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職場でいい人は損をする?ちょっとややこしい奴くらいが、ちょうどいい。

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職場では、いい人でいた方がいい。

素直で、協調性がある。

頼まれた仕事は嫌な顔をせず引き受ける。

上司から何か言われたら「わかりました」と答える。

誰かが困っていたら助ける。

文句を言わず、空気を読み、周りに合わせる。

たぶん、こういう人は職場で好かれる。

僕だって、一緒に働くなら感じのいい人の方がいい。

わざわざ嫌な奴になる必要なんてない。

ただ、長く働いていると、ときどき思う。

職場では、ちょっとややこしい奴くらいが、ちょうどいいんじゃないか。

何でも「はい」と言わない。

「それ、なんで僕がやるんですか?」

と、ときどき聞く。

無理なものは、

「それは難しいです」

と言う。

おかしいと思ったら、

「これ、おかしくないですか?」

と口にする。

ちょっとめんどくさい。

上司からすれば、

「あいつ、ちょっとややこしいな」

と思うかもしれない。

でも僕は、

そのくらいでいいと思っている。

目次

「いい人」と「都合のいい人」は、結構近い

「いい人」という言葉は、もちろん褒め言葉だ。

優しい。

協力的。

頼りになる。

人のために動ける。

どれも素敵なことだと思う。

ただ、職場という場所では、ときどき「いい人」が「都合のいい人」に変換される。

「あの人ならやってくれる」

「あの人なら断らない」

「あの人なら文句を言わない」

そう思われるようになる。

最初は一回だけだった仕事が、いつの間にか毎回自分のところに来る。

一度助けた仕事が、いつの間にか自分の担当みたいになっている。

誰かがやらなければいけない仕事がある。

周りを見渡す。

そして、

断らなそうな人のところへ着地する。

仕事というのは不思議なものである。

重力でもあるのだろうか。

断らない人のところに、どんどん落ちてくる。

本人は優しさで引き受けている。

でも周りからすれば、

「頼めばやってくれる人」

になる。

この差は結構大きい。

もちろん、人を助けることが悪いわけではない。

僕だって余裕があれば助けたい。

困っている人がいたら手を貸したい。

でも、

「助けたいからやる」のと、「断れないからやる」のは全然違う。

前者は優しさだけれど、後者が続くとしんどくなる。

「それ、なんで僕がやるんですか?」は悪い言葉なのか

仕事を頼まれたとき、

「それ、なんで僕がやるんですか?」

と言う。

文字にすると、かなり感じが悪い。

実際には言い方を考えた方がいい。

いきなり腕を組んで、

「それ、なんで僕がやるんですか?」

と言えば、普通に嫌な奴である。

でも、疑問を持つこと自体は悪くないと思う。

なぜこの仕事をするのか。

なぜ自分が担当するのか。

なぜこの方法なのか。

なぜ今やる必要があるのか。

わからなければ聞けばいい。

僕は、

「言われたからやる」だけの状態があまり好きではない。

理由を聞いて、

「ああ、なるほど」

と思えばやればいい。

自分が知らなかった事情があるかもしれない。

全体を見れば、その方法が一番合理的なのかもしれない。

だったら納得できる。

逆に、聞いてみたら、

「昔からそうだから」

しか返ってこないこともある。

そのときは、

もう一回くらい聞いてもいい。

「あいつに頼むと、ちょっと聞かれるからなあ」

それくらいに思われていても、僕は別に構わない。

聞かせておこう。

「あいつ、納得しないと動かないからな」

納得させてくれ。

僕は会社の便利ボタンではない。

押されたら、

「ピッ」

と動くようにはできていない。

「あいつに頼むと面倒」が、自分を守ることもある

職場で「ちょっとややこしい奴」だと思われることには、一つ利点がある。

雑に扱われにくくなる。

何でも引き受ける人には、何でも頼みやすい。

何も言わない人には、少しくらい無理を言いやすい。

でも、

「それってどういうことですか?」

と聞いてくる人には、頼む側も少し考える。

「あいつに頼むなら、ちゃんと説明しないとな」

となる。

僕はこれ、悪いことではないと思う。

むしろ仕事なら、その方が健全なんじゃないか。

仕事を頼む。

理由を説明する。

相手が理解する。

必要なら相談する。

それで進める。

普通のことだ。

「何も聞かずにやってくれる人」が優秀とは限らない。

ときには、

「ちょっと待ってください」

と言える人も必要だと思う。

だから僕は、職場で100点の「扱いやすい人」を目指さなくていいと思っている。

80点くらい感じがよくて、

残り20点くらい、

「あいつ、ちょっとめんどくさいな」

があってもいい。

その20点が、自分を守ってくれることがある。

ただし、やりすぎてはいけない

ここまで書くと、

「じゃあ職場では、どんどん面倒くさい奴になればいいのか」

となる。

違う。

絶対に違う。

ここが一番難しい。

「ややこしい奴でいてもいい」という考え方は、かなり危険でもある。

一歩間違えると、

ただの面倒くさい奴になる。

何を言われても反論する。

頼まれたら、とりあえず理由を問い詰める。

自分が納得できなければ何もしない。

些細なことにも噛みつく。

自分の仕事なのに、

「なんで僕がやらないといけないんですか」

と言う。

そこまでいけば、もう自分を守っているんじゃない。

周りを疲れさせている。

そして、そういう人ほど自分では、

「俺はおかしいことをおかしいと言っているだけ」

と思っていたりする。

これが怖い。

正義感というのは、アクセルとしてかなり強い。

自分が正しいと思えば、いくらでも踏める。

「俺は間違っていない」

と思えば、止まる理由がなくなる。

だから、

ややこしい奴ほど、自制が必要なのだと思う。

正しいことを、全部言う必要はない

僕は、

「おかしいと思ったことは、ちゃんと言った方がいい」

と思っている。

でも同時に、

おかしいと思ったことを、全部言う必要はない

とも思っている。

ここは矛盾しているようで、僕の中では矛盾していない。

世の中には、小さなおかしさなんていくらでもある。

職場ならなおさらだ。

「なんでこれ、こんなやり方なんだろう」

「このルール、意味ある?」

「今の言い方ちょっと嫌やな」

「それ、別に僕じゃなくてもよくない?」

一日働けば、いくつか出てくる。

そのたびに全部立ち止まって、

「異議あり!」

とやっていたら、仕事にならない。

僕は逆転裁判をしに会社へ来ているわけではない。

流していいこともある。

「まあ、ええか」

で終わらせた方がいいこともある。

白黒をつけなくていいこともある。

というか、世の中の大半は、そこまで綺麗に白黒がつかない。

自分の考えが正しいとしても、

今ここで言う必要があるのか。

言うことで何か良くなるのか。

ただ自分がスッキリしたいだけではないのか。

そこは考えたい。

俯瞰で見る習慣を忘れない

だから僕が一番大事だと思っているのが、

自分を俯瞰で見ることだ。

腹が立った。

納得できない。

「それ、おかしくないですか」

と言いたくなった。

そこで一回、自分を上から見る。

今の僕は、本当に理不尽なことに怒っているのか。

それとも、

ただ機嫌が悪いだけなのか。

相手の言い方が気に入らなかっただけなのか。

自分のプライドが傷ついただけなのか。

自分が損をしたくないだけなのか。

ここは結構重要だと思う。

人間、自分が怒っているときは、

自分が正しいように見える。

僕もそうだ。

腹が立っている最中に、

「いやあ、今回に関しては僕が全面的に間違っていますね」

なんて冷静に分析できる人は、そんなにいない。

だいたい、

「いや、どう考えても向こうがおかしいやろ」

と思っている。

でも、少し時間が経ってから考えると、

「あれ、俺もまあまあ悪くない?」

となることがある。

ある。

悔しいけど、ある。

だから、自分の中にもう一人の自分を置いておきたい。

怒っている僕の少し後ろに立って、

「お前、それ今ほんまに言う必要ある?」

と聞いてくる僕。

こいつが必要だ。

できれば毎日出勤してほしい。

上司がおかしいこともある。僕がおかしいこともある

会社がおかしいことはある。

上司がおかしいこともある。

同僚がおかしいこともある。

意味のわからないルールもある。

理不尽な指示もある。

だから、何でも従えばいいとは思わない。

でも同時に、

当然、

僕がおかしいこともある。

これを忘れたくない。

自分だけは常に正しい。

自分だけは物事を正確に見ている。

自分だけは筋が通っている。

そう思い始めたら、かなり危ない。

「ちょっとややこしい奴」が、

「自分だけが正しい奴」

に進化する。

この進化はいらない。

だから何かに引っかかったときは、

相手を見る。

自分を見る。

その場全体を見る。

できれば少し時間も置く。

そのうえで、

「いや、やっぱりこれはおかしい」

と思ったら言えばいい。

逆に、

「まあ、そこまででもないか」

と思ったら流せばいい。

流すことは負けではない。

黙ることも、必ずしも我慢ではない。

自分で「言わない」と決めたなら、それも一つの選択だ。

何にでも噛みつく人は、怖くなくなる

もう一つ思うことがある。

何にでも文句を言う人は、一見すると強そうに見える。

でも、ずっと見ていると逆になる。

また言ってる。

となる。

毎日怒っている。

毎日文句を言っている。

何を頼んでも不満を言う。

そうなると、本当に大事なことを言ったときまで、

「はいはい」

で流されるようになる。

これはもったいない。

本当に理不尽なことが起きたとき。

本当に誰かが困っているとき。

本当に変えた方がいいことがあるとき。

そのときに、

「普段あまり言わないあの人が言っている」

という方が、言葉は強くなる。

だから、牙をずっと剥き出しにしておく必要はない。

持っていればいい。

必要なときだけ使えばいい。

普段は普通に働く。

挨拶する。

助けてもらったら礼を言う。

自分が間違えたら謝る。

困っている人がいたら、できる範囲で助ける。

そして、

ここは譲ったらダメだと思ったときだけ、

「ちょっと待ってください」

と言う。

その方が僕は格好いいと思う。

「断る」と「協力しない」も違う

ややこしい奴でいることと、

協力しないことも違う。

これも混同したくない。

自分の担当ではない。

だから絶対にやらない。

一ミリも助けない。

そんな働き方をしたいわけではない。

職場なんだから、お互い助けることはある。

今日は僕が余裕ある。

隣の人が忙しそう。

だったら手伝えばいい。

明日は逆になるかもしれない。

そういう助け合いは好きだ。

ただ、

助け合いと、押しつけ合いは違う。

一方だけがずっと助ける。

一方だけがずっと引き受ける。

一方だけがずっと我慢する。

それは助け合いではない。

だから、ときには断る。

「今日は無理です」

「今これをやっているので、そっちまではできません」

「それをやるなら、こっちは後になります」

そう言う。

断ることは、

「お前なんか知らん」

ではない。

自分のできる範囲を伝えているだけだ。

それで少し、

「ややこしいな」

と思われるくらいなら、僕はその方がいい。

目指したいのは「扱いにくい人」ではない

ここまで「ややこしい奴」という言葉を使ってきたけれど、

僕が本当に目指したいのは、

扱いにくい人ではない。

たぶん、

雑には扱えない人

なんだと思う。

この二つは似ているけれど、違う。

何を頼んでも文句を言う。

話が通じない。

協力しない。

これは扱いにくい人。

そうではなく、

ちゃんと説明すれば理解する。

必要な仕事ならやる。

困っている人には協力する。

でも、

雑な頼み方には疑問を持つ。

理不尽なことには声を上げる。

無理なものは無理と言う。

そして、自分が間違っていたら、

「すみません、僕が間違ってました」

と言える。

僕はそういう人でいたい。

たぶん、これが僕の言う、

「ちょっとややこしい奴」

なのだと思う。

「ちょっと」が一番難しい

結局、この話で一番大事なのは、

「ややこしい」ではない。

「ちょっと」

なのかもしれない。

いい人すぎると、自分がしんどくなることがある。

ややこしすぎると、周りがしんどくなる。

その間。

何でも引き受けない。

でも、何でも断らない。

おかしいことには声を上げる。

でも、何にでも噛みつかない。

自分の意見を持つ。

でも、自分だけが正しいとは思わない。

人を疑う。

でも、自分のことも疑う。

そのために、

俯瞰で見る習慣を忘れない。

「あいつ、ちょっとややこしいからな」

それくらいでいい。

「あいつに頼んだら何でもやってくれる」

より、

「あいつに頼むなら、ちゃんと説明しないとな」

と思われる方が、僕はいい。

ただし、自分のややこしさを自分で制御できなくなったら終わりだ。

牙は持っておく。

でも、いつでも噛みつく必要はない。

必要がなければ、しまっておけばいい。

ややこしさには、ブレーキがいる。

アクセルしかついていないややこしい奴は、

普通にややこしい。

だから僕は、

職場で一番いい人にならなくてもいい。

一番扱いやすい人にもならなくていい。

かといって、一番面倒くさい人にもなりたくない。

自分の境界線は守る。

人にはできるだけ優しくする。

おかしいと思えば考える。

言う前に、一度自分を見る。

それでも言うべきだと思ったら言う。

そして自分が間違っていたら、ちゃんと引っ込める。

そのくらいがいい。

職場では、ちょっとややこしい奴くらいが、ちょうどいい。

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