世の中には、海外に強烈な憧れを抱いている人がいる。
「いつか海外に住みたい!」
「海外で働いてみたい!」
「世界一周するのが夢!」
「海外に行って人生を変えたい!」
すごい。
本当にすごいと思う。
ただ、僕は昔から、こういう話を聞くたびに一つの疑問が浮かぶ。
なんで?
いや、悪い意味ではない。
海外へ行くことを否定したいわけではないし、海外に憧れる人を馬鹿にしたいわけでもない。
純粋に不思議なのだ。
なぜ、そこまで海外に行きたいのだろう。
なぜ、海外で暮らすことが人生の目標になるのだろう。
僕には、その感覚があまり分からない。
ちなみに、海外が嫌いなわけではない。
海外旅行には行ってみたい。
知らない街を歩いてみたいし、見たことのない景色も見たい。現地の美味しいものだって食べたい。
僕はUKロックが好きだ。
イギリスのバンドには憧れるし、彼らが生まれ育った街や、音楽が育まれた場所にも興味がある。
いつかイギリスへ旅行してみたいとも思う。
でも、だからといって、
「いつか絶対にイギリスに住んでやる!」
とはならない。
バンドには憧れる。
しかし、イギリスという国そのものに、強烈な憧れがあるわけではない。
僕は外国のものに憧れることはある。でも、外国そのものに憧れることはない。
この違いは、いったい何なのだろう。
今回は、海外に憧れる人の心理を、まったく憧れない僕が考えてみたい。
大学時代、「世界一周してくる」と言っていた人がいた。
大学時代、世界一周すると言っていた人がいた。
すごいと思った。
世界一周なんて、簡単にできることではない。
お金も時間も必要だし、知らない土地へ飛び込む勇気もいる。
僕にはなかなかできない。
ただ、同時に思った。
なんで世界を一周したいんだろう。
世界一周。
響きがいい。
なんだか冒険家みたいだ。
ところが、僕には世界を一周したいという欲求がない。
行ってみたい国はいくつかある。
でも、それらを全部つなげて地球をぐるっと回りたいとは思わない。
そもそも、なぜ一周なのだろう。
半周では駄目なのか。
四分の三周では中途半端なのか。
そんなくだらないことまで考えてしまう。
もちろん、世界一周したい人は、単に地球を一周したという実績が欲しいわけではないだろう。
いろいろな国を訪れたい。
知らない文化に触れたい。
さまざまな人と出会いたい。
そういう気持ちがあるのだと思う。
それは理解できる。
でも、僕はそこまでして世界中を見たいとは思わない。
すごいとは思う。でも、羨ましいとは思わない。
これが一番近い感覚なのかもしれない。
尊敬と憧れは、必ずしも同じではないのだ。
なぜ海外には、これほど特別感があるのだろう。
例えば、こんな人がいたとする。
「来月からオーストラリアで働きます!」
おお、すごい!
なんだか行動力がある。
新しい人生が始まりそうだ。
では、こちらはどうだろう。
「来月から大阪で働きます!」
おお。
頑張って。
おそらく、こんな反応になる。
どちらも新しい場所で働くという点では同じなのに、海外という言葉がつくだけで、急に壮大な挑戦に聞こえる。
もちろん、海外で働くには言葉や制度、生活習慣の違いなど、日本国内とは別の苦労がある。
その大変さは認めたい。
でも、実際に何をするのかを聞く前から「すごい」と感じてしまうこともある。
不思議なものだ。
僕はこれを、勝手に海外ブランド効果と呼びたい。
「海外で暮らしていました」
「海外で仕事をしていました」
「海外で自分を見つめ直しました」
なんだか、それだけで立派な経歴に聞こえる。
これが、
「大阪で暮らしていました」
「大阪で仕事をしていました」
「大阪で自分を見つめ直しました」
となると、どうだろう。
最後の人に至っては、何があったのか少し心配になる。
大阪で何を見つめ直したんだ。
たこ焼きか。
いや、僕は大阪が好きだ。
大阪にだって学べることは山ほどある。
ただ、海外という言葉には、僕たちが普段暮らしている場所にはない特別な響きがあるのだろう。
ワーホリは、ただの逃避行なのだろうか。
今回、特に気になっているのがワーキングホリデー、いわゆるワーホリだ。
海外で一定期間暮らしながら、働いたり、勉強したり、旅行したりする。
「海外で働いてみたい」
「英語を話せるようになりたい」
「日本とは違う価値観に触れたい」
「自分を成長させたい」
なるほど。
どれも立派な理由だ。
ただ、僕はここで、少し意地悪なことを考えてしまう。
それ、本当に全部が目的なのだろうか。
もちろん、語学を身につけるために真剣に勉強する人もいる。
海外での仕事を将来のキャリアにつなげる人もいるだろう。
でも、中には、単純に今の生活から離れたいという人もいるのではないか。
日本での仕事に疲れた。
毎日同じことの繰り返しで退屈になった。
人間関係を一度リセットしたい。
何か新しいことを始めたい。
でも、何をすればいいのか分からない。
そこで海外へ行く。
僕には、そういう人もいるように思える。
つまり、逃避行である。
いや、別に逃げたっていい。
僕は逃げることを悪いと思っていない。
嫌な場所からは離れればいいし、疲れたなら休めばいい。
仕事を辞めて、しばらく好きなことをして過ごしたっていい。
ただ、不思議なのだ。
なぜ海外に逃げると、それが急に「挑戦」になるのだろう。
例えば、会社を辞めた人がいたとする。
「仕事に疲れたので、しばらくのんびりします」
そう言うと、周りから心配されるかもしれない。
「次の仕事は?」
「貯金は大丈夫?」
「将来どうするの?」
ところが、同じ人がこう言ったらどうだろう。
「会社を辞めて、オーストラリアにワーホリへ行きます!」
おお!
すごい!
行動力あるね!
人生変わりそう!
なんだか、急に前向きな物語が始まる。
「自分を成長させたい」
「視野を広げたい」
「新しい価値観に触れたい」
どれも聞こえがいい。
聞こえがよすぎる。
もう少し正直に「日本の生活に飽きたので、ちょっと海外へ逃げてきます」でもいいのではないか。
僕なら、その方が親近感が湧く。
「おお、そうか。楽しんでこいよ」
そう言いたくなる。
ただ、逃げることと挑戦することは、必ずしも反対ではない。
今の生活から逃げたい。
だから、思い切って海外へ行く。
そこで新しい仕事を探し、知らない人と出会い、慣れない生活を送る。
出発点は逃避でも、やっていることは挑戦かもしれない。
逃げた先で挑戦することだってある。
だから、ワーホリを一括りに逃避行だと決めつけるつもりはない。
ただ、逃げることを必要以上に立派な言葉で飾らなくてもいいのではないか、とは思う。
留学と海外移住には、また別の理由がある。
留学には、学びたいことがはっきりしている場合がある。
海外の大学で専門分野を研究したい。
その国でしか学べない技術を身につけたい。
外国語を使う環境に身を置きたい。
こうした目的があるなら、海外へ行く理由は分かりやすい。
日本では受けられない授業もあれば、現地に行かなければ経験できないこともある。
だから、留学そのものに疑問があるわけではない。
一方、海外移住には、また違った事情がある。
その国の生活が好き。
仕事の機会がある。
家族や恋人がいる。
日本とは違う働き方や暮らし方を求めている。
それなら理解できる。
僕が不思議なのは、具体的な理由より先に、漠然と「海外に住みたい」という憧れがある場合だ。
どこの国で、どんな暮らしをしたいのか。
それよりも、とにかく海外で暮らすことが夢になっている。
海外という場所に、何を期待しているのだろう。
海外に行けば、人生は変わるのだろうか。
よく聞く言葉がある。
「海外に行くと価値観が変わる」
「世界が広がる」
「人生観が変わる」
そうなのだろう。
実際に海外で暮らしたことで、人生が大きく変わった人もいるはずだ。
でも、僕はこの言葉を聞くたびに思う。
日本で変われない人が、海外へ行けば変われるのだろうか。
少し乱暴な疑問かもしれない。
ただ、場所を変えるだけで、人間が別人になるとは思えないのだ。
日本で何もしない人が、海外へ行った瞬間に積極的になるのか。
日本で毎日退屈していた人が、海外では毎日楽しく暮らせるのか。
もちろん、環境が変わることで行動が変わることはある。
言葉が通じなくても、買い物をしなければならない。
困ったときには誰かに助けを求める必要がある。
そうした経験を通じて、自信がつくこともあるだろう。
それは十分理解できる。
でも、そこで考えたい。
人生を変えたのは海外なのか。それとも、海外で自分が起こした行動なのか。
僕は後者の方が大きいのではないかと思う。
そして、行動すること自体は、日本にいてもできる。
新しい仕事を始める。
知らない分野を勉強する。
今まで話したことのない人と話す。
本を読む。
何かを作る。
自分の考えを文章にしてみる。
どれも、人生を変えるきっかけになり得る。
人生を変えるのに、パスポートは必要なのだろうか。
僕は、必ずしも必要ではないと思う。
ただし、海外だからこそ起こせる行動もある。
日本では出会えなかった人に出会い、知らなかった考え方に触れる。
それが、その人にとって大きな転機になることもあるだろう。
結局、海外に行けば必ず変わるわけでも、日本にいれば変われないわけでもない。
大切なのは、その場所で何を経験し、どう受け止めるかなのだと思う。
「海外では普通だよ」と言う人がいる。
海外経験の話でもう一つ気になることがある。
「海外では普通だよ」
という言葉だ。
「海外では、そんなこと誰も気にしないよ」
「日本人は真面目すぎる」
「日本はもっと自由になった方がいい」
なるほど。
海外には、日本とは違う考え方や習慣があるのだろう。
ただ、僕はここで思う。
その海外って、どこの海外なんだ。
アメリカなのか。
イギリスなのか。
フランスなのか。
韓国なのか。
それとも、オーストラリアなのか。
海外といっても、世界にはたくさんの国がある。
同じ国の中でも、地域によって文化は違う。
それなのに、海外という一つの巨大な国が存在するかのように語られることがある。
「海外ではこうだから」
いや、海外、広すぎるだろ。
地球の大部分を一括りにしないでくれ。
もちろん、海外で得た経験を日本と比較すること自体は悪くない。
むしろ、そういう話は面白い。
でも、一つの国で経験したことを、世界全体の常識のように語るのは少し違うと思う。
そして、海外の文化を知ることと、日本を否定することは別だ。
外国を好きになるために、日本を嫌いになる必要はない。
僕はそう思う。
なぜ、海外の暮らしに憧れる人がいるのだろう。
では、そもそもなぜ海外に憧れるのだろう。
少し心理を考えてみたい。
まず考えられるのは、知らない世界への好奇心だ。
見たことのない景色。
聞いたことのない言葉。
食べたことのない料理。
自分とは違う生活習慣。
そういうものに強く惹かれる人がいても不思議ではない。
次に考えられるのは、今の生活との比較だ。
日本で暮らしていると、日本の嫌なところが目につく。
満員電車。
仕事の人間関係。
周囲の目。
細かいルール。
毎日同じ景色。
そうした日常に疲れていると、遠くの国が魅力的に見えることもあるだろう。
しかも、海外の暮らしはSNSなどで美しい部分を目にすることが多い。
青い海。
おしゃれなカフェ。
広々とした街並み。
楽しそうに笑う人たち。
それを見れば、憧れる気持ちも分かる。
ただ、当然ながら、海外にも日常がある。
仕事に行く日もあれば、洗濯をする日もある。
体調が悪い日もある。
嫌な人に出会うこともある。
家賃を払わなければならないし、面倒な手続きもある。
海外へ移住したからといって、毎日が観光旅行になるわけではない。
旅行先として見る外国と、生活する場所として見る外国は違う。
もちろん、その日常も含めて好きになる人はいる。
だからこそ、本当にその国で暮らしたい人もいるのだと思う。
K-POPが好きな人と、UKロックが好きな僕。
海外への憧れを考えていると、もう一つ気になるものがある。
K-POPだ。
韓国のアイドルや音楽に夢中になっている人はたくさんいる。
曲を聴く。
ライブへ行く。
グッズを買う。
韓国語を勉強する。
韓国へ何度も旅行する。
そして、中には韓国で暮らすことに憧れる人もいる。
すごい熱量だと思う。
ただ、ここで誤解されたくないことがある。
僕も海外の音楽は好きだ。
特にUKロックが好きで、憧れているバンドもいる。
彼らの音楽を聴いて、かっこいいと思う。
演奏やファッションに憧れることもある。
イギリスへ旅行してみたいとも思う。
だから、外国のアーティストに夢中になる気持ちは理解できる。
K-POPが好きな人だって、単純に音楽やアーティストが好きなだけかもしれない。
そこに国への憧れがあるとは限らない。
ただ、僕が不思議なのは、好きなアーティストへの憧れが、その国で暮らしたいという願望にまで広がる場合だ。
僕はイギリスのバンドに憧れている。
でも、イギリス人になりたいわけではない。
イギリスで暮らすことが人生の夢になっているわけでもない。
好きなバンドがイギリス出身だからといって、イギリスのすべてが魅力的に見えるわけではないのだ。
好きな人がいる国と、住みたい国は、僕の中では別なのである。
でも、人によっては、その境界線がもっと近いのかもしれない。
好きなアーティストの話す言葉を理解したい。
その人が暮らす文化を知りたい。
同じ街を歩いてみたい。
そうした気持ちが、国そのものへの憧れにつながることもあるのだろう。
僕だって、好きなバンドが生まれた街には興味がある。
ただ、その先にある「住みたい」という感覚までは進まない。
どこから「好き」が「憧れ」に変わるのだろう。
そして、どこから「憧れ」が「そこで暮らしたい」に変わるのだろう。
人によって、その距離はずいぶん違うらしい。
日本に憧れてやって来る外国人もいる。
ここで、少し視点を変えてみたい。
日本人の中には、海外に強烈な憧れを抱く人がいる。
一方で、日本に憧れてやって来る外国人もいる。
日本のアニメが好き。
日本の音楽が好き。
日本の食文化が好き。
日本の街並みが好き。
いつか日本で暮らしてみたい。
そう考える人もいる。
僕たちにとっては、何でもない日常だ。
駅前の商店街。
コンビニ。
電車。
住宅街。
近所のスーパー。
でも、それが誰かにとっては、ずっと憧れていた景色なのかもしれない。
面白い。
僕が普段何とも思わずに歩いている道を、外国から来た人が感動しながら歩いている可能性があるのだ。
逆に、僕がイギリスの街並みに感動している横で、現地の人は普通に仕事へ向かっているのだろう。
隣の芝生は青い。国境を越えると、さらに青く見えるのかもしれない。
海外に憧れる人は、必ずしも日本が嫌いなわけではない。
日本も好きだけれど、別の国にも強い魅力を感じているだけかもしれない。
そう考えると、少し理解できる気がする。
そもそも、なぜ僕は海外に憧れないのだろう。
ここまで、海外に憧れる人の心理を考えてきた。
しかし、よく考えてみれば、もう一つ不思議なことがある。
なぜ僕は、海外に憧れないのだろう。
日本での生活に慣れすぎているのかもしれない。
あるいは、単純に今の生活が好きだからなのかもしれない。
僕は日本が好きだ。
そして、今の生活もかなり気に入っている。
本を読む。
文章を書く。
音楽を聴く。
自分の興味があることを調べる。
思いついたことを形にする。
毎日、やりたいことが山ほどある。
正直、時間が足りないくらいだ。
海外へ行かなければ経験できないことがあるのは分かる。
でも、日本にいたって、まだ知らないことはいくらでもある。
読んだことのない本。
聴いたことのない音楽。
行ったことのない場所。
知らない仕事。
知らない文化。
同じ日本に住んでいても、僕の知らない世界は無数に存在している。
例えば、本を一冊読むだけでも、自分とはまったく違う人生に触れることができる。
もちろん、実際にその場所へ行く経験とは違う。
でも、僕は本を読んで、自分の考え方が変わったことが何度もある。
日本にいながら、価値観なんていくらでも変わる。
もしかすると、海外に憧れる人は、僕よりもずっと遠くに好奇心が向いているのかもしれない。
僕は、今いる場所の周りにあるものを掘り下げる方が好きなのかもしれない。
どちらが優れているという話ではない。
興味の向かう方向が違うだけなのだ。
そして、海外へ行く人には行動力があると思う。
でも、日本で新しい事業を始める人にも行動力はある。
仕事を辞めて、ずっとやりたかったことに挑戦する人にもある。
何年もかけて一冊の小説を書く人にもある。
行動力は、移動距離で決まるものではない。
海外で一年暮らした人と、日本で一年間何かに打ち込んだ人。
どちらが成長したかなんて、行き先だけでは分からない。
大切なのは、どこに行ったかではなく、そこで何をしたかなのだと思う。
僕は、今日も日本で楽しく暮らしている。
ここまで考えてみても、僕の中に海外への強烈な憧れは生まれなかった。
イギリスのバンドは、相変わらずかっこいい。
イギリスにも旅行で行ってみたい。
でも、そこで暮らすことが夢になったわけではない。
海外に憧れる人の気持ちも、少しは理解できた気がする。
知らない世界への好奇心。
今の環境を変えたいという願望。
好きな文化にもっと近づきたいという気持ち。
それらが強くなれば、海外で暮らしてみたいと思うのも不思議ではないのだろう。
ただ、僕はそこまで思わない。
日本が好きだ。
今の生活が好きだ。
ここでやりたいことがたくさんある。
それだけなのかもしれない。
もちろん、いつか僕も海外に強烈な憧れを抱く日が来るかもしれない。
人間の価値観は変わるものだから。
でも、今の僕には、その予定がない。
そして、別にそれで困っていない。
海外へ行きたい人は、行けばいい。
世界一周したい人は、世界を一周すればいい。
ワーホリへ行きたい人は、行けばいい。
好きな国で暮らしたい人は、その夢を追いかければいい。
僕は、その行動力をすごいと思う。
でも、羨ましいとは思わない。
人生の充実度は、訪れた国の数で決まるものではない。
たくさんの国を旅して幸せになる人もいる。
一つの場所で好きなことを続けて幸せになる人もいる。
僕は、今のところ後者なのだろう。
それでも、海外に憧れる人を見ると、やっぱり思う。
「すごいなあ」
そして、その直後にもう一つ。
「でも、なんでそんなに海外がいいんやろ?」
おそらく、これからも思うのだろう。
まあ、向こうからすれば、僕の方が不思議なのかもしれない。
「なんでそんなに日本にいたいの?」
そう聞かれたら、僕はこう答えると思う。
「いや、別に日本にいたいと決めているわけじゃない。今、ここが楽しいだけやで」
海外に憧れる人は、遠くにある何かを見つめている。
僕は、今いる場所にある面白いものを探している。
見ている方向が違うだけで、どちらも自分の好きなものを追いかけているのだ。
そう考えると、少しだけ分かった気がする。
僕がUKロックのバンドに憧れるように、誰かはイギリスという国そのものに憧れる。
その違いは、きっと簡単には説明できない。
好きなものなんて、そもそも理屈だけで決まるものではないのだから。
ただ、一つだけ言えることがある。
世界は広い。でも、僕の知らない世界は、日本の中にもまだ山ほどある。
だから僕は、今日も本を開く。
パスポートは持たずに。
まずは、そこにある知らない世界へ行ってみようと思う。
