電車には、いろんな人がいる。
ずっとスマホを見ている人。
本を読んでいる人。
爆睡している人。
窓の外を眺めている人。
そして、
ドア横を絶対に離さない人。
僕は彼らを勝手に、
「ドア横キープマン」
と呼んでいる。
別にドア横に立つこと自体は何も悪くない。
むしろ僕も好きだ。
片側が壁なので、人に囲まれにくい。
寄りかかれる。
吊り革を持たなくてもいい。
降りる駅になったらすぐに降りられる。
なかなかの優良物件である。
だから、空いている電車でドア横に立っている人を見ても何とも思わない。
好きなだけ立ってくれ。
好きなだけ寄りかかってくれ。
頬ずりしてもいい。
しかし、問題は電車が混んできてからだ。
ドア横キープマンは、
混んでも動かない。
駅に着いて大量の人が降りても、
動かない。
大量の人が乗ってきても、
動かない。
何があってもドア横を守り続ける。
僕には分からない。
君はいったい、そこで何を守っているんだ。
おお、満員か。次の駅でいったん降りよう
満員電車に乗っている。
次の駅が近づいてきた。
この駅では、かなりの人が降りる。
僕はドア付近に立っている。
こういうときは一回ホームに出た方がいい。
自分は降りなくても、いったん外へ出て、降りる人を通す。
全員が降りたら、また乗ればいい。
簡単だ。
「おお、結構降りそうやな」
「いったん出よかな」
電車が止まる。
ドアが開く。
よし、出よう。
……。
んんん?
いる。
ドア横に。
ドア横キープマンだ。
動かない。
壁に背中を預けたまま、スマホを見ている。
僕の後ろからは大量の人がやってくる。
僕も一回外へ出たい。
しかし出口が狭い。
なぜなら、
こいつがいる。
いや、一回降りろ。
お前も。
三歩くらいでいい。
ホームへ出て、降りる人を通して、また戻ればいい。
電車はそんな一瞬で発車しない。
大丈夫だ。
置いていかれない。
しかし彼は動かない。
身体を少し細くする。
「どうぞ」
みたいな感じで。
違う。
「どうぞ」じゃない。
お前がいなくなれば、もっと広い。
なぜ30人がお前を避けて降りなければならないんだ。
お前が一回降りればいいだけだ。
降りるときだけではない。乗るときも邪魔だ
別の日。
僕はホームにいた。
やっと電車が来た。
「お、来た来た」
そこそこ混んでいる。
まあ、乗れるだろう。
電車が止まる。
ドアが開く。
まず降りる人を待つ。
よし。
降り終わった。
では乗ろう。
……。
ん?
いる。
ドア横キープマンだ。
またお前か。
今度は僕が外側から遭遇した。
さっきまで降りる人の邪魔をしていたであろう男が、今度は乗ってくる僕の邪魔をしている。
すごい。
降りる人にも乗る人にも平等に邪魔だ。
差別がない。
誰に対しても邪魔。
僕は身体を少し斜めにして、その横を通る。
後ろの人も避ける。
その後ろの人も避ける。
みんな、ドア横キープマンを中心にして流れていく。
川の中にある岩みたいだ。
水は岩を避けて流れる。
ただ、一つ違う。
岩は仕方ない。
そこにあるから。
ドア横キープマンは、
動ける。
ずっと邪魔なのがすごい
考えてみれば、ドア横キープマンは一瞬だけ邪魔なのではない。
駅に着く。
人が降りる。
邪魔だ。
降車が終わる。
今度は人が乗ってくる。
また邪魔だ。
発車する。
満員なのに壁へ寄りかかる。
身体の向きによって微妙にスペースを使う。
まだ邪魔だ。
次の駅に着く。
また大量に人が降りる。
また邪魔だ。
すごい。
ずっと邪魔だ。
ここまで継続して邪魔でいられるのも、ある意味才能なのかもしれない。
しかも本人だけは快適そうなのだ。
壁にもたれてスマホを見ている。
こっちは人と人の間に挟まれながら立っている。
お前だけ、
自宅のリビングみたいになってるぞ。
座っていてもドア横キープマンはやってくる
「じゃあドア付近に立たなければいいじゃないか」
そう思うかもしれない。
甘い。
座っていても彼らはやってくる。
ドア横の仕切りのすぐ隣に座ることがある。
僕は本を読む。
電車の中でのんびり読書。
いい時間だ。
すると、
何かが当たる。
サワッ。
ん?
