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上の人にはっきり意見を言える人は何が違うんだろう。実は優しい人。

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上の人にはっきり意見を言える人がいる。

「それ、おかしくないですか?」

「このルールって、何のためにあるんですか?」

「僕はこうした方がいいと思います」

相手が同僚ならまだ分かる。

でも、相手が上司でも言う。

店長でも、社員でも、責任者でも、自分より上の立場にいる人でも、疑問に思ったことがあれば普通に聞く。

僕はどちらかというと、こちら側の人間だ。

だから、たまに不思議そうに言われる。

「よくそんなこと言えるね」

そう言われるたびに、僕の方が不思議だった。

そんなに言えないものなのだろうか。

別に殴り合いを申し込んでいるわけではない。

「お前、表出ろ」

と言っているわけでもない。

ただ、自分が疑問に思ったことを聞いているだけだ。

もちろん、何でもかんでも言うわけではない。

むしろ僕は、普段はかなり何も言わない。

誰かのやり方が少しくらい変でも、

「まあ、好きにしたらいい」

と思っている。

僕に関係がないことなら、なおさらだ。

他人の行動をいちいち正したいとも思わない。

人には人のやり方がある。

好きにすればいい。

しかし、自分にも関係することだったり、明らかに非効率だったり、意味の分からないルールだったりすると、急に気になってくる。

「それ、何の意味があるんだろう」

そして場合によっては、上の人にも聞く。

なぜ僕は言えるのだろう。

逆に、なぜ言えない人がいるのだろう。

少し考えてみることにした。

目次

「ルールだから」で終われない

僕は「ルールだから」という言葉があまり好きではない。

もちろん、ルールそのものが嫌いなわけではない。

必要なルールはある。

安全のため。

法律を守るため。

たくさんの人が同じ場所で働くため。

ミスを防ぐため。

誰か一人だけ好き勝手にすると全体が回らなくなるから、共通の決まりを作る。

それは分かる。

理由が分かれば、

「なるほど。だから必要なんですね」

で終わる。

でも、

「決まりだから」

だけだと気になる。

いや。

だから、その決まりは何のためにあるんだ。

「昔からこうだから」

昔の人に聞きに行けばいいのだろうか。

タイムマシンを用意してほしい。

僕が知りたいのは、そのルールが存在している理由だ。

ルールは本来、何かを良くするための手段だと思う。

安全にする。

効率を上げる。

公平にする。

トラブルを防ぐ。

目的があって、そのためにルールが作られる。

なのに、いつの間にかルールを守ること自体が目的になっていることがある。

そんなとき、

「これ、本当に必要ですか?」

と聞きたくなる。

反抗したいわけではない。

破りたいわけでもない。

意味があるなら守ればいい。

ただ、意味を知りたい。

僕は「従いたくない」というより、

「納得させてくれ」

なのだと思う。

上司を「上の人」だと思っていない

もう一つ考えていて気づいた。

僕は、上司をあまり「上の人」として見ていないのかもしれない。

いや、これは少し違う。

上司であることは分かっている。

役職も分かっている。

自分より大きな権限を持っていることも分かっている。

指示を出す立場であることも、責任を負う立場であることも理解している。

だから、役職を無視しているわけではない。

むしろ、ちゃんと役職を見ている。

でも、

「この人は僕より上の人間だ」

とは思っていない。

ここが大きいのかもしれない。

組織上は上にいる。

でも、人間として上にいるわけではない。

上司にも家があるだろう。

眠たい日もあるだろう。

トイレにも行くだろう。

家でパンツ一丁でアイスを食べているかもしれない。

知らないけど。

普通の人間だ。

間違えることもある。

勘違いすることもある。

現場のことを知らないこともある。

判断を誤ることもある。

僕だって間違える。

だから話せばいい。

僕の中では、

「上司対部下」

であると同時に、

「人対人」

でもある。

役職を取り払って話そう、ということでもない。

役職はある。

役割も違う。

権限も違う。

その違いを理解した上で、人として話している。

たぶん、これが一番近い。

上の人だからこそ言う

さらに考えてみると、面白いことに気づいた。

僕は「上の人なのに言う」のではない。

むしろ、

上の人だからこそ言う。

だって、その人には権限があるからだ。

同僚と二人で、

「あのルール、意味分からんよな」

