「誕生日、何が欲しい?」
突然、こんな質問をされたことはないだろうか。
欲しいもの。
何だろう。
少し考えてみる。
……。
何も思い浮かばない。
おかしい。
普段は欲しいものがいくらでもあるような気がする。
街を歩けば、気になる商品が目に入る。インターネットを眺めていれば、欲しいと思うものが次々と現れる。
それなのに、いざ「何が欲しい?」と聞かれると、頭の中が真っ白になる。
まるで面接で想定外の質問をされた就職活動中の学生である。
「あなたが弊社を志望した理由は?」
いや、違う。
誕生日プレゼントの話だ。
そんなに緊張する必要はない。
しかし、思い浮かばないものは思い浮かばない。
とりあえず「何でもいいよ」と答えてみる。
すると、相手は困った顔をする。
「何でもいいって、一番困るんだけど」
そう言われても困る。
僕だって困っている。
欲しいものがわからない人間に、欲しいものを聞かないでほしい。
いや、聞いてくれること自体はありがたい。
ありがたいのだが、答えがない。
考えてみれば、不思議なことである。
自分の誕生日なのに、自分が欲しいものを答えられない。
他人のことならともかく、自分のことだ。
三十年以上も一緒に生きているというのに、いまだに自分の欲しいものがわからない。
僕と僕は、いったい何年の付き合いなのだろう。
そこで今回は、誕生日に欲しいものが思い浮かばなくなる理由について考えてみたい。
そして、どうすれば自分の欲しいものを見つけられるのか。
単にプレゼントを選ぶ方法だけではなく、自分自身の欲求や価値観についても掘り下げてみようと思う。
子どもの頃は、欲しいものが山ほどあった。
そもそも、子どもの頃はどうだっただろう。
誕生日が近づくと、欲しいものを考えるだけで楽しかった。
ゲームソフト。
おもちゃ。
漫画。
スポーツ用品。
欲しいものはいくらでもあった。
むしろ、一つに絞る方が難しかったのではないだろうか。
あれも欲しい。
これも欲しい。
できることなら全部欲しい。
誕生日というのは、そんな欲望を堂々と表明できる特別な日だった。
しかし、大人になると少し事情が変わってくる。
欲しいものがあれば、自分で買えるようになるからだ。
もちろん、経済的な事情は人それぞれだ。
何でも自由に買えるわけではない。
それでも、子どもの頃に比べれば、自分の判断で買い物ができる機会は増える。
欲しい本があれば、本屋へ行く。
新しい服が欲しければ、店で探す。
食べたいものがあれば、買って食べる。
そうして日常の中で小さな欲求を満たしているうちに、誕生日まで取っておくものがなくなってしまう。
誕生日に欲しいものがないのではない。
欲しいものを、すでに買ってしまっているのだ。
これはなかなか贅沢な話である。
子どもの頃は、誕生日まで欲しいものを我慢していた。
大人になった僕は、誕生日を待たずに買ってしまう。
結果として、誕生日当日に何も欲しくない人間が完成する。
自分で自分の誕生日プレゼントを先取りしているようなものだ。
もう少し計画的に欲しがるべきなのだろうか。
しかし、欲しいものを誕生日まで我慢するというのも、何だかおかしな話である。
欲しいものがないのではなく、思い浮かばないだけかもしれない。
ここで、一つ重要な違いがある。
それは「欲しいものがない」と「欲しいものが思い浮かばない」は、必ずしも同じではないということだ。
本当に欲しいものがない人もいるだろう。
現在の生活に満足していて、特に何かを手に入れたいとは思わない。
それは、それで素敵なことだと思う。
一方で、欲しいものはあるはずなのに、質問された瞬間には思い出せない人もいる。
例えば、スーパーで買い物をしているときのことを考えてみよう。
家では必要なものがいくつも思い浮かんでいた。
しかし、店に到着すると忘れてしまう。
何を買いに来たのだったか。
とりあえず店内を一周する。
結局、必要のないお菓子だけ買って帰る。
そして帰宅した瞬間に思い出す。
ああ、洗剤だった。
誕生日プレゼントにも、これと似たことが起こるのかもしれない。
普段は欲しいと思っているものがある。
しかし、いざ質問されると、すぐには思い出せない。