また、
サワッ。
何だ。
横を見る。
髪の毛だ。
ドア横キープマンが、座席側の仕切りに寄りかかっている。
その髪の毛がこちら側へ侵入してきている。
本人は気づいていない。
なぜなら後ろだからだ。
でもこっちは分かる。
髪の毛、当たる当たる。
頭を少し動かすたびに、
サワッ。
サワッ。
知らない人の髪の毛が僕の領空へ入ってくる。
しかも座っている僕は逃げにくい。
席は固定されている。
お前が寄りかかるために、なぜ僕が座席の中で身体を小さくしなければならないんだ。
冬になるとフードがやってくる
髪の毛だけならまだいい。
冬になるとドア横キープマンは装備を強化する。
フード付きのコートだ。
本人は壁に寄りかかっているつもりなのだろう。
しかし座っている側から見ると、
モコッ。
フード、こっち来てます。
しかもダウンジャケットの分厚いフードなんかだと、結構な面積がある。
僕の顔の横に、
知らない人のフード。
近い。
非常に近い。
夏は髪の毛。
冬はフード。
ドア横キープマンは四季を通してこちら側へ侵入してくる。
本体が仕切りの向こう側ならセーフではない。
付属品も含めてお前だ。
ちゃんと管理してくれ。
立っていたら横顔をずっと見ることになる
では、座らずに普通に立っていればいいのか。
これも違う。
満員電車で立っている。
僕の目の前にドア横キープマンがいる。
壁にもたれているので、身体が横向きになっている。
結果、
ずっと横顔。
近い。
めちゃくちゃ近い。
スマホを見る。
しばらくして顔を上げる。
横顔。
窓を見る。
横顔越しの窓。
今どこの駅だろう。
駅名を見る。
横顔越しの駅名。
なんで僕は朝から、知らない男の横顔をこんなに長時間鑑賞しなければならないんだ。
しかも向こうは何とも思っていない。
僕だけが一方的に、
鼻。
目。
耳。
あご。
その人の側面情報を大量に取得している。
もう少し乗っていたら似顔絵を描けそうだ。
別に見たいわけではない。
ただ、
そこにある。
彼らはいったい何を守っているのか
ここで僕は考えた。
なぜ彼らはそこまでドア横から動かないのだろう。
何を守っているんだ。
席ではない。
指定席でもない。
予約したわけでもない。
名前も書いていない。
土地の権利書を持っているわけでもない。
ただの、
ドア横だ。
それなのに、一度確保すると絶対に離さない。
もしかすると、一度ホームに出たら場所を取られると思っているのかもしれない。
確かにドア横は人気がある。
たまに見る。
ドア横が空いた瞬間、
スッ。
誰かが入る。
速い。
熱い場所取りバトルが始まる。
席でもないのに。
誰も座れないのに。
ただの壁なのに。
静かに奪い合っている。
駅徒歩0秒。
壁付き。
出口至近。
吊り革不要。
家賃0円。
なるほど。
超優良物件なのかもしれない。
だから一度手に入れたら離したくない。
大量に人が降りてきても、
「ここは俺の土地だ」
と言わんばかりに死守する。
でも、一つだけ忘れている。
そこ、お前の土地じゃない。
一回、僕もドア横キープマンになってみた
ここまで散々文句を言ってきた。
でも、ふと思った。
僕は彼らの気持ちを本当に理解しているのだろうか。
外から見て、
「邪魔だ」
と言っているだけではないか。
もしかすると、ドア横には僕の知らない素晴らしい世界が広がっているのかもしれない。
ということで、
一回やってみた。
空いている電車でドア横を確保した。
