高校生って、なんでこんなに眩しいんだろう。
『風に恋う』を読んで、そんなことを思った。
吹奏楽に夢中になって、コンクールを目指して、少しでもいい演奏をしようと何度も何度も練習する。
もちろん、楽しいことばかりじゃない。
うまくいかない日もあるし、部員同士でぶつかることもある。自分より上手い人を見て悔しくなることもある。努力したからといって、必ず報われるわけでもない。
それどころか、高校生は部活だけをやっていればいいわけではない。
勉強がある。
受験がある。
進路を決めなければならない。
親の考えもある。
友達との時間だってある。
そして、どれだけ部活に夢中になっていても、いつか必ず引退する日が来る。
人生は、そのあとも続いていく。
この小説が好きだったのは、そんなところまでちゃんと描いていたからだ。
部活に夢中になることを「青春って素晴らしい」で終わらせない。
だからといって、「そんなに部活ばかりやっていないで勉強しなさい」と簡単に切り捨てるわけでもない。
今しかできないこと。
これからの人生のために、今やらなければならないこと。
その二つの間で、高校生たちは悩んでいる。
そして読んでいる僕も、自分の高校時代を思い出した。
僕は高校時代、軽音楽部だった。
あの頃の僕は、もうとにかく上手くなりたかった。
上手い人を見れば悔しかったし、もっと上手くなりたいと、技術のことばかり考えて練習していた。
懐かしい。
でも今振り返ると、少しだけ後悔もしている。
もっといろんなことをやってもよかった。
だからこそ、コンクールに懸ける彼らを見ていると、眩しくて。
少しだけ苦しくもなった。
『風に恋う』のあらすじ
物語の舞台となるのは、千間学院高等学校の吹奏楽部。
かつては全国大会で金賞を獲得するほどの強豪だったものの、現在はその勢いを失っている。
そこへ入部するのが、一年生の茶園基。
そして基の幼馴染である鳴神玲於奈。
そんな吹奏楽部に、かつて黄金時代を築いたOB、不破瑛太郎がコーチとして戻ってくる。
ところが瑛太郎は、上級生たちを差し置いて、一年生の基を部長に指名する。
なぜ一年生の基なのか。
当然、部員たちは戸惑う。
それでも千間学院吹奏楽部は、再び全国大会を目指して動き始める。
しかし、待っているのは楽しい合奏だけではない。
コンクールメンバーを決めるオーディション。
受験との両立。
親との衝突。
部員同士の温度差。
才能。
努力。
嫉妬。
そして、それぞれの将来。
吹奏楽にすべてを懸けたい気持ちと、それだけでは生きていけない現実。
『風に恋う』は、そんな高校生たちの「今」を描いた小説だった。
生徒の人生は、部活を引退してからも続く
読んでいて、かなり早い段階で心に残った言葉がある。
「生徒の人生は、部活を引退してからも続くんですから。」(p62より引用)
本当にその通りだと思う。
当たり前のことだ。
でも、部活に夢中になっている高校生にとって、この「当たり前」が難しい。
全国大会に行きたい。
もっと上手くなりたい。
コンクールに出たい。
好きな楽器を吹いていたい。
そんなときに、
「でも大学受験もあるよ」
「将来のことも考えなさい」
と言われても、簡単に気持ちを切り替えられるだろうか。
作中には、こんな言葉も出てくる。
「ホント、今の高校生は大変だよ。部活だけやってても文句を言われ、勉強だけやってても文句を言われ、受験や就職で転けたら自己責任だ。」(p149より引用)
ほんと、大変だと思う。
部活を頑張れば、「勉強は大丈夫なのか」と言われる。
勉強ばかりしていたら、「高校生のうちにしかできない経験も大切だ」と言われる。
友達とも遊べ。
青春もしろ。
進路も考えろ。
将来の夢を持て。
無茶苦茶だ。
一日は二十四時間しかない。
全部を完璧になんてできるわけがない。
それでも高校生は、その限られた時間の中で何かを選んでいかなければならない。
だから『風に恋う』を読んでいて、「部活と勉強を両立しましょう」なんて綺麗な言葉だけでは片づけられないと思った。