心理学では、記憶を思い出す際に、周囲の状況や手がかりが影響することが知られている。
欲しいものについても、普段それを見かける場面では思い出せるのに、突然質問されると浮かんでこないことがあるだろう。
つまり、欲しいものが存在しないとは限らない。
単に、思い出すための手がかりが足りないだけかもしれないのだ。
そう考えると、少し安心する。
僕の物欲は消滅したわけではない。
どこかで迷子になっているだけなのかもしれない。
相手の予算を考え始めると、何も言えなくなる。
誕生日プレゼントには、もう一つ厄介な問題がある。
それは、相手の存在だ。
自分で買うなら、話は簡単である。
欲しいものがあれば、値段を確認して購入するかどうか決めればいい。
しかし、プレゼントの場合は違う。
相手がお金を出してくれる。
そうなると、急にいろいろなことを考え始める。
高すぎるものを言ってはいけない。
安すぎるものも、何だか申し訳ない。
相手が買いやすいものがいい。
でも、せっかくなら自分が欲しいものがいい。
考えることが多すぎる。
例えば、本当に欲しいものが五万円の家電だったとする。
「何が欲しい?」
「五万円の家電」
言えるだろうか。
なかなか勇気がいる。
反対に、百円の消しゴムが欲しいと答えたらどうだろう。
相手は困惑するかもしれない。
「本当にそれでいいの?」
いい。
僕は今、消しゴムが欲しいのだ。
しかし、誕生日プレゼントとしては、何だか釣り合っていないような気がする。
こうして、自分の欲求よりも相手の事情を優先して考えるようになる。
その結果、何が欲しいのかわからなくなってしまう。
本当は欲しいものがある。
しかし、それを言っていいのかわからない。
これは単なる物欲の問題ではなく、人間関係の問題でもあるのだろう。
欲しいものと、もらって嬉しいものは違う。
ここで、少し視点を変えてみたい。
そもそも、欲しいものと、もらって嬉しいものは同じなのだろうか。
例えば、自分では絶対に買わない高級なタオル。
普段使っているものより、少しだけ上等な食器。
ちょっと高価なお菓子。
こうしたものは、積極的に欲しいとは思わないかもしれない。
しかし、プレゼントされたら嬉しいこともある。
自分で買うには少し贅沢。
でも、もらったら使ってみたい。
そういうものは意外と多い。
考えてみれば、プレゼントとは必ずしも、以前から欲しかったものを手に入れる行為ではない。
自分では選ばなかったものに出会う機会でもある。
だからこそ、相手が選んでくれたものを受け取る楽しさがある。
もちろん、何をもらっても嬉しいとは限らない。
趣味に合わないものや、使い道のないものをもらって困ることもあるだろう。
しかし、自分の欲しいものを正確に答えられなくても、プレゼントを楽しむことはできる。
そう考えると、「何が欲しい?」という質問そのものが、少し難しすぎるのかもしれない。
「何をもらったら嬉しい?」
こちらの方が、答えやすい人もいるのではないだろうか。
そもそも、自分の欲しいものを理解しているのだろうか。
さて、ここからが本題である。
誕生日に欲しいものが思い浮かばない。
その原因は、単に商品を思い出せないことだけではないかもしれない。
もっと根本的な問題があるのではないだろうか。
それは、自分が何を望んでいるのか、普段からあまり考えていないということだ。
僕たちは日常生活の中で、さまざまな判断をしている。
仕事へ行く。
食事をする。
買い物をする。
家事をする。
眠る。
毎日を過ごしていると、目の前のやるべきことに追われ、自分の欲求について考える時間が少なくなることもある。
何が必要なのか。
何をしなければならないのか。
そうしたことは考えていても、何をしたいのか、何が欲しいのかについては、意外と考えていない。
例えば、休みの日に何をしたいか聞かれても、すぐには答えられない。
好きな食べ物を聞かれても、少し考えてしまう。
自分の趣味について説明しようとすると、案外難しい。
他人の好みなら詳しく知っているのに、自分のことになると曖昧になる。
そんなこともあるだろう。
しかし、自分の欲求を理解していないことが、必ずしも悪いわけではない。
人間の気持ちは変化する。