壁に身体を預ける。
……。
おお。
楽だ。
これは認める。
確かに快適。
吊り革を持たなくていい。
片側に人がいない。
身体を少し預けられる。
スマホも見やすい。
しかも降りるときはすぐそこ。
なるほど。
ドア横キープマン。
少しだけ君たちの気持ちが分かった。
「これは守りたくなるかもしれない」
そう思った。
しかし電車が駅に着いた。
人が降りる。
僕は邪魔にならないように身体をずらす。
次に人が乗ってくる。
また身体をずらす。
バッグが近づいてくる。
避ける。
人が入ってくる。
また避ける。
発車。
壁に戻る。
次の駅。
また人が降りる。
身体をずらす。
人が乗る。
またずらす。
……。
めんどくさ。
意外と忙しい。
普通に吊り革持って立ってる方が楽じゃないか。
駅に着くたび、
降りる人を避ける。
乗る人を避ける。
身体を細くする。
荷物を避ける。
また元の位置に戻る。
ドア横キープマン。
お前ら、なんでこんな面倒くさいことしてるんだ。
実際にやってみたことで理解できると思った。
逆だった。
さらに分からなくなった。
多分、自力で立つと死んでしまうのだ
いろいろ考えた結果、僕は一つの仮説にたどり着いた。
多分、
彼らは自力で立つと死んでしまうのだ。
これなら説明がつく。
だから壁から離れられない。
満員でも離れない。
人が大量に降りても離れない。
人が大量に乗ってきても離れない。
壁から背中を離した瞬間、
生命活動が停止する。
そういう生き物なのかもしれない。
だったら仕方ない。
僕も鬼ではない。
しかし気になる。
普段どうしているんだ。
電車を降りたあと。
お前、移動するときも壁にもたれながら歩いてるんだな?
ホームでも壁沿い。
改札まで壁沿い。
駅を出ても建物の壁沿い。
コンビニに入っても壁沿い。
家までずっと壁沿い。
曲がり角では肩を擦りながら曲がる。
そうしろよ。
もし電車を降りた瞬間、
ホームの真ん中を、
スタスタスタスタ。
普通に歩いていたら、
僕は言いたい。
立てるやないか。
どんだけ貧弱なんだ
そもそも、
どんだけ貧弱なんだ。
数分も自分の足で立っていられないのか。
壁に全体重を預けている。
そんなに疲れているのか。
もしかして、
何か世界でも救ってきたのか。
僕が知らないだけで、さっきまで地球の命運を背負って戦っていたのかもしれない。
巨大隕石を止めてきた。
宇宙人の侵略から大阪を守ってきた。
怪獣と戦ってきた。
そしてすべてを終えた帰り道。
もう体力は残っていない。
壁に寄りかからなければ立っていられない。
それなら言ってくれ。
席を譲る。
「すみません。さっき地球を救ってきまして」
そう言ってくれ。
僕も、
「それは大変でしたね」
と言う。
どうぞ座ってください。
本当にお疲れさまでした。
でも、
多分違う。
普通に仕事帰りだ。
僕も仕事帰りだ。
周りの人も仕事帰りだ。
学校帰りの人もいる。
みんな疲れている。
それでも自分で立っている。
仕方ない。俺に寄りかかれ
でも、本当に自力で立てないなら仕方ない。
僕は考えた。
俺に寄りかかれ。
さっきから座っている人が迷惑そうだ。
髪の毛も当たっている。
フードもはみ出している。
その人に罪はない。
僕が受け止めよう。
僕の肩を壁だと思ってくれていい。
さあ来い。
……。
いや。
待てよ。
逆でもいいのか。
お前が壁に寄りかかっている。
ということは、
俺もその上から寄りかかっていいのか?
