みんなが笑っている。
楽しそうだ。
実に楽しそうだ。
誰かが冗談を言ったのだろう。周囲から一斉に笑い声が上がる。
「アハハハハ!」
「それはおもろい!」
「やめてくださいよー!」
大盛り上がりである。
そんな中、僕は一人、静かに頷いていた。
うんうん。
なるほど。
そうですか。
……。
おもんねーな、こいつ。
もちろん、口には出さない。
僕だって大人である。
目の前で楽しそうに話している人に向かって、「お前の話、全然おもんないぞ」なんて言うほど、無神経な人間ではない。
だから頷く。
うんうん。
なるほどなるほど。
しかし、笑わない。
別に機嫌が悪いわけではない。
怒っているわけでもない。
体調が悪いわけでもない。
ただ、面白くない。
それだけである。
ところが、周囲は笑っている。
しかも、結構な勢いで笑っている。
僕は不思議に思う。
何がそんなに面白いのだろう。
いや、別に笑っている人たちを否定したいわけではない。
面白いと感じるものは人それぞれだ。
それはわかっている。
ただ、どうしても笑えない。
そして、ふと思った。
みんなが笑っているのに、自分だけ笑えない人には、どんな心理が働いているのだろう。
笑いのツボの違いなのか。
人間関係が影響しているのか。
それとも、本人も気づいていない別の心理が隠れているのか。
今回は、そんな疑問について考えてみたい。
そもそも、人はなぜ笑うのか?
まず考えたいのは、人間が笑う理由である。
面白いことがあったから笑う。
もちろん、それはそうだ。
しかし、人間の笑いはそれほど単純ではない。
例えば、会社の上司が冗談を言ったとする。
「いやー、昨日ゴルフに行ったら、ボールより先に俺の腰が飛んでいったわ!」
「アハハハハ!」
周囲が笑う。
部下たちが笑う。
上司も満足そうに笑う。
しかし、考えてみてほしい。
本当に全員が面白いと思ったのだろうか。
もしかすると、上司だから笑っている人もいるかもしれない。
場の空気を壊さないために笑っている人もいるだろう。
隣の人が笑ったから、つられて笑った人もいるはずだ。
つまり、人間は必ずしも面白いと感じたときだけ笑うわけではない。
笑いには、コミュニケーションとしての役割もある。
相手への好意を示す。
場の緊張を和らげる。
仲間意識を共有する。
こうした社会的な機能があるのだ。
実際、人間は一人でいるときより、誰かと一緒にいるときの方が笑いやすいことが、笑いに関する研究でも指摘されている。
だからこそ、同じ話を聞いていても、笑う人と笑わない人が生まれる。
面白さの感じ方も違えば、その場で笑う理由も違うからだ。
では、具体的にどんな心理が働いているのだろう。
みんな笑っているのに、自分だけ笑えない7つの心理
① そもそも笑いのツボが違う
まず考えられるのは、単純に笑いのツボが違うということだ。
人間にはそれぞれ好みがある。
好きな食べ物が違うように、好きな音楽が違うように、面白いと感じるものも違う。
例えば、誰かが大げさな身振り手振りで失敗談を話していたとする。
周囲は大爆笑。
しかし、自分は何とも思わない。
逆に、自分が面白いと思った皮肉や言葉遊びには、周囲がまったく反応しないこともある。
これは、どちらかの感性がおかしいという話ではない。
単純に好みが違うのである。
お笑いにも、漫才、コント、漫談、大喜利など、さまざまな種類がある。
勢いのある笑いが好きな人もいれば、静かな言葉のやり取りが好きな人もいる。
わかりやすいボケが好きな人もいれば、少し考えてから面白さが伝わってくるような笑いが好きな人もいる。
当然、全員が同じところで笑うわけではない。
ところが、集団の中にいると、この当たり前のことを忘れてしまう。
周囲が笑っている。
自分だけ笑っていない。
すると、何となく自分がおかしいような気がしてくる。
しかし、そんなことはない。
映画を観ていて、全員が同じ場面で感動するわけではないだろう。
小説を読んでいて、全員が同じ文章に心を動かされるわけでもない。
笑いだって同じである。
笑いのツボに、全員共通の正解なんて存在しないのだ。
② 笑う前に分析してしまう
次に考えられるのは、笑うより先に考えてしまう心理だ。