昨日まで欲しかったものが、今日は必要なくなることもある。
反対に、これまで興味のなかったものが、突然欲しくなることもある。
自分のことだからといって、何もかも理解できるわけではない。
それでも、自分が何に心を動かされるのかを知っておくことには意味があると思う。
誕生日プレゼントを選ぶためだけではない。
自分がどんな生活を送りたいのかを考えることにもつながるからだ。
「欲しいけど、いらない」と考える癖。
自分の欲求を理解するうえで、もう一つ気になることがある。
それは、欲しいと思った瞬間に、その気持ちを打ち消してしまうことだ。
例えば、店で気になる商品を見つけたとする。
欲しい。
しかし、すぐに別の考えが浮かぶ。
高い。
今あるもので十分。
どうせ使わなくなる。
置き場所がない。
無駄遣いになる。
そうして、買わない理由を次々と探し始める。
もちろん、これは悪いことではない。
衝動買いを防ぐためには、必要な判断だろう。
欲しいものを何でも買っていたら、お金がいくらあっても足りない。
ただ、ここで少し考えてみたい。
買わないと決めたことと、欲しくなかったことは同じなのだろうか。
本当は欲しかった。
しかし、必要ないと判断した。
それだけのことかもしれない。
ところが、こうした判断を繰り返していると、自分が何を欲しいと思ったのかまで忘れてしまうことがある。
欲しい。
でも、いらない。
欲しい。
でも、無駄だ。
欲しい。
でも、我慢しよう。
そうして、いつの間にか「欲しいものは特にない」という結論にたどり着く。
しかし、それは本当に欲しいものがないのだろうか。
それとも、欲しいという気持ちを認める前に、必要かどうかを判断しているだけなのだろうか。
この二つは、分けて考えてもいい気がする。
欲しいものを全部買う必要はない。
ただ、欲しいと思った自分の気持ちまで否定する必要もないのではないだろうか。
欲しいものがないのは、幸せだからなのか。
ここまで、欲しいものが思い浮かばない理由について考えてきた。
しかし、そもそも欲しいものがないことは問題なのだろうか。
僕は、必ずしもそうではないと思う。
今の生活に満足している。
必要なものは揃っている。
特に不便も感じていない。
だから欲しいものがない。
それなら、何も困ることはない。
むしろ、満たされている状態とも考えられる。
ただし、欲しいものがないからといって、必ずしも幸福であるとは限らない。
忙しさや疲れによって、何かを楽しもうという気持ちが薄れている場合もある。
自分の欲求を後回しにすることが習慣になっている場合もあるだろう。
つまり、欲しいものがないという状態だけで、その人の幸福度を判断することはできない。
大切なのは、欲しいものがないことを自分自身がどう感じているかだと思う。
満足しているのなら、それでいい。
しかし、何をしても楽しくない、以前は好きだったことにも興味が湧かないという状態が続いているなら、単なる物欲の問題ではない可能性もある。
自分の心身の状態に目を向けることも大切だろう。
欲しいものがないこと自体を、無理に問題にする必要はない。
ただ、自分の気持ちを知ろうとすることには意味がある。
対処法① 自分の好きなものを知る。
では、誕生日に欲しいものが思い浮かばないとき、どうすればいいのだろう。
まず考えたいのは、自分の好きなものを知ることだ。
これは当たり前のようで、意外と難しい。
例えば、自分が最近何にお金を使ったのかを振り返ってみる。
本。
服。
食べ物。
趣味の道具。
娯楽。
そこには、自分が何を大切にしているのかが表れているかもしれない。
もちろん、お金を使っているものが必ずしも好きなものとは限らない。
生活に必要だから買っているものもある。
だから、金額だけで判断する必要はない。
大切なのは、何をしているときに楽しいと感じるか。
何を見つけたときに嬉しくなるか。
何に時間を使いたいと思うか。
そうした感覚を振り返ることだ。
例えば、本が好きな人なら、欲しいものは本そのものだけではない。
本棚。
読書灯。
しおり。
ブックカバー。
書店を巡る時間。
好きな作家のイベント。
一つの趣味から、さまざまな欲求が見えてくる。