両方できれば、それが一番いい。
でも、できないときもある。
何かを選べば、何かを諦めなければならないこともある。
その選択が正しかったのかなんて、そのときには分からない。
だから難しい。
目標だけではなく、自分の「理想」を持つ
もう一つ印象に残ったのが、瑛太郎のこの言葉だった。
「全日本に出たいという目標は素晴らしいが、君たちには目標があっても理想がない。」(p55より引用)
全国大会に出たい。
金賞を取りたい。
それは立派な目標だ。
でも、全国大会へ行くために、どんな音楽をやりたいのか。
どんな演奏をしたいのか。
自分たちは、どんな吹奏楽部でありたいのか。
そこが抜けてしまったら、全国大会へ行くことそのものが目的になってしまう。
これは音楽だけの話ではない気がする。
何かを続けていると、最初は好きだったはずなのに、いつの間にか結果ばかり追いかけてしまうことがある。
勝ちたい。
選ばれたい。
評価されたい。
もっと上へ行きたい。
もちろん、それも悪くない。
結果を求めるから頑張れることもある。
でも、自分は何のためにやっているのか。
そもそも何が好きだったのか。
そこを忘れてしまったら、好きだったものまで苦しくなってしまう。
『風に恋う』は、ただ努力することを褒める小説ではない。
何のために努力するのか。
自分は何を目指しているのか。
そこまで考えさせられた。
瑛太郎と基。大人になったから見えるもの
この作品で特に印象に残ったのが、不破瑛太郎と茶園基だった。
基は、まさに今、高校生活の真ん中にいる。
一方の瑛太郎は、かつて高校生として吹奏楽に夢中になり、その時間を通り過ぎた大人だ。
高校生の基には「今」がある。
瑛太郎には「過去」がある。
だから、同じ吹奏楽を見ていても見えているものが違う。
高校生だった頃には気づかなかったことが、大人になって初めて見えることがある。
瑛太郎のこんな言葉が心に残った。
「俺は、高校時代に吹奏楽にしか一生懸命になれなかった自分を、少し後悔してるんだ。」(p196より引用)
この言葉、ものすごく分かる。
なぜなら、僕にも似たような気持ちがあるからだ。
瑛太郎は、高校時代に吹奏楽をやっていたこと自体を後悔しているわけではない。
むしろ、ものすごく大切な時間だったのだと思う。
だからこそ難しい。
大切だった。
楽しかった。
夢中だった。
でも、ほかにもできることがあったかもしれない。
この二つは矛盾しているようで、普通に両立する。
大切な思い出だから、後悔が一つもないとは限らない。
むしろ大切だったからこそ、「もっとこうすればよかった」と思うこともある。
僕も高校時代、軽音楽部だった
僕は高校時代、軽音楽部だった。
軽音楽部にも大きなコンテストがある。
あの頃の僕は、とにかく上手くなりたかった。
他校の上手い人を見れば、めちゃくちゃ悔しかった。
なんでこんなに上手いんだ。
そう思ったら練習した。
もっと上手くなりたい。
もっと上手くなりたい。
とにかく、そればかりだった。
別に何かの大会で優勝したかったわけではない。
ただ、同世代の誰よりも上手くありたかった。
今思えば、すごい熱量だったと思う。
懐かしい。
あんなふうに一つのことだけを見て、ひたすら練習できる時間は、もうなかなかない。
だから、あの時間を否定する気はまったくない。
むしろ大切な時間だった。
でも今振り返ると、少しだけ後悔もしている。
もっと音楽そのものを楽しんでもよかった。
もっと友達と遊んでもよかった。
もっと勉強してもよかった。
もっと本を読んでもよかった。
もっといろんなことを経験してもよかった。
高校生活は、楽器が上手くなるためだけにあったわけじゃない。
そんな当たり前のことを、当時の僕は考えていなかった。
というより、考えられなかったのかもしれない。
だって、上手くなりたかったのだから。
今の僕が高校生の僕に、
「もっといろんなことをしたほうがいいよ」
と言ったところで、たぶん聞かない。
「いや、練習したいねん」
と言うと思う。
