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電車で端の席が空くと、すぐ移動する人。あれは何なんだ。

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電車に乗っていると、たまにいる。

端の席が空いた瞬間、移動する人。

僕は彼らを勝手に「スライドマン」と呼んでいる。

もちろん、本人に言ったことはない。

言えるわけがない。

「あなた、スライドマンですよね?」

そんなことを言ったら、僕の方が別の車両へ移動した方がいい。

スライドマンは、今日も静かに現れる。

たとえば僕が電車で立っている。

目の前には座席がある。

しかも僕の目の前は端の席だ。

しばらくすると、そこに座っていた人が荷物を持った。

次の駅で降りるらしい。

そして立ち上がる。

よし。

座れる。

数十分立っていた僕の脚に、ようやく休息が訪れる。

そう思った、その瞬間だった。

端の隣に座っていた人が、

スッ。

横へ移動した。

端の席に。

速い。

あまりにも自然なスライドだった。

僕は一瞬、

「え?」

となる。

でも、その人がさっきまで座っていた席が空いている。

だから僕はそこに座る。

座れる。

別に何も損していない。

その人が端に移動した。

その人の席に僕が座った。

全員座れた。

座席の数も変わっていない。

数学的には完璧だ。

誰も損をしていない。

なのに僕は思う。

お前、もう座ってたやん。


目次

そんなに変わる?

端の席が人気なのは分かる。

僕だって、最初から席を選べるなら端を選ぶことが多い。

片側に人がいない。

壁や仕切りに少し寄りかかれる。

知らない人二人に挟まれるより、一人だけの方が楽だ。

荷物も多少扱いやすい。

眠るときも少し安心する。

端の席には、確かにメリットがある。

それは認める。

でも。

そんな変わる?