つまり、欲しい商品をいきなり探すのではなく、自分が好きなことから考えてみる。
その方が、自然に欲しいものを見つけられるかもしれない。
対処法② 自分の欲求をすぐに否定しない。
次に大切なのは、欲しいという気持ちをすぐに否定しないことだ。
何かを見て、欲しいと思った。
その瞬間に、必要かどうかを判断するのではなく、まずはその気持ちを認めてみる。
欲しい。
なるほど。
僕はこれが欲しいのか。
それだけでいい。
買うかどうかは、あとで決めればいい。
高価なものでも構わない。
現実的に購入できないものでも構わない。
大切なのは、自分が何に魅力を感じているのかを知ることだ。
例えば、高級車が欲しいと思ったとする。
しかし、実際には買えない。
駐車場もない。
維持費も高い。
そもそも運転する機会もない。
それでも、欲しいと思ったこと自体は事実である。
なぜ欲しいのだろう。
デザインが好きなのか。
運転することに憧れているのか。
自由に遠くへ行きたいのか。
そこまで考えてみると、欲しいものの奥にある気持ちが見えてくることもある。
もしかすると、本当に欲しいのは高級車ではなく、自由に旅行する時間なのかもしれない。
もちろん、単純に高級車が欲しいだけかもしれない。
それなら、それでいい。
無理に深い意味を探す必要はない。
ただ、自分の欲求を最初から否定しない。
それだけでも、自分を理解する手がかりになると思う。
対処法③ 自分が何を大切にしているのか考える。
欲しいものが思い浮かばないときは、自分の価値観について考えてみるのも一つの方法だ。
例えば、同じ一万円でも、人によって使い道は違う。
美味しいものを食べたい人。
新しい服を買いたい人。
本を何冊も買いたい人。
旅行のために貯金したい人。
何にも使わず、手元に残しておきたい人。
どれも間違いではない。
大切にしているものが違うだけだ。
では、自分は何にお金や時間を使いたいのだろう。
この質問に答えられるようになると、欲しいものも少しずつ見えてくるかもしれない。
物を増やしたくない人なら、体験型のプレゼントが向いているかもしれない。
趣味を大切にしている人なら、その趣味に関係するものが嬉しいだろう。
日々の生活を快適にしたい人なら、実用品が合っているかもしれない。
そして、何より自由な時間を大切にしている人なら、物ではなく時間を望むこともあるだろう。
欲しいものとは、必ずしも商品ではない。
自分がどんな生活を送りたいのか。
その答えの中に、欲しいものが隠れていることもあるのだと思う。
対処法④ 他人の期待をいったん忘れる。
プレゼントを選ぶとき、相手のことを考えるのは大切だ。
しかし、考えすぎると自分の欲求がわからなくなる。
だから、いったん相手の存在を忘れてみる。
もし誰にも遠慮する必要がなかったら、何が欲しいだろう。
予算を考えなくていいなら、何を選ぶだろう。
誰にも説明する必要がないなら、何を買いたいだろう。
そんなふうに考えてみる。
もちろん、実際にプレゼントをお願いするときには、相手の予算や事情を考える必要がある。
しかし、それは自分の欲しいものを理解したあとでいい。
最初から条件をつけすぎると、選択肢がなくなってしまう。
まずは自由に考える。
そのあとで、現実的なものを選ぶ。
この順番が大切なのかもしれない。
対処法⑤ 普段から欲しいものを記録しておく。
ここからは、もう少し具体的な方法について考えてみたい。
最も簡単なのは、欲しいものを記録しておくことだ。
スマートフォンのメモでもいい。
手帳でもいい。
インターネットの欲しいものリストでもいい。
何かを見て欲しいと思ったら、とりあえず残しておく。
購入するかどうかは、その場で決めなくてもいい。
こうしておけば、誕生日に突然質問されても困らない。
「何が欲しい?」
「少々お待ちください」
そう言って、メモを開けばいい。
まるで飲食店のメニュー表である。
ただし、一つ注意したい。
欲しいものリストは、買わなければならないものの一覧ではない。
欲しいと思った記録にすぎない。
時間が経てば、興味がなくなるものもあるだろう。
それもまた、自分の気持ちの変化を知る手がかりになる。
一か月前は欲しかったのに、今は何とも思わない。
そんな商品が並んでいるかもしれない。
それはそれで面白い。
過去の自分は、一体何に夢中になっていたのだろう。
対処法⑥ 物ではなく、経験を考える。
欲しいものが見つからないときは、物以外の選択肢を考えてみる。
例えば、旅行。
映画。
食事。
ライブ。
美術館。
普段は行かない場所へ出かけること。
そうした経験をプレゼントとしてお願いする方法もある。
物が欲しくなくても、やってみたいことはあるかもしれない。
また、一緒に過ごす時間そのものが嬉しいという人もいるだろう。
プレゼントという言葉を聞くと、つい箱に入った商品を想像してしまう。
しかし、必ずしも形のあるものである必要はない。
誕生日だからこそ、普段とは少し違うことをしてみる。
それも一つの楽しみ方だと思う。
対処法⑦ 欲しいものがないなら、無理に探さない。
最後に、これだけは忘れたくない。
欲しいものがないなら、無理に探す必要はないということだ。
誕生日だからといって、必ずプレゼントをもらわなければならないわけではない。
欲しいものがないなら、正直にそう伝えてもいい。
もちろん、相手の気持ちを大切にすることは必要だ。
「特に欲しいものはないけれど、祝ってもらえるだけで嬉しい」
そう伝えることもできる。
あるいは、後日欲しいものが見つかったときにお願いしてもいい。
大切なのは、誕生日という日付に合わせて、無理やり欲求を作り出さないことだと思う。
そもそも、欲しいものがないのに、プレゼントをもらうために欲しいものを探し始める。
これは考えてみれば、少し不思議な話である。
本来は、欲しいものがあるから手に入れたいと思う。
ところが誕生日になると、プレゼントをもらうことが先に決まっている。
だから、欲しいものを考えなければならない。
順番が逆なのだ。
欲しいものがないなら、それでいいではないか。
何も欲しくない日があってもいい。
自分の生活に満足しているのなら、それは喜ばしいことだろう。
そして、いつか本当に欲しいものが見つかったら、そのときに手に入れる方法を考えればいい。
誕生日は、自分を知るきっかけなのかもしれない。
ここまで、誕生日に欲しいものが思い浮かばない理由について考えてきた。
子どもの頃と違い、自分で買えるものが増えたこと。
相手の予算を気にしてしまうこと。
突然質問されると、思い出せなくなること。
普段から自分の欲求を後回しにしている可能性。
そして、そもそも欲しいものがない場合もあるということ。
理由は一つではない。
人によって違うだろうし、同じ人でも、そのときの生活や気持ちによって変わるだろう。
ただ、今回考えてみて、一つ思ったことがある。
それは、欲しいものが思い浮かばないという出来事は、自分自身を知るきっかけにもなるということだ。
自分は何が好きなのか。
何をしていると楽しいのか。
何にお金を使いたいのか。
どんな時間を過ごしたいのか。
何を大切にして生きているのか。
普段はあまり考えないことを、誕生日という機会に考えてみる。
それも悪くない。
もちろん、そこまで真剣に考える必要があるのかと言われれば、少し怪しい。
ただ誕生日プレゼントを聞かれただけなのだ。
人生について考察を始める必要はない。
しかし、せっかくなら自分の欲しいものくらい、自分で理解しておきたい。
自分のことを一番よく知っているのは自分。
そう思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。
そして、誕生日に欲しいものが思い浮かばないからといって、焦る必要もない。
欲しいものがないことは、決して悪いことではない。
大切なのは、自分が本当に何を望んでいるのかを、無理のない範囲で知っていくことなのだと思う。
さて。
ここまで長々と考えてきたところで、もう一度自分に質問してみたい。
「誕生日、何が欲しい?」
……。
やっぱり思い浮かばない。
どうやら、まだまだ自分自身を理解する必要がありそうだ。
とりあえず、欲しいものリストを作るところから始めてみようと思う。
ただし、そのリストを作るために、新しいノートを買いたくなってしまった。
なるほど。
欲しいものが、一つ見つかったようである。
