学生時代、僕の周りにはヤンキーがいた。
いわゆる、やんちゃな男子たちだ。
先生に反抗する。授業中に騒ぐ。廊下を我が物顔で歩く。
とにかく態度がでかい。
僕はというと、彼らとは正反対の人間だった。
目立つことが苦手で、できることなら静かに過ごしたい。先生に反抗する勇気もなければ、喧嘩をする度胸もない。
いわゆる根暗な男子だった。
そんな僕にとって、ヤンキーという存在は恐怖でしかなかった。
できれば関わりたくない。
廊下の向こうから歩いてきたら、なるべく目を合わせない。
近くで騒ぎ始めたら、静かに気配を消す。
僕は平和に学校生活を送りたかったのだ。
ところが、そんな彼らを見ていて、どうしても理解できないことがあった。
あいつら、モテるのである。
なぜだ。
怖くないのか。
僕なんて、できることなら半径5メートル以内には近づきたくなかった。
ところが、女子たちは違った。
普通に話しかける。楽しそうに笑う。彼らの周りには、いつも誰かがいた。
しかも、ヤンキーたちが女子に対して特別丁寧だったわけでもない。
どちらかといえば偉そうだった。
もちろん、女子をいじめたり、意地悪をしたりしていたわけではない。
しかし、少なくとも僕の目には、紳士的な態度には見えなかった。
それなのに、モテる。
一方、僕はどうだ。
先生に反抗しない。喧嘩もしない。授業中に騒がない。女子に偉そうな態度を取ることもない。
実に平和的な人間である。
なのに、モテない。
おかしい。
僕の方が安全ではないか。
少なくとも、突然喧嘩を始める心配はない。
校則違反で先生に呼び出されることもない。
恋愛において、安全性は評価されないのだろうか。
そんな疑問を抱えたまま、僕は大人になった。
そして今、改めて考えてみたい。
なぜ、やんちゃな男やヤンキーはモテるのか。
顔がいいから。
もちろん、それも理由の一つだろう。
しかし、顔だけでは説明できない魅力があるように思う。
今回は、学生時代の記憶を振り返りながら、その理由を考察してみたい。
ヤンキーはなぜモテるのか?顔だけではない7つの理由
最初に断っておきたい。
すべてのヤンキーがモテるわけではないし、すべての女子がヤンキーを好きなわけでもない。
真面目な男子がモテないという話でもない。
ただ、僕が学生だった頃、確かにやんちゃな男子たちが女子から注目されていた。
その背景には、いくつかの理由があったのではないだろうか。
① 自信があるように見えるから
まず思い浮かぶのは、自信だ。
ヤンキーたちは、とにかく堂々としていた。
先生に注意されても、簡単にはひるまない。
大勢の前でも平気で発言する。
周囲からどう思われるかを、あまり気にしていないように見える。
僕には到底できないことだった。
授業中に先生から突然指名されただけでも、少し緊張する。
間違った答えを言ったらどうしよう。
笑われたらどうしよう。
そんなことを考えてしまう。
ところが、ヤンキーたちは違った。
間違っていようが、怒られようが、堂々としている。
もちろん、態度が大きいことと、本当に自信があることは別だ。
強がっているだけかもしれない。
しかし、周囲からは自信に満ちた人物に見えることがある。
そして、自信のある振る舞いは、恋愛において魅力として受け取られる場合がある。
僕は学生時代、女子と話すときも、変なことを言わないように気をつけていた。
嫌われないように。
笑われないように。
失敗しないように。
そうやって慎重に行動していた。
一方、彼らは失敗することを恐れていないように見えた。
この違いは、想像以上に大きかったのかもしれない。
② 女子に対して積極的だから
次に考えられるのは、行動力だ。
そもそも、恋愛というものは、相手との接点がなければ始まりにくい。
どれほど優しい人間でも、どれほど誠実でも、その魅力を知ってもらわなければ伝わらない。
ヤンキーたちは、女子に対しても物怖じしなかった。
気軽に話しかける。
冗談を言う。
相手の反応を見ながら会話を続ける。
少なくとも、僕のように話しかける前から緊張している様子はなかった。
では、僕はどうだったのか。
好きな女子がいたとしても、積極的に話しかけることはできなかった。
何を話せばいいのか分からない。
突然話しかけたら、不自然ではないだろうか。
迷惑だと思われないだろうか。
そんなことを考えているうちに、一日が終わる。
そして翌日も同じことを考える。
何も起こらない。
当然だ。
何もしていないのだから、何も起こらない。
一方、ヤンキーたちは気になる女子がいれば、普通に話しかける。
その結果、仲良くなることもあるだろう。
もちろん、積極的だから必ずモテるわけではない。
相手の気持ちを無視した行動は、むしろ嫌われる原因になる。
しかし、適切な距離感で自分から関係を築こうとする姿勢は、恋愛の機会を増やす。
もしかすると、僕と彼らの最大の違いは、ここにあったのかもしれない。
③ 学校という小さな社会で目立っているから
学校は、不思議な場所だ。
何百人もの生徒が、毎日ほとんど同じ場所で生活している。
その中には、自然と目立つ人物が生まれる。
スポーツが得意な男子。
勉強ができる男子。
面白い男子。
そして、ヤンキーだ。
彼らは、良くも悪くも目立っていた。
授業中に騒ぐ。
先生に注意される。
廊下で仲間と集まっている。
何かと話題になる。
僕のような根暗な男子とは、存在感が違った。
僕はなるべく目立たないようにしていた。
それが平和に学校生活を送るための方法だと思っていたからだ。
しかし、恋愛という観点から考えると、目立たないことには一つの問題がある。
そもそも、存在を認識してもらいにくいのだ。
人は、知らない相手に突然恋をするとは限らない。
まず存在を知り、何度も顔を合わせ、会話をして、少しずつ興味を持つことも多い。
そう考えると、ヤンキーたちは最初から有利な位置にいたのかもしれない。
もちろん、目立てばモテるわけではない。
悪目立ちして嫌われることもある。
ただ、注目される機会が多いことは、恋愛対象として意識される機会にもつながり得る。
僕は目立たないことに成功していた。
見事なものだった。
問題は、恋愛においてまで、その成果が発揮されていたことである。
④ 怖そうなのに優しいというギャップがあるから
これは、よく言われる理由だ。
普段は怖そうな男子が、ふと優しい一面を見せる。
困っている人を助ける。
落ち込んでいる友達を励ます。
意外と動物が好きだったりする。
すると、その印象が大きく変わる。
「あれ、思っていたより優しい人なのかもしれない」
この意外性が、魅力につながることがある。
しかし、僕はここに少し納得できない部分がある。
普段から優しい男子はどうなるのだ。
毎日、普通に人に親切にしている。
困っている人がいれば助ける。
誰に対しても丁寧に接する。
ところが、それは当たり前のこととして受け取られやすい。
一方、普段は怖そうな男子が少し優しくすると、評価が大きく上がることがある。
おかしくないか。
最初から優しい人間の方が、ずっと優しいではないか。
ただ、人は相手に対する予想と実際の行動に大きな違いがあると、強く印象に残ることがある。
怖いと思っていた相手が優しかった。
冷たいと思っていた相手が親切だった。
その意外性が、感情を動かすのだろう。
とはいえ、普段から人を傷つけている人物が、たまに優しくしたからといって、それまでの行動が帳消しになるわけではない。
僕も学生時代、もう少し怖そうな顔をしておけばよかったのだろうか。
いや、やめておこう。
ただ機嫌の悪い根暗が完成するだけだ。
⑤ 刺激的で退屈しなさそうだから
恋愛に何を求めるかは、人によって違う。
安心感を求める人もいれば、刺激を求める人もいる。
落ち着いた関係が好きな人もいれば、予想できない展開を楽しむ人もいるだろう。
ヤンキーたちは、良くも悪くも刺激的だった。
先生に反抗する。
周囲を驚かせる。
突然、思いもよらない行動をする。
一緒にいれば、退屈しないように感じる人もいるのかもしれない。
僕はというと、非常に安定していた。
毎日、だいたい同じように学校へ行く。
授業を受ける。
帰宅する。
余計なことはしない。
実に平和だ。
しかし、刺激という点ではどうだろう。
おそらく、かなり少なかった。
もっとも、刺激的な人間と一緒にいて幸せになれるかは別問題だ。
予測できない行動が楽しいこともあれば、振り回されて疲れることもある。
危険な行動を魅力的に感じることと、実際に安心して付き合えることは違う。
ただ、学生時代の恋愛では、将来の安定よりも、その瞬間の楽しさや高揚感を重視する人もいるだろう。
そうした人にとって、やんちゃな男子は魅力的に映るのかもしれない。
⑥ 強そうで頼りがいがあるように見えるから
ヤンキーと聞くと、喧嘩が強そうなイメージを持つ人もいるだろう。
もちろん、実際に強いかどうかは分からない。
ただ、堂々とした態度や物怖じしない姿勢から、頼もしさを感じる場合はあると思う。
困ったときに助けてくれそう。
いざというときに守ってくれそう。
そんな印象だ。
一方、僕はどうだったか。
喧嘩なんてしたくない。
できることなら、揉め事が起こる前に立ち去りたい。
誰かが怒鳴り始めたら、まず距離を取る。
僕にとっては、それが賢明な判断だった。
実際、暴力を振るうことと、大切な人を守ることは違う。
本当に頼りになる人間とは、危険な状況を避けたり、冷静に問題を解決したりできる人ではないだろうか。
ただ、学生時代には、そうした冷静さよりも、分かりやすい強さが魅力的に映ることもあるのかもしれない。
⑦ 仲間が多く、楽しそうに見えるから
学生時代のヤンキーたちは、仲間と集まっていることが多かった。
廊下で話す。
教室で騒ぐ。
休み時間になると、自然と人が集まる。
そうした光景を見ていると、彼らの周りには独特の活気があった。
人は、楽しそうにしている集団に興味を持つことがある。
そして、友達が多く、周囲から親しまれている人物を魅力的に感じる場合もある。
もちろん、友達の数が多ければ人間的に優れているわけではない。
少人数の友達を大切にする人もいる。
一人で過ごすことが好きな人もいる。
僕自身、学生時代は大勢で騒ぐよりも、静かに過ごす方が好きだった。
ただ、外から見たときの印象は違う。
いつも誰かと楽しそうに話している男子。
教室の隅で静かに過ごしている男子。
どちらが話しかけやすそうに見えるか。
そう考えると、ヤンキーたちが女子と自然に交流できていた理由も、少し理解できる。
なぜ、真面目で優しいだけではモテないことがあるのか
ここまで考えて、僕は一つの疑問にたどり着いた。
なぜ、真面目で優しいだけではモテないことがあるのだろう。
学生時代の僕は、少なくとも問題を起こすような男子ではなかった。
先生に反抗しない。
授業を妨害しない。
喧嘩をしない。
それなのに、ヤンキーたちの方が女子から人気があった。
当時は、なんだか理不尽に感じていた。
しかし、大人になった今なら、少し分かる気がする。
そもそも、僕が挙げた長所を見てほしい。
先生に反抗しない。
授業を妨害しない。
喧嘩をしない。
全部、何かを「しない」という話ではないか。
もちろん、それらは大切なことだ。
人に迷惑をかけないことは、社会生活を送るうえで重要である。
しかし、それだけで誰かが恋愛感情を抱くとは限らない。
例えば、僕が女子に対して何も悪いことをしなかったとしても、その女子が僕のことをよく知らなければ、好きになるきっかけも少ない。
どんなことが好きなのか。
何を考えているのか。
一緒にいると楽しいのか。
どんな優しさを持っているのか。
そうしたことを知ってもらうには、ある程度の交流が必要だ。
僕は嫌われないようにすることばかり考えていた。
しかし、好きになってもらうために何か行動していたかといえば、そうではなかった。
嫌われないことと、好きになってもらうことは違う。
これが、当時の僕には分かっていなかったのかもしれない。
ただし、誤解したくないのは、真面目さや優しさに価値がないわけではないということだ。
誠実さや思いやりは、長く付き合ううえでも大切な魅力になる。
また、積極的でなくても、静かな人柄に惹かれる人はいる。
問題は、真面目であることではない。
自分の魅力が相手に伝わる機会を作れているかどうか。
そこに違いがあったのではないだろうか。
ヤンキーだからモテるのか。それとも、モテる要素を持った人間がヤンキーになっているのか
そして、今回の考察で最も気になっているのが、この疑問だ。
ヤンキーだからモテるのか。
それとも、もともとモテる要素を持った人間が、たまたまヤンキーになっているのか。
この二つは、似ているようでまったく違う。
例えば、ある男子がいたとする。
顔がいい。
自信がある。
行動力がある。
友達が多い。
女子にも自然に話しかけられる。
周囲を楽しませることができる。
そして、その男子がヤンキーだった。
この場合、彼がモテている理由は、本当にヤンキーだからなのだろうか。
もしかすると、校則を守っていても、普通にモテていたのではないだろうか。
髪を黒くして、制服をきちんと着て、授業中に静かにしていたとしても。
自信があり、行動力があり、コミュニケーション能力が高ければ、十分に魅力的な男子だった可能性がある。
つまり、ヤンキーという肩書きではなく、その人自身が持っている特徴に惹かれていたということだ。
もちろん、やんちゃな振る舞いそのものに魅力を感じる人もいるだろう。
しかし、それがすべてではないはずだ。
逆に考えてみたい。
僕が学生時代、突然ヤンキーになっていたらどうなっていただろう。
髪を金髪にする。
制服を着崩す。
先生に反抗する。
廊下を堂々と歩く。
果たして、それだけでモテるようになったのだろうか。
おそらく、ならない。
髪を金髪にしたところで、女子に話しかける勇気がなければ何も変わらない。
制服を着崩しても、自信がなければ落ち着かないだけだ。
先生に反抗しようとしても、声が小さくて聞き返されるかもしれない。
金髪になった根暗が完成するだけである。
しかも、先生から怒られるという余計な問題まで増える。
最悪だ。
やはり、モテるためにヤンキーになるという発想は、あまり合理的ではなさそうだ。
なぜ、怖かったヤンキーを女子たちは怖がらなかったのか
もう一つ、学生時代の記憶を振り返って不思議に思うことがある。
僕は、彼らが怖かった。
しかし、女子たちは普通に話しかけていた。
なぜ、同じ人物に対して、これほど印象が違ったのだろう。
考えられるのは、接しているときの経験が違ったということだ。
僕にとってのヤンキーは、できれば関わりたくない存在だった。
怒らせたら面倒なことになるかもしれない。
何か言われたら嫌だ。
そんな警戒心があった。
一方、女子たちは彼らと普通に会話していた。
少なくとも、僕が見ていた範囲では、女子に対して偉そうな態度を取ることはあっても、いじめたりするわけではなかった。
もしかすると、彼女たちは僕が知らない一面を見ていたのかもしれない。
冗談を言う姿。
仲間と笑い合う姿。
意外と気さくなところ。
あるいは、僕が怖いと感じていた堂々とした態度そのものを、魅力として受け取っていた可能性もある。
もちろん、女子全員が怖がっていなかったわけではないだろう。
僕と同じように、近づきたくないと思っていた女子もいたはずだ。
ただ、人によって魅力を感じる部分が違うということは、確かなのだと思う。
僕にとっては恐怖の対象だった人物が、誰かにとっては憧れの対象だった。
人間とは不思議なものである。
学生時代のモテる男と、大人になってからのモテる男は違うのか
ここまで考えると、もう一つ気になることがある。
学生時代にモテていたヤンキーは、大人になってからもモテるのだろうか。
学生時代は、学校という限られた社会の中で評価される。
目立つこと。
友達が多いこと。
運動が得意なこと。
堂々としていること。
そうした特徴が、周囲からの人気につながる場合がある。
しかし、大人になると、人を見る基準も変化していく。
仕事に対する姿勢。
金銭感覚。
責任感。
相手への思いやり。
感情をコントロールする力。
将来についての考え方。
もちろん、大人になっても刺激的な人を好む人はいるし、学生時代から誠実さを重視する人もいる。
一概には言えない。
ただ、学生時代には魅力的に見えた反抗的な態度が、大人になってからは単なる無責任さとして受け取られることもあるだろう。
例えば、学生時代に先生へ反抗していた男子。
周囲からは、度胸があるように見えていたかもしれない。
しかし、大人になって職場の上司に毎日のように反抗していたらどうだろう。
内容によるとはいえ、ただ仕事をしないだけなら困った人である。
一方、学生時代は目立たなかった真面目な男子が、大人になってから誠実さや落ち着きを評価されることもある。
人間の魅力は、年齢や環境によって見え方が変わる。
そう考えると、学生時代の人気が、その人の一生の価値を決めるわけではない。
もっとも、学生時代にモテなかった僕が、大人になったからといって自動的にモテるようになるわけでもない。
そこは残念ながら、別の話である。
ヤンキーは本当にモテるのか?思い込みの可能性もある
最後に、少し違った視点から考えてみたい。
そもそも、ヤンキーは本当にモテるのだろうか。
僕の学生時代には、確かに女子から人気のあるヤンキーがいた。
しかし、それはすべてのヤンキーに当てはまる話ではない。
女子から嫌われていたヤンキーもいたかもしれない。
真面目でモテていた男子も、当然いただろう。
ただ、目立つヤンキーが女子から人気を集めていると、その光景は強く記憶に残る。
「あいつ、あんなに怖いのにモテるのか」
意外だからこそ、印象に残るのだ。
一方、真面目な男子が普通に彼女を作っていても、それほど不思議には感じない。
つまり、僕たちは目立つ事例ばかりを見て、「ヤンキーはモテる」と考えている可能性もある。
これは見落としてはいけない点だと思う。
おわりに|僕がヤンキーになっていたら、モテたのだろうか
学生時代、僕はヤンキーが怖かった。
先生に反抗し、廊下を堂々と歩き、周囲を騒がせる。
できれば関わりたくない存在だった。
それなのに、女子からモテていた。
当時は不思議で仕方がなかった。
僕の方が真面目なのに。
僕の方が安全なのに。
なぜ、あいつらなのだ。
しかし、大人になった今、少しだけ分かった気がする。
彼らがモテていたのは、単にヤンキーだったからではないのだろう。
自信があり、行動力があり、人を惹きつける何かを持っていた。
一方、僕は嫌われないようにすることばかり考えていた。
そして、誰にも嫌われないよう、できるだけ目立たずに過ごしていた。
結果、誰の目にも留まらなかった。
見事な作戦である。
もし、学生時代に戻れるなら、僕はどうするだろう。
もう少し積極的に女子に話しかけてみたい。
自分から会話を始めてみたい。
好きな人ができたら、勇気を出して気持ちを伝えてみたい。
ただし、ヤンキーにはならない。
喧嘩は怖い。
先生に怒られるのも嫌だ。
金髪も、おそらく似合わない。
そもそも、あの頃の僕がヤンキーになったところで、モテていたとは思えない。
金髪にして、制服を着崩して、教室の隅で静かに本を読んでいる。
……。
ただの金髪の根暗である。
