心霊が好きな人の心理。ホラーは怖くないのか?頭がおかしいのか?
僕は、ホラーが好きだ。
大好きだ。
映画も好きだし、小説も好きだ。心霊現象や怪談にも興味がある。
どれくらい好きなのかというと、寝るときに怪談を聞くくらい好きである。
毎晩のように怖い話を聞きながら、眠りにつく。
普通なら、怖くて眠れなくなりそうなものだ。
しかし、僕の場合は違う。
むしろ、落ち着く。
怪談を聞いていると、安心して眠れるのである。
なぜ怖い話を聞くと眠くなるのかについては、別の記事で詳しく書いているので、興味のある方はそちらを読んでいただきたい。

さて、そんな僕だが、一つだけ問題がある。
ホラーを見ても、あまり怖くないのだ。
いや、問題というほどのことでもないのだが。
映画を見ても、怖くない。
怪談を聞いても、怖くない。
ホラー小説を読んでも、なかなか怖くならない。
それなのに、僕は今日もホラーを探している。
なぜなのだろう。
怖くないなら、別のジャンルを楽しめばいいではないか。
恋愛でも、青春でも、ミステリーでもいい。
世の中には、面白い作品が山ほどある。
それなのに、僕はホラーを選ぶ。
しかも、ただ楽しんでいるだけではない。
心のどこかで、こんなことを考えている。
果たして、この僕を本気で怖がらせる作品は存在するのだろうか。
そう。
僕は探しているのだ。
まだ出会ったことのない恐怖を。
何とも面倒くさい男である。
今回は、心霊やホラーが好きな人の心理について、そんな僕自身の感覚も交えながら考えてみたい。
心霊が好きな人は頭がおかしいのか?
そもそも、心霊やホラーが好きな人は、なぜ怖いものを好むのだろう。
よく考えてみると、不思議な話である。
幽霊が出てくる。
人が死ぬ。
不気味な音がする。
何か得体の知れないものが近づいてくる。
普通に考えれば、あまり気持ちのいいものではない。
それなのに、わざわざ映画館へ行く。
お金を払って、怖い映画を見る。
怖い小説を買う。
怖い話を探す。
何なら、怖い話を聞きながら寝る。
僕である。
一体、何がしたいのだ。
自分でも少し不思議に思う。
心霊好きの人は、頭がおかしいのだろうか。
もちろん、そんなことはない。
ホラーが好きだからといって、精神的に問題があるわけではないし、性格が異常というわけでもない。
単なる趣味の一つである。
人によって、好きな音楽が違う。
好きな映画が違う。
好きな小説が違う。
それと同じように、恐怖を題材にした作品が好きな人もいる。
ただし、ここで面白いのは、ホラーが好きな理由は、人によってまったく違うということだ。
怖がりたい人もいる。
刺激が欲しい人もいる。
不思議な現象に興味がある人もいる。
物語の世界観に惹かれる人もいる。
そして、僕のように、怖くないのに怖いものを探し続けている人もいる。
同じホラー好きでも、楽しみ方は一つではないのだ。
心理① 怖いからこそ、ホラーが好き
まず考えられるのは、恐怖そのものを楽しんでいるという心理だ。
怖い。
でも、見たい。
見たくない。
でも、気になる。
そんな矛盾した気持ちで、ホラーを楽しむ人は少なくないだろう。
例えば、ホラー映画を見ているとする。
登場人物が、真っ暗な廊下を歩いている。
奥には、閉まった扉がある。
何かがいる。
絶対にいる。
そんな気がする。
やめておけ。
その扉は開けるな。
そう思いながらも、画面から目が離せない。
そして、扉が開く。
……。
何もいない。
安心した瞬間、背後から何かが現れる。
うわあああ!
何ということだ。
心臓に悪い。
しかし、面白い。
こうした恐怖には、独特の魅力がある。
心理学では、危険がないと分かっている状況で、恐怖や不安といった本来は不快な感情を楽しむ現象が研究されている。
ホラー映画やお化け屋敷などが、その代表例だ。
実際に命の危険にさらされているわけではない。
画面の向こうに幽霊が現れても、こちらに襲いかかってくるわけではない。
だからこそ、恐怖を娯楽として楽しめる。
もちろん、怖ければ必ず楽しいというわけではない。
刺激が強すぎれば、ただ不快になることもある。
反対に、刺激が弱すぎれば、物足りなく感じることもある。
自分にとってちょうどいい恐怖が、楽しさにつながるのかもしれない。
ただし、僕の場合は少し違う。
怖い場面を見ても、なかなか怖くならない。
「おお、なるほど」
そんな感想になる。
何が、なるほどなのだ。
もう少し怖がれ。
自分でも、そう思う。
心理② 日常では味わえない刺激を求めている
次に考えられるのは、非日常への欲求である。
僕たちの日常は、ある程度決まった出来事の繰り返しでできている。
朝起きる。
仕事へ行く。
ご飯を食べる。
家に帰る。
眠る。
もちろん、毎日まったく同じというわけではない。
それでも、ある程度は予測できる。
ところが、ホラーの世界は違う。
突然、誰もいない部屋から声が聞こえる。
閉めたはずの扉が開いている。
知らない番号から電話がかかってくる。
出てみると、自分の声が聞こえる。
……。
何なのだ、それは。
現実に起きたら困る。
非常に困る。
しかし、物語としては気になる。
一体、何が起こっているのだろう。
誰が電話をかけてきたのだろう。
なぜ、自分の声が聞こえるのだろう。
そうした非日常的な出来事が、好奇心を刺激する。
ホラーは、普段の生活では味わえない世界へ連れていってくれる。
そして、その世界では、日常の常識が通用しないこともある。
普通なら起こらないことが起こる。
説明できないことが起こる。
その不思議さが面白い。
ただし、刺激を求めることと、危険を求めることは同じではない。
僕はホラーが好きだが、実際に幽霊に襲われたいわけではない。
怪談を聞くのは好きだ。
しかし、夜中に突然、耳元で知らない声が聞こえたら困る。
「こんばんは」
いや、こんばんはではない。
帰っていただきたい。
僕が好きなのはホラーであって、実生活のトラブルではないのだ。
ここは、きちんと区別しておきたい。
心理③ 幽霊や心霊現象の謎に惹かれる
僕が心霊を好きな理由の一つに、未知のものへの興味がある。
そもそも、幽霊は存在するのだろうか。
死んだあと、人間はどうなるのだろう。
心霊現象と呼ばれるものには、どんな理由があるのだろう。
考え始めると、疑問は尽きない。
もちろん、心霊現象とされる出来事の中には、錯覚や思い込み、環境的な要因などで説明できるものもある。
不思議な体験をしたからといって、それが幽霊の存在を証明するわけではない。
それでも、分からないことに興味を持つのは自然なことだと思う。
人間は昔から、未知のものに物語を与えてきた。
暗闇。
死。
夢。
説明のつかない音。
誰もいない場所で感じる気配。
そうしたものが、さまざまな怪談や伝承を生み出してきた。
僕は、その文化そのものにも惹かれる。
なぜ、そんな話が生まれたのか。
なぜ、その場所に幽霊が出ると語られるようになったのか。
なぜ、人は同じような怪異を繰り返し語るのか。
怖いかどうかとは別に、興味深い。
それに、心霊の面白さは、答えが簡単に出ないところにもあると思う。
すべての謎が解明されるわけではない。
すべての怪談に、明確な結末が用意されているわけでもない。
分からないまま終わる。
だからこそ、想像が広がる。
あれは何だったのだろう。
本当に幽霊だったのだろうか。
それとも、別の理由があったのだろうか。
そんなことを考える時間が好きなのだ。
もっとも、僕はその謎を解明するために、夜中の廃墟を歩き回りたいわけではない。
知りたい。
しかし、できれば安全な場所で知りたい。
何とも都合のいい探究心である。
心理④ ホラーの世界観や表現そのものが好き
ホラーの魅力は、恐怖だけではない。
僕は、ここが非常に重要だと思っている。
例えば、ホラー小説を読んでいるとする。
文章が美しい。
世界観が独特だ。
物語の構成が見事だ。
登場人物の心理が、恐ろしいほど丁寧に描かれている。
現実と虚構の境界が、少しずつ曖昧になっていく。
何が本当なのか。
何が起こっているのか。
読み進めるほど、分からなくなる。
しかし、それが面白い。
こんな物語を、どうやったら思いつくのだろう。
そんなふうに感動することがある。
そう。
僕は、ホラー作品に感動するのだ。
怖くて震えるのではない。
作品のすごさに心を動かされる。
もちろん、恐怖と感動が同時に生まれることもあるだろう。
しかし、僕の場合は、怖さよりも先に感動が来ることが多い。
何という発想なのだ。
どうやったら、こんな世界を作れるのだ。
こんな表現があるのか。
そう思いながら、作品を楽しんでいる。
だから、怖くなかったからといって、つまらなかったとは限らない。
むしろ、怖くなくても、素晴らしいホラー作品はたくさんある。
ここを勘違いしたくない。
ホラーだからといって、恐怖だけで評価する必要はないのだ。
恋愛小説を読んだからといって、必ず恋をしたくなるわけではない。
青春小説を読んだからといって、必ず学生時代に戻りたくなるわけではない。
それと同じように、ホラー小説を読んだからといって、必ず怖がらなければならないわけではない。
物語として面白い。
表現がすごい。
世界観に引き込まれる。
それだけでも、十分に読む価値がある。
そして僕は、そういう作品に出会うたびに思う。
やっぱりホラーは面白い。
心理⑤ 怖いものを見たいのではなく、自分を怖がらせるものを探している
さて、ここからは僕自身の話である。
僕は、ホラーを見てもあまり怖くない。
しかし、ホラーが好きだ。
では、なぜ怖くないものを、わざわざ見続けるのだろう。
その理由の一つは、探究心である。
この僕を、本気で怖がらせる作品が存在するのだろうか。
それを確かめたいのだ。
世の中には、数えきれないほどのホラー作品がある。
映画もある。
小説もある。
怪談もある。
心霊ドキュメンタリーもある。
まだ知らない作品が、山ほど存在している。
その中には、僕の想像を超える恐怖が隠されているかもしれない。
そう思うと、探さずにはいられない。
今度こそ怖いかもしれない。
この作品なら、震えるかもしれない。
そんな期待を抱いて、次の作品に手を伸ばす。
そして、実際に鑑賞する。
……。
怖くない。
しかし、面白い。
すごい。
何という作品なのだ。
僕は感動する。
何とも不思議な結果である。
怖がるために作品を探していたはずなのに、最後には作り手の才能に感動している。
まったく予定と違うではないか。
しかし、それでいい。
むしろ、それもホラーの魅力なのだと思う。
そして、また次の作品を探す。
今度こそ、本気で怖いかもしれない。
そう考えると、僕のホラー鑑賞には、終わりがない。
怖い作品に出会いたい。
しかし、怖くなくても面白い。
面白ければ、また見たくなる。
そして、次こそは怖いかもしれないと思う。
永遠に終わらないではないか。
一体、いつになったら満足するのだろう。
いや、満足しているのかもしれない。
ただ、探すことをやめたくないだけなのだ。
ホラー耐性が高い人は、なぜ怖くないのか?
ホラー好きの中には、恐怖に対する耐性が非常に高い人もいる。
いわゆる、ホラー耐性が高い人だ。
同じ映画を見ても、怖がる人と、まったく怖がらない人がいる。
なぜ、そんな違いが生まれるのだろう。
理由は一つではないだろう。
まず考えられるのは、慣れである。
ホラー映画を何本も見る。
怪談を何度も聞く。
ホラー小説を読み続ける。
すると、ある程度、展開が予測できるようになる。
暗い廊下。
不自然な静けさ。
突然止まる音楽。
ゆっくりと開く扉。
何かが起こる。
そんな気がする。
そして、実際に何かが起こる。
「ああ、やっぱり」
こうなってしまうと、驚きは小さくなる。
もちろん、慣れれば必ず怖くなくなるというわけではない。
ホラーを何十年楽しんでいても、怖いものは怖いという人もいるだろう。
また、そもそも恐怖を感じる強さには個人差がある。
作品への没入の仕方も違う。
幽霊の存在を想像して怖くなる人もいれば、映像表現として楽しむ人もいる。
同じものを見ても、受け取り方が違うのだ。
それに、ホラー耐性が高いといっても、何も怖くないとは限らない。
幽霊は平気でも、人間の悪意は怖い。
怪物は平気でも、現実に起こり得る事件は怖い。
そういう人もいるだろう。
恐怖には、いろいろな種類がある。
だから、ホラー映画で平然としているからといって、その人があらゆる恐怖に強いとは限らない。
僕も、別に無敵の人間ではない。
ただ、ホラー作品を見ても、あまり怖くならないというだけである。
ここは大きな違いだ。
何も怖くない人間になりたいわけでもない。
そもそも、そんな人間になれるとも思っていない。
僕はただ、まだ出会ったことのない恐怖に興味があるのだ。
ホラーは怖がらせようとしすぎると、逆に怖くなくなる
そして、ホラーを楽しんでいると、もう一つ興味深いことに気づく。
それは、怖がらせようとすればするほど、必ず怖くなるわけではないということだ。
例えば、幽霊を登場させる。
それだけでも、十分に怖い場面を作れるかもしれない。
しかし、もっと怖くしようとして、幽霊を増やす。
一人では足りない。
二人にしよう。
三人にしよう。
もっと増やそう。
部屋中、幽霊だらけにしよう。
……。
いや、多い。
多すぎる。
もはや、どこを見ればいいのか分からない。
もちろん、大勢の幽霊が登場すること自体が悪いわけではない。
演出次第では、強烈な恐怖につながることもあるだろう。
しかし、ただ数を増やせば怖くなるというものではない。
血を増やせばいいわけでもない。
残酷な場面を増やせばいいわけでもない。
大きな音を鳴らせばいいわけでもない。
恐怖というのは、単純な足し算ではないのだ。
ここが、ホラーの難しいところだと思う。
例えば、何もない部屋がある。
静かな部屋だ。
誰もいない。
しかし、何となく違和感がある。
何かがおかしい。
でも、何がおかしいのか分からない。
そういう場面のほうが、はっきり幽霊を見せられるより怖いこともある。
なぜなら、分からないからだ。
何かがいるのかもしれない。
何もいないのかもしれない。
しかし、もし何かがいたら。
そんな想像が、勝手に膨らんでいく。
見えないものを、人間は自分の想像力で補ってしまう。
そして、ときには、その想像が実際の映像よりも恐ろしくなる。
もちろん、何も見せなければ怖いというわけでもない。
見せなさすぎれば、何も起こらないまま終わってしまう。
それでは、ただ静かな作品になるかもしれない。
見せるべきところでは、見せる。
隠すべきところでは、隠す。
説明するべきところでは、説明する。
しかし、すべてを説明しない。
その加減が難しい。
僕は、こういうホラーの表現にも感動する。
よく、こんな見せ方を思いついたな。
なぜ、この場面で何も起こさなかったのだろう。
なぜ、ここだけ説明しなかったのだろう。
そんなことを考える。
そして、作品が終わったあとで気づく。
あの場面は、そういう意味だったのかもしれない。
何とも面白い。
怖さを生み出すために、何を描き、何を描かないのか。
ホラーには、独特の技術があるのだと思う。
グロテスクな表現と、本当の恐怖は同じではない
ホラーの難しさについて考えるとき、もう一つ気になることがある。
それは、残酷さと恐怖の違いだ。
血が大量に流れる。
人間の体が傷つけられる。
目を背けたくなるような場面が続く。
そうした表現が苦手な人もいるだろう。
僕も、残酷な表現そのものを否定するつもりはない。
作品に必要な場合もある。
その表現だからこそ伝わるものもある。
ただ、残酷な場面を増やせば、必ず怖い作品になるわけではないと思う。
気持ち悪い。
見ていられない。
不快だ。
そう感じることと、恐怖を感じることは、必ずしも同じではない。
例えば、ものすごく残酷な場面を見せられたとする。
確かに、衝撃は受けるかもしれない。
しかし、それが怖いかどうかは別の話だ。
反対に、血が一滴も流れない作品でも、恐ろしいものはある。
何気ない会話。
普通の住宅街。
ありふれた日常。
そこに、ほんの少しだけ異常なものが混ざる。
その違和感が、いつまでも頭から離れない。
僕は、そういうホラーにも魅力を感じる。
特に、人間の心理を描いた作品には、独特の恐ろしさがあると思う。
幽霊よりも、人間のほうが怖い。
そんな言葉を聞くことがある。
確かに、人間の悪意や執着、理解できない行動には、現実的な恐怖がある。
しかし、だからといって、幽霊が登場する作品より優れているという話ではない。
どちらにも、それぞれの魅力がある。
僕は心霊現象の謎も好きだし、人間の内面を描いたホラーも好きだ。
怖さの種類が違うからこそ、面白いのだ。
心霊好きは、怖いものに強い人ばかりではない
ここまで、ホラー耐性が高い僕自身の話をしてきた。
しかし、心霊好きが全員、僕のような人間というわけではない。
むしろ、怖がりながらホラーを楽しむ人もたくさんいるだろう。
怖い。
でも、面白い。
もう見たくない。
でも、続きが気になる。
そういう楽しみ方もある。
一方で、僕のように、あまり怖がらずに楽しむ人もいる。
不思議な現象に興味がある。
世界観が好きだ。
物語が面白い。
作り手の発想に感動する。
そして、いつか本気で怖い作品に出会いたいと思っている。
どちらが正しいという話ではない。
ホラーの楽しみ方は、人それぞれである。
怖がることだけが、ホラーの楽しみ方ではないのだ。
それに、同じ人でも、作品によって感じ方は変わる。
ある作品では怖がる。
別の作品では感動する。
また別の作品では、ただ不思議に思う。
そういうこともあるだろう。
だからこそ、ホラーは奥が深い。
ただ幽霊を出せばいいわけではない。
ただ人を驚かせればいいわけではない。
怖さを通じて、さまざまな感情を生み出せる。
僕は、そこに魅力を感じている。
僕は今日も、自分を怖がらせるホラーを探している
結局のところ、心霊が好きな人の心理は、一つではない。
怖いものを楽しみたい人。
日常では味わえない刺激を求める人。
幽霊や心霊現象の謎に惹かれる人。
不気味な世界観が好きな人。
物語の構成や表現に感動する人。
そして、恐怖への耐性が高く、それでも新しい恐怖を探し続ける人。
僕は、そのいくつかに当てはまるのだと思う。
心霊現象そのものにも興味がある。
ホラー作品の世界観も好きだ。
そして、何より、まだ出会ったことのない作品に惹かれる。
この世には、僕の知らないホラーが山ほどある。
その中には、今までの僕の感覚をひっくり返すような作品があるかもしれない。
想像もできない展開。
見たことのない表現。
理解できないほど不気味な世界。
そして、もしかすると、本気で震えてしまうほどの恐怖。
そんな作品に出会えたら、どうなるだろう。
きっと、僕は感動する。
すごい。
何なのだ、この作品は。
こんなものが存在していたのか。
どうやったら、こんなものを作れるのだ。
そう思うに違いない。
……。
結局、感動するのか。
まあ、いい。
それも僕の楽しみ方なのだ。
ホラーが好きだからといって、必ず怖がらなければならないわけではない。
怖くなくても、面白いものは面白い。
そして、怖い作品に出会えたら、それはそれで嬉しい。
つまり、どちらに転んでも楽しめる。
何とも都合のいい趣味である。
さて、今日もそろそろ眠る時間だ。
僕は布団に入り、怪談を再生する。
今夜こそ、恐ろしくて眠れなくなるかもしれない。
今までにない恐怖を味わえるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、目を閉じる。
不気味な声が聞こえてくる。
恐ろしい話が始まる。
いよいよだ。
今夜こそ、僕は恐怖を知るのかもしれない。
……。
……。
気がつけば、朝だった。
また、ぐっすり眠ってしまった。