さっきまで普通に座っていたではないか。

立っている人が空席を見つけて座るのなら分かる。

そりゃ座りたい。

僕だって座る。

でもスライドマンは、すでに座っている。

尻の居場所は確保されている。

しかも、これから何時間もそこにいるわけではない。

あと数駅。

あと十数分。

長くても数十分くらいだろう。

そのために、

スッ。

と移動する。

一席分。

距離にして数十センチ。

同じ電車。

同じ車両。

同じ座席。

到着時刻も変わらない。

冷房の温度もほぼ同じ。

電車の揺れも同じ。

端へ移動したからといって、飲み物が出てくるわけでもない。

端席専用のコンシェルジュもいない。

なのに移動する。

その数十センチに、一体何があるのだろう。

僕には見えていない何かが、端にはあるのだろうか。


とにかく速い

そして僕が気になるのは、移動することだけではない。

スライドマンは、

速い。

端の人が完全に立ち上がって、ドアの方へ歩いていく。

それを確認してから、

「あ、空いたな」

と移動する。

これならまだ分かる。

でも熟練したスライドマンは違う。

端の人が荷物を持つ。

腰を浮かせる。

すると、隣の人の身体にもわずかな動きが生まれる。

まだ空いていない。

でも分かっている。

こいつ、降りる。

そして端の人が立った瞬間、

スッ。

移動完了。

早い。

まだ電車、駅に着いてない。

僕なら一回考える。

「今動いたら、めちゃくちゃ端狙ってた人みたいになるな」

この一瞬がある。

でもスライドマンにはない。

端が空いた。

行く。

それだけ。

F1のピット作業みたいに無駄がない。

もしかすると、ずっと狙っていたのだろうか。

スマホを見ながら、心のどこかで、

「端、空かへんかな」

と思っていたのだろうか。

そしてついに、その時が来た。

今だ。

スッ。

念願の端を手に入れる。

残り十三分。

僕なら、ここで十三分と端席への移動を天秤にかける。

十三分。

別に今の席でも座れている。

もうええやろ。

そうなる。

でもスライドマンにとっては違うのかもしれない。

十三分もある。

十三分あれば、端の方がいい。

この違いなのだろうか。


僕は、お前の跡地に座る

特に不思議なのが、さっきのように僕が目の前に立っている場合だ。

僕の目の前の端席が空いた。

僕は当然、

「あ、座れる」

と思う。

別に僕の席ではない。

指定席でもない。

早い者勝ちといえば、それまでだ。

でも目の前で空いたら、自然とそこへ座ろうとする。

荷物を少し持ち直す。

身体も座る準備に入る。

ところが、その瞬間。

横から、

スッ。

スライドマンが端へ移動する。

そして僕は、スライドマンがさっきまで座っていた席に座る。

座れるからいい。

本当にいい。

僕は何も失っていない。

でも、なんだろう。

勝手に席を交換された感じがする。

僕は端に座るつもりだった。

そこへ知らない人が、

「私は端へ行きますので、あなたはこちらへ」

と無言で座席変更を行った。

聞いてない。

しかも僕が座るのは、その人が今まで座っていた場所だ。

まだ少し温かい。

お前のぬくもりが残っている。

なぜ僕が、お前の後釜に入らなければならない。

もちろん、その人は悪くない。

僕の席を奪ったわけでもない。

その人が動いた結果、僕もちゃんと座れている。

実害はゼロ。

なのに、なんか気になる。

人間には「何も損していないのに、なぜか納得できない」という面倒くさい感情がある。

たぶん、これはその一つだ。


しかも僕の方が立っていた

ここで、さらに僕をモヤモヤさせるものがある。

僕は立っていた。

スライドマンは、もう座っていた。

これだ。

別に「立っている人が優先」というルールなんてない。

端の席が空いたら、その隣に座っている人が移動してはいけないという決まりもない。

分かっている。

でも僕の感情としては、

お前はもう座れてるやん。

なのである。

僕は今まで立っていた。

ようやく目の前が空いた。

一方、あなたはずっと座っていた。

それなのに、僕が座ろうとしていた端を取って、代わりに自分の席を渡してくる。

いや、席は渡していない。

勝手に僕が座っているだけだ。

全部分かっている。

それでも、

「いや、そこまで端がいいん?」

と思ってしまう。

端と真ん中の差。

スライドマンにとっては、僕が思っている以上に大きいのかもしれない。

僕にとっては「座れるか、座れないか」の方が圧倒的に大きい。

だから感覚が噛み合わない。

僕は、

「やっと座れる」

と思っている。

スライドマンは、

「やっと端に行ける」

と思っている。

同じ空席を見ているのに、喜んでいる理由が違う。


離れられるのも、なんか気ぃ悪い

別のパターンもある。

僕と知らない人が隣同士で座っている。

その人の向こう側が空いた。

さらに端の席も空いた。

すると隣の人が、

スッ。

端へ移動する。

僕との間に一席空く。

広くなった。

僕も快適になった。

むしろありがたい。

なのに僕は少し思う。

そんな僕の隣、嫌やった?