だから『風に恋う』の高校生たちを見ていると、簡単に「部活以外のことも大事だよ」と言えなくなる。
分かるからだ。
その先の人生があることなんて、高校生だって分かっている。
それでも今、音楽をやりたいのだ。
「今年のコンクールは今年しかない」
そんな基の気持ちが爆発する場面がある。
「今年のコンクールは今年しかないんだよ!」(p204より引用)
そうなんだよな。
これが難しい。
大人から見れば、受験は大切だ。
将来も大切だ。
高校卒業後の人生のほうが、圧倒的に長い。
そんなことは間違いない。
でも、今年のコンクールも今年しかない。
来年また出ればいい、とはならない。
三年生は卒業する。
二年生は三年生になる。
一年生は二年生になる。
メンバーが変わる。
演奏する曲が変わる。
そのとき抱えている感情も変わる。
同じ人間が、同じ場所で、同じ曲を、同じ気持ちで演奏することは二度とない。
それもまた事実だ。
だから、
「将来のほうが大切なんだから、部活なんてほどほどでいい」
とも言えない。
かといって、
「青春は一度きりなんだから、勉強なんてどうでもいい」
とも思わない。
どっちなんだ。
たぶん、どっちもなんだと思う。
将来は大切だ。
今も大切だ。
その二つが同時に存在しているから、高校生はこんなにも大変なのだ。
作中には、部活より自分の将来を選ぶ人物もいる。
それも間違いではないと思う。
最後まで部活を続ける人が偉くて、途中で離れる人が負けたわけではない。
同じ吹奏楽部にいても、全員が同じ人生を歩くわけではない。
だから最後は、自分で選ぶしかない。
玲於奈のソロは「祈り」
『風に恋う』は、基だけの物語ではない。
玲於奈をはじめ、同じ吹奏楽部にいる部員たちにも、それぞれの事情がある。
特に玲於奈が印象に残った。
基の幼馴染であり、基よりも先に吹奏楽部の中で時間を積み重ねてきた玲於奈。
そこへ瑛太郎がやってきて、一年生の基を部長に指名する。
基からすれば、憧れていた人に見込まれた出来事だ。
基は、
「その人が見込んだ僕を信じてみたいと思いました。」(p68より引用)
と考える。
でも同じ出来事を、玲於奈の側から見たらどうだろう。
物語って、立つ場所が変われば全然違って見える。
誰かが選ばれるということは、別の誰かが選ばれないということでもある。
誰かにとっての希望が、別の誰かにとっては悔しさになる。
だからこそ、玲於奈のソロを描いたこの一文が好きだった。
「玲於奈の吹くソロは、祈りなのだ。」(p171より引用)
もう少し、この世界にいたい。
そんな願いまで音になる。
音って、その人が出るんだろうなと思う。
ただ正確に音符をなぞれば、誰が吹いても同じ演奏になるわけではない。
そこまでに何を考えてきたのか。
何を諦めたのか。
何を願っているのか。
どれだけその場所にいたいのか。
そういうものまで音に乗る。
だから音楽は面白い。
基には基の音がある。
玲於奈には玲於奈の音がある。
ほかの部員にも、それぞれの音がある。
同じ制服を着て、同じ吹奏楽部に所属していても、全員が同じ気持ちでそこにいるわけではない。
仲間なのに、オーディションでは選ばれる
そして『風に恋う』で避けて通れないのが、コンクールメンバーを決めるオーディションだ。
部活動というと、「みんなで力を合わせる」というイメージがある。
もちろん、それは間違っていない。
でもコンクールでは、全員が舞台に立てるわけではない。
選ばれる人がいる。
選ばれない人がいる。
これ、ものすごく残酷だと思う。
昨日まで隣で一緒に練習していた人が、オーディションになれば同じ枠を争う相手になる。
長く続けてきた上級生が落ちて、入ったばかりの一年生が選ばれることだってある。
じゃあ、何を基準に選べばいいのだろう。
上手い人を選ぶ。
コンクールで勝つことだけを考えれば、それが一番分かりやすい。
でも、ここは高校の部活動でもある。
三年間頑張ってきた時間はどうなる。
努力は。
思い出は。
教育は。
考え始めると、簡単には答えが出ない。
僕は高校生の頃、とにかく技術を求めていた。