「ほんまそれ」

と言ったところで、何も変わらない。

二人の友情が少し深まるくらいだ。

もちろん、それはそれで楽しい。

でも、問題は残ったままだ。

だったら、そのルールを変えられる人、説明できる人、確認できる人に聞いた方が早い。

「これって何のためにあるんですか?」

「こうした方が良くないですか?」

「現場ではこうなっています」

上司だから言えない。

僕の場合は逆だ。

上司だから言う。

その人が決められる立場だから、その人に話している。

考えてみれば、これは役職を軽視しているどころか、かなり役職を見ている。

「あなたには、この問題について考える権限がありますよね」

と思っているから、その人に言うのだ。

僕が話したいのは「偉い人」ではない。

この問題について何かできる人なのだと思う。

嫌われることに、あまり興味がない

もう一つある。

僕は、人から嫌われることをあまり気にしていない。

もちろん、わざわざ嫌われたいわけではない。

出勤した瞬間、

「よし。今日は三人に嫌われよう」

なんて目標を立てているわけではない。

そんなスタンプラリーは嫌だ。

できることなら普通に平和に過ごしたい。

でも、

「これを言ったら、この人に嫌われるかもしれない」

ということが、自分の意見を変えるほど重要ではない。

嫌われたら嫌われたで仕方ない。

人間だから相性もある。

全員に好かれるなんて無理だ。

そして何より、

僕が嫌われることと、この問題がおかしいかどうかは別の話だ。

ここを混ぜたくない。

たとえば、意味の分からないルールがある。

僕がそれについて質問した。

上司が僕を嫌いになった。

だからといって、そのルールに意味が生まれるわけではない。

僕の好感度とルールの合理性は関係ない。

なら、分けて考えればいい。

評価も、それほど気にしていない

同じように、他人からどう評価されるかも、それほど行動の基準にはしていない。

「そんなこと言ったら評価下がるよ」

と言われることがある。

確かにそういう可能性はある。

面倒なやつだと思われるかもしれない。

扱いにくいと思われるかもしれない。

「こいつ、いちいち言ってくるな」

と思われるかもしれない。

それは分かる。

でも、それを考え始めると何も言えなくなる。

上司が喜びそうなことだけ言う。

気に入られそうな行動だけする。

疑問があっても黙る。

それで評価が上がったとして、僕はそんなに嬉しいのだろうか。

たぶん、あまり嬉しくない。

もちろん評価は大事だ。

仕事なのだから、評価制度そのものを無視する必要もない。

でも、

「評価されるために自分の考えを変える」

ところまでは行きたくない。

僕の評価と、僕の意見。

これも別々に置いておきたい。

怒られても、まあいい

そして、これも大きい。

僕は、

怒られてもいい

と思っている。

もちろん怒られたいわけではない。

朝起きて、

「今日は誰か僕を怒ってくれないかな」

とは思わない。

できれば怒られない方がいい。

でも、

「これを言ったら怒られるかもしれない」

と思ったとしても、

「じゃあ黙ろう」

には必ずしもならない。

怒られたら、そのとき考えればいい。

僕が間違っていたなら謝ればいい。

「ああ、そういう理由だったんですね。すみません」

でいい。

逆に、説明を聞いてもやっぱりおかしいと思うなら、もう一度話せばいい。

怒られることは、世界の終わりではない。

たぶん僕は、

「怒られる=自分が否定された」

とはあまり考えていないのだと思う。

ただ意見がぶつかった。

それだけだ。

上司が怒った。

それだけだ。

明日になったら、また普通に「おはようございます」でいい。

勇気があるわけではないのかもしれない

ここまで考えて、少し不思議になった。

上の人にはっきり言える人を見ると、

「勇気がある」

と言われることがある。

でも、本当にそうなのだろうか。

勇気とは、怖いけれど進むことだと思う。

怖い。

嫌われたくない。

怒られたくない。

評価を下げられたくない。

でも、それでも言う。

それなら確かに勇気だ。

ただ、僕の場合は少し違う気がする。

嫌われても、まあいい。

怒られても、まあいい。

評価が下がったら、そのとき考えよう。

そう思っているなら、そもそも乗り越えなければならない恐怖が少ない。

勇気がものすごくあるというより、

「起きても別にいいこと」の範囲が広い。

そんな感じなのかもしれない。

「上司にそんなこと言って大丈夫?」

大丈夫かどうかは知らない。

でも、何が起きるんだろう。

怒られる?

まあいい。

嫌われる?

まあいい。

意見が違う?

それは普通だ。

僕が間違っている?