気ぃ悪い。

もちろん、そんな意味ではないだろう。

その人は端へ行きたかっただけだ。

僕から逃げたわけではない。

一席空いた方がお互い快適だ。

合理的でもある。

それなのに、離れられると少しだけ引っかかる。

これは自分でも無茶苦茶だと思う。

だって逆に、ガラガラの電車で知らない人がわざわざ僕の真横に座ってきたら、

「なんでここ?」

と思う。

他にもいっぱい空いてるやん。

ちょっと離れてくれたらいいのに。

そう思う。

なのに実際に離れていったら、

「そんな離れんでもええやん」

と思う。

近づくな。

でも離れるな。

どうしてほしいねん。

人間は面倒くさい。


一席空けたい気持ちは、僕にもある

ただ、一席空けたい気持ちは分かる。

僕だって、隣に知らない人がいる状態と、一席空いている状態なら、後者の方がいい。

肩が当たらない。

腕の置き場を気にしなくていい。

少しくらい姿勢を変えても大丈夫だ。

つまりスライドマンが移動することで、僕にもメリットはある。

向こうも快適。

僕も快適。

全員幸せ。

それなのに、

なんでちょっと気ぃ悪いんだ。

たぶん、離れるという行動には、ほんの少しだけ「拒絶」の形があるからだと思う。

実際には拒絶していない。

でも、

隣にいた。

空いた。

離れた。

という流れだけを見ると、

「僕から距離を取った」

ようにも見える。

人間は意味のない動きにまで、勝手に意味をつける。

相手は、

「端空いた。移動しよ」

くらいしか考えていない。

僕は、

「俺なんかした?」

まで考える。

相手は三秒。

僕は十分。

完全に僕の負けである。


僕だって端は好きだ

ここで誤解されたくない。

僕は端の席が嫌いなわけではない。

むしろ好きだ。

電車に乗ったとき、座席が全部空いていたら、たぶん端に座る。

だから、

「端の席なんて何がいいの?」

と言いたいわけではない。

端が快適なのは分かっている。

僕が不思議なのは、

すでに座っているのに、わざわざ移動すること

なのだ。

そしてもっと言えば、

「あいつ、端が空いた瞬間に移動したな」と思われてまで、端へ行きたいこと

が不思議なのだ。

僕なら気になる。

端が空いた。

確かに行きたい。

でも今すぐ動いたら、

「こいつ端狙ってたんや」

と思われるかもしれない。

「そんな端行きたかったん?」

と思われるかもしれない。

だったら、もうここでいい。

あと十五分くらいだ。

今も座れている。

十分だ。

僕なら、たぶんそうなる。

でもスライドマンは違う。

端が空いた。

端の方が快適。

なら移動する。

スッ。

この迷いのなさが、僕には不思議なのだ。


ちょっと、みっともなく見える

これは完全に僕個人の感覚だ。

端が空いた瞬間にすぐ移動する姿を見ていると、ほんの少しだけ、

みっともないな

と思ってしまうことがある。

もちろん、悪いことではない。

マナー違反でもない。

ルール違反でもない。

誰にも迷惑をかけていない場合も多い。

ただ、

「そこまでして端に行きたいんだ」

と思う。

人間の欲が一瞬だけ見える感じがするのだ。

こっちの方が快適。

こっちの方が得。

できればこっちがいい。

そんな気持ちは誰にでもある。

僕にだってある。

でも普段は、全部をそのまま行動にはしない。

「まあ、今のままでいいか」

となることもある。

ところがスライドマンは、端が空いた瞬間、

欲が身体に直結する。

スッ。

「あ、端欲しかったんや」

と分かる。

特に、まだ端の人が完全に立ち上がっていないくらいのタイミングで身体が動き始めると、

ずっと待ってたやん。

と思う。

たぶん僕が「みっともない」と感じるのは、端へ移動することそのものではない。

必死に見えること

なのだと思う。


何秒待てば、みっともなくなくなるのだろう

ただ、ここで変な疑問が出てくる。

じゃあ、何秒待てばいいのだろう。

端が空いた。

一秒後に移動。

僕は「早っ」と思う。

五秒後。

まだちょっと狙っていた感じがする。

三十秒後。

これはどうだろう。

一分後。

もういい気がする。

何が違うのだ。