だから当時の僕なら、
「上手い人が出たらいいやん」
と思っていたかもしれない。
でも今は、それだけでは割り切れない。
だからといって、頑張って上手くなった人を差し置いて、「上級生だから」という理由だけで選ぶのも違うと思う。
難しい。
本当に難しい。
部活動は、みんなで仲良く青春するだけの場所ではない。
競争もある。
嫉妬もある。
悔しさもある。
誰かが選ばれれば、誰かが落ちる。
それでも同じ部活の仲間だ。
そして、そんな競争があるからこそ成長することもある。
基の本気を見て、周りの部員が刺激を受ける。
上手い人を見て悔しくなって、もっと練習する。
僕自身、それはよく分かる。
嫉妬だって、使い方によってはものすごいエネルギーになる。
「あいつより上手くなりたい」
それだって、立派な原動力だと思う。
55人で「一つになる」わけじゃない
僕がやっていた軽音楽、いわゆるバンドは、多くても五、六人程度だった。
それでも、全員で音を合わせるのは難しい。
ドラムがいる。
ベースがいる。
ギターがいる。
キーボードがいることもある。
ボーカルがいる。
たった数人でも、それぞれが好き勝手に演奏したら曲にはならない。
誰かが走ればズレる。
誰かが大きすぎればバランスが崩れる。
自分の音だけを聴いていても駄目だ。
周りの音を聴かなければならない。
それが五、六人。
だから『風に恋う』を読みながら、ずっと思っていた。
吹奏楽って、どうなってるんだ。
作中では、
「六十四人分のエネルギーを一つの音楽に束ねるのが、一筋縄でいくわけがない。」(p96より引用)
と書かれている。
そりゃそうだ。
僕にはもう想像もつかない。
何十人もの人間がいる。
楽器も違う。
音域も違う。
役割も違う。
技術も違う。
性格も違う。
考えていることも違う。
部活に懸けている思いだって、一人ひとり違う。
受験を優先したい人もいる。
全国大会に行きたい人もいる。
楽しく演奏したい人もいる。
オーディションに落ちたくない人もいる。
もう少し吹奏楽の世界にいたい人もいる。
そんな人間たちが集まって、一つの音楽をつくる。
いったい、どんな感覚なんだろう。
その答えのように感じた言葉がある。
「歩く速度が違って、抱えてる事情が違うんだ。だから、同じ方向を向くんだ。」(p240より引用)
これ、すごく好きだ。
「一つになる」んじゃない。
一つになんてなれない。
人間はそれぞれ違う。
だから、同じ方向を向く。
なるほどなあと思った。
吹奏楽だけじゃないのかもしれない。
集団って、本来そういうものなのかもしれない。
全員が同じ気持ちになる必要なんてない。
同じ人間になる必要もない。
ただ、その瞬間だけ同じ方向を見る。
そして音を出す。
だから音楽になる。
文字なのに、音が聞こえてくる
そして、この小説はとにかく演奏描写がすごかった。
僕は音楽小説を読んでいると、ときどき不思議に思う。
音がないのに、どうやって音を書くんだろう。
小説には音がない。
本を開いても、サックスは鳴らない。
トランペットも鳴らない。
打楽器も鳴らない。
紙に文字が並んでいるだけだ。
なのに『風に恋う』を読んでいると、音が聞こえてくるような瞬間がある。
冒頭からそうだった。
指揮棒が構えられる。
奏者が息を吸う。
そして演奏が始まる。
まだ一音も鳴っていないのに、その直前からもう音楽が始まっているように感じる。
息を吸う。
指が動く。
楽器が鳴る。
低音から高音へ。
それぞれの音が重なって、一つの音楽になっていく。
しかも、ただ音が聞こえてくるだけではない。
演奏している人間の気持ちまで聞こえてくる。
玲於奈のソロが「祈り」になるように。
その人が何を背負って、何を願って、そこに立っているのか。
そこまで描くから、音が立ち上がってくる。
コンクールで演奏する時間は短い。
でも、その短い時間のために、何日も何か月も練習する。
たった数秒のフレーズがうまくいかない。
何度も繰り返す。
また失敗する。
もう一度。
本番でそのフレーズが鳴るのは、一瞬だ。
それでも、その一瞬のために何時間も使う。
効率だけで考えたら、意味が分からない。
でも、その積み重ねがあるからこそ、本番の一音が特別になる。
『風に恋う』の演奏場面には、その一度しかない時間の緊張と幸福が詰まっていた。
プロのほうが上手い。それでも高校生の演奏が好きだ
僕は高校生の演奏が好きだ。
これは吹奏楽に限らない。
軽音楽でもそうだし、音楽全般に言える。
もちろん、技術だけで比べればプロのほうが上手い。
当たり前だ。
音程も安定している。
リズムも正確。
経験も違う。
表現の幅も違う。
でも。
音楽って、そもそも「上手い」だけなんだろうか。
高校生の演奏を見ていると、ときどきプロの演奏とはまったく違うところで心を動かされる。
音が少し揺れることもある。
完璧じゃないこともある。
それでも、ものすごくいい。
なぜなんだろう。
たぶん、今しか出せない音だからだと思う。
未熟で。
必死で。
まっすぐで。
何かを追いかけている途中にしか出せない音がある。
作中には、
「何かを追い求める高校生は最強だ。」(p232より引用)
という言葉がある。
本当にそう思う。
高校生は眩しい。
眩しすぎる。
本人たちはそんなことを思っていないのかもしれない。
毎日しんどいだろうし、練習が嫌になる日もあるだろう。
先輩や後輩に腹が立つこともある。
受験なんて来なければいいと思う日もあるかもしれない。
でも、大人になって外側から見ると、その時間そのものが眩しい。
なぜなら、もう戻れないからだ。
高校生の演奏は、未完成だ。
これからもっと上手くなる。
これから変わっていく。
でも、その「途中」にしか出せない音がある。
来年にはメンバーが変わる。
卒業する人がいる。
今しか出られないコンクールがある。
期限がある。
だからこそ、音が輝く。
プロにはプロの音楽がある。
高校生には高校生の音楽がある。
どちらが上という話ではない。
ただ、違う。
高校生にしか奏でられない音楽がある。
「ブラック部活」の一言で片づけられるのか
『風に恋う』を読んでいて、かなり考えさせられたのが「ブラック部活」の問題だった。
長時間練習。
休みが少ない。
コンクール至上主義。
受験との両立。
外側から見て「そこまでやる必要があるのか」と思う部活動もあると思う。
もちろん、本当に無理を強いる部活動なら改善されるべきだ。
生徒の健康や人生を犠牲にしていいわけがない。
本人が嫌がっているのに練習を強制する。
休みたいと言えない。
辞めたいと言えない。
そんな環境を「青春だから」「強豪校だから」で正当化していいとは思わない。
でも『風に恋う』は、そこで終わらない。
「頼むから、頼むからそれを『ブラック部活』の一言で片付けないでよ」(p254より引用)
この言葉がずっと残った。
難しい。
ものすごく難しいと思う。
外から見れば「そこまでやらなくても」と思う。
でも、本人がやりたい場合はどうなんだろう。
誰かに強制されているのではなく、
もっと上手くなりたい。
このフレーズを吹けるようになりたい。
コンクールに出たい。
全国に行きたい。
そう思って、自分から楽器を触っている時間まで、全部「ブラック」と呼べるのだろうか。
僕は高校生の頃、誰かに「もっと練習しろ」と言われなくても練習していた。
上手くなりたかったからだ。
上手い人を見ると悔しかったからだ。
だから、この気持ちは分かる。
でも同時に、今の僕には「もっといろんなことをやってもよかった」という後悔もある。
だから余計に答えが出ない。
部活に夢中になることは素晴らしい。
でも人生は部活だけではない。
長時間練習が正義ではない。
でも、長時間やっているからという理由だけで、その時間をすべて否定するのも違う。
本人の「やりたい」を無視して外側から決めてしまえば、それもまた違う気がする。
作中には、
「心ない正義に一番心を蝕まれるのは、最も純粋に、必死になっている人だ」(p254より引用)
という言葉もある。
「あなたのためを思って言っている」
という言葉が、いつでも本人のためになるとは限らない。
逆もそうだ。
本人がしんどいのに、
「高校生活は一度しかないんだから最後まで頑張れ」
と言うのも、「青春」という正しさの押しつけになる。
続けたいのか。
離れたいのか。
何を大切にしたいのか。
最後は、その人自身の気持ちが大切なんだと思う。
『風に恋う』がよかったのは、この問題に簡単な答えを出さなかったことだ。
楽器に触れない時間も、大切なのかもしれない
そんな中で、とても好きだった言葉がある。
「楽器に触れない時間があるからこそ、楽器に触れる時間を幸せに感じられて、練習を大事にしたくなるんだと思いました。」(p213より引用)
これなんだと思う。
高校生だった僕は、練習すればするほど上手くなるなら、もっと練習すればいいと思っていた。
でも今なら、少し違うことも分かる。
音楽以外の時間も、音楽につながっている。
友達と遊ぶ。
本を読む。
映画を見る。
勉強する。
どこかへ出かける。
ぼーっとする。
何もしない。
そういう時間に感じたことが、いつか表現につながることもある。
ずっと好きなものの中にいることだけが、好きなものを大切にする方法ではない。
離れるから、またやりたくなる。
休むから、触れたときに嬉しくなる。
高校生だった僕には、たぶん分からなかった。
今なら少し分かる。
それでも、夢中だった時間を否定したくない
ここまで書くと、
「じゃあ部活はほどほどにしたほうがいい」
という話に見えるかもしれない。
でも、そうではない。
僕は高校時代、もっといろんなことをすればよかったと思っている。
それでも、音楽に夢中だった時間を無駄だったとは一度も思っていない。
むしろ、あれだけ何かに夢中になれたことは幸せだったと思う。
だから、この言葉が好きだ。
「好きなものを真剣に抱きしめた時間が、人を大きくする。」(p283より引用)
高校生の頃って、大人から見れば「そこまでやる?」と思うようなことに、本気になれる。
たった一回のコンクール。
たった数分の演奏。
たった一つのフレーズ。
それに何日も悩める。
負けて悔しがれる。
上手い人に嫉妬できる。
選ばれて喜べる。
落ちて落ち込める。
今思うと、それ自体がすごい。
僕もあの頃、技術ばかり追いかけていた。
少し後悔している。
でも、あのとき必死だった自分まで否定する必要はないと思う。
後悔があることと、間違っていたことは同じではない。
もっといろんなことをすればよかった。
でも、音楽に夢中になってよかった。
僕の中では、どちらも本当だ。
今日の価値は、未来の自分が決める
『風に恋う』には、もう一つ忘れられない言葉がある。
「今日という時間がどれだけいいものだったかを決めるのは、明日以降の自分だ。」(p262より引用)
この言葉は、高校生だけに向けたものではないと思った。
僕自身にも刺さった。
高校時代の自分が過ごした時間を、今の自分はどう見るのか。
もっとこうすればよかった。
そう思うことはある。
でも、だからといって全部を後悔にする必要はない。
あの頃の経験が今につながっているなら、あの時間の意味は変わる。
僕は今でも音楽が好きだ。
高校生の演奏を見ると心を動かされる。
『風に恋う』を読んで、こんなにいろんなことを考えた。
だったら、あの頃に音楽をやっていた時間は、ちゃんと今にも残っている。
過去の価値って、過去だけで決まらないのかもしれない。
その後、自分がどう生きるか。
何を覚えているか。
何を受け取ったか。
それによって、昔の時間の見え方は変わっていく。
だから、選択した瞬間に正解かどうか分からなくてもいいのかもしれない。
作中には、
「お前が歩いてきた道を、正い道にしろ。」(p301より引用)
という言葉がある。
いいなあと思う。
正しい道を探すのではなく、自分が歩いた道を正しい道にする。
高校生のときに選んだものが正しかったのか。
そんなことは、その瞬間には分からない。
だったら、そのあと自分で正解にしていけばいい。
高校生って、なんでこんなに眩しいんだろう
読み終えて、最初の問いに戻った。
高校生って、なんでこんなに眩しいんだろう。
若いから。
それだけではないと思う。
何も考えず、ただ今だけを楽しんでいるからでもない。
むしろ『風に恋う』の高校生たちは、めちゃくちゃ考えている。
部活。
受験。
進路。
親。
才能。
オーディション。
仲間。
自分の理想。
今やりたいこと。
これからやらなければならないこと。
いろんなものを抱えている。
それでも、その中で何かを追いかけている。
だから眩しいんじゃないだろうか。
大人になると、先のことが見えるようになる。
失敗したらどうなるか。
時間を使ったら何を失うか。
それをやって何になるのか。
もっと効率的な方法はないのか。
いろいろ考える。
それは悪いことではない。
でも高校生の演奏を見ていると、そんな計算を吹き飛ばすような瞬間がある。
今、この音を出したい。
今、この仲間と演奏したい。
今、このコンクールに出たい。
その気持ちが音になる。
だから、高校生にしか奏でられない音楽があるんだと思う。
プロより上手いという意味ではない。
高校生のほうが素晴らしいという意味でもない。
ただ、あの年齢、あの仲間、あの瞬間にしか出せない音がある。
来年にはもう出せない。
同じ人が集まっても、もう同じ音にはならない。
だから心を動かされる。
人生の最後に、今日のことを思い出したい
そして終盤に出てくる、この言葉が好きだった。
「でも、それでも僕は……人生の最後に、今日のことを思い出したい。」(p315より引用)
すごい言葉だと思う。
人生の最後に思い出したい一日。
そんな日が、高校生活の中にある。
結果がどうだったかだけではない。
金賞だったのか。
全国大会に行けたのか。
オーディションに受かったのか。
もちろん、それも大切だ。
でも何十年後にも思い出すのは、案外そこだけじゃないのかもしれない。
本番前の空気。
隣にいた人。
楽器を構えた瞬間。
指揮棒が上がったとき。
最初の一音。
演奏が終わったあとの静けさ。
そんなものなのかもしれない。
僕にも高校時代の記憶がある。
細かいことは忘れている。
でも、練習していたことは覚えている。
上手い人を見て悔しかったことも覚えている。
音楽に夢中だった自分がいたことは、ちゃんと覚えている。
それでいいのかもしれない。
『風に恋う』を読んで、高校生に伝えたいこと
もし今、高校生に何か伝えるなら。
「勉強しろ」とも言いたくない。
「部活にすべてを懸けろ」とも言いたくない。
「青春を楽しめ」だけでも違う。
そんな簡単な話じゃない。
僕自身、高校時代には音楽の技術ばかり追いかけていた。
今思えば、もっといろんなことをやってもよかった。
でも、あの頃の自分に「そんなに練習するな」とも言いたくない。
だって、好きだったから。
本気だったから。
あの時間があったから、今こうして高校生の音楽を見て心を動かされる自分がいる。
だから、伝えたいことは一つではない。
部活もやってほしい。
勉強もしてほしい。
遊んでほしい。
友達とくだらない話もしてほしい。
好きなことに夢中にもなってほしい。
ときには何もしない日があってもいい。
何か一つだけが高校生活ではない。
でも、何か一つに夢中になった時間も、決して無駄ではない。
難しい。
たぶん正解なんてない。
だから最後は、自分で選ぶしかないんだと思う。
そしていつか振り返ったとき、
あの時間があってよかった。
そう思えたら、それで十分なんじゃないだろうか。
部活も、勉強も、遊ぶことも。
高校生にしかできないことを。
いつか後悔しないように、大切にしてほしい。
『風に恋う』は、吹奏楽の小説だった。
でも僕にとっては、それだけではなかった。
音楽に夢中だった高校時代の自分と、久しぶりに会わせてくれた小説だった。
そして、もう戻れないあの時間が、今になってこんなにも眩しく見えることを教えてくれた。
高校生って、なんでこんなに眩しいんだろう。
読み終えた今も、やっぱりそう思っている。