お前が壁に寄りかかる。
僕がお前に寄りかかる。
さらに後ろの人が僕に寄りかかる。
その後ろも。
みんなで寄りかかろう。
もう誰も自力で立たなくていい。
全員で身体を預け合えばいい。
電車が右に曲がったら、
全員で右へ。
左に曲がったら、
全員で左へ。
素晴らしい。
人間ジェンガの完成だ。
でも多分、ドア横キープマンは嫌がると思う。
「いや、寄りかからないでください」
と思うだろう。
そうだろう。
知らない人間に身体を預けられるのは嫌だろう。
こっちも同じだ。
気づいてやっているのか。それとも気づいていないのか
僕が一番気になるのは、これだ。
ドア横キープマンは、
自分が邪魔になっていることに気づいているのだろうか。
気づいていて、
「まあ通れるからいいだろう」
と思っているのか。
それとも、
本当に気づいていないのか。
正直、気づいてやっているなら、まだ理解はできる。
自分の快適さを優先している。
腹は立つけれど、理屈は分かる。
でも、
気づいていないとしたら、そっちの方がやばい。
目の前を何十人もの人が身体をひねって通っている。
バッグを避けている。
肩をすぼめている。
自分の左右から人が流れていく。
それでも、
「今日は人多いなあ」
で終わっているのだろうか。
違う。
お前がいるからだ。
お前のところだけ人の流れが二つに割れている。
モーセみたいになっている。
それを見ても、
「俺、邪魔なのかな」
に到達しない。
それはそれですごい。
自分が一歩動けば、何十人も避けなくていい
結局、僕が一番不思議なのはここなのだ。
ドア横キープマンが一歩動けば済む。
たった一歩。
場合によっては一回ホームへ出るだけ。
それだけで何十人もの人がスムーズに降りられる。
でも本人が動かないことで、
何十人もの人が少しずつ避ける。
一人が一歩動くか。
三十人が少しずつ動くか。
なぜか後者を選ぶ。
もちろん、一人ひとりの負担は小さい。
ちょっと身体をひねるだけ。
少し避けるだけ。
だから本人も、
「別に通れるやん」
と思っているのかもしれない。
でも、
お前が一歩動けば、全員その動きをしなくて済む。
僕が言いたいのは、それだけだ。
お前だけが乗っている電車ではない
別にドア横に立つなとは思わない。
空いているなら立てばいい。
僕もやってみて、快適なのは分かった。
寄りかかってもいい。
スマホを見てもいい。
ドア横ライフを存分に楽しんでくれ。
ただ、
混んできたら少し周りを見てほしい。
駅に着いたら少し周りを見てほしい。
大量に人が降りるなら、一回外へ出ればいい。
お前だけが乗っている電車ではない。
みんな同じように電車を使っている。
自分が快適であることと、
周りに迷惑をかけないこと。
その二つは、できるだけ両立させた方がいい。
難しいことではない。
もう少しだけ、自分を客観的に見てみる
たまには、自分を電車の天井あたりから見てみたらいいと思う。
今、自分はどんな状態なのか。
自分の横を何人もの人が避けている。
座っている人の頭に髪の毛が当たっている。
フードがはみ出している。
目の前の人は、なぜかずっと自分の横顔を見せられている。
それでも壁だけは絶対に離さない。
その光景を第三者として見たら、
多分思う。
「こいつ、邪魔だな」
その「こいつ」が、
自分なのだ。
ただ、これはドア横キープマンだけの話ではない。
僕だって、知らないうちに誰かの邪魔になっていることはあると思う。
通路で立ち止まっているかもしれない。
本を読みながら歩くのが遅くなっているかもしれない。
自分では普通にしているつもりでも、
誰かから見れば、
「邪魔だな」
と思われていることはある。
だから、
もう少し客観的に自分を見ろ。
これはドア横キープマンに言いたい。
そして、
僕自身にも言っておきたい。
それでも次の駅で動かなかったら
とはいえ。
僕も人間だ。
満員電車でドア横キープマンに遭遇すると、
やっぱり腹は立つ。
降りたい。
でも動かない。
乗りたい。
でも動かない。
座っている。
髪の毛が当たる。
立っている。
横顔がずっと目の前にある。
そんなとき、
心の中で思う。
許されるなら、次の駅でホームに放り出したい。
もちろん、
そんなことはしない。
僕も大人だ。
ちゃんと理性がある。
だから今日も何もせず、
知らない人の横顔を眺めながら電車に揺られている。
ただ、
できることなら、
この理性を少し分けてあげたい。
そして、どうしても壁から離れると死んでしまうのなら。
仕方ない。
そのときは、
俺に寄りかかれ。
一緒に次の駅で降りよう。
ちゃんとまた乗せてやる。
だから頼む。
その壁を一回、離してくれ。