結局、同じ端へ移動している。

目的も同じ。

結果も同じ。

なのに空いた瞬間に動くと、僕には少しみっともなく見える。

少し時間を置いてから動くと、なぜか自然に見える。

人間は行動そのものだけではなく、

間

まで見ているのかもしれない。

欲しいものへすぐ手を伸ばすと、欲が見える。

少し待つと、偶然そうしただけのように見える。

もちろん、全部演技だ。

本当は端へ行きたかった。

でも三十秒待つ。

そして、

「まあ、空いてるし移動しようかな」

みたいな顔をする。

誰に向けての演技なのだろう。

そう考えると、スライドマンの方が潔い。

欲しい。

行く。

終わり。

僕の方がよほど面倒くさい。


でも、誰もそんなこと思ってないのかもしれない

「みっともない」と思っているのは、僕だけかもしれない。

周りの人は何とも思っていない。

スマホを見ている。

寝ている。

イヤホンで音楽を聴いている。

そもそもスライドしたことにすら気づいていない。

僕だけが、

「おお、行ったな」

と思っている。

そして何より、スライドマン本人は、

みっともないと思われる可能性

なんて考えていないのかもしれない。

端が空いた。

端の方が楽。

移動できる。

じゃあ移動する。

それだけ。

だとしたら、ものすごく合理的だ。

誰にも迷惑をかけない。

自分は少し快適になる。

なら移動すればいい。

僕みたいに、

「今動いたらどう思われるかな」

なんて考えている方が、むしろ意味が分からないのかもしれない。

残り十五分。

スライドマンは端にもたれて快適にスマホを見ている。

僕は真ん中で、

「あいつ、端行ったな」

と考えている。

どっちがアホなのだろう。


「あと十五分」と「まだ十五分」

考えてみれば、スライドマンは、

小さな快適さを取りこぼさない人

なのかもしれない。

僕は、

「あと十五分だから」

と思う。

スライドマンは、

「まだ十五分あるから」

と思う。

この違いは結構大きい。

あと十五分しかない。

だから移動しない。

十五分もある。

だから移動する。

僕からすると、

「そんな短い時間のために?」

なのだけれど、

スライドマンからすれば、

「十五分快適になるのに、なんで移動しないの?」

なのかもしれない。

確かに。

そう言われると何も言えない。

数十センチ横に移動するだけだ。

お金もかからない。

時間もほとんどかからない。

誰にも迷惑をかけないなら、やった方が得だ。

スライドマンは、小さな得をちゃんと拾っている。

僕は、

「必死に見えたら嫌だ」

という理由で、それを拾わない。

そう考えると、急に僕の方が変に見えてくる。


電車という空間が、人を少し横柄にするのかもしれない

ただ、もう一つ気になることがある。

スライドマン個人の問題というより、

電車という空間そのものが、人を少し横柄にしているのではないか。

電車って、かなり特殊な場所だ。

知らない人と、ものすごく近くに座る。

肩が触れることもある。

足が当たることもある。

満員電車なら、さらに近い。

普通の場所なら、知らない人とこんな距離にはならない。

公園のベンチなら、空いていれば離れて座る。

カフェでも、わざわざ知らない人の真横には行かない。

でも電車では、それが普通だ。

そして、これだけ近いのに会話はない。

「こんにちは」

もない。

「今日は暑いですね」

もない。

名前も知らない。

どこへ行くのかも知らない。

身体は近い。

でも関係はゼロ。

よく考えたら、ものすごく変な空間だ。


電車の中では、人ではなく「乗客」になる

電車の中にいると、他人が少しだけ「人」ではなくなる気がする。

もちろん人なのだけれど、

隣にいる人。

前に立っている人。

降りる人。

乗ってくる人。

そんな役割として見る。

たとえば目の前に僕が立っている。

端の席が空いた。

普通なら、

「この人、座るかな」

と考えてもよさそうだ。

でも電車では、

「端、空いた」

が先に来る。

だからスライドする。

僕という人間から席を奪った感覚ではない。

ただ、空いた場所へ移動しただけ。

