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休憩室がうるさい。電話にテレビに動画に。話しかけてくる人までいる。

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やっと休憩だ。

仕事をいったん止めて、休憩室に入る。

静かだ。

いい。

これでいい。

僕が休憩に求めているものなんて、そんなに多くない。豪華なソファが欲しいわけでもないし、洒落た音楽を流してほしいわけでもない。無料のお菓子を置いてくれとも言わない。

ただ座って、ご飯を食べて、ぼーっとしたい。

仕事中はずっと何かをしている。動いて、考えて、人に返事をして、必要なら話す。だから休憩になったら、一回全部切りたい。

静かな部屋でご飯を食べる。

最高だ。

……と思っていた。

一人のおばさんが入ってきた。

荷物を置く。

そして、ごく自然な動きでテレビをつけた。

ピッ。

休憩室に音が生まれた。

いや、待ってくれ。

テレビって、ついている状態が標準なのか?

「テレビつけてもいい?」

そんな確認はない。

入室。荷物を置く。テレビ、オン。

一連の動作があまりにも滑らかだ。家に帰って照明をつけるくらい自然だった。

おばさんにとっては、休憩室に入ったらテレビをつけるところまでがセットなのかもしれない。

僕にとっては違う。

僕の休憩室の初期設定は、無音だ。

まあ、いい。

テレビくらいならまだ耐えられる。

僕はご飯を食べる。

すると今度は、若い女性が入ってきた。

席に座り、スマホを取り出す。

動画を見始めた。

しかも、

スピーカーだ。

イヤホンではない。

スマホから普通に音が出ている。

テレビの横で、もう一台小さいテレビを始めるな。

テレビから人の声。

スマホから人の声。

音楽。

効果音。

笑い声。

しかも短い動画なのか、数秒ごとに音が変わる。

さっきまでニュースみたいな声だったのに、突然音楽が流れ、その次には誰かが叫んでいる。

耳が勝手に拾ってしまう。

僕は見ていない。

見たいとも言っていない。

なのに音だけ参加させられている。

テレビとスマホ。

すでに二つだ。

でも、まだ終わらない。

今度は、おばさん軍団が入ってきた。

そして喋り始める。

声がでかい。

なぜそんなに大きな声が必要なんだ。

隣にいるぞ。

聞こえてる。

相手にも聞こえてる。

そして僕にも全部聞こえてる。

一人が喋る。

もう一人が返す。

別の人が笑う。

また誰かが話題をかぶせる。

テレビも鳴っている。

スマホ動画も鳴っている。

当然、テレビが鳴っているから会話の声も少し大きくなる。

会話が大きくなるから、テレビがさらに聞こえにくくなる。

誰も音量を下げない。

みんな、自分の音を通そうとする。

休憩室で音圧バトルが始まった。

音が足し算ではなく、掛け算になっていく。

僕はただご飯を食べたい。

それだけなのに、なぜこんなに情報が入ってくるんだ。

すると、上司が入ってきた。

電話をしている。

電話を終えてから入ってくるのではない。

電話をしながら入ってくる。

そのまま休憩室に入り、普通に会話を続ける。

もちろん僕には電話の相手の声は聞こえない。

上司側だけが聞こえる。

「はい、はい」

「それは明日の――」

「一度確認して――」

知らん。

何の話か知らん。

知らんのに、片側だけ聞かされる。

しかも仕事の電話だ。

僕は今、仕事から離れるために休憩している。

なのに仕事の話が耳から入ってくる。

仕事、お前まで休憩室に入ってくるな。

テレビ。

スマホ動画。

おばさん軍団。

電話。

四重奏である。

もう十分だろう。

ところが、最後の刺客が来る。

おっさんだ。

僕のところへ来て言う。

「○○、ちょっと仕事のことやねんけどいい?」

そして続ける。

「休憩中悪いな」

……。

じゃあ話しかけてくんな。

自分で言ってるやん。

僕が休憩中だと分かってるやん。

「休憩中悪いな」は、何を言っても許される魔法の言葉ではない。

本当に緊急なら分かる。

今すぐ確認しないと仕事が止まるとか、事故につながるとか、それならもちろん聞く。

でも、休憩が終わってからでも何の問題もない話なら、そのときでよくないか。

理想はこうだ。

「休憩中悪いな」

「はい」

「じゃあ休憩終わってからにするわ」

終わり。

素晴らしい。

でも現実は違う。

「休憩中悪いな。明日の○○なんやけど――」

始まるんかい。

悪いと思ってるなら、せめて後にしてくれ。

僕は適当に返す。

「あー、はいはい」

「了解です」

終わった。

ようやく終わった。

これでご飯が食べられる。

箸を持つ。

一口食べる。

ん?

