正直に言う。
CDなんて、無駄だ。
音楽を聴くだけなら、もうCDである必要はほとんどない。
サブスクを開けばいい。聴きたいアーティストを検索する。曲名を押す。それだけで音楽が流れる。何千曲、何万曲どころではない。とんでもない数の音楽が、スマホ一台の中に入っている。
それに比べてCDはどうだ。
一枚買うのにお金がかかる。アルバムなら数千円する。しかも一枚買えば終わりではない。好きなアーティストが増えれば、また買う。新しいアルバムが出れば、また買う。
そして場所を取る。
十枚くらいならかわいい。百枚、二百枚と増えてくると、もう「音楽が好きですね」では済まない。棚がいる。引っ越すときには重い。ケースは割れる。歌詞カードは折れる。ちゃんと片づけないと散らかる。
聴くときだって面倒だ。
ケースを開ける。CDを取り出す。プレーヤーに入れる。終わったら取り出して、またケースに戻す。
サブスクなら指一本だ。
冷静に考えれば考えるほど、サブスクでいい。
便利さで勝負したら、CDに勝ち目なんてほとんどない。
僕だってサブスクは便利だと思う。というか、めちゃくちゃ便利だ。
じゃあ、CDなんていらないじゃないか。
その通りだ。
いらない。
でも、CDを買う。
何をしているんだ、僕は。
自分でもそう思う。
ただ、CDの魅力を考えていると、どうもこの「無駄」が嫌いになれない。
むしろ僕は、CDの無駄なところまで含めて好きなのかもしれない。
CDを買いに行くところから、もう楽しい
サブスクなら、聴きたいと思った瞬間に検索できる。
ものすごく早い。
でもCDには、買いに行く時間がある。
CDショップへ行く。店に入る。棚を見る。目当てのアーティストを探す。
「あった」
一枚抜いて、ジャケットを見る。
それだけでちょっと嬉しい。
でも、そこで終わらない。
目的の棚へ向かう途中にも大量のCDがある。新譜が並んでいる。知らないアーティストがいる。昔好きだったバンドのアルバムを見つける。
「こんなん出てたんや」
と足が止まる。
目当ての一枚を買うだけだったはずなのに、店を出るころには全然違うCDまで持っていることがある。
効率が悪い。
検索して商品名を押して買えば数分で終わることに、わざわざ時間を使っている。
でも、その時間が楽しい。
音楽を聴く前から、もう音楽で遊んでいる。
僕はたぶん、CDそのものだけを買っているわけではない。
棚を眺めて、迷って、知らない作品を見つけて、手に取る。
その時間まで含めて買っている。
音楽なのに、見た目だけで買ってしまう
そしてCDには、ジャケ買いという恐ろしい行為がある。
知らないアーティスト。
知らないアルバム。
もちろん曲も知らない。
なのにジャケットを見た瞬間、
「なんやこれ、めっちゃいい」
と思う。
そして買ってしまう。
よく考えてほしい。
音楽なのに、音を聴かずに買っている。
意味が分からない。
今ならその場でスマホを出せばいい。アーティスト名を検索して、一曲くらい聴いてみればいい。それから買えば失敗する確率も下がる。
なのに、あえて知らないまま買う。
家に持って帰る。
ビニールを剥がす。
ケースを開ける。
CDを取り出す。
プレーヤーにセットする。
そして一曲目が流れた瞬間に、初めてそのジャケットの中に入っていた音楽を知る。
これが楽しい。
もちろん、
「思ってたんとちゃうな」
もある。
ジャケットはものすごく好みなのに、音楽は全然好みじゃない。
ある。
それはもう仕方ない。
でも逆もある。
「うわ、めっちゃええやん」
そこからそのアーティストを調べる。別のアルバムも聴く。気づけば好きになっている。
最初のきっかけは、音ですらない。
ただジャケットが気になっただけだ。
それなのに、新しい「好き」に出会える。
サブスクのおすすめから新しい音楽に出会うのも楽しい。
でもCDショップの棚には、また違う偶然がある。
自分の目が勝手に一枚を選ぶ。
音楽なのに見た目で選ぶ。
なんとも雑な出会い方だ。
でも、こういう雑な出会いから一生好きな音楽が見つかったりする。
ジャケットを「画像」ではなく手に持てる
CDの魅力を考えたとき、まず大きいのはやっぱりジャケットだと思う。
サブスクにもジャケットはある。
スマホの画面にも表示される。
だから、ジャケットを見るだけならCDじゃなくてもいい。
またサブスクが勝ってしまった。
でも、同じジャケットでも僕には少し違って見える。
CDのジャケットは手に持てる。
表を見る。
裏返す。
背表紙を見る。
ケースを開ける。
中の写真やイラストを見る。
じっと眺める。
音楽をまだ一秒も再生していないのに、もう作品を楽しんでいる。
ジャケットが好きで買ったCDなら、棚に置いてあるだけでも嬉しい。
音楽は本来、目には見えない。
でもCDになると、音楽に顔ができる。
そのアルバムの世界が、四角いジャケットとして手の中にある。
スマホに表示される小さな画像とは違って、物としてそこにある。
僕はこの感じが好きだ。
歌詞カードには、そのアルバムの言葉が全部ある
ケースを開けたら、歌詞カードを取り出す。
これもCDの好きなところだ。
アルバムに入っている曲の歌詞が、そこに全部載っている。
一曲目。
二曲目。
三曲目。
最後の曲まで。
音楽を流しながら歌詞を追う。
気になったところでもう一度読む。
曲が終わったあとに歌詞だけ読む。
次の曲が始まったらページをめくる。
歌詞カードって、小さな本みたいなものだと思う。
そこには歌詞だけじゃなく、作詞や作曲、編曲、演奏者などのクレジットが載っていることもある。写真やイラストが入っていたり、アルバム全体のデザインが続いていたりする。
一枚のCDの中にある世界を、文字と写真でも楽しめる。
サブスクでも歌詞が表示されるサービスはある。
便利だ。
やっぱり便利だ。
でも僕は、紙に印刷された歌詞を見ながら音楽を聴くのが好きだ。
ページをめくる。
少し戻る。
もう一度読む。
その動作まで含めて、アルバムを聴いている感じがする。
音源だけを受け取っているんじゃない。
ジャケットがある。
歌詞がある。
写真がある。
クレジットがある。
デザインがある。
そして音楽がある。
CDを一枚買うと、「音」だけじゃなく作品一式が手元に来る。
盤面までちゃんと作品になっている
そしてCDそのもの。
あの丸い盤面。
ここにもちゃんとデザインがある。
シンプルなものもあれば、写真やイラストが入っているものもある。アルバムの世界観に合わせて作られているものもある。
ケースを開けて、盤面を見る。
CDを取り出す。
プレーヤーに入れる。
別にこんなことをしなくても音楽は聴ける。
スマホなら画面を一回押せばいい。
なのに、わざわざ円盤を取り出している。
面倒くさい。
でも、この面倒くささが妙にいい。
「今からこのアルバムを聴くぞ」
というスイッチが入る。
音楽を再生するまでに、一つ儀式がある。
たった数秒のことだけど、その数秒が好きなのだと思う。
ケースも帯も、なくても困らない。でも捨てられない
ケースもそうだ。
音楽を聴くためだけなら、ケースなんて必要ない。
帯なんてもっと必要ない。
あの細長い紙がなくなったところで、音は一ミリも変わらない。
なのに、捨てにくい。
帯がちゃんと残っていると嬉しい。
書かれているコピーを読む。
発売当時の値段や情報を見る。
中古CDを手に取ったとき、帯が残っているとちょっと得した気分になる。
完全に音楽とは別のところで喜んでいる。
なんなんだこれは。
でも「物を持つ」というのは、たぶんこういうことなんだと思う。
必要かどうかだけでは決められない。
ケースも、帯も、歌詞カードも、盤面も、全部揃って一枚のCDに見える。
音を聴くためだけなら不要なものばかりなのに、その不要なものが愛おしい。
新品のCDを開ける瞬間が好きだ
新品なら、開封する楽しさもある。
ビニールに包まれたCDを手にする。
端から剥がす。
うまく剥がれない。
ちょっとイラッとする。
ようやく剥がれる。
ケースを開ける。
初めて中を見る。
歌詞カードを取り出す。
盤面を見る。
この瞬間は一回しかない。
二回目からは、もう開封済みだ。
別に大したことをしているわけではない。
CDのビニールを剥がしているだけだ。
それでも新しいアルバムを自分のものにした感じがする。
まだ一曲も聴いていない。
なのに楽しい。
CDは、音楽が鳴る前から楽しませてくれる。
CDは「聴く」だけじゃなく「集める」ことも楽しい
一枚買う。
棚に並べる。
また一枚買う。
また並べる。
少しずつ増えていく。
これも楽しい。
同じアーティストのCDが一枚、二枚、三枚と増えていく。
昔のアルバムを見つける。
「これ持ってないな」
となる。
サブスクなら今すぐ聴ける。
別にCDを買わなくても困らない。
それでも欲しい。
持っていないから欲しい。
もう「音楽を聴くため」という説明だけでは足りない。
コレクションになっている。
そして何枚も並んでくると、ちょっと嬉しい。
「おお、増えてきたな」
何を目指しているのかは分からない。
全部揃えたところで表彰されるわけでもない。
誰も褒めてくれない。
棚が狭くなるだけだ。
それでも増えると嬉しい。
本を集めたり、フィギュアを集めたりするのと同じで、CDにも「集める」という楽しみがある。
好きな音楽を聴くだけではなく、好きな音楽を物として集めていく。
お気に入りボタンを押すのとは違う、「一枚増えた」という感覚がある。
棚が、自分の「好き」で埋まっていく
そして集めたCDを棚に並べる。
これがまたいい。
CDの欠点として、僕は最初に「場所を取る」と書いた。
これは今でも撤回しない。
本当に場所を取る。
増えれば棚が必要になる。
棚がいっぱいになれば、また置き場所を考えないといけない。
邪魔だ。
でも、ふと思う。
この棚で場所を取っているものは、全部、自分が好きで買った音楽なのだ。
つまり、
僕の「好き」が場所を取っている。
そう考えると、なんだか悪くない。
背表紙がずらっと並んでいる。
昔よく聴いたCDがある。
最近買ったCDがある。
一時期めちゃくちゃハマっていたアーティストがいる。
何年も聴いていない一枚もいる。
棚を見ると、自分がどんな音楽を聴いてきたのかが見える。
自分の音楽の履歴が、物になって並んでいる。
サブスクにも再生履歴はある。
プレイリストも作れる。
でも、部屋の中には見えない。
CDは嫌でも見える。
そこにいる。
何年聴いていなくても、ずっといる。
棚から「今日の一枚」を選ぶ
そしてCDを聴こうと思ったら、棚の前に立つ。
今日は何を聴こう。
背表紙を見る。
一枚抜く。
「いや、今日はこれじゃないな」
戻す。
別の一枚を取る。
なんという無駄な時間だ。
サブスクなら検索窓に文字を入れれば終わる。
おすすめのプレイリストを流せば、自分で選ぶ必要すらない。
でも棚の前で迷う時間も好きだ。
「あ、これ久しぶりに聴こうかな」
という再会もある。
検索しようと思っていたわけじゃない。
おすすめされたわけでもない。
ただ、そこにあったから思い出した。
何年も聴いていなかったCDを手に取る。
ジャケットを見る。
買った頃のことを思い出す。
「あの頃こればっかり聴いてたな」
音楽と一緒に、その頃の自分まで少し戻ってくる。
物が残っているから、こういう偶然が起きる。
何といっても、アルバムをセットして「アルバム」を楽しむ
そして、僕がCDで好きなのはこれだ。
アルバムをセットする。
一曲だけではない。
プレイリストでもない。
今日は、このアルバムを聴く。
ケースを開ける。
CDを取り出す。
プレーヤーにセットする。
再生する。
一曲目が始まる。
二曲目へ行く。
三曲目。
四曲目。
そのまま最後まで進んでいく。
アルバムを、アルバムとして楽しむ。
これがいい。
サブスクでも当然できる。
アルバムのページを開いて一曲目から再生すればいい。
だから「CDでしかできないこと」ではない。
でもサブスクは便利すぎる。
途中で気になった別の曲へ飛べる。
違うアーティストへ行ける。
プレイリストへ移れる。
一曲単位で音楽をつまみ食いすることが簡単にできる。
CDは、一枚をセットすると、その一枚と向き合いやすい。
「今日はこれ」
そう決める。
そして一曲目から最後まで聴く。
アルバムによっては、曲順まで含めて一つの作品になっている。
最初の曲で世界に入る。
次の曲へつながる。
中盤で空気が変わる。
そして最後の曲で終わる。
好きな曲だけを抜き出して聴くのとは、また違う。
小説を一冊読むのに少し似ている。
好きなページだけを読むこともできる。
でも最初から最後まで読むことで見えるものがある。
アルバムも同じだと思う。
最初はなんとも思わなかった曲が、好きになる
アルバムを一枚通して聴いていると、不思議なことも起きる。
最初に好きだった曲とは別の曲が、あとから好きになる。
初めて聴いたときは、
「まあ普通かな」
と思っていた曲。
でもアルバムを聴くたびに、その曲も流れる。
また聴く。
次も聴く。
何回か通る。
すると、ある日突然、
「あれ、この曲めっちゃええやん」
となる。
最初から好きだった有名な曲より、気づけばそっちの方を好きになっていたりする。
好きな曲だけを選んでいたら、そこまで聴かなかったかもしれない。
アルバムを丸ごと聴くから、好きになるまで待てる。
音楽には、一回で好きになる曲もあれば、何回か聴いてから染みてくる曲もある。
CDをセットして一枚を聴く時間には、その「あとから好きになる余白」がある。
聴き終わったCDは、さっきより少し愛おしい
そして最後の曲が終わる。
音が止まる。
一枚のアルバムを聴き終えた。
CDを取り出す。
ケースに戻す。
歌詞カードも戻す。
ケースを閉じる。
そして棚へ戻す。
このとき、不思議なんだけど、そのCDが聴く前より少し愛おしく感じる。
ただの円盤なのに。
さっきまで、この中から音楽が流れていた。
歌詞カードを読みながら聴いた。
好きな曲があった。
今まで気づかなかった言葉があった。
何度も聴いている曲なのに、今日は違って聴こえたかもしれない。
そういう時間を過ごしたあとで手に持つCDは、ただのプラスチックには見えない。
ジャケットも。
歌詞カードも。
盤面も。
ケースも。
全部ひっくるめて、一つの作品に感じる。
そしてそれを自分の手で棚に戻す。
考えてみると変な行為だ。
音楽を片づけている。
形のないはずの音楽を取り出して、聴いて、また棚に戻す。
でも、それができるのがCDだ。
音楽が「物」としてそこにある
結局、僕がCDを好きな理由はここなのかもしれない。
物として音楽がある。
音楽は、本来なら形がない。
鳴っている間は聞こえる。
終われば静かになる。
触ることもできない。
でもCDなら、その音楽が物になる。
手に取れる。
眺められる。
開けられる。
歌詞を読める。
棚に置ける。
そして再生していないときでも、そこにある。
これが僕には大きい。
サブスクなら、その音楽を「聴ける」。
CDなら、その音楽を「持っている」。
似ているようで、僕の中では少し違う。
棚の前を通れば、そこに音楽がある。
今日は聴かなくてもいい。
明日も聴かなくていい。
一年聴かないCDがあってもいい。
でも、そこにある。
好きな音楽が、自分の部屋の一部になっている。
それがいい。
無駄だからこそ、愛おしいのかもしれない
ここまでCDの魅力を書いてきた。
では最初の問いに戻ろう。
CDは無駄なのか。
うん。
やっぱり無駄だと思う。
音楽を聴くという目的だけで考えれば、サブスクで十分だ。
むしろサブスクの方が便利だ。
CDは金がかかる。
場所を取る。
ケースが割れる。
棚も必要になる。
聴くたびに出して、入れて、終わったら戻さないといけない。
便利さで勝とうとしなくていい。
CDは負けている。
負けたままでいい。
僕は別に、「いやいや、CDにはこんな実用的なメリットがあるから、実はサブスクより優れているんですよ」と言いたいわけではない。
そうじゃない。
無駄なのに、なぜ欲しいのか。
そこがおもしろい。
僕らは必要なものだけを買って生きているわけではない。
趣味なんて、だいたいそうだ。
なくても生きていける。
行かなくても困らないライブへ行く。
読まなくても死なない本を買う。
必要のないものを集める。
そこに時間を使う。
お金を使う。
そして嬉しくなる。
効率だけを考えれば、もっと別のやり方がある。
でも、好きなものくらい効率から外れてもいい。
CDを買いに行く。
棚を眺める。
ジャケットに惹かれて、知らないCDを買ってしまう。
新品のビニールを剥がす。
ジャケットを見る。
歌詞カードを読む。
盤面を見る。
棚に一枚増える。
今日はどれにしようか迷う。
一枚選ぶ。
プレーヤーにセットする。
一曲目から最後まで聴く。
終わったら取り出す。
ケースに戻す。
棚へ戻す。
全部、音楽を聴くためだけなら必要のない動作だ。
サブスクなら、そのほとんどを飛ばせる。
だから便利になった。
それは素晴らしいことだと思う。
でも僕は、その飛ばせる部分まで好きなのだ。
音楽が始まる前。
音楽を聴いている間。
音楽が終わったあと。
CDには、その全部に楽しみがある。
そして最後に、棚へ戻した一枚を見る。
そこには、さっき聴いた音楽が物として残っている。
場所を取っている。
邪魔かもしれない。
それでもいい。
僕の「好き」が場所を取っているのだから。
必要だから置いているんじゃない。
便利だから買っているんじゃない。
好きだから、そこにいてほしい。
CDなんて、正直無駄だ。
冷静に考えれば、サブスクでいい。
それでも僕はCDを買う。
ジャケットを眺めたい。
歌詞カードをめくりたい。
棚に並べたい。
一枚を選びたい。
アルバムをセットして、一曲目から最後まで楽しみたい。
そして聴き終わったあと、その一枚をケースに戻したい。
きっとまた思う。
いいアルバムだったな。
そう思って棚に戻したCDは、買ったときより少しだけ尊く見える。
少しだけ愛おしくなっている。
無駄だ。
たぶん、これからも無駄だ。
でも、好きなものに使う無駄なら、それでいい。
僕は「好き」を、データの中だけではなく、物として手元にも置いておきたい。
だからCDを買う。
やっぱり無駄だ。
でも、この無駄が好きだ。