これがカフェなら少し違う気がする。

知らない人と隣同士で座っていて、少し離れた席が空いた瞬間に荷物を全部持って移動したら、

「そんな僕の隣、嫌やった?」

となる。

目の前で椅子を待っている人がいるのに、その隣から横へ移動したら、

「そこ、この人が座るんちゃう?」

という空気も生まれそうだ。

でも電車では、そこまで気にならない。

空席は空席。

乗客は乗客。

人と人との関係が、一時的に薄くなる。

だから少し横柄になれるのかもしれない。


どうせ二度と会わない

そして電車には、もう一つ強いものがある。

どうせ二度と会わない。

これだ。

端へスライドして、

「あいつ、めっちゃ端行きたかったんやな」

と思われても、何も困らない。

あと数駅で降りる。

相手もどこかで降りる。

おそらく人生で二度と会わない。

だったら、どう思われてもいい。

職場なら違う。

毎日会う。

学校でも違う。

明日も会う。

近所でも、また顔を合わせるかもしれない。

だから、

「これやったらどう思われるかな」

が働く。

でも電車では、その関係が次の駅で消える。

二度と会わない人からの評価と、

残り十五分の快適さ。

どちらを取るか。

スライドマンは快適さを取る。

僕は、二度と会わない知らない人の目を気にして、そのまま座る。

こう書くと、

僕の方が何をしているのか分からなくなってくる。

誰に格好をつけているのだろう。

向かいに座っているおじさんか。

スマホを見ている学生か。

寝ている会社員か。

たぶん誰も僕を見ていない。


電車は、人を少しだけ大胆にする

そう考えると、電車は人を横柄にするというより、

少しだけ大胆にする場所

なのかもしれない。

どうせ知らない人。

どうせ二度と会わない。

だから少しだけ、自分の快適さを優先できる。

端が空いたら移動する。

空いている場所へ行く。

他人からどう見えるかを、普段より気にしない。

これは悪いことばかりではない。

むしろ楽だ。

僕たちは普段、他人の目を気にしすぎているのかもしれない。

どう思われるだろう。

変に見えないだろうか。

必死だと思われないだろうか。

そんなことを考えて、本当はやりたいことをやらない。

その点、スライドマンは強い。

端がいい。

だから行く。

たったそれだけ。

僕が勝手に「みっともない」と思っている間に、スライドマンはもう端でくつろいでいる。


自由なのか、横柄なのか

ただ、自分が快適なら何でもいい、となると話は変わる。

目の前に座ろうとしている人がいる。

それでも横からすぐスライドする。

誰かが荷物を置こうとしている。

それでも自分の場所だけを考える。

そこまで行けば、「自由」というより「横柄」に近くなる。

難しいのは、その境界線だ。

端へ移動すること自体は自由。

誰にも迷惑をかけないなら、好きにすればいい。

でも、自分の快適さしか見えなくなった瞬間、少し違ってくる。

たぶん僕がスライドマンに感じている違和感も、移動そのものではなく、

周りが見えていないように見える瞬間

なのだと思う。

目の前に立っている僕より、空いた端席。

隣にいる僕より、端席。

人より席。

だから、

「そんなに端がいい?」

となる。


それでも僕は移動しない

ここまで考えても、僕はたぶん移動しない。

端が空く。

「あ、端空いたな」

とは思う。

端の方が快適なのも分かっている。

でも、今座れているならそのままでいい。

あと十五分。

壁にもたれられなくても大丈夫だ。

隣に一人多くても死なない。

そして何より、

「端が空いた瞬間に移動した人」になりたくない。

誰も見ていない。

分かっている。

それでも嫌だ。

これは合理性ではなく、僕の美意識みたいなものなのだと思う。

ほんの少しの快適さのために、必死に見える動きをしたくない。

もちろん、スライドマンは必死ではない。

僕が勝手にそう見ているだけだ。

だから、完全に僕側の問題でもある。


でも、一時間ならどうだろう

ただ、一時間乗るならどうだろう。

端が空いた。

残り一時間。

壁にもたれられる。

片側に人がいない。

……ちょっと迷う。

二時間なら?