隣に座っている同僚が、こっちを見ている。

嫌な予感がする。

「今日どこ担当なん?」

今度はお前か。

「あそこ」

「あー、あそこ大変やろ?」

「まあ」

終われ。

僕は明らかに会話を広げていない。

一言で返している。

会話終了の札を全力で掲げている。

でも、終わらない。

また何か聞かれる。

僕は飯を食っている。

さっき仕事の話をされたばかりだ。

ようやく解放されたと思ったら、今度は隣から雑談が始まる。

前からテレビ。

横からスマホ動画。

向こうからおばさん軍団。

どこかから電話。

さっきまでおっさんから仕事の話。

そして隣から雑談。

全方向から人間が来る。

なんだここ。

サラウンド休憩室か。

いらん。

臨場感を出すな。

僕が欲しいのは高音質ではない。

無音だ。

もう地獄だ。

なんだこれ。

僕は休憩しているはずなのに、全然休んでいる気がしない。

そしてとうとう、思ってはいけないことを思った。

仕事してる方がまだいい。

おかしい。

完全に逆転している。

普通なら仕事中に時計を見て、

「あと10分で休憩だ」

と思うものだろう。

僕はいま休憩室で時計を見ながら、

「あと10分で仕事に戻れる」

と思っている。

休憩が終わるのを待っている。

休憩室から仕事場へ避難しようとしている。

仕事が避難所になっている。

何のための休憩なんだ。

目次

こいつらは周りが見えていないのか

ここまでいろんな音が重なると、不思議になってくる。

この人たちは、周りが見えていないのだろうか。

自分たちだけで休憩しているつもりなのだろうか。

休憩室には他にも人がいる。

静かにご飯を食べたい人もいる。

ぼーっとしたい人もいる。

目を閉じたい人もいる。

一人で過ごしたい人もいる。

それなのにテレビをつける。

スピーカーで動画を見る。

ばかでかい声で喋る。

電話をする。

仕事の話を持ってくる。

もちろん、誰も「よし、あいつの休憩を邪魔してやろう」と思っているわけではないだろう。

たぶん悪意はない。

むしろ悪意がないからこそ、不思議なのだ。

もしかすると、周囲の人間が意識から消えているのかもしれない。

「休憩だ。テレビ見よう」

「休憩だ。動画見よう」

「休憩だ。みんなで喋ろう」

「電話中だけど休憩室入ろう」

「あ、○○おるやん。仕事のこと聞こう」

全部、自分が今何をしたいかから始まっている。

そこに、

「ここでは他の人も休憩している」

が抜け落ちている。

休憩しているのは、お前だけじゃない。

休憩の仕方は、人によって全然違う

ただ、ここで一つ考えた。

僕にとって静かなことが休憩なら、喋ることが休憩になる人もいる。

仕事中ずっと黙っている人なら、休憩時間に同僚と喋るのが楽しいのかもしれない。

テレビを見て頭を切り替える人もいる。

スマホ動画を見ることで息抜きする人もいる。

僕とは回復方法が違うだけだ。

そう考えると、「全員黙れ」で終わらせるのも違う気がする。

休憩室とは、回復方法がまったく違う人間を同じ箱の中に入れている場所なのかもしれない。

喋って回復する人。

静かにして回復する人。

動画を見て回復する人。

テレビを見て回復する人。

一人になって回復する人。

そりゃ衝突する。

ただし、ここで一つだけ言いたい。

休憩時間くらい好きにさせろ。

分かる。

僕だって好きにしたい。

でも、

他人も休憩中だ。

動画を見たいなら見ればいい。

電話したいときだってあるだろう。

同僚と喋るのも自由だ。

ただ、その自由が他人の休憩に侵入し始めたら、少し話が変わってくる。

動画はイヤホンでも見られる。

電話は少し場所を移動してできる。

大声で喋らなくても会話はできる。

僕が黙って飯を食っていても、誰かの耳に僕の静けさが飛んでいくことはない。

でもスマホから流した動画は、僕のところまで来る。

ばかでかい話し声も来る。

電話の声も来る。

テレビの音も来る。

静けさは他人の領域に入りにくい。でも音は勝手に入ってくる。

「そんなに静かにしたいなら、お前が違うところに行けばいい」

と言われるかもしれない。

いや。

お前らがどっか違うとこ行け。

僕は何もしていない。

黙って飯を食っているだけだ。

侵入してきているのはそっちだ。

……まあ、実際には僕が違うところへ逃げているんだけど。

負けてるやないか。

休憩中くらい、人間からも休みたい

僕は仕事中、必要なら普通に喋る。

報告もする。

質問もする。

返事もする。

仕事なんだから当然だ。

でも、だからこそ休憩に入ったら一度切りたい。

別に職場の人が嫌いだからという話ではない。

人と関わること自体から休憩したい。

人と話すというのは、何もしていないようで結構いろいろやっている。

相手の話を聞く。

意味を理解する。

返事を考える。

相槌を打つ。

必要なら笑う。

質問されたら答える。

会話が途切れたら、なんとなく気まずくならないようにする。

仕事中ずっとそういうことをしているのに、休憩時間まで続けたくない。

僕にとって休憩は、

誰にも反応しなくていい時間

でもある。

なのに隣から、

「今日どこ担当なん?」

と来る。

答える。

「昨日は?」

答える。

「大変やった?」

また答える。

もうそれ、僕の中では休憩じゃない。

会話そのものが嫌なわけではない。

仕事が始まったらまた喋る。

だから今だけ放っておいてほしい。

職場の人間関係を維持するための「へえー」「そうなんですね」「ほんまですか」を、休憩中まで製造したくない。

僕はいま閉店している。

再開は休憩終了後だ。

「休憩中」って、もっと強い言葉であっていい

そもそも「休憩中」という状態が、職場では少し軽く扱われすぎている気がする。

席にいる。

目の前にいる。

だから話しかけてもいい。

そう思われやすい。

でも、そこにいることと、対応できることは別だ。

休憩室にいる僕は、逃げたわけでもサボっているわけでもない。決められた時間に、決められた休憩を取っている。

だったらその時間くらい、仕事から切り離されてもいいはずだ。

「ちょっとだけだから」

そのちょっとが積み重なる。

仕事の質問が二分。

雑談が三分。

電話の声を聞きながら飯を食う。

気づけば、休憩時間のかなりの部分を誰かに使われている。

休憩は余った時間ではない。

最初から休むために用意されている時間だ。

だから僕は「休憩中」という言葉を、もう少しそのまま受け取ってほしい。

休憩中。

つまり、

いま休憩している。

見れば分かるだろう。

飯を食っている。

放っておいてくれ。

何もしないことは、案外難しいのかもしれない

そして考えているうちに、別の疑問も出てきた。

もしかすると人間にとって、

何もしないことは案外難しいのかもしれない。

休憩になった。

椅子に座る。

飯を食う。

水を飲む。

ぼーっとする。

それだけでいい。

少なくとも僕は、それでいい。

でも静かな時間ができると、何かで埋めたくなる人もいるのだろう。

テレビをつける。

スマホを見る。

動画を流す。

誰かに話しかける。

電話をする。

何かをしていないと落ち着かない。

沈黙ができると喋りたくなる。

静かな部屋に入ると、とりあえずテレビをつけたくなる。

最初に入ってきたおばさんが、何の確認もせずテレビをつけたのも、本人にとってはそれがあまりにも普通だからなのかもしれない。

僕にとって、

「休憩室=静かな場所」

なのに、

その人にとっては、

「休憩室=テレビがついている場所」

なのかもしれない。

若い女性にとっては、

「休憩=スマホ動画を見る時間」

なのかもしれない。

おばさん軍団にとっては、

「休憩=みんなで喋る時間」

なのかもしれない。

つまり、みんな普通にしている。

普通同士がぶつかっている。

これが厄介だ。

迷惑をかけている自覚がある人なら、まだ直せる。

でも「普通にしてるだけ」と思っていたら、自分の行動を疑う理由がない。

だから共有スペースでは、一度だけ自分の普通を疑った方がいいのだと思う。

自分には普通の音量でも、隣の人には大きいかもしれない。

自分には普通の雑談でも、今は誰とも喋りたくない人がいるかもしれない。

自分にとって当たり前のテレビも、静かに休みたい人にとっては騒音かもしれない。

「俺は普通にしてるだけ」

その普通が、全員にとって普通とは限らない。

休憩は、足し算ではなく引き算なんじゃないか

僕は休憩について考えていて、もう一つ思った。

休憩って、本当は何かを足す時間ではなく、

減らす時間なんじゃないか。

仕事を減らす。

動くことを減らす。

考えることを減らす。

会話を減らす。

音を減らす。

人との関わりを減らす。

仕事中ずっと使っていたものを、いったん止める。

だから休める。

ところが僕の休憩室では逆だ。

最初は静かだった。

そこへ一人入ってきて、

テレビが足された。

もう一人入ってきて、

スマホ動画が足された。

おばさん軍団が来て、

大声の会話が足された。

上司が来て、

電話が足された。

おっさんが来て、

仕事の話が足された。

最後に隣の同僚から、

雑談まで足された。

足すな。

僕はいま減らしに来ている。

仕事中より情報量が増えてどうする。

休憩時間を充実させようとして、何かをする必要なんてない。

何もしない。

静かにする。

普通にする。

それだけでいい。

でも、その「それだけ」が案外難しいのかもしれない。

何もしないことも、ちゃんと休憩だ

何もしていない人を見ると、なぜか話しかけたくなる人がいる。

一人で黙っている。

ぼーっとしている。

すると、

「疲れてる?」

「眠いん?」

「どうしたん?」

別にどうもしていない。

休んでいる。

何もしないという行為を、全力でやっている。

放っておいてくれ。

休憩時間にまで「何かをしている状態」である必要はない。

テレビを見なくてもいい。

動画を見なくてもいい。

誰かと喋らなくてもいい。

有意義に過ごさなくてもいい。

ただ飯を食って、座って、時間が過ぎるのを待つ。

それで十分だ。

むしろ仕事中にずっと「何かをする」を続けているからこそ、その反対が必要なんじゃないかと思う。

何もしない。

誰にも反応しない。

何も考えない。

そういう空白が僕には必要だ。

静かな人は、静かだから気づかれない

もう一つ厄介なのが、静かに休みたい人ほど、その意思が周囲から見えにくいことだ。

大声で喋る人は分かりやすい。

動画を流している人も分かりやすい。

テレビを見たい人はテレビをつけるから分かる。

でも、

静かにしたい人は静かにしている。

当然だ。

だから主張が聞こえない。

「誰も文句言ってないから別にいいやん」

となりやすい。

でも、文句を言っていないから快適とは限らない。

面倒だから言わないだけかもしれない。

揉めたくないから黙っているだけかもしれない。

そして最終的に、

黙って消える。

僕みたいに。

休憩室から。

そして僕は非常階段へ逃げた

結局、僕は静かな場所を求めて、別の場所へ行くようになった。

非常階段だ。

以前、非常階段で休憩してみたら最高だった話も書いた。

テレビがない。

スマホ動画も聞こえない。

おばさん軍団もいない。

上司の電話もない。

「ちょっと仕事のことやねんけどいい?」もない。

隣から雑談も飛んでこない。

静かだ。

最高だった。

休憩室より、非常階段の方が休憩できる。

……いや、おかしいだろ。

休憩室があるのに、

休憩するために休憩室から逃げている。

何なんだこれは。

本来なら休憩室で休めるのが一番いい。

わざわざ非常階段まで移動しなくてもいいはずだ。

でも僕は移動する。

静けさを求めて。

自分から逃げているので、さっきの「お前らがどっか違うとこ行け」という主張にも説得力がなくなってきた。

結局、僕が行っている。

負けている。

でも静かだ。

だったらもういい。

勝負には負けたが、休憩には勝った。

休憩室なんだから、休憩させてくれ

別に、休憩室を図書館みたいにしろと言いたいわけではない。

一言も喋るなとも思わない。

多少の会話はある。

物音もする。

電話しなければならないことだってある。

それくらいは分かっている。

僕だって音を出す。

生きている以上、完全な無音なんて無理だ。

ただ、少しくらい周りを見てもいいんじゃないかと思う。

テレビをつける前に、他に人がいる。

スマホから音を出す前に、隣に人がいる。

大声で喋る前に、静かに休んでいる人がいる。

仕事の話をする前に、その人はいま休憩中だ。

「自分が休憩したいように休憩する」

それはいい。

でも、その部屋には同じように休憩している人がいる。

自分の休憩のために、他人の休憩を消してしまったら意味がない。

僕が求めている休憩室は、そんなに豪華じゃない。

立派なソファはいらない。

大きなテレビもいらない。

Wi-Fiだって別になくていい。

特別な設備もいらない。

ただ座れる。

飯が食える。

そして少し静か。

それだけでいい。

仕事中は働く。

必要なら喋る。

人とも関わる。

だから休憩になったら、仕事から休みたい。

体を休めたい。

耳も休めたい。

頭も休めたい。

そして少しだけ、

人間からも休みたい。

それはそんなにおかしなことだろうか。

やっと休憩だ。

そう思って入った部屋で、休憩が終わる時間を待つ。

「あと10分で仕事に戻れる」

そんなことを思わせないでほしい。

仕事場を避難所にしないでほしい。

僕はただ静かに飯を食いたいだけだ。

だからお願いだ。

休憩室なんだから、休憩させてくれ。

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