だったら教えてほしい。

そうやって一つずつ考えると、意外と大事件がない。

自分の意見を、自分で雑に扱わない

もう一つ、大事なことがある。

自分の意見に対する自尊心のようなものだ。

「自分が絶対に正しい」

という意味ではない。

僕なんて普通に間違える。

知らないことも山ほどある。

勘違いもする。

でも、

自分の意見を最初から格下にはしない。

上司がAと言った。

僕はBだと思った。

その瞬間に、

「上司がAと言っているんだから、僕のBは間違っている」

とは思わない。

AとBを一回並べたい。

「僕はBだと思うんですけど、どうですか?」

と聞く。

そして話してみて、

「ああ、Aですね」

となったら、それでいい。

逆に、

「いや、やっぱりBじゃないですか」

となることもある。

僕の意見が正しいとは限らない。

でも、

僕の意見にも検討されるくらいの価値はある。

そう思っているのかもしれない。

上司を人間以上に持ち上げない。

そして、自分を人間以下に下げない。

だから、人対人で話せる。

では、他の人はどうなのだろう

ここまでは僕の話だ。

でも、上司にはっきり言える人が全員、僕と同じ考え方をしているわけではない。

気になったので、そういう人たちについて考えたり、調べたり、周囲を観察したりしてみた。

すると、理由はいろいろありそうだった。

まず、正義感が強い人。

自分に関係がなくても、不公平なことがあると黙っていられない。

誰かが理不尽な扱いを受けていたら、

「それ、おかしくないですか」

と言える。

次に、責任感が強い人。

仕事をきちんと回したい。

ミスを防ぎたい。

事故を起こしたくない。

だから必要なことは上司にも言う。

このタイプにとっては、意見を言うことも仕事の一部なのだろう。

そして、上司を信頼しているから言える人もいる。

「この人なら話を聞いてくれる」

「反対意見を言っても嫌な扱いはされない」

そんな安心感がある。

これは僕とは少し違う。

僕は聞いてくれるかどうかが分からなくても、とりあえず言うことがある。

ほかにも、自分が言えば何か変わると思っている人。

伝え方がうまい人。

単純に気が強い人。

人のために動ける人。

理由はいろいろある。

同じ、

「上司にはっきり意見を言う人」

でも、中身は全然違うのだ。

意見を言うことと、攻撃することは違う

そして、ここは間違えたくない。

はっきり意見を言うことと、相手を攻撃することは別だ。

「それ、おかしくないですか?」

と、

「お前アホなんか」

は違う。

当たり前だ。

相手の人格を傷つける必要はない。

大声を出す必要もない。

勝ち負けにする必要もない。

こちらが正しいと証明して、相手を黙らせることが目的でもない。

ただ、

「僕はこう思います」

と伝える。

相手の説明を聞く。

自分が間違っていれば認める。

相手が間違っていると思えば、理由を話す。

それでいい。

むしろ、人対人だと思っているなら、相手にも同じように意見を言う権利がある。

僕だけが好き勝手に言って、相手には反論するなというのはおかしい。

お互い話せばいい。

そして、ふと思った

ここまで考えていて、最後に一つ気づいた。

上の人にはっきり意見を言う人は、なぜ言うのか。

性格。

自尊心。

責任感。

正義感。

上下関係に対する考え方。

他人からの評価への関心。

いろいろある。

でも、その前にもっと単純なことがある。

そもそも、言わなくてもいいのだ。

意味の分からないルールがある。

「知らん」

で終わればいい。

上司が間違っているように見える。

「そのうち困るやろ」

で終わればいい。

もっといい方法を思いついた。

「給料変わらんし」

で終わればいい。

同僚が困っている。

「僕には関係ない」

で終わればいい。

黙っている方が、圧倒的に楽なのだ。

言う側には、いいことなんてほとんどない

意見を言うのは手間だ。

まず話さないといけない。

理由を説明しないといけない。

相手の話も聞かないといけない。

場合によっては何度も話すことになる。

時間も使う。

面倒だ。

しかも嫌われるかもしれない。

「面倒くさいやつだ」

と思われるかもしれない。

評価が下がるかもしれない。

怒られるかもしれない。

空気が悪くなるかもしれない。

下手をすれば、その後少し働きづらくなるかもしれない。

いいことなんて、ほとんどない。

だったら、

「はい、分かりました」

と言っておけばいい。

心の中で、

「意味分からんけどな」

と思っておけばいい。

その方が圧倒的に楽だ。

それでも、言う人がいる。

なぜなのだろう。

実は、優しい人なのかもしれない

もしかすると、上の人にはっきり意見を言える人は、実は優しいのかもしれない。

もちろん、全員がそうだとは思わない。

ただ文句を言いたい人もいるだろう。

自分が正しいことを証明したいだけの人もいる。

相手を言い負かしたい人だっている。

でも、中には、

相手のことを想っているから言う人

もいると思う。

「そのやり方を続けていたら、あなたが後で困るんじゃないですか」

「現場ではこうなっていますよ」

「みんな、こう感じていますよ」

「こうした方が良くなると思います」