たぶん移動する。

おい。

結局、移動するのか。

そう考えると、僕とスライドマンの違いは、

「移動する人」と「移動しない人」ではないのかもしれない。

何分なら移動するか。

その基準が違うだけだ。

僕は十五分なら動かない。

一時間なら迷う。

二時間なら、

スッ。

やっている可能性が高い。

つまり僕が、

「そこまでして端に行く?」

と思っていた相手も、

僕より少し早い段階で快適さを取りにいっているだけなのかもしれない。

そう考えると、あまり偉そうなことも言えない。

僕の中にも、スライドマンはいる。

まだ眠っているだけだ。


そもそも僕は、なぜ他人の目をそんなに気にしているのか

ここまで考えると、スライドマンより僕の方が気になってくる。

なぜ僕は、

「端へ移動したら、どう思われるだろう」

なんて考えているのだろう。

誰も僕を知らない。

僕も誰も知らない。

降りたら終わり。

それなのに、

「必死に見られたくない」

という謎のプライドがある。

考えてみれば、日常にはこういうことが結構ある。

欲しいものがあっても、がっついているように見られたくない。

得をしたくても、必死に得を取りにいっているようには見られたくない。

空いている端席には座りたい。

でも、

端席に座りたかった人には見られたくない。

何だそれ。

かなり面倒くさい。

スライドマンは、その面倒くささを持っていないのかもしれない。

あるいは持っていても、端席の快適さが勝つ。

どちらにせよ、行動できる。

僕は行動せずに、横で延々と考えている。

そして帰ってから、こんな文章まで書いている。

どう考えても、

僕の方が端席に執着している。


電車には、会話のない人間関係がある

それにしても、電車という場所は面白い。

誰とも喋っていないのに、妙に人間関係が発生する。

知らない人が真横に座る。

近いな、と思う。

その人が端へ移動する。

そんな僕の隣嫌やった? と思う。

目の前の席が空く。

座れる、と思う。

横からスライドされる。

お前もう座ってたやん、と思う。

でも全部、心の中だけだ。

誰も何も言わない。

スライドマンも、

「すみません、端の方が好きなので移動します」

とは言わない。

僕も、

「どうぞ。でも、そこ僕が座ろうとしてましたけどね」

とは言わない。

無言。

そして数十分後には、全員いなくなる。

不思議な場所だ。

電車には、

会話のない人間関係がある。

知らない人同士なのに、席一つで少し気を遣う。

少し腹が立つ。

少し傷つく。

少し気まずくなる。

たった数十センチの横移動に、人間関係がある。


今日もスライドマンは行く

たぶん明日も、どこかの電車で端の席が空く。

端に座っていた人が立つ。

その隣の人が気づく。

そして、

スッ。

行く。

僕はそれを見ながら、また思うのだろう。

そんな変わる?

あと何分乗るの?

そこまで端がいい?

そして、その人は何事もなかったようにスマホを見る。

たぶん本人は何も考えていない。

僕だけが勝手に考えている。

もしかすると、その人は僕よりずっと合理的なのかもしれない。

他人からどう見えるかなんて気にせず、空いている快適な場所へ移動する。

それだけ。

僕の方が余計なことを考えている。

それも分かる。

分かるのだけれど。

端の人が立った瞬間、まだ電車が駅に着いてもいないのに腰を浮かせている人を見ると、やっぱり思ってしまう。

早いって。

せめて一秒待て。

端は逃げない。

誰も取らない。

……いや。

取られるのか。

だから早いのか。

なるほど。

そういうことか。

スライドマンたちは、今日も戦っている。

僕には見えていない、端席をめぐる戦いを。

そして見事に端を手に入れる。

残り十三分。

壁にもたれる。

スマホを開く。

何事もなかったように過ごす。

僕だけが、その数十センチについて延々と考えている。

次の駅に着く。

また一人、端の席から立ち上がる。

その隣を見る。

いる。

スライドマンだ。

腰が浮く。

来るぞ。

スッ。

やっぱり行った。

僕は今日も、その見事な横移動を眺めながら思う。

そんな変わる?

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