誰かが冗談を言う。
周囲が笑う。
しかし、自分の頭の中では別のことが始まっている。
「今の発言、どういう意味だ?」
「どこが面白かったんだろう?」
「そもそも、その話には矛盾があるんじゃないか?」
考えている。
ひたすら考えている。
そして、ようやく意味を理解した頃には、周囲の笑いが終わっている。
次の話題に移っている。
もう手遅れである。
笑いには、瞬間的な反応が求められることが多い。
特に会話の中で生まれる笑いは、その場の流れやタイミングが重要になる。
ところが、発言の意味や背景を細かく分析していると、感情が動く前に思考が割り込んでしまうことがある。
例えば、誰かが少し大げさな話をしたとする。
「昨日、駅まで走ったら、もう足が取れるかと思ったわ!」
周囲は笑う。
しかし、僕は考える。
足は取れない。
いや、もちろん比喩表現であることは理解している。
理解しているのだが、なぜか頭の中でその状況を想像してしまう。
足が取れる。
取れた足はどうなるのだろう。
その場に落ちるのか。
勢いよく飛んでいくのか。
……。
気づけば、会話とはまったく関係のない方向へ思考が進んでいる。
これは少し極端な例だが、物事を分析したり、言葉から連想を広げたりする人には、こうしたことが起こり得る。
もちろん、分析すること自体が悪いわけではない。
むしろ、考えることで面白さを発見する人もいるだろう。
ただ、周囲が笑っている瞬間に、自分だけ別の思考を巡らせている。
その結果、笑うタイミングを逃してしまうのである。
③ 周囲の愛想笑いに気づいている
これは、職場などで特に起こりやすい心理だと思う。
誰かが冗談を言う。
周囲が笑う。
しかし、その笑い声を聞いて、ふと思う。
本当に面白いと思っているのだろうか。
例えば、上司が毎日のように同じ冗談を言っているとする。
「いやー、俺もそろそろ定年かな!」
「まだまだ若いじゃないですかー!」
「アハハハハ!」
昨日も聞いた。
一昨日も聞いた。
先週も聞いた。
もう何回目なのだろう。
それでも周囲は笑っている。
もちろん、同じ話を何度聞いても面白いと感じる人はいる。
しかし、なかには相手に気を遣って笑っている人もいるだろう。
これは、いわゆる愛想笑いである。
愛想笑いそのものが悪いわけではない。
むしろ、人間関係を円滑にするための便利なコミュニケーション手段でもある。
相手を傷つけない。
場の雰囲気を壊さない。
会話をスムーズに進める。
そうした役割がある。
しかし、この愛想笑いに強い違和感を覚える人もいる。
「面白くないのに、どうして笑わないといけないんだ?」
「みんな、本当にそんなに面白いと思っているのか?」
周囲の反応を観察しているうちに、笑いそのものより、その場の人間関係が気になってしまう。
そして、自分だけ笑えなくなる。
ただし、周囲が愛想笑いをしているように見えても、本当にそうなのかはわからない。
自分には面白くない話でも、他人には面白いかもしれない。
相手への好意や、その場の雰囲気によって自然に笑っている可能性もある。
笑いの裏側を考えすぎることで、かえって素直に笑えなくなってしまうのかもしれない。
④ 無理に周囲へ合わせたくない
みんなが笑っている。
だから自分も笑う。
これが自然にできる人もいれば、どうしても抵抗を感じる人もいる。
面白くないものを面白いと言いたくない。
笑いたくないのに笑う必要があるのか。
そう考える人だ。
これは、単なる反抗心とは限らない。
自分の感情に正直でありたいという気持ちが関係している場合もある。
例えば、映画を観たあとに、友人たちが口を揃えて言ったとする。
「めちゃくちゃ面白かったな!」
「最高やった!」
「今年一番やわ!」
しかし、自分はそれほど面白いと思わなかった。
そんなとき、どうするだろう。
周囲に合わせて「最高だった」と言う人もいるだろう。
一方で、「自分はそこまでかな」と正直に答える人もいる。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、後者のような人は、会話の中でも無理に笑うことに抵抗を感じやすいかもしれない。