本当にどうでもいい相手なら、言わなくてもいい。

失敗するのを黙って見ていればいい。

「ああ、やっぱり失敗した」

と思って終わればいい。

でも、そうしない。

わざわざ言う。

自分が嫌われるかもしれないのに。

怒られるかもしれないのに。

評価を下げられるかもしれないのに。

手間なのに。

自分にとって、いいことなんてほとんどないのに。

それでも言う。

それは、まだその人を見ているからなのかもしれない。

その人に良くなってほしい。

その場所に良くなってほしい。

誰かが困らないようにしたい。

だから言う。

「何も言わない」は、必ずしも優しさではない

僕たちは、何も言わない人を優しいと思うことがある。

反論しない。

怒らない。

波風を立てない。

いつも「分かりました」と言ってくれる。

確かに、それも一つの優しさだと思う。

でも、逆もある。

何も言わないのは、

もうどうでもいいから

かもしれない。

「好きにしたらいい」

「僕には関係ない」

「そのうち困るだろうけど知らない」

そう思えば、何も言わなくて済む。

そう考えると、

「それ、おかしくないですか?」

と言ってくれる人の見え方が少し変わる。

うるさい。

面倒くさい。

生意気。

そう見えるかもしれない。

でも、その人はわざわざ自分にとって面倒なことをしている。

だったら、少なくとも一度くらい、

「なぜこの人は言っているんだろう」

と考えてみてもいいのかもしれない。

優しい人は、いつも優しい顔をしているとは限らない

優しい人と聞くと、穏やかな人を想像する。

ニコニコしている。

否定しない。

何でも受け入れてくれる。

言葉が柔らかい。

もちろん、そういう優しさもある。

でも、

「それは違うと思います」

と言う優しさもあるのではないか。

相手のことを想っているから、耳の痛いことを言う。

自分が嫌われる可能性を引き受けてでも伝える。

何も言わずに離れていく方が簡単なのに、まだ話そうとする。

それも一つの優しさなのだと思う。

ただし、

「お前のためを思って言ってるんだ!」

と言えば何を言ってもいいわけではない。

それは違う。

相手を傷つけることを目的にしない。

人格を否定しない。

自分の正しさを押しつけない。

相手の話も聞く。

自分が間違っている可能性も残しておく。

その上で、

「僕はこう思います」

と伝える。

それが、人対人で話すということなのかもしれない。

何も言わなくなったとき

そして、本当に怖いのは、意見を言われることではないのかもしれない。

今まで、

「これ、おかしくないですか?」

と言っていた人が、ある日から何も言わなくなる。

何を言われても、

「はい」

だけ。

変なルールが増えても、

「分かりました」

だけ。

明らかに非効率でも、

「そうなんですね」

だけ。

一見、扱いやすくなったように見える。

丸くなったようにも見える。

でも、その人は優しくなったのではないのかもしれない。

もう諦めただけなのかもしれない。

「言っても無駄だ」

「好きにしたらいい」

「僕には関係ない」

そこまで行ったら、本当に何も言わなくなる。

だから、意見を言ってくれる人がいるうちは、まだ何かを期待されているのかもしれない。

あなたなら分かってくれる。

あなたなら変えられる。

この場所ならまだ良くなる。

そう思っているから言う。

そう考えると、

「またあいつ何か言ってるよ」

と思っていた人が、少し違って見える。

……待てよ

ここまで書いて、僕は重大なことに気づいた。

この記事の最初で、

「僕は上の人にも結構言う」

と書いた。

そして散々分析した結果、

「上の人にはっきり意見を言う人は、実は優しいのかもしれない」

というところに着地した。

……。

これ。

僕が僕のことを「実は優しい人なんです」と言ってないか。

恥ずかしい。

8000字近く使って壮大な自画自賛をしてしまった可能性がある。

違う。

そんなつもりではなかった。

僕はただ、

「上の人にはっきり意見を言える人は何が違うんだろう」

と考えていただけなのだ。

気づいたら自分を優しい人認定していた。

まあ、いい。

ここまで読んでしまったのだから、今回は多めに見てください。

ただ、一つだけ本当に思う。

誰かがあなたに、

「それ、おかしくないですか?」

と言ってきたとき。

その人は、あなたを攻撃したいのではないかもしれない。

あなたを嫌っているのでもないかもしれない。

むしろ逆で、

どうでもよくないから、言っているのかもしれない。

本当にどうでもよければ、人は案外、何も言わない。

「好きにしたらいい」

それで終わる。

言うのは手間だ。

嫌われるかもしれない。

怒られるかもしれない。

評価だって下がるかもしれない。

自分にとって、いいことなんてほとんどない。

それでも言う。

だったら、はっきり意見を言う人を見るとき、

「気が強い人だ」

だけで終わらせなくてもいいのかもしれない。

その人はただ、

相手を想って、言っている。

そんな不器用な優しさも、たぶんある。

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