことだ。
そして、よく考えてほしい。
世の中には、前髪を下ろしている男性なんていくらでもいる。
その人たちが全員おかしいわけがない。
逆に、おでこを出している人の中にも、変わった人はいる。
おでこを出したら人格まで改善されるのなら、世の中はもっと平和になっているはずだ。
そして、忘れてはいけない。
僕も昔は、おでこを隠していた。
ということは、昔の僕もやばい人だったのだろうか。
いや、今も十分やばいかもしれない。
他人のおでこについて、ここまで真剣に考えているのだ。
おでこを出したところで、中身まで変わるわけではない。
今回、男性が前髪を下ろす心理について考えていたはずが、いつの間にか自分自身の偏見について考えることになってしまった。
なんとも不思議な話である。
最後に。おでこを出すのが正義でも、隠すのが悪でもない
結局、男性が前髪でおでこを隠す理由は、人それぞれなのだろう。
自信がない人もいるかもしれない。
コンプレックスがある人もいるかもしれない。
恥ずかしい人もいるだろう。
単純に、その髪型が好きな人もいる。
僕のように、昔からの習慣で前髪を下ろしている人もいるのかもしれない。
そして、社会人だからといって、必ずおでこを出さなければならないわけではない。
もちろん、職場に合った身だしなみは必要だ。
しかし、前髪を下ろしているだけで、仕事ができない人間だと判断するのはおかしい。
誠実さも、責任感も、仕事の能力も、おでこの面積で決まるものではない。
社会人に必要なのは、おでこを出すことではない。ちゃんと仕事をすることだ。
僕は今、おでこを出している。
その方が楽だからだ。
前髪が伸びてくると、邪魔で仕方がない。
昔の僕からすれば、信じられないことだろう。
しかし、だからといって、他人にもおでこを出せとは思わない。
自分が快適な髪型を選べばいい。
前髪を下ろしたいなら、下ろせばいい。
おでこを出したいなら、出せばいい。
それだけの話だ。
ただ、もし昔の僕に会えるのなら、一つだけ伝えたい。
「お前、一回おでこ出してみろ。めちゃくちゃ楽やぞ。」
きっと、昔の僕は嫌がるだろう。
前髪は命なのだから。
しかし、信頼している友達の美容師に言われたことで、僕は変わった。
人生、何がきっかけになるか分からない。
そして、最後にもう一つ。
ここまで散々、他人のおでこについて語ってきた僕だが、そもそも人の髪型なんて自由である。
おでこを出しているから正義。隠しているから悪。そんな単純な話ではない。
おでこを出していても、嘘をつく人はいる。
前髪を下ろしていても、誠実な人はいる。
仕事ができる人も、できない人も、どちらにもいる。
それなのに、僕たちは見た目だけで勝手に判断してしまうことがある。
今回、考察してみて分かった。
問題は、前髪を下ろしている人の心理だけではない。
その前髪を見て、勝手に何かを判断してしまう僕自身の心理にもあるのだ。
そして、そんなことを考えながら、僕は今日もおでこを出している。
別に社会人として正しくありたいからではない。
誠実に見られたいからでもない。
仕事ができそうに見られたいからでもない。
ただ、楽だからだ。