笑いとは、本来、自分の中から自然に生まれるものだ。
それなのに、周囲が笑っているという理由だけで、自分も笑わなければならない。
そう考え始めると、笑いが義務のようになってしまう。
楽しいはずの時間が、いつの間にか気を遣う時間に変わる。
これは少し不思議な話だ。
笑うために集まっているはずなのに、笑うことに疲れてしまうのだから。
⑤ 話している相手に苦手意識がある
これは、笑いの内容よりも人間関係が影響するパターンだ。
同じ冗談でも、誰が言うかによって印象は変わる。
例えば、仲のいい友人がくだらないことを言ったとする。
「昨日、冷蔵庫開けたら何もなかったわ!」
「知らんがな!」
それだけで笑えることがある。
話の内容が特別面白いわけではない。
しかし、その友人との関係性や、これまで共有してきた経験があるからこそ笑える。
ところが、苦手な相手がまったく同じことを言ったらどうだろう。
「昨日、冷蔵庫開けたら何もなかったわ!」
「……そうなんですね」
終わりである。
冷蔵庫に何もなかったという事実だけが残る。
これは、相手に対する印象が、冗談の受け取り方に影響しているからだと考えられる。
普段から好意を持っている人の発言は、好意的に受け取りやすい。
反対に、苦手意識のある人の発言には、否定的な感情が先に出てしまうことがある。
例えば、いつも自慢話ばかりする人。
人を見下すような冗談を言う人。
何度も同じ話を繰り返す人。
こうした相手に対して、すでに「この人の話は面白くない」という印象を持っている場合、冗談を聞く前から気持ちが冷めていることもある。
周囲が笑っていても、自分だけ笑えない。
それは必ずしも笑いのセンスの問題ではなく、相手への感情が影響しているのかもしれない。
ただし、相手が苦手だからといって、その人の発言がすべて面白くないとは限らない。
先入観によって、本来なら笑える話まで面白く感じなくなっている可能性もある。
何を言ったかだけでなく、誰が言ったかによっても、笑いの感じ方は変わるのである。
⑥ 周囲が盛り上がるほど冷静になる
これも不思議な心理である。
周囲が盛り上がれば盛り上がるほど、自分だけ冷静になってしまう。
誰かが冗談を言う。
一人が笑う。
二人が笑う。
三人が笑う。
そして、全員が大爆笑する。
「アハハハハ!」
「もうやめて!」
「お腹痛い!」
そんな中、一人だけ静かに座っている。
何だ、この盛り上がりは。
そんなに面白かったのだろうか。
周囲のテンションが高すぎると、逆に自分との温度差を強く感じることがある。
これは、必ずしも冷めた性格だからというわけではない。
その日の気分や、集団の雰囲気、自分がその場にどれくらい馴染んでいるかによっても変わるだろう。
例えば、初対面の人ばかりが集まる飲み会。
周囲はすでに盛り上がっている。
昔の思い出話や内輪ネタが飛び交っている。
しかし、自分には何のことかわからない。
それでも周囲は笑っている。
すると、自然と一歩引いた立場になってしまう。
笑いに参加するというより、笑っている人たちを観察する側になるのだ。
そして、一度その立場になると、ますます笑いに入りにくくなる。
「みんな楽しそうだな」
「自分だけ笑ってないな」
「何か笑った方がいいのかな」
そんなことを考えているうちに、笑うこと自体を意識してしまう。
本来なら自然に生まれるはずの笑いが、どこかぎこちなくなる。
周囲の盛り上がりと自分の気持ちに温度差があると、かえって笑いにくくなることもあるのだ。
⑦ 頭の中で別のことを考えている
最後は、そもそも会話に意識が向いていないという心理だ。
周囲が楽しそうに話している。
自分もその場にいる。
しかし、頭の中ではまったく別のことを考えている。
「今日の晩ご飯、何にしよう」
「そういえば、あの仕事どうなったっけ」
「昨日読んだ小説の結末、やっぱり気になるな」
考え始める。
そして、思考が次々と広がっていく。
晩ご飯は何にしよう。
冷蔵庫には鶏肉があったはずだ。
玉ねぎも残っている。
そういえば、そろそろ買い物に行かないといけない。
洗剤も切れそうだったな。
……。
「アハハハハ!」
突然、周囲から笑い声が聞こえる。
え?
何?
何が起きた?
気づけば全員が笑っている。
自分だけ状況を理解していない。
当然である。
そもそも話を聞いていなかったのだから、笑えるはずがない。
これは、心理学でいう「マインドワンダリング」に近い現象だ。
マインドワンダリングとは、目の前の出来事から注意が離れ、過去の記憶や未来の予定、空想などに意識が向かうことをいう。
人間の注意は、常に目の前のことだけに向いているわけではない。
何かをしている途中でも、別のことを考えることがある。
例えば、電車に乗っているとき。
歩いているとき。
仕事をしているとき。
気づけば、まったく関係のないことを考えていた経験はないだろうか。
会話中にも、同じことが起こり得る。
しかも、最初から話を聞いていないとは限らない。
相手の発言をきっかけに、別のことを連想してしまう場合もある。
例えば、誰かが旅行の話をしていたとする。
「この前、北海道に行ってきたんですよ」
北海道か。
そういえば、北海道が舞台の小説を読んだことがある。
あの作品、面白かったな。
作者は最近、新刊を出していたはずだ。
そういえば、まだ買っていなかった。
今度書店に行こう。
……。
「アハハハハ!」
何?
何がそんなに面白いんだ?
北海道はどうなった?
旅行の話はどこへ行った?
もう何もわからない。
この場合、笑えない理由は単純だ。
面白いかどうかを判断する以前に、話の内容が頭に入っていないのである。
そして、これは必ずしも相手に興味がないことを意味するわけではない。
考え事が多かったり、何かの発言をきっかけに連想が広がったりすることもある。
つまり、周囲から見れば同じ「笑っていない人」でも、その内面はまったく違う。
笑えないのではなく、笑う場面そのものを聞き逃している人もいるのである。
みんなが笑っているのに自分だけ笑えないときの対処法
ここまで、笑えない理由について考えてきた。
では、実際に自分だけ笑えない場面では、どうすればいいのだろう。
僕は、そこまで難しく考える必要はないと思っている。
大切なのは、自分の感情を無理に変えようとしないこと。
そして、周囲との関係も必要以上に悪くしないことだ。
① 無理に笑おうとしない
まず、面白くないなら無理に笑う必要はない。
もちろん、相手への気遣いとして笑うことが悪いわけではない。
しかし、毎回無理に笑っていると、会話そのものが負担になってしまうこともある。
そもそも、笑いは義務ではない。
誰かが冗談を言ったからといって、必ず笑わなければならないわけではないのだ。
自分が面白いと思ったときに笑えばいい。
そのくらいの気持ちでいた方が、自然に会話を楽しめるのではないだろうか。
② 軽く微笑む程度にする
とはいえ、周囲が大爆笑している中で、一人だけ真顔で座っているのも気まずい。
そんなときは、軽く微笑んだり、相槌を打ったりするだけでもいいと思う。
大きな声で笑う必要はない。
「なるほど」
「そうなんですね」
そんな反応でも、相手の話を聞いていることは伝えられる。
もちろん、頷いているからといって、必ずしも相手に好意的な感情を抱いているとは限らない。
心の中では、まったく別のことを考えている場合もあるだろう。
それでも、露骨に不機嫌な態度を取るよりは、穏やかに対応した方が人間関係は円滑になりやすい。
無理に笑うことと、相手に失礼な態度を取らないことは別なのである。
③ 笑いのツボは人それぞれだと理解する
自分が面白いと思わなかったからといって、その話がつまらないとは限らない。
周囲が笑っているなら、実際に面白いと感じている人もいるのだろう。
逆に、自分が大爆笑するような話でも、まったく笑わない人はいるはずだ。
それでいいのである。
全員が同じ感性を持っている必要はない。
「自分には面白くなかった」
ただ、それだけの話である。
自分の感覚を大切にしながら、他人の感じ方も尊重する。
そのくらいの距離感がちょうどいいと思う。
④ なぜ笑えないのか、自分の心理を振り返る
最後は、自分が笑えない理由を考えてみることだ。
単純に笑いのツボが違うのか。
相手に苦手意識があるのか。
周囲の雰囲気に馴染めていないのか。
それとも、別のことを考えていたのか。
理由によって、受け止め方は変わる。
例えば、笑いのツボが違うだけなら、特に何かを変える必要はない。
相手への苦手意識が原因なら、その人との距離感を見直してみてもいい。
考え事をしていたのなら、必要に応じて会話へ意識を戻せばいい。
ただし、毎回原因を分析する必要もないと思う。
笑えなかった。
それだけで終わらせてもいいのだ。
笑わない人は、周囲からどう見られているのか?
ここで、もう一つ気になることがある。
みんなが笑っているのに、一人だけ笑っていない。
そんな人は、周囲からどう見られているのだろう。
「機嫌が悪いのかな?」
「この話、面白くなかったのかな?」
「何か考え事をしているのかな?」
そんな印象を持たれる可能性はある。
しかし、何とも思われていない場合もあるだろう。
そもそも、人は自分が思っているほど、他人の表情を細かく観察していないこともある。
特に盛り上がっている場面では、自分が笑うことに夢中になっている人もいるはずだ。
ただし、表情や態度によっては、誤解されることもあると思う。
例えば、腕を組んで露骨にため息をついていたらどうだろう。
相手は不機嫌なのだと感じるかもしれない。
一方で、穏やかな表情で話を聞いていれば、笑っていなくてもそれほど違和感はないだろう。
つまり、大切なのは笑っているかどうかだけではない。
その場でどのような態度を取っているかも関係している。
そして、もう一つ。
笑っていない人が、必ずしも楽しんでいないとは限らない。
静かに話を聞くことが好きな人もいる。
周囲の会話を眺めているだけで楽しい人もいる。
声を出して笑わなくても、心の中では面白いと感じている人だっている。
笑い声の大きさと、楽しさの大きさは必ずしも一致しないのである。
そもそも、みんなと同じ反応をする必要はあるのか?
ここまで考えてきて、僕は一つ疑問に思った。
そもそも、なぜ僕たちは周囲と同じ反応をしようとするのだろう。
誰かが笑ったら笑う。
誰かが驚いたら驚く。
誰かが感動したら感動する。
もちろん、人間は周囲の感情に影響を受ける生き物だ。
誰かが楽しそうに笑っていると、つられて笑ってしまうこともある。
それ自体は自然なことである。
しかし、いつの間にか、周囲と違う反応をすることに不安を感じるようになる場合もある。
みんなが笑っている。
自分だけ笑っていない。
何となく気まずい。
自分も笑った方がいいのだろうか。
そう考える。
だが、よく考えてみれば不思議な話だ。
面白いと感じるかどうかは、自分の感情である。
周囲の人数によって決まるものではない。
10人中9人が笑っていたとしても、残りの1人が面白いと思わないことはある。
その1人が間違っているわけではない。
逆に、9人が間違っているわけでもない。
ただ、感じ方が違うだけなのだ。
それなのに、多数派の反応が正解のように感じられてしまう。
これは笑いに限った話ではないと思う。
みんなが好きだと言っている映画。
みんなが感動したと言っている小説。
みんなが楽しいと言っているイベント。
自分も同じように感じなければならない。
そんなことはないはずだ。
自分が面白いと思うものを面白いと思えばいい。
面白くないものは面白くない。
ただし、だからといって、自分の感性を他人より優れていると考えるのも違う。
「こんなことで笑うなんて、レベルが低い」
「こんな話を面白いと思うなんて、おかしい」
そこまで考え始めると、単なる好みの違いが、他人への見下しに変わってしまう。
自分には自分の感性がある。
他人には他人の感性がある。
大切なのは、周囲と同じ反応をすることではなく、違う反応をする人間同士が共存できることなのかもしれない。
まとめ|みんなが笑っていても、自分まで笑う必要はない
みんなが笑っているのに、自分だけ笑えない。
そんな場面には、さまざまな心理が隠れている。
笑いのツボが違う。
笑う前に分析してしまう。
周囲の愛想笑いに違和感を覚える。
無理に合わせたくない。
話している相手に苦手意識がある。
周囲が盛り上がるほど冷静になる。
あるいは、単純に別のことを考えている。
理由は人それぞれだ。
そして、同じ人でも、その日の気分や相手との関係によって変わるだろう。
だから、笑えないことを必要以上に気にする必要はないと思う。
もちろん、相手への最低限の配慮は必要だ。
自分が面白くないからといって、わざわざ場の空気を壊す必要はない。
しかし、無理に大笑いする必要もない。
僕はそう思う。
さて、今日も誰かが楽しそうに話している。
周囲から笑い声が聞こえてくる。
「アハハハハ!」
「めっちゃおもろい!」
「ほんまそれ!」
大盛り上がりである。
僕は静かに頷く。
うんうん。
なるほど。
そうなんですね。
そして、心の中で呟いた。
おもんねーな、こいつ。
うんうん。
今日も僕は、よく頷いている